この頃はインターネットゲームなんかにうつつをぬかしていて更新が進んでいない状況でしたが、少し態度を改めて、真面目に読書でもしなければならんなぁと思ってオル今日この頃。

 で、少し前になるけれど、読んだのがコレ。
 いやあ、よかったです。

 与論島と言えば、沖縄が日本に復帰する前は日本領の最南端の島で、かつては当時カニ族と言われた、今で言うバックパッカーにヒッピー系が入った若い旅行者で賑わった島。
 そして、それより前はと言うと、多くの島人が九州の炭鉱などに出稼ぎに出て、与論島のコロニーを形成していた――というのが、私の少ない与論に関する知識だったのです。
 その遠い昔の移住の歴史はどうだったのか、ということを知るために読んだのですが、この本は、彼らが苦悩とともに流浪しながらも精一杯生きてきた事実を見事に紐解いてくれました。感動です。

 与論島は平島がゆえに資源に乏しく、小さい島にもかかわらず人口が過密傾向にあったため、明治以降島外への集団移住政策がとられます。明治時代は三池炭鉱への集団移住があり、戦争中には満州開拓へと赴くなど、第二の故郷づくりが行われ、当事者はその都度艱難辛苦を体験します。
 彼らは「誠の島」という与論島の精神を貫き、いつも従順で忍耐強く生き抜いていきますが、読んでいて、あなたたちはなぜにそこまで素朴で寛容に生きられるのか?!――と彼らに語りかけ、肩に手を置いて慰めてあげたくなりました。

 こんな苦難の歴史があれば、本土人に敵対意識を持ったとしてもおかしくないはずなのに、実際に赴いて会った現在の与論の人々は、とても明るく、私のような外来者に実に親切でした。彼らは過去のすべてを受け入れ、許し、なんのてらいもなく接してくれるのです。これはすごいことだと思います。

 本稿自体は、福石忍という南日本新聞社の編集者の著によるもので、1973年に同紙に70回にわたって掲載されたもの。氏は1989年に亡くなっていますが、新聞社がこのように本にして2005年に発刊しました。
 ホンモノは時代が変わってもホンモノ。こういう名著を時を超えて世に問うた南日本新聞社はエライ!
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 沖縄学者外間センセイの、若き日の沖縄戦体験記。
 学者らしくたくさんの文献や証言を読破した上で、60年以上も前のものとは思えないくらいにしっかりした自分の記憶をもとに、鮮明に記述しています。

 内容の中心は、沖縄初年兵の著者がある大隊に同行して、首里の北方、現浦添市の当時前田高地と言われた戦略的高地における血で血を洗うような激戦を乗り越え、その後敵の防衛線を突破して浦添丘陵を北東へと逃避する――というすさまじい体験の記録。
 連日の集中砲火の下で這いつくばって戦い抜く日本兵の様子は、まさに死線を越えているようで、生き延びているのが不思議なほど。そんな中にあっても、戦地での学校の同僚との邂逅シーンなどはとても感動的です。

 彼らは終戦を知らずにガマや塹壕で敵の目から逃れながら抵抗し、8月29日、先に捕虜になっていた日本兵の説得を受けて武装を解除、あの屋嘉の収容所に収容されますが、その中での生活のことについても記述があり、こちらもなかなか興味深いものでした。

 これまで私は、激戦が展開されたという嘉数高地やシュガーローフ、富盛の高台などを見てきましたが、この本を読んで、前田高地の今――というのもぜひ見てみたくなりました。
 おそらくはすっかり宅地などに開発されてその名残など跡形もないのでしょうが、その場にたたずんで過去を回想してみるということだって、そう無意味であるばかりではないでしょうから。
 表紙の写真は、前田高地のシンボル、為朝岩。この岩の周辺でも大激戦があったとのこと。現場探索はこれが目印でしょう。

 読了は、奇しくも真珠湾攻撃により太平洋戦争が開戦した12月8日。それから66年の月日が流れましたが、戦争の不幸な記憶や影響は、いまだにあちらこちらにあって、人を沈鬱にさせたり涙を流させたりしています。


 2003年の夏から西表島の干立(ほしたて)という集落に住み始めた山下さん。
 ワイルドな生活、地縁血縁がモノを言う人間関係、さまざまな行事への参加・・・などなど、まさに住んでみてびっくりの体験をしている様子がとてもおもしろい。

