阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)氏は1903年生まれ。敗戦後、米軍占領下の伊江島で土地闘争の先頭に立ち、復帰後も一貫して軍用地契約に応じない反戦地主として闘った人です。
 1984年に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を建設。訪れた人を案内して自らコツコツ集めてきた展示物を説明し、見てもらった後には戦争の悲惨さや島の土地闘争のことなどを自分の体験をもとに話す――という交流しながら学び合う活動をしてきたことは、当時たびたびテレビなどでも特集されていたのを覚えています。その氏は、残念ながら2002年に逝去。

 当書は、氏の語り伝えたいことが、平易な言葉で、長老らしく精神的な抑揚を抑えた形で淡々と、学び、考え、行動してきたこととともにまとめられています。
 「復帰後の沖縄、そして伊江島」、「「反戦平和資料館」を創る」、「戦争の証拠が訴えるもの」、「国の不正をただす裁判」の4章と、終章として「心の勉強と真理の闘い」。

 終始「わし」という一人称で思いを伝えていることに好感。
 イデオロギー的な一代記というものはともすると著者自身の考えが中心に据えられるため、読者にとってはお仕着せ的なものになりがちですが、当書の場合そのようなことはまったくなく、むしろ文章の奥に潜む信念が、水がゆっくりと沁みこんでくるかのように心の中に入ってきます。
 そして、そのことが逆に読者の静かな憤りを醸成するという、不思議な読後感があります。

『この伊江島はね、海も動いているし、生きておる。こうして木を見ていますとね、風は三味線ですよ。静かな三味線をひくと、木の枝はみなクミウルイ(組み踊り)する。あれは王様の前で踊るおどりですね。三味線という風が力強く吹くと、沖縄のカチャーシー、庶民の元気踊り。そして、木によって、踊り方がみな違う。木の葉が大きい木の踊り、木の葉の小さい木の踊り、みな違う。それも見事。
 天を見たらですね、雲がどんどん動いて、いろいろなかたちに変わる。舟になったり、ライオンになったり。それもまた見事。
 何でも生かしていかなければならない。戦争がない平和な島をどうしてもつくっていかなければならない。わしはそう強く思っております。―――』(本文より引用)

 とてもステキなオジィだったのでしょうね。ご存命のうちにお会いしたかったです。
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 コシマキなどに、「予算も現地のコネも知識も不要!島暮らしは夢ではない!!」、「ゼロからはじめる南の島の生活マニュアル」――と書かれているので、移住本なのだろうなと思って読み始めました。
 しかし内容は、「沖縄の各島ごとの紹介+各島地元民のナイチャー移住者に対するご意見」というつくりのもので、どちらかというと沖縄の雑学の範疇に入る本のようでした。

 波照間島を例にとると、「波照間島はこんなところ」、「波照間島の歴史」、「日本で一番星に近い島」、「波照間島の産業」というように島を概括し、「ぐるっと波照間島めぐり」、「幻の泡盛「泡波」」、「ムシャーマという祭り」と、島のトピックを紹介。
 そのうえで最後に、ハテルマンチュの本音丸出しトークということで、ナイチャーの移住についてのご意見3編「波照間島のよさとは?」、「移住者に島の生活を乱されたくない」、「長期滞在はいい、でも移住は考えないほうがいい」を掲載しています。
 このような記述が、宮古島、石垣島、竹富島、小浜島、西表島についてもなされています。

 ということで、離島の紹介本をたくさん読まれている人にとっては繰り返しとなるところが多く、目新しさを感じるのは本音トークの部分ということになってしまうでしょうか。
 でもまあ、その本音も、見出しほどにナイチャーを刺激するようなものではなく、読んでいていやな気にはなりません。

 むしろ好感が持てるのは、多くの色鮮やかな写真でしょう。かなりの色調整をほどこしているようですが、空や海の青さがひたすら美しく、つい写真を見てボーゼンとしている自分に気づくことが多かったです。

 フト思えば、八重山・宮古の旅から遠ざかって久しい。本島の芸能や民俗も素晴らしいけれど、そろそろ離島を訪れ、海を眺めながらゆったりした時間の流れに身を置いてみるのもいいかもしれない・・・。
 出ますねえ、禁断症状が。この本は沖縄病患者をキョーレツに刺激します。


 主として舞台芸としての歌三線と座歌としての歌三線からなる「琉楽」の世界について、一石を投じたとも言える秀逸な論考書。

 著者は、沖縄では詩人としても著名であるかたわら、琉球古典音楽野村流の師範の免状を有し、琉楽に対して並々ならぬ想いを抱いています。
 三線は、弾き歌って楽しむだけでは満足できるものではなく、琉楽に宿っている先人達の思想を思い起こし、それを考えながら歌うことこそが重要であると説いています。

