久々に読むオバア本。
 沖縄の元気の半分以上は、オバアたちの元気とテーゲーな精神がつくり出しているのではないか?!――と思えるくらいパワー抜群。そんな彼女たちの自由闊達な生き方にはある種の畏敬の念すら抱いてしまうおれ・・・。

 そして、そんなオバアたちのメッカ的、象徴的に場所になっているのが、那覇開南の農連市場なのです。
 ここで活躍するオバアたちに関わる9つのお話を紹介するのが、この本です。

 それらの表題だけ記すと、「長男がいなくなったさぁ」、「旦那がマグロ漁船に乗って死んださぁ」、「スミの子るんるんのキセキ!?」、「殴られて日本語わからずグラシアス!」、「車の中で生活、楽しかったよ」、「チラシは無駄、そのぶんサービスしなさい」、「シメられてあの夏」、「農連バブルとバセドー病」、「小便も凍らせて飲んださぁ」・・・という具合。

 農連市場とは、半生記ほど前の1958年、沖縄農業共同組合連合会によって、那覇市樋川のガーブ川沿いに開設された相対売りの市場で、今も東南アジアの市場の雰囲気が漂っていて、ここでしか味わうことのできない独特の空間が形成されています。
 沖縄観光の際にはぜひ足を運んでみたいところ。

 明朗快活で少々のことはまったく気にせず、むしろ図々しいくらいの印象を受ける沖縄のオバアたちですが、著者が苦労をして聞き出した彼女たちの話には、辛い過去や厳しい現実が垣間見られます。
 そして、人生の光と影の中で、辛さや苦しさを乗り越えて笑顔を見せているのだということがわかってしまうと、彼女たちにはむしろ愛おしささえ感じてしまいます。

 彼女たちの苦労のナンバーワンは沖縄戦。それまで楽しそうにしゃべっていたのに、戦争の話になると急に口数が少なくなり、「話したくないさぁ・・・」と下を向いてしまうその姿。アナタの苦労は想像を絶するものだったのでしょうね・・・。
 そのほかには、働かない夫との生活や、女手一人でやった子育てのことなども。

 そんな沖縄のオバアたちの話に耳を傾けてみるのも、癒しやリゾートだけでない真の沖縄の姿を知るためには悪いことではないのでしょう。

 1968年、岐阜県生まれの著者サン、粘り強く取材しましたね。オバアたちに心から受け入れてもらうためにかなり通いこんだことでしょう。その努力とマニアックさに敬意を表しましょう。(笑)
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 新年明けまして、おめでとうございます!
 新春を寿ぎ、村々に五穀豊穣をもたらすという各地の「ミルク」を一気にご紹介しましょうね~。



 まずは西表島の古村祖納(そない)のシチ祭に登場するミルク。
 神々しいですなぁ。ミルクは「弥勒」なのだけど、なぜか七福神の布袋様のかっこうで登場するのです。

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 2枚目は、小浜島の結願祭に登場するミルク。
 ミルクはどこでもこのように子供たちを引き連れて現れます。

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 続いては、石垣島白保村の豊年祭に現れるミルク。
 「弥勒節」にのって神々しく登場します。

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 こちらは沖縄本島、首里赤田のミルク。愛嬌満点ですね。(笑)

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 これは鳩間島の豊年祭に登場するミルク。

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 で、最後は、波照間島のムシャーマに登場するミルク。
 集落ごとに登場するので、たしか都合3種類くらいあったはずです。

 ――ということで、どうぞ神様、今年も私たちに五穀豊穣、弥勒世果報と、平穏な日々を与えたぼーり。サリウートートー・・・。
 年末年始休暇も終わろうとしていますね。
 この休み中最低4冊を目標にしましたが、沖縄本を5冊読了。やったぁ!
 けっうな量を貯めていましたからね。
 さて、そのうちの2冊目をご紹介。

amabaru.gif

 1999年5月から2001年10月にわたって男性月刊誌「BRIO」(光文社刊)に掲載された、島尻郡知念村アマバルでの自然観察の記録です。
 著者は4年半ほどここに住んだらしい。