 大家さんが少しずつ手をかけてつくったという三軒長屋の真ん中に住んでみると・・・、いやはや、西表ってすごいトコロなのですね。
 高温多湿なためにカビが生えるし、また、シロアリ、ゴキブリ、蚊、ネズミ、ハブ、アリ・・・という具合にありとあらゆる生物の侵攻を受けて四苦八苦しています。これではちょっと耐えられないかも。(笑)

 でも、悪いことばかりではないようで、ご近所さんからさまざまなおすそ分けをもらったり、公民館活動では若干の負担で飲み食いをしたりして楽しんでいるようです。
 そして公民館活動では婦人部に入り、海神祭、豊年祭、アンガマ、運動会、シチ祭、カジマヤーなどに参加して、忙しいと言いながらも着実にその地の文化や民俗、芸能に浸りこんでいっています。
 こういう生活って、好きな人にとっては、カネや出世や肩書きなどでは得られない贅沢なものなのでしょう。

 食品の偽装問題や防衛事務次官の収賄をはじめとして、世の中では正義を忘れカネをひたすらに崇拝するような風潮が跋扈していますが、こういう本を読むと、何をどうすれば自分は満足できるのか、自分にとっての幸せとは何なのか――ということについてよく考え、自分なりの答えを持っている人間こそが一番強いのだなあとつくづく思います。

 世の中の権力から発信されるプロパガンダのようなものに、我々は踊らされ、だまされてはいないでしょうか?
 自分がいいと思うことこそが、いい。そういう自信を持って生きていければシアワセなのでしょうね。

 しかし双葉社が発行し続ける沖縄&島旅本は快調ですね。
 急な仕事が入ったため、12月21日から4泊5日で計画していた沖縄旅行が行けなくなってしまいました。く~っ、なんてこったい。

 計画では、11月に落成した新沖縄県立博物館と美術館を見て、国立劇場おきなわで組踊公演を観て、後半は南大東島へと渡ってバイクで駆け巡る――ということだったのですがねぇ・・・。

 私も一人のしがない月給取り。生活の糧をなおざりにして遊んでばかりもいられないので、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで断念することにしました。

 やっと貯めたマイレージで確保したチケットをキャンセルしたところ、キャンセルはいいのだけれど、その際に3000マイル没収とのこと。あ~あ、タダで沖縄に行くのもこれでまた遠ざかりましたね・・・。

 季節的にも寒いし、なんかこう、気が沈むようなことばかり。例えを挙げればきりがないから書かないけど・・・。
 なにか、ぱあーーっ!と気が晴れるようなことが、我が身に訪れないものでしょうかねぇ。

 あ、そうだ。年末ジャンボをまだ買っていなかったナ。そうそう、これに賭けようか。
 でも、大晦日にはまたがっかりするのだろうね。

 なんか、物事を悪いほうに悪いほうにと考えてしまう悪循環。
 楽しくないんだなぁ・・・。

 私にも画像のような福々しいミルク様が訪れて、弥勒世果報を届けてくれたらいいのだけど。
 なにかいい話があったら教えていただけませんか。


 今日の琉球新報夕刊のコラム「南風」に、私のことが紹介されました。
 題して、「東西南北の沖縄病患者」。(笑)

 書いてくださったのは、琉球フェスティバル大阪を主催するH.I.P大阪の河野社長さん。

 以下はその記事の引用です。


東西南北の沖縄病患者

 「沖縄病」。それは沖縄にとって、ありがた迷惑な話であろう。しかし、不治の病。私の知るそんな患者を紹介する。
 〈東〉埼玉県在住のWさん、古謝美佐子の大ファン、公演があると全国どこへでも出かける。札幌・熊本など遠い程燃えるらしい。1度、奈良の山奥での公演でお見かけした。それも日帰りとの事だった。
 〈西〉兵庫県在住のIさん、古い民謡歌手の音源を集めている。市販された物には興味なく自主出版や記念のCDやテープなどを集めている。ブラジルの沖縄県人会の会長が記念で出した民謡のブラジル版CDをネットで入手したという。新聞社が取材に来たという程、日本一の収集家であろう。
 〈南〉奈良県在住のR子さん、関西における沖縄音楽のイベントには必ず顔を出す。会場ではR子さんの席というのがあり、三線の手が良く見える最前列、左側と決まっている。三線教室に通い、大阪の平敷屋エイサーたもつ会のメンバーでもある。
 〈北〉山形県在住のTさん、御自分のホームページ「沖縄病TOBIの琉球弧探訪」で堂々と名乗っていらっしゃる。その中では4年連続「琉球フェスティバルイン・大阪ドーム」や旅行記、書籍など、その膨大な感想文に圧倒される。知名定男、ネーネーズのファンであろうと思うが、ライブハウス「島唄」では声もかけず去って行くらしい。
 以上は私の知る特異体質の患者である。おそらくこの方々は、国際通りは歩かず、栄町や桜坂周辺をはいかいし、コザではデイゴホテルを定宿とし、毎夜、民謡酒場に出没し、沖縄の“何か”を新発見する事を至上の喜びとしてるであろう。今日も東西南北、町の片隅で遠く沖縄のことを思いふけっているのでしょう。
(河野賢二、H・I・P・大阪代表)


