うねりを乗り越えながら、「水平線を超えろ・・・・水平線を超えろ」と何度も何度も心の中でつぶやいていた。――

 シーカヤックで、沖縄から九州宮崎まで、道の島をつたっての単独航海を挑んだ男の航海記。
 いやぁ、アドベンチャーものって、読んでいてめっちゃ楽しい! いつも危険と隣りあわせなので、読んでいるほうとしてもはらはらドキドキ。読み始めたら夜も眠れません。すっかり睡眠不足になっちゃって・・・。(笑)

 カヌーで川を遡上した経験がある。それはそれは爽快で、川で生活する違う生き物になったような気になったものだった。
 シーカヤックもお遊びで一度だけ。これまた楽しく、いつかは西表島からパナリ(新城島)までの数キロをカヤックで渡る旅をしようと目論んだこともあったなぁ。
 そんなあこがれに加えて、琉球弧を一気に北上する単独行というのも、とてつもなく魅力的。なので、本書の存在を知るや、いち早く購入して読む機会をうかがっていたのでした。

 中身を一言で言うと、いやまぁ、よくやりますなぁという感じ。なにせ一人なので、海の上で何かあろうものならただちに生命にかかわります。自転車で日本一周、なんていうのと根本的に異なる大冒険だと思います。真似できまへん。

 圧巻は、口之島から屋久島へと向かうトカラ海峡の海上。時速10キロを超えるといわれる黒潮に流され、約60キロの道のりを28時間で漕行。漆黒の海上で、疲労感と戦い、海の魑魅魍魎におちょくられ、困ぱいのあまりついにはカヤック上で眠ってしまうということも。

 また、種子島から九州上陸の際は、海の荒れのため上陸できず、75キロを16時間漕ぎ続けます。筆者は、朦朧となりながらも、父から言われた「いいか、ケンシロウ・・・『百里を行く者、九十九里を半ばとす』だぞ・・・」の言葉をかみ締めながらがんばります。

 このほか、風待ち、波待ちの島々での島びととのふれあいや、無人島での幽霊体験、野外生活の状況など、読みどころは豊富。
 自分の場合は、なんと言ってもその場所が大好きな島々とその周辺の海であり、各島のたたずまいや生活の様子が行間の端々から読み取れる点が気に入りました。

 感動と、高揚と、新しい見聞。
 いや~、読書って、ホントにいいものですね――と、ニッコリ。
 オススメです!
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 10月6~9日の沖縄行きを決めました!
 いやはや、なんとなんと、1年2ヶ月ぶりですよ。訪れるチャンスになかなか恵まれず切歯扼腕の日々が続いたけれど、やっとこさ、ハレの日が巡ってきたって感じですかね。こんなに間の空いたことってついぞ記憶にありませぬ。

 で、今回は、沖縄本島における「変わってしまったところ」を主に見てみようと思っています。
 コザにできたばかりの「中の町ミュージックタウン」、国際通りに新装開店したネーネーズの「ライブハウス島唄」、同じく那覇の「沖縄そば博物館」などを、と。
 他には、おもろまちの一角にある、かつてシュガーローフの丘と呼ばれたところに登ってみたい。それに、久々にマチグヮーのラビリンスの世界を味わってみるのもいいなぁ。
 もちろん、足はバイク。少し足を伸ばして、八重瀬町の富盛の大獅子や、話題の大衆食堂も攻めてみようか。
 そうそう、10月7日は那覇まつりの期間で、那覇の大綱曳がある。これを観るのは何年ぶりだろう。
 夜は、琉球舞踊や沖縄民謡系のライブを観たあとは、泡盛の四合瓶を抱いて眠りに落ちようか。

 うふ~ん、楽しみであるなぁ、オキナワ。
 フライトは格安のを手配済み。これから宿やバイクの確保をせんといかんね。それもいろいろと考えながらやるので、楽しみさぁ♪




 沖縄返還35周年を迎えた今年、ダチョウ倶楽部のリーダーが、“日本一自由なタレント”である母・サワエの涙と笑いの半世紀を綴ったもの。

 上島竜兵、寺門ジモンとともに活躍する“肥後ちゃん”は、沖縄出身。20数年前に沖縄を飛び出した彼も、気がつけば今年で44歳になるのだそう。
 彼がオッカーとともに暮らした家や街並み、子供の頃に遊んだビーチや森がなくなり、そんなどんどん変わっていく沖縄を目の当たりにし、「沖縄がまだアメリカだった頃」を知る最後の世代として、自分だから伝えられることもあるんじゃないかな・・・ということで著されたのが、この本。