 音楽面のみが強調されて、その背景にある思想がなおざりにされている現代においては、琉楽はすっかり貧しいものになってしまっていると嘆いてみせ、琉楽の理論や構造、様式や歌唱法などのいわば琉楽におる表層の研究のみに力を入れるのではなく、琉楽のもつ精神性の核にある「曲想の比喩」に深い意味が隠されていることを理解すべきだ――というのです。
 琉楽は、遠い時代からの大切な記憶の音であり、その音に込められた沖縄の心にこそ「耳」を傾けるべきであると――。

 第1章「「琉球古典音楽論~思想としての琉楽論~」の諸相」は、圧巻。
 まず琉楽における流派の問題について論じ、次に、県立芸術大学教授の金城厚(かねしろあつみ)氏と野村流師範の照屋勝義氏との間で交わされた「声楽譜附工工四」の功罪をめぐる論争について、自身の観点からの考えを述べてみせます。

 そしてまた、今では音源として残っていないかつての名人たちの歌々を想像し、さらに、昭和初期の代表的歌者・金武良仁(きんりょうじん)の復刻音源を聴いて、それ以前の本当の琉楽とはこうであったのではないか、ということを、おぼろげながらも推理してみせます。
 琉楽に対する深い愛情と理解が随所に垣間見える力作だと思います。

 このほか、著者の心の遍歴を対論風に自作した第2章「回想風・私と文学と歌三線の世界~私が「琉楽思想」を想うようになるまで~」、これまでに新聞のコラムなどに掲載されてきた小品をまとめた第3章「「琉楽」の周辺~コラム・エッセーなど」、そして最後には、1~3章にかかわる34ページに及ぶ語句解説が付いています。

 現代の歌三線について深く考えてみる契機としてみたい良書です。


 ところは浦添の牧港あたり。1階にスーパーマーケットがある鉄筋アパートの4階に住む新垣彩華は、ビンボーなために高校にも通えない15歳。快活で他人に頼らないところがあり、多少サーダカ(霊感が強い)のようで、聴こえないものが聴こえたり、見えないものが見えたりします。
 父の勇は、直木賞作家を夢見て毎日泡盛を飲みながら役に立たない原稿を書いているフリーライター。故あって妻と別れ、実家からも縁を切られてしまっています。

 そんな父娘のとなりに東京から引っ越してきたのが、鈴木父娘。
 我がままな母親への恐れと難しい友達づきあいのためにすっかり学校が嫌いになり、友達なんかいらないと思っている夏海と、沖縄大好きの和則です。

 夏海は、あっけらかんとした彩華の行動や、同じアパートに住むというだけで分け隔てない付き合いがはじまっていく沖縄の不思議な雰囲気に触れ、徐々に心を開いていきます。
 その途上には、恐い母の生き霊を彩華とともに追い払ったり、夏海を東京に連れ帰ろうと台風のさなかにやってきた本物の母をアパートの住人たちが結束して本土へ追い返したりと、さまざまな山場があります。

 ラストシーンは、宜野湾のトロピカルビーチ。
「沖縄そばってどんな感じ?」と、夏海が問えば、
「食べやすいよ。見てからのお楽しみ」と、彩華が答えます。
「そばを食べなければウチナーンチュとは言えないさ」
「もう勇よー。夏海はウチナーンチュではないってば」
「うん。でも、ウチナーンチュがやるようなことは、だいたいやってみたいの。できることだったら」
「じゃ、まずは、そばさーね」
「でもさ、夏海」
「何?」
「いいんだよ。自分がウチナーンチュだ、って思っても」
 ―――そのとき夏海は、心の底からうれしそうな顔をしたのでした。

 ウチナーグチのイントネーションまでが読み手に伝わってきそうな、不思議と温かさがいっぱい詰まった「ゆるみ系ホラー」小説。サイコーです。
 アマゾンで、古波蔵保好の古書をまとめ買いしました。

 古波蔵保好氏は、1910年首里生まれ。戦前戦後を通じた70年余りを新聞記者、評論家、エッセイストとして活躍し、県内外の著名人たちは紳士で食通の彼を「最高の文化人」と評したといいます。2001年8月30日、肺がんのため91歳で死去。

 氏は那覇市久茂地の琉球料理専門店「美栄」の店主でもあった人なので、沖縄の料理や食文化を扱ったエッセーも多数。
 そのうち特に評価の高い「料理沖縄物語」の古書を探していたところ、ありました、ありました!