 いや・・・、各地の筋金入りの沖縄病患者とともに紹介されてしまい、恥ずかしいやら、またなぜか誇らしくもあったりして。

 画像は、宮古島の代表的な唄者・国吉源次。上記との何の脈絡もないですが、深い顔つきでしょ。(笑)




 ようやくふつふつと読書欲が湧いてきた今日この頃、沖縄ツアーを断念したこの連休は3冊読破した。沖縄関連ばっかだけど。

 その1冊がこれ。
 1976年から始められた援農舎による与那国島のサトウキビ刈りについては、前々から立松和平の著述などによって知ってはいたものの、その背景や歴史、経緯等について体系的に知ることはなかなかできませんでした。

 で、この本。
 著者は共同通信社の記者で、援農舎を立ち上げた中心人物的な人。なので、そもそもなぜこのような組織をつくったか、与那国島が当時置かれていた状況はどうだったのかなどを語るに最もふさわしい人のようです。

 援農隊の始まり、その背景となった日中国交回復と台湾との断交、初期の最大問題であった与那国町農協の破産、その後の隊員募集の苦難、自前で隊員を募集できるまでに力をつけてきた農協の様子などを、11の章立てによってドキュメントしています。

 その間には仲間の裏切りや朝令暮改のような国や町の政策、純粋な隊員たちとの軋轢など数々の苦難があったよう。
 しかし著者たちは、その都度反省し、誠意と入念なタクティクスで課題を克服していきます。

 著者は「あとがき」で、次のように記しています。
『与那国島サトウキビ刈り援農隊は2005年に30年を迎える。この間、1986年を除いて毎年欠かさず援農隊を送り続けてきた。その背後にどんなことがあったのか、島の人が何に苦しみ、援農隊員がどんな思いを抱いてきたのか、その一端でも記録に残すことによって、島の人たちとわたしたちの足跡を明らかにし、復帰後の沖縄の、とりわけ離島の歴史のひとこまを読者に知っていただければありがたいと考えた。――』

 その意図は、十分に伝わってきたと思います。
 組織する側の人間の手によるものなので、隊員一人ひとりの活動に関する喜怒哀楽までは表現されるに至っていない恨みがないわけではありませんが、30年間、離島をめぐって壮大なストラッグルを繰り広げたひとつのドキュメンタリーとして、読み応え十分の1冊でした。


 カベルナリア吉田作品を読むのは、「沖縄の島へ全部行ってみたサー」、「オキナワ宿の夜はふけて」、「沖縄自転車!」についで4冊目。相変わらずいい味出していますねぇ。

 島を制覇する、宿を堪能し尽す、自転車で走りまくる――ときて今回は、沖縄で体験した脱力系の出来事を面白おかしく独特の筆致で書き綴っています。この筆致はクセになりますね。
 けっして精神的に“へこんで”いるわけではなく、さまざまなことに対して気分的に“カックン”しているだけ。ふふ・・・そうそう、そうなんだよね、オキナワって。おれにも思い当たることがたくさんあるなぁ。(笑)

 沖縄は「癒しの島」などと言われるけれど、100%癒しの島なのではなく、時にはとんでもないことが突然起こって、目がテンになることがあります。
 そしてその原因を突き詰めていくと(沖縄のヒトはそんな課題追及にもまったく興味を持っていないようだけれど・・・)、結局はウチナーンチュの能天気さに行き着いてしまうのですナ。

 旅行者、ナイチャーは、そういう出来事に遭遇したときは腹を立てたり文句を言ったりしてはいけません。それはこの場合ムダというもの。
 おやおや、また来ましたかと悠長に構えて、沖縄人の県民性なり思考回路及びその人生哲学といったものに思いをめぐらせ、彼らを知るいいチャンスと捉えてじっくり行動を観察しちゃいましょう。
 つい思い出し笑いが出てしまいますが、そーゆーことを何回か目の当たりにすると、あの“カックン”の感覚が高じてしまい、これらをまとめて本にしたら面白いのではないか・・・などと考え始めるのでしょうナ、著者のように・・・。