 一言に自然と言っても観察の対象は幅広く、鳥、昆虫、花、草木、動物はもちろん、家畜、海、台風、雷、太陽、月、星などなど。生活をしていて気がついたことについてしっかり観察して、あとで参考書で調べるという、著者曰く小学生の夏休みの宿題のような形でまとめています。

 この観察は楽しかったようで、夜空に見える圧倒的な星の数に驚いたり、いきなり目の前に現れて「わたしを見て!」と言わんばかりの鳥や虫や野草を見たりしています。

 印象的だったのは、やはり昆虫や蛇など、自宅に次々とやってくる珍客たちの様子。
 それらはいずれもデカく、それらの実物写真を見るにつけ、こんなのがしょっちゅうやってきたらたまらないだろうなと思うことしきり。いくら沖縄が好きだからと言っても、おれはもしかしたらアマバルには住めないかもしれない。

 また、おれは蝶が好きなのだけれど、大型のきれいな蝶、オオゴマダラを発見し、いつもオオゴマダラが群れ飛ぶ家というのもいいではないかと、幼虫の食草ホウライカガミを庭に植えてみようと考えた著者の発想にも親近感を持ちました。・・・しかし、その幼虫もデカいのだろうな、きっと。

 全30編。「サシバの冬」、「イソヒヨドリの育児」、「遠い電光」、「ムカデのナナフシ」、「台風が来た」、「月に狂う」、「草刈りの快楽」、「ヤスデがぞろぞろ」、「メイサとホウライカガミ」、「ハブがいた!」、「こんなネズミがいたなんて」、「クワズイモと光る卵」など。
 足のたくさんあるヤツ、芋虫系、ヌルヌル系が苦手な人にはあまりお薦めできませんが、専門家っぽくないフツーの自然派の方には自信を持ってお薦めできる1冊です。


 コシマキには、
「沖縄、その、ありし日の穏やかな風景、うしなわれた魂、そして未来にあるべき島の姿、語りつぐべきすべてがここにある。《沖縄学》の第一人者が《平和》を祈念して綴る、回想録を超えた一大ライフストーリー」――と、いささか大げさなコピーが書き込まれています。

 これは大満足な1冊でした。外間氏の研究成果はある程度読んでいますが、それらの背景となった心象風景をよく理解することができたので。

 第1部は、生い立ち、戦時下の青春、従軍時代から戦後に沖縄を離れるまで、
 第2部は、東京で沖縄学に出会い、琉球大学で教鞭をとっていた頃のこと、
 第3部は、その後の沖縄学隆盛への尽力時代から現在まで――。

 外間氏の回想モノについては、当書を読む前の段階で「沖縄学への道」(岩波現代文庫)と「私の沖縄戦記 前田高地・六十年目の証言」(角川書店刊)の2冊を読んでいますが、当書はその両方の内容も包含したものとなっています。
 ・・・こっちを先に読んで、より詳細を知るためにこの2冊を読む、という順番が正しかったかも知れません。

 3書の内容に矛盾はなく、著者の一貫したライフスタイルを確認するのとあわせて、過去に対する驚異的な記憶力にはほとほと感心。まあそれだけ充実した日々だったのでしょう。
 数々のエピソードはそれだけでも面白いのに、それらは若い沖縄の時代を築いてきたたくさんの著名人とつながっており、著者はこういう人たちと同級生だったり知り合いだったりしたのかと驚きました。

 また、著者は沖縄学の先輩たちと若き研究者との繋ぎ役としての役割を自負しており、彼が積み重ねてきた交友は、沖縄学の系譜そのものを知るにも重要です。
 そういう意味からも、年始早々いい本にめぐり会えたヨロコビに一人ほくそ笑んでいます。

 2002年の末、脳梗塞に見舞われて多少言葉に不自由するようになったそうですが、それにも負けずに講演の依頼に応じたり、沖縄学研究所を主宰したりと、今もお元気で活躍しているようです。

hokama.jpg 外間守善氏


 またまた名もなき沖縄人のドキュメントもの。好きなんですよね、こういうの。

 屋嘉宗業は、1866年生まれで1958年に没した三絃師範。石垣島に渡り、八重山で沖縄古典音楽を広めた初期の立役者なのだそう。
 同じ師範で兄の宗徳については顕彰碑が建立されるなどその足跡が評価されているのに、宗業についてはそういうものがなく、著者は宗業の生き様を記録するため20年かけてこの本を書いたのだとのことです。