 読者層を意識してか、内容簡潔にして、表現も口語調。やたらと読みやすいので1日で読み終えてしまいました。

 しかし、「肥後」という苗字はかなりヤマト的。あるトカラ列島旅行記などでも肥後姓が登場していたので、彼のルーツは薩摩なのだろうと思いながら読んでいると、やはり母は奄美からの移住者である由。
 母の姉が終戦をきっかけにアメリカ軍の軍人と結婚し、沖縄の基地内で暮らすにあたり、母はお手伝いさん代わりに同行する形で沖縄へ。そのことがなければ肥後ちゃんはこの世に生を受けていなかったのでしょう。

 よくありがちな芸能人の周辺事情本ですが、ま、こういうのも息抜きがてらたまに読むのも悪くありまへん。一介のウチナーンチュの半生記のひとつとして楽しく読ませてもらいました。

 蛇足ですが、深夜に放送されている「志村けんのだいじょぶだぁⅡ」、ワタクシ、毎週録画して観てオリマス。好きなのよね、こーゆーナンセンスもの。
 その番組で、ラーメン店の店主として活躍している肥後ちゃんを毎週見ているので、読んでいて、なんか親近感ありましたネ。


 沖縄の歌姫って誰だ?!といえば、ウチナーポップ世代ならりんけんバンドの上原知子の名を真っ先に挙げるかもしれませんが、その少し前の民謡世代ならおそらく我如古より子の名を挙げることになりましょう。
 艶やかな笑顔で、琉球髪を結って沖縄の衣装であるウシンチーを身にまとい、ちょっと恥らいながら持ち歌の「娘ジントヨー」や「池間みやらび」などをうたえば、聴いている人たちはみんなハッピーに。

 そんな彼女のうたう「ダニーボーイ」が無性に聴きたくなって、CD「唄遊び」を引っ張り出してきました。
 原曲はアイルランド民謡。これをより子自身の詞でしみじみとうたっているのが実にいい。
 ライナーノーツには、この曲のテイク1で彼女は泣いてしまったという経緯が述べられていて、その情景や彼女の想いに思いを馳せながら聴けば、また深い味わいがあろうというもの。
 うむ、やはり、いい。

 「ダニーボーイ」は、沖縄映画「ナビィの恋」の中でも、アブジャーマ男に扮した山里勇吉が野太い声でうたっていたっけ。
 アイルランドと沖縄。精神性の深いところのどこかに両民族の共通性があるような気がしてなりません。

 この「唄遊び」の中で、より子自身が奏する三線の音色はホント、独特。彼女のCDを聴いていていつも思うのだけど、この三線、きっと父・盛栄譲りの名器なのではないかな。

 アコギスト吉川忠英との共作で2002年10月の発売。「汗水節」、宮古の「かぬしゃがまよ」、想いのいっぱい詰まった「カイサレー」なども秀逸で、彼女のよさがよく表現されています。多くの人に聴いてもらいたい1枚です。

 また、1作目の評判がよかったのか、2004年10月には「唄遊びⅡ」も発売されています。

 我如古より子のCDに関するインプレッションについては、「唯我独尊的島唄解説~我如古より子」をご覧ください。

 


 またまた双葉社!
 この本をつくるきっかけは、旅行者やリピーターがもうちょっと奄美のことを知りたいと思ったとき、気軽に手にできる本があってもいいじゃないか。ないなら、自分でつくってしまおう――と考えたことだったと、あまんゆ代表の山川さらさんは「はじめに」で書いています。
 うん、そのとおり。奄美って、旅行ガイドブックではどちらかというと種子島、屋久島のオマケという感じで付け加えられていたものですよね。さらに、奄美大島はまだいいとしても、奄美群島の島々に至っては、申し訳程度に載っているかどうかという悲しいありさまだし・・・。

 ということで、「好きになっちゃった」シリーズや「沖縄のナ・ン・ダ?」シリーズなどで沖縄フリークを喜ばせてくれている双葉社が、今度は奄美に進出?したかっこうですかね。(笑)

 自然、レジャーから伝統、生活まで、奄美8島のリアルライフを50本のエッセー&コラムで200余ページにわたって紹介しています。体裁は、ほぼ「好きに・・・」シリーズと同様。書いている人も多彩で、それぞれの様々な話が思いたっぷりに語られていますから、とても楽しめます。
 振り返ってみれば、奄美フリークを心底唸らせる本って、これまでは確かに少なかったですよね。まぁこの本は、そんな奄美マニア向けに発せられた初めての本、と言ってもいいかもしれませんね。

