年度が替わったら本業が忙しくなって、軸足を移したはずのこちら側、「沖縄探求」がついついおろそかになってしまっているけふこのごろ。ナントカならんですかな、コレ。

 さて、久々のブログもまたまたオキナワ本。「空白の沖縄社会史」です。
 なんだかんだ言っても、沖縄本だけは少しずつではあるが読み進めているのダ! エラいだろ。
 いや、バッカだろ、おれって。
 ・・・くそ。



 著者は、1941年台湾生まれ、沖縄国際大学の社会学のセンセイです。
 著者は、父親が台湾に出稼ぎに行き、勤務先で現地召集され、同行した家族は終戦翌年に沖縄に引き揚げてきたという過去を持っており、当書をしたためる契機の一つはこのあたりにあったのかもしれません。

 戦後、与那国島を中心とした八重山と、台湾との間で行われたという密貿易について、実際に密貿易に関わった多くの人々から証言を集め、その実態を仔細に解き明かしています。いやはや、関係者の証言は、生々しくも痛快ですな。

 話は、八重山・沖縄での密貿易のみならず、トカラ列島の口之島をルートとして行われた日本本土との密貿易や、沖縄本島で盛んに行われたという米軍物資のかっぱらい行為(これを「戦果を上げる」という)についても言及されていますから、戦後沖縄の混乱期の様子を詳しく知りたいという方はぜひ一読することをお勧めします。

 沖縄人は、ともするとお人好し、のんびりという気質で語られることが多いですが、戦果と密貿易の時代に生きた沖縄人は、才知に長け、機敏で勇敢そのもの。ウチナーンチュのしたたかさがいかんなく発揮された時代だったようです。
 ウミンチュとしての経験のない人までが、ボロ船に身を託し、一攫千金を夢見て盛り上がったこの時代は、苦難する中ではあっても、ウチナーンチュが最も生き生きとして輝いていた時代だったのかもしれません。

 挿入されている写真もまた、注目度高し。当時の糸満ロータリー付近の写真や、赤ん坊を背負い頭上に配給物資を載せて家路を急ぐ女性たちの写真など。とりわけ後者は、身なりはきれいでなくとも表情がいい。

 与那国島の密貿易時代を知るための必読書、という位置づけ。
 密貿易に関してはこのほかに、「美麗島まで」(与那原恵)、「密貿易島」(大浦太郎)、「与那国沖死の漂流」(伊良皆高吉)、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(奥野修司)などがあります。ずいぶん読んだんだなあ、密貿易関連本。
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 浦添ようどれ周辺がまだ今のように整備されていなかった頃、浦添城址公園内にある伊波普猷の顕彰碑を見に行ったことがあります。
 うらさびしい山裾に楚々としてたたずむ黄土色の碑を見て、ここに沖縄学の父が眠っているのかと静かに感動したことを思い出します。

 この本を読んでわかったのですが、この碑は1986年8月に建立されたもので、その後この地では13年間にわたって伊波普猷忌が行われたのだそうです。
 そしてその際には、いつも伊波の妻である冬子氏と、その従妹にあたる著者も参加していたということです。

 著者は、18歳のときに沖縄から単身上京し、伊波宅で世話になり、伊波を身近に見、彼の影響を受けながら多感な時期を過ごしました。
 東京駅で冬子夫人の出迎えを受け、小石川区戸崎町の伊波家の玄関で、何年ぶりかで会った伊波から「ヤー、マギーナティ」(やあ、大きくなったねぇ)とにこやかに出迎えられたことは、それから何十年経っても著者には忘れられなかったようです。

 戦時中の東京での比嘉春潮との深い交流や、夫人が着物を質に入れなければならないほど生活に窮していても大好物のサーターアンダーギーと紅茶のティータイムをとったりして心豊かな生活を送っていたことなど、共に生活した者でなければわからない、伊波をめぐるたくさんのエピソードが掲載されています。

 また、沖縄時代の伊波には正妻がいて、冬子夫人は沖縄県立図書館に勤務していた頃に「伊波普猷を廻る5人の女」と言われた女性たちの一人だったということなども書かれていて、伊波の人となりを知る上で重要な文献になっているようです。

 伊波にまつわる写真も豊富。
 「僕がねえ、もしお金があったら、20畳位の大広間の家をつくってね、そこへ青年男女を自由に出入りさせて、討論会をやらせたいね、ハハハ・・・」と言った晩年の伊波が思い出していたのは、かつて若かりし頃、沖縄の自宅を開放して開いた子どもの会のこと。その子どもの会のときの写真も掲載されており、伊波の静かで熱い想いが伝わってきます。

 伊波普猷の素顔を知るには、必読でしょう。
 ああもうっ!
 連休はいい天気。ホントなら今日は那覇から南大東島へと向かう日だったのになぁ。

 仕事の関係で旅はキャンセル。キャンセル、きゃんせるぅ~。
 4月から県民の危機管理を担当する部門に異動したのですが、暫定税率の期限切れに伴うガソリン税等の下げに始まって、地震、食中毒、そして昨日は秋田で鳥インフルエンザというふうに、いろんなことが起こるので、毎日落ち着くことがない。
 でもって、今度は5月1日から暫定税率復活だ。
 沖縄旅のキャンセルは正解だったというしかないが、それにしても行けなかったことは口惜しい。

 で、家でオキナワ本を読んでいます。
 勝連繁雄の「琉球古典音楽の思想」(沖縄タイムス社刊)。
 なかなかいいぞ、これ。思考の奥行きが深い。

 それとはまったく関係ないのだけど、家で泡盛をやっていて思い出したのだが、宮古島には「オトーリ」という風習がある。
 何人か集まって、そのうちの一人が口上を述べて全員が順に泡盛を飲んでいき、それが終わると次の人が口上を述べ・・・というように際限なく飲み続けるのだそうだ。
 ある本を読んで知ったのだが、オトーリの泡盛の注ぎかたには名前があるのだそうで、これがまた秀逸なギャグになっていたので紹介しましょう。

 宮古島の人々は、一般的に「県道○号」などと言われる道路を「○○線」と呼んだりするのですが、これをパクって、
 たくさん注いでほしいときは、上野線
 少しでいいときは、下地線
 標準でいきたいときは、平良線  ・・・といい、さらに、
 少々希望の量より少ないときは、多良間線
 でもって、もう飲めない~!というときは、池間線  ・・・というのだそう。
 出てくる地名はいずれも宮古のもので、実際そういう路線もあるのだ。

 これを読んだときは、深夜のベッドの中で一人うひゃうひゃと笑ってしまった。
 一人で飲む泡盛もうまいが、そんな形でワイワイとやるのも、あ~あ、楽しそうだよね。

 さて、関係ないついでに、沖縄民謡歌手の玉城一美の画像を貼り付けちゃおう。
 コザの民謡酒場「花ぬ島」で活躍していますよ。