 その著者は、宗業の孫の一人。宗業が竹富島につくった妾の子で、宗業の孫として認知されて小さいうちから石垣島に住みます。
 著者の両親が台湾で教員をしていて、義母が身体が強くなかったことから、宗業が引き取って育てたので、すっかりおじいちゃん子になったよう。ま、実の子なのですけれどね。

 何年も前の少ない記憶をたよりに、当時宗業と親交があった人々の関係者に当たってようやく彼のアウトラインを浮かび上がらせたというつくりの本でした。

 登場するたくさんの宗業ゆかりの人物は、おそらく現地では著名な民謡師範たちなのでしょうが、私が知っていたのは残念ながら大浜津呂ぐらい。
 ほかには、親族として登場する民俗学者伊波南哲だけでした。
 もっと登場人物に親近感がもてたらさらに楽しく読めたのにと、少々残念。

 立派な装丁、170ページで1200円。採算合わないのだろうなぁと心配してしまいます。
 晩秋のある日の午後、役所でデスクワークをしていたら、急に召集がかかり、ジャージに着替えてその上にコートを羽織るといった急ごしらえの姿で、公用車で山手にある自然公園へと向かった。
 側溝掃除やら雑木の伐採やらの作業をしながらつい公園敷地の奥にある実験圃場まで入り込んでしまったおれは、薄暗くなった夕刻に麓の管理棟まで下ってきたところ、すでにみんな帰ってしまったことに気づき、やれやれ取り残されたかと思うと同時に、さて、県庁舎までどうやって戻るべきか、急に不安になった。県庁舎はこの山の下10キロほどのところにあるのだ。歩いて帰れば夜になってしまう。
 そうだ、バスがあったはずだ。数少ない過疎山間地のバスの便だが、その最終便は、ちょうど今ごろのタイミングだったはずだ。よし、これしかない!
 おれは管理棟の入口付近に荷物と共に放ってあったコートを急いで纏うと、100メートルほど先にある公園の門前にあるバス停へと走った。

 おれがバス停にたどり着くか着かないかというタイミングでバスはやってきて、停車した。今どき珍しいボンネット型のバスだ。バスを待っていた一人の中年女性が運転手と話している。行き先を確認したかのようで、乗るのをやめたようだった。それは、後続を待つような素振りに見えなくもない。
「こんな山奥を走る路線バスに、行先が複数あるものなのだろうか? そして、これのほかに別のバスなどやって来るものなのだろうか?」――という疑問が一瞬おれの脳裏をよぎったが、バスに間にあった達成感と歩かないで下界へと戻れる安堵感がそれを打ち消した。
 よし、乗ろう。行先も確認せずそのバスに乗ろうと、手すりに手をかけた瞬間・・・。
 !!!!!
 なんと、そのバスが走り始めたではないか! しかもそれは、そろそろ・・・という感じではなく、なにかあわてて発進したような、乱暴な動き出し方である。
 おれはこのバスに乗らなければ、下界へは戻れない。開けっ放しの乗降口の手すりは絶対に離せない。前方を左右に揺らし、加速しながら下りのくねくね道を進むバスに必死にしがみついた。

 なんとか振り落とされることなく車内に入ることができたおれは、荒い息をしながら走行中の車内の人々をにらめつけた。
 「どうして停めようとしてくれない!」という言葉が出かかった。――しかし、何事もなかったかのような無表情な3人の乗客を見て、おれのほうが萎えてしまった。彼らの平穏な日常に突然入り込んできたおれのほうが悪いのではないかという猜疑。こちらに背中を向けている運転手も、背中でそう言っているようだ。
 苦汁のような腹立たしさを呑み込み、近くの席に着く。
 怒りが椅子の慰安と安堵によって徐々に収まっていく中で、車内に掲示してある運賃表に目をやると、なぜか「県庁前」が見当たらない。はて、どうしたことか。この路線はひたすら山を下り、その下に開けた扇状地へと向かう。その扇状地のもっとも上のほうに県庁舎はある。どう考えても県庁前を通らないはずはないのだが・・・。運賃表にはなぜか「教育委員会」がある。はて、それはいったいどこなのか? 県の教育委員会は県庁舎内にある。
 まあいいや、どうだって。とにかく下まで行ってしまえば、多少歩いたとしてもたかが知れている。