 「海も道路も空もパニック 交通篇」、「衝撃!オキナワ動物園 動物篇」、「今日もどこかで天変地異 気象篇」、「住めば都だオキナワンハウス 建物篇」、「なんだか落ち着かない食卓 食べ物篇」、「街中バミューダトライアングル 街角篇」、「安さの向こうに驚愕の一夜 安宿篇」の7篇。
 面白いし、値段もお手ごろ。さあ、アナタもカベルナリア・ワールドをここから体験してみませんか?


 著者は1946年生まれの会社経営者。
 あとがきによると著者は、病のために何度か病院に搬送され、いつか自分の人生も終わるのだと悟ったとき、自分の生きた証が何もなかったことに思い至り、存在を象徴できるようなものを残しておきたいと考えたそう。

 そして書いたのがこの本。自分の母親の親戚筋にあたる徳之島の女性の一生について書き綴ったものとなっています。

 主人公の名前はメト。時代は明治から昭和にかけて。幼い頃ハブに右手を咬まれ身体的ハンデを負いますが、家族や島民と共にたくましく生きていきます。
 持ち前の根性でそのハンデを克服して大島紬の優れた織り手となりますが、時代は機械織りへと移ろい手織りの賃金が暴落。
 そうかと思えば、ようやくめぐり会って結婚した相手との間に何度か授かった命は、いつも不幸に見舞われてことごとく失ってしまいます。当時はよくあることだったのかもしれませんが、親としての悲嘆はいかばかりだったでしょう。
 さらに、ようやく構えることができた徳之島の家が洪水にあい、夫には先立たれ・・・。

 物語はこのように展開していきますが、名もなき人間の一代記というものは、読んでいるうちに自分がその人になりきって、その人生をあたかも自分のそれのように感じながら追体験できるので、とても充実感があります。
 作り話の映画などを観るよりずっとリアルな感じです。

 蛇足としてこの本の弱点を2つ述べれば、徳之島が舞台ではあるものの、内容は「徳之島物語」というよりも「向井(結婚して榊に改姓)メト物語」であること、そして、文体や表現に著者独自の巧みさやもう一ひねりがほしかったこと――でしょうか。・・・生意気言ってスミマセン。
 年末年始休暇も半ば、今日は久々に雪が降っている。11月にガツンと降って以来。地球温暖化の影響か、山形の冬も様変わりしている感じ。降雪の総量は着実に減っているものの、いったん降ればまとめてくるようだ。

 さて、天候が悪ければ読書だ。
 休暇に入ってすでに2冊読了。今は外間守善の「回想80年~沖縄学への道」を読んでいるところ。

 で、今年最後の発注本が楽天ブックスから届いた。それらは、
  月よ、あなたに。                大城亜子       ボーダーインク
  琉球の歴史と文化              波照間永吉      角川選書
  となりのウチナーンチュ           早見裕司       理論社
  琉球古典音楽の思想             勝連繁雄      沖縄タイムス社
  沖縄独立を夢見た伝説の女傑照屋敏子 高木 凛       小学館      の5冊。

 いずれも楽しみな本ばかり。
 しかし、本棚の中の「積ん読」には、次のような未読本も。

  藤木勇人の沖縄妄想食堂                    主婦と生活社
  沖縄の市場(マチグヮー)文化誌   小松かおり      ボーダーインク
  シマ豆腐紀行               宮里千里       ボーダーインク
  空白の沖縄社会史           石原昌家        晩聲社
  三弦を響かせ               屋嘉宗業        沖縄タイムス社
  命こそ宝                  阿波根昌鴻      岩波新書
  「十九の春」を探して           川井龍介        講談社
  素顔の伊波普猷              比嘉美津子      ニライ社
  できる!沖縄離島暮らし         吉田直人        イカロス出版
  どうなる沖縄経済どうする沖縄経済 高良 守        牧歌舎
  豚と真珠湾                斎藤 憐        而立書房
  神女(シャーマン)誕生         松堂玖邇       フォレスト出版
  私たちの沖縄移住                         文庫

 う~~む・・・いつになったら読めるのか・・・。
 ちょっとウレシイ悲鳴。(笑)