 ナイチャーの私にとっては、比較的文化が近いこともあって、“あれまぁ!”度はさすがに沖縄とまではいきませんが、“フムフム”度はけっこう高い。与路島や請島のことまでしっかり書かれていますからねぇ。
 黒糖焼酎酒造家の心意気に酔いしれたり、大島紬の泥染め体験をしてみたり、シマの行事食を食べて年越しをしたりと、ジャンルもいろいろあります。

 こういう本を読むとおれの場合、楽しいのを通り越して深みにはまり、知れば知っただけ現地に行ってみたくなっちゃうからコマルのですな。


 宮古島生まれの鬼虎は、幼少時、守姉(むらに)の香奈に見守られながら巨漢児に成長。その後与那国の長者にもらわれ、豊かな人間性と深い洞察力を兼ね備えた指導者へと成長していきます。
 やがて与那国の統治を任された彼は、底知れぬ叡智で人々を指導していきますが、やがて琉球国との戦いが始まり・・・。
 沖縄方言や、彩り豊かな地方色を添えて、与那国滅亡の歴史的悲劇を描く、哀愁漂う英雄伝説として仕上がっています。

 与那国の当時の歴史を概括すると、まず15世紀末には、女傑サンアイ・イソバが首長となり、祖納の集落を見下ろすティンダバナ(天座鼻)に座していたといいます。
 そして1500年のオヤケアカハチの乱の後、八重山は中山の支配下に置かれることとなりますが、与那国島では鬼虎が首長となり、中山支配に抵抗をはじめます。
 これに対し中山は、アカハチ討伐に功績のあった宮古島の首長、仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみやー)に与那国島を討たせ、与那国島は完全に中山の支配下に置かれることとなります。

 このような時代背景をもとにしながら、著者は周辺事情をかなり大胆に脚色して物語を進めていきます。
 サンアイ・イソバ(当書では榕樹磯波と字を当てていました。)が若い鬼虎と語り合う場面などは、現代のウチナーヤマト口で表現されていたりして、なかなかユニーク。
 また、与那国の戦争と平和を表現しながらも、実は一貫して底流を流れているのは鬼虎と香奈の純愛だったりして、読む者を飽きさせません。

 与那国の歴史を知る上で、難解な専門書よりも数段わかりやすく、どなんの国へのイマジネーションをぐいぐいとかきたててくれる良書です。

 蛇足ですが、言い伝えによると、イソバは女ながらも8尺(2.4m)、鬼虎は1丈5寸(3m余)の背丈があったそう。彼らが現代に生きていたなら、さしずめプロレスラーにでもなっていたでしょうか。(笑)


 青い空、白い屋根。その屋根にはユニークな顔をしたシーサーが鎮座していて・・・。
 いい表紙ですねぇ。南の島のイメージそのものだよなぁ。

 「南の島」暮らしには、人を惹きつけてやまないものがあります。それはいったい、何なのか?! 移住者はどんな生活を楽しんでいるのか。そして、移住を成功させるためにはどんな工夫とコツが必要なのか。
 ――そういった問いに答えるべく、本書では、中高・熟年齢層の移住者の話も加えて、幅広い層の人々に役立つ情報を網羅。移住には覚悟が必要だが、苦労してでも手に入れる価値があると確信する沖永良部島在住の著者が、自分の楽園を見つけてほしくて著した実用書です。

 ケーススタディとして9組の移住例を示したうえで、まず南の島を知り、どう職を得、どう住まうかについて解説しています。

 読んでの感想なのですが、南の島への「移住」って、この島が好きになり、居ても立ってもいられなくなったので移住する――というのがフツーの移住形態なのだろうと私は思っていたのですが、どうもそういう人ばかりではないようです。
 本書は、移住する「島選び」の話から始まっているのですね。まず南の島へのあこがれがあって、それではどの島に移住しようかという・・・。移住って、そうやってするものなのかな。

 鹿児島の離島を含む島ごとデータブックが付いていることもあり、どの島に移住しようか迷っている方にはオススメ。
 薩南諸島まで視野に入れているところが目新しさのひとつでしょうか。

 でも、移住って、どうしてもココじゃなきゃいやっ! という気持ちこそが、ホントは大切なのだと思うのですが、皆様いかがでしょう。