 そして視線を車窓に移そうとしたときに、車内の異変に気づいてしまった。
 さっきからどこにも停まっていないのに、乗っていたはずの3人の乗客がいないのだ。
 そして、運転手はというと、運転しながらなにやらマニュアルのようなものを広げているではないか。
 おれは、かなり危うくなっている運転手のハンドルさばきのほうにまず神経が行った。彼が読もうとしているものをまず取り上げなければならない。あわてて席を立ち上がろうとしたところ・・・。
 おれは目を覆いたくなってしまった。なんと、運転手がバスを走らせたまま運転席を立ってこちらに向かってきたのである。
 くねくねの下り坂をバスが駆け下りていく。フロントガラスからは、あわててハンドルを左に切る対向車の様子が丸見えである。そしてその視界を塞ぐように仁王立ちする運転手。あぁ、このバスに乗ったのが運命の分かれ目だったのかっ!

 運転手によれば、バスは「AUTO」に切り替えて運転しているという。さっき運転手が手にとって見ていたのはバスのマニュアルで、「AUTO」にする方法を確認していたというわけだったのだ。
 で、なぜ彼がそこまでして私に歩み寄ってきたのかというと、この車両は乗合用のものではなく、もっぱら貨物用のバスなのだとのこと。そして言うには、昨日も別の運転手の貨物用バスに公園前のバス停から乗ってきた者がいて、しょうがないから下界まで乗せていったところ、降ろす段になって見てみると、そう、・・・消えていたと。だから怖くなって発進したのだということだった。
 さっき公園前バス停で乗らなかった中年女性は、すぐ後に来た乗合バスに乗ったのだろうとのこと。ナルホド。
 ・・・ところで、おい、おれは幽霊か! まぁ確かに、ジャージにコート、疲れ果てた表情で貨物専用に乗ってしまったおれは幽霊に間違えられても仕方がないかもしれない。
 ても、待てよ・・・。さっきは、おれのほかに3人も乗っていたけど、そいつら・・・消えている!! 3人も・・・。うわぁーっ、そっちのほうはどうなんだぁーっ!!
 それから運転手さん、早く運転席に戻ってまっとうに運転をはじめてくれぇーっ!!

   *****************************

 というところで目が覚めた、という、「ぼくのはつゆめ」でした。
 貨物用バスとか「AUTO」による運転とか支離滅裂だけど、不思議とよくできている部分もあったりして、見てしまった本人がいちばんブキミがっています。(笑)
 あなたの初夢はいかがでしたか?


『ハイサイ! 私、藤木勇人は、沖縄に代表される南の島に住む人の、ありとあらゆるものを、「妄想見聞録」という一人芝居に仕立て、沖縄の魅力を伝え続けています。そしてこの度、今や日本全国で大人気の沖縄の「食」について語らせていただくことになりました』
 ――という前口上で始まる食モノ。

 軽快、独特なウチナーグチで語られていきますが、ヘチマ、島豆腐、豚、魚、海藻、天ぷら、スバ、島にんじん、ハンダマー、さとうきび・・・と続くラインナップは正直言って食傷気味。目新しい話は残念ながらそう多くはありません。

 むしろ写真は、豊富でビューティフル。お、このドゥル天の写真は居酒屋「うりずん」で撮らせてもらったものだな、とか、このスバは「てんtoてん」かな、とか、想像できるのが楽しかったです。
 写真はこのほか、喜瀬ビーチホテルの「ちんぼーら」やコザのデイゴホテル内レストランのこれまた「うりずん」などで撮影させてもらったもののようでした。