 ということで、古波蔵保好著の「料理沖縄物語 (朝日文庫)」、「沖縄物語」、「骨の髄までうまい話」、「男の衣裳箪笥 (新潮文庫)」の4冊を購入。
 それぞれ異なる古書店からの購入で、送料込みでしめて3,528円也。うむ、自分にとっては価値ある投資だ。もう読めないのだろうと思っていたのでね。

 「料理沖縄物語」は、1983年刊を朝日文庫が1990年に文庫化したもの、このほか「沖縄物語」は1981年、「男の衣裳箪笥 (新潮文庫)」は1983年、「骨の髄までうまい話」は1997年に、それぞれ刊行されたものです。

 このうちまず「男の衣裳箪笥」が届いたので、さっそくスキャニング。
 またオフ・タイムの楽しみが増えました。


 ネットで求めた古波蔵保好の本が、本日までにすべて届きましたので、画像をアップしておきましょうね。
 
   oki-monogatari.gif   honeno.gif

 左から順に、「料理沖縄物語」、「沖縄物語」、「骨の髄までうまい話」。これと、先に紹介した「男の衣裳箪笥」の4冊です。

 このうちもっとも欲しかったのは、「料理沖縄物語」。1990年の発売時は460円+税(当時は3%!)だったペラペラの文庫本だが、985円+送料340円で、1,325円もした。
 でもまぁ、読みたかったのだからしょうがない。読めるだけシアワセと思うしかない。
 一方、「骨の髄までうまい話」のほうは、ほとんど傷みのない単行ハードカバーだが、値段は1円(+送料)。

 本の世界も発売以来しばらく経つと、このように価値に差がついてくるのですね。
 なんだか、入社して何年か経ってしまったおれたちサラリーマンの世界と似ていなくもないなぁ。

 ・・・・・・。
 あ、つまらんことで考え込んでしまい、スマンスマン。(苦笑)


「沖縄の島はあんた、あくまで琉球人のものですよ。かつては琉球王国だったんだ。それを日本が母国のようにいう。いまさらなんだ。」
「将来はこの遠浅の海に本格的な養殖施設を作り、年間50万ドル以上の収入を上げるのがわたしの夢ですよ」
 こう叫ぶ、戦後沖縄の女傑が、また一人。
 女ながらに、大宅壮一をして「沖縄に男あり」と言わしめた照屋敏子(1915-84)の波乱の生涯を描いた本格評伝です。

 漁師町糸満で生まれ育った敏子は、幼くして孤児になり、9歳から大人に交じって魚の行商に歩き、16歳でセレベス島(現スラウェシ島)に駆け落ちした後、19歳での結婚を機に沖縄に戻ります。
 そして戦後の混乱期、疎開先の福岡で結成した漁業団の女頭領として名をあげ、後に米軍占領下の沖縄に帰り、無謀とも思える新規事業を次々と立ち上げていきます。
 国際通りでの皮革・宝石店、メロンの栽培、養魚場の造成・・・。

 さて、ワンマンで、侠気と統率力があり・・・というようなリーダーは、事業が順調なうちはいいですが、右肩が下がり始めると静かに表舞台から去っていくケースが多いのではないでしょうか。
 彼女もそのようなリーダーの一人だったようで、混乱期には滅法力を発揮するけれども、平時には煙たがられたのではないか。
 事業が落ち着くにしたがって、安定を求める側近は一人、また一人と去っていき、求心力を維持するためにリーダーはさらに事業を拡張していく――といった悪循環。彼女もそのような循環の中で栄枯盛衰を味わっていきます。

 つくづく、「時代」というものは人を生かしもし、殺しもするのだなと痛感します。
 それは今の時代であっても同じで、ついこの前まで一流企業のエリートだった人がリストラされたり、卑近な例では上司との折り合いがうまくいかないだけで優秀な人材が干されてやる気をなくしてしまったり、ということがそこここで起こったりします。

 そんなことを考えながら読んだためか、最後まで判然としなかったのが、著者は照屋敏子の生涯を通してそもそも何を訴えたかったのか?ということ。
 敏子の偉大な業績でもないし、時代の背景でもない。戦後の沖縄でもない。そして最大の「?」は、表題にある「沖縄独立」について洞察する記述がほとんどないこと。

 「敏子」という波乱の人生があったことはよくわかったけれども、かつて「ナツコ 沖縄密貿易の女王」を読んで感じたような、そこからぐいぐいと広がっていく何かを感じ取ることができなかったのは、少々残念です。


 本部半島運天港の北東に位置する、隆起サンゴ礁でできた古宇利島。周囲8km、標高104mのこの小さな島が、著者の故郷です。
 古文献には「郡島」の記載があり、方言では「フイ」や「クイ」(「海を越えた向こうの地」の意)ともいわれ、アダムとイブの物語を思わせる島建て伝説が残る、沖縄人類発祥の地ともいわれています。

 かつては1日3便の連絡船が唯一の外界との窓口になっていて、文明・文化から取り残されてしまったようなこの島にも、2005年2月に「古宇利大橋」が架橋され、島も一変しました。
 私も同年12月にこの橋を渡って島を見てきましたが、そこで出会ったオジィが「便利にはなったけどね・・・」と不安そうに話していたのを思い出します。