 著者が藤木勇人となっていますが、実際は彼のユンタクをもとに、ナイチャーのエディターやカメラマン、デザイナーがまとめたもの。なんだ、そうなのか。


 山形テルサで開かれた「さんさらコンサート 沖縄の美らの歌」に行ってきました。
 さんさらを聴くのは去年の夏以来。十二支の最初の子(ね)の年に開く、新年初めての唄会だったようです。

 披露した曲は、「恋の花~みなとーま」、「安里屋ユンタ」、「八重山育ち」、「島の姿」、「恋の花咲かしぶさ」、「黒い雨」、「アメイジング・グレイス」、「ジントヨーワルツ」、「面影(ウムカジ)」、「テーゲー」、「黄金の花」、「南洋浜千鳥」、「梅の香り」、「二見情話~五木の子守唄」、「ナークーニー~カイサレー」、「童神」、「花」、「豊年音頭」、「ウナイ島」など。

 古謝美佐子の歌声は相変わらずのスグレモノ。メリハリ、声量、節回し・・・いずれもいいのだが、今回は、もしかしたらこれ、人によって好き嫌いが出そうなうたい方だな、ということにも気づいてしまった。

 比屋根幸乃は、5年近くになる東京生活を終えて、この2月に沖縄に戻るのだそう。東京に移ったのは夫の仕事の関係だったから、今回もそうなのかな。
 初代ネーネーズの中ではダントツに若かった幸乃も今年で40になるのだと語っていました。月日が経つのは早い・・・。
 それから、彼女の顔のつくりはインドネシア系なのだなあと、つくづく思ってしまいました。眼の動きがガムランに合いそうだものナ。(笑)
 声にはホレボレ。後半のスタートとなる「アメイジング・グレイス」では客席中ほどから登場しておれの目の前でうたってくれましたが、それを聴いて再認識。

 宮里奈美子は、かつてよりすらりとした感じ。そして、凛とした姿勢でうたった後のボケも一級品。琉球空手のメッカのひとつである嘉手納は屋良の生まれだということを知りました。独特のこぶしの中に女性の弱さのようなものが漂うのがこの人の魅力です。
 奈美子は、積雪は見たことがあるが、雪の降っているところを見るのは初めてのことで、昨晩泊った天童の温泉旅館の玄関で10分ぐらい見続けてしまった――と話していました。

 真冬の山形に出現した3時間余りの「沖縄」をじっくり堪能してきました。


 昭和20年8月15日、琉球列島の最西端、台湾がすぐ隣の八重山諸島の中心である石垣島には、米も芋も豚も、マラリアの薬もなかった。日本軍によってすべて食べられたか独占されていたのだった。八重山の人たちは助け合いながら、自分たちの生きる方向を模索するのだった――。
 ・・・というので、面白そうだからさっそくネットで購入しましたが、これ、小説ではなく、戯曲の台本だったのですね。
 我が人生において、戯曲を台本で読むなどという機会はこれまでまったくと言っていいほどなかったものだから、少々面食らってしまいました。

 でもおれ、音や絵、小道具などの舞台装置と共に人間が身体全体で表現する演劇というのは、数ある芸術の中で最高峰のものだと思っているし、当時の世相や島人の様子などがよく表現されているので、とても興味深く読ませていただきました。

 作者は、俳優座養成所を卒業後、劇団自由劇場結成に参加し、1980年には「上海バンスキング」で岸田國士戯曲賞受賞したというお方。沖縄関係では当作のほかに「アーニー・パイル」なども。

 先に読んだ奥野修司の著「ナツコ 沖縄密貿易の女王」がベースのひとつになっているので、読んでいて共感するところ多し。
 また、著者によれば、積ん読ストックにある石原昌家の「空白の沖縄社会史 戦果と密貿易の時代」も大いに参考にしたというから、こちらのほうを読むのもまた楽しみになってきました。

 このように、読んだり読もうとしたりしている書物が相互に関係し合ってくることが、読書の楽しみであり醍醐味なのですね。

 でもまあ、戯曲はやはり、実際の舞台を観ないことにはホントではないような気がします。
 全3時間の芝居。2007年10月4~14日、俳優座劇場で上演されたとのこと。
 これをぜひ、沖縄の演劇集団によって沖縄の地で上演してもらいたいものです。