 著者は、1955年生まれで、中学卒業後15歳で島を離れ、名護、東京、ヒューストン、水俣、ジュネーヴと移り住み、今は北海道大学大学院で国際保健医学を研究している方。
 離れてみて初めてわかる故郷のよさをしみじみ感じているようで、島への熱い想いを切々と綴っています。

 腹ペコで貧しくはあったけれども、楽しかった幼年時代、母子家庭にあって母や兄姉たちの温かい愛情に育まれ、島に特有の水を得る苦労や、1台のテレビが初めて島に来たときの喜び、スイカやウニなどの島の特産品にまつわる島人と子供たちの様子、果てはまだかすかに残っていた夜這いの風習のことなどに言及しています。

 シマチャビ(離島苦)が激烈であっただけに、遠いところから届いた誰かからの手紙のような淡々とした語り口が、感動を深めます。
 誰も知らなかった、小さな島の、小さな歴史。でもそれは、そこで育った人間にとっては、どんなにそこを離れていても、どんなに時が経って立場が変わっても、大切な歴史であり一生の財産なのですね。

 地道な聞き書きのフィールドワークで得られそうなストーリー。286ページで1,143円。内容から判断すれば、これは安いです。


 今年の「琉球フェスティバル2008in大阪」は、10月12日(日)。
 2002年以来6年ぶりで、 大阪城野外音楽堂での開催となりました!

 出演者は今のところ、知名定男、でいご娘、大工哲弘、パーシャクラブ、下地勇、アルベルト城間、大島保克、それに関西のエイサー集団3組――となっていますが、これだけですまないのが琉フェス。絶対にこのほか大勢の唄者が出演するはずだよね。
 なにせ昨年は、19組の唄者に加え、総勢100人による三線演奏や数々のゲストが出演したのですから。しかも、開演は去年の大阪ドーム開催よりも30分早まっていますからね。

 知名、大工、大島ら、琉フェスには欠かせない面々がエントリーされているのがたいへんグッド。
 このほかにも、野外ともなればどうしてもグループによるウチナーミュージック系が中心となることが予想されますから、上記出演者のほかにもBEGINや夏川りみ、かりゆし58、ネーネーズ、りんけんバンドなどから何組かが入ってくるのでは?
 また、一方では、これでは民謡歌手も手薄。今年の琉フェスの「顔」となる唄者や大阪在住の唄者、さらには奄美の唄者も何組かエントリーされるはずだ。

 個人的には、よなは徹、神谷千尋、内里美香などの若手にも出場してほしい。
 ニューカマーとしては、松田弘一、松田須之吉(末吉)などの実力派や、若手では上間綾乃などはどうだろう?

 雨天決行、指定席6千円、芝生自由席五千五百円。
 チケットぴあの先行抽選販売の申込受付は5月22日から。
 行けるかどうかわからないけど、3連休の中日だし、早めに確保しようっと。
 沖縄行きが遠のき、オキナワとのつながりはこのところ本だけになってしまった感がありますが、いやいや、沖縄に向ける熱い想いや視線はますますエスカレートするばかり。
 忙しいとあれこれしたくなる、逢えないのでますます逢いたくなる、食べたいのに食べられない・・・といった事象に共通する、渇望するココロ。これって、ひたすら増幅するものなのですね。

 で、沖縄本。買うほうが多くてなかなか読み進めないのが実態ですが、また買ってしまいました。

 このたびの購入は、
   沖縄に死す            小松茂朗       光人社NF文庫
   沖縄悲遇の作戦新装版     稲垣武         光人社NF文庫
   沖縄拝所巡り300        比嘉朝進       那覇出版社
   約束の島、約束の祭       箭内博行       情報センター出版局

 「沖縄に死す」は第32軍司令官牛島満の生涯を、また、「沖縄悲遇の作戦」は同軍作戦参謀八原博通の生涯を記したもので、非常に興味深い。
 そしてとうとう「沖縄拝所巡り300」なんてものまで買うようになってしまった!
 でも、これもまたけっこう興味アリ! 時間があれば巡ってみたい・・・なんてことまで考えています。



 このほか、最近入手したのは、
   証言 沖縄「集団自決」 慶良間諸島で何が起きたか  謝花直美   岩波新書
   沖縄エイサー誕生ばなし       御代英資          東洋出版
   沖縄のうわさ話(白版)         tommy           ボーダーインク
   比嘉春潮                                 日本図書センター
   アカインコが行く            与並岳生           琉球新報社
   島田紳助のすべらない沖縄旅行ガイドブック  島田紳助   幻冬舎
   沖縄に住む               原田ゆふ子、黒川祐子  角川新書    
など。

 う~~~む・・・、こんなにたくさん、いつになったら読めるのか。