昨日、20年ほど前の民謡紅白歌合戦などのビデオが届きました。これ、東京葛飾で琉球舞踊研究所を主宰している島かおりさんから送っていただいたもの。
 かおりさんのブログを見ていたところ、「1986年の民謡紅白歌合戦を見ています。21年前です(笑) みんな、若い!!」との記事が。おぉ、20年前かぁ。それ、おれもすごく見たいなぁ、なんとか見せてもらえないかなぁ・・・と思ったのが始まりでした。
 さっそく「可能でしたら私にも見せてもらえませんでしょうか?」とコメントを入れたところ、すぐにご返事をいただいて、「ビデオダビングしてお送りしますヨ~」とのこと。うわぁい、やったぞー! 見れるぞ~! で、それがこの日に届いたというわけ。かおりぃさん、どうもありがとう!

 今日は、朝起きてすぐに、まずは1987年新春の第25回RBC新春民謡紅白歌合戦の模様から視聴しました。
 会場は宜野湾市民会館。玉城琉翔節会による南嶽節の琉舞で幕開けです。ステージセットが最近収録のものと比べると少しちゃちい感じがしますね。(笑)

 出演者及び演目は、登場順に次のとおりでした。
 1 古謝美佐子 「かわんなよー」  まだスマートで、顎のあたりがすっきりしています。
 2 前川守賢  「かなさんどー」  いやぁ、若々しいです。
 3 饒辺勝子  「我んうまれまさいしみゆんな」  まだ赤のウシンチーが着れる年頃?
 4 金城 実  「みのる節」  髪ふさふさです~♪
 5 饒辺愛子  「なつかしき故郷」  う~む、これまた細い。
 6 松田弘一  「舞方」  ずいぶん太っていたのですね。
 7 我如古より子 「南の島」  変わっていませんねー。きれい、カワイイ。
 8 仲本昭盛  「本部大漁」  民謡鶯組のリーダーの人かな。
 9 久志貞光  「島唄育ち」  初出場と紹介。我如古盛栄一門?
10 浦崎康子  「あんまー形見ぬ一番着物」  この人も、今は民謡鶯組ですね。
11 山内たけし 「ヤッチャー小」  ナークニーの名手山内昌徳の息子。
12 玉城一美  「みやらびユンタ」  父・安定とのデュエットも披露!
13 国吉源次  「伊良部トーガニ」  聴いていて胸が熱くなります。名人芸!
14 大城志津子 「チュッキャリ節」  この頃からすでに今の体型だったのですね。
15 田場盛信  「縁結び節」  若いけど、すでに芸風は確立されていますね。
16 金城恵子  「アタヨータイフー」  チャーミング。関節痛はまだない模様。(笑)
17 宮良康正  「与那国ションカネ」  聴き手に媚びないうたい方がよろしいようで。
18 大浜みね  「トゥバラーマ」
  八重山歌謡の大物大浜安伴のとぅじ(妻)。おばぁなのに高音が乱れず、スバラシイ!
19 上原正吉  「唄の道」  伏目がちで自省的なうたい方は独特です。
20 瀬良垣苗子 「義理と情」  いやはや、貫禄十分です!

 このほか、応援団に八木政男や北島角子など沖縄芝居の重鎮を据え、照屋林助、若き玉城満を中心とした笑築過激団も登場。地謡では徳原清文グループも。そうそう、誠グヮーは審査委員だった。
 司会には若き日の佐渡山美智子さんなども登場して、なかなかの充実ぶりでした。

 自分としての見どころ、聴きどころを挙げますと、
 なんといっても大浜みねや瀬良垣苗子のうたを、その立ち姿とともに聴けたこと。音源として聴くことはできても、なかなか映像までは入手することができず、今回初めて「動く」二人を見ることができたのは幸いでした。
 初めて見るという意味では、久志貞光もその一人。コザの民謡スナック「姫」で会えるようですよ。そうそう、久志貞光のうたでは、我如古より子・玉城一美・古謝美佐子の3人がバックコーラスに立って場を盛り上げました。これって、坂本龍一らのワールドツアーで結成されたという、かのオキナワチャンズではないか! 3人揃うといやまぁゴージャス。ハーモニーもばっちりでした。

 それから、山内たけしと山内昌徳が二人でうたった「白鳥小」。こんなシーンは今となっては再現不能ですね。同様に、玉城一美が師匠であり父でもある玉城安定とうたった「夫婦船」も。安定のうたは初めて聴きました。

 応援のほうでは、照屋林助が三線ならぬ一線を抱えて登場し、それを曲芸的に弾いて見せて大ウケ。笑築過激団の芸風もはじめて垣間見ることができました。

 なお、歌合戦の結果は、ダブルスコアほどの開きで紅組が優勝。このような大差をもって女性軍が勝つというのも、沖縄ならではかもね。(笑)



(画像) 2005年のRBC新春民謡紅白歌合戦
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「すしまい、ぱんびんまい、わーぬ煮付けまい、やまかさあーすがどぅ あばふぁーん。だいず。ばんたがやらびぱだー、うやぬ 結婚式からぬ つとぅーどぅ みーぬぱぎきゃー まちーなーうたーすぅが。にーかふなりゃまい やーすーやーす、わいてぃなーまちゅーたー・・・」

 何て言っているかわかります? これ、一般的なミャークフツ(宮古口)。日本語訳しますと(笑)、
「寿司も、天ぷらも、豚の煮付けもたくさんあるのに、あれ、食べないよ、大変。私たちが子供の頃は、親が結婚式から持って帰るおみやげを首を長くして待っていたものだが。夜中になってもお腹をすかせながら待っていたよ――」 ということだそうです。

 私も参加させていただいている“みゃーくふつ”のメールマガジン「くまから・かまから」。今月初頭の発行は153号となっていますが、これまで発行されてきた内容の中から選りすぐった傑作選として書籍化されたのがこの本。またまたボーダーインクからの発行。いやぁ、彼らの経営姿勢にはホント、頭が下がります。

 冒頭に記したとおり、書き言葉ではないみゃーくふつは、書こうとすればどうしてもひらがなの羅列になります。これらの意味を考えながら読み解いていく作業というのは、ヤマトの人間にとっては結構たいへんなことで、私も読破するのにかなり難渋しました。
 そのうえ、全260ページの多くが、これは7ポイントぐらい?の文字で、しかも3段組みになっていて、たいそうなボリューム。いくら内容が傑作でも、ひらがなばかりの書物なんぞを読むのは小学校低学年以来ですからね。(笑)

 ライターは、ルーツを宮古島に持つ1935~1971年生まれの18人。
 うむ、この本は、子供時代を宮古で過ごした、宮古生まれの人間でなければ、到底書けません!

 章立ては4つ。すでに章の名称からしてスゴイ!(笑)
 「ぱんだる時代ぬラプソディ」、「ばんたがかなす生まり島」、「がんずぅーさどぅ いつばん」、「みぐとぅみゃーくふつぬ世界」。意味、わかります?
 でもね、最初はいったい何語か?!と思えるこれらも、内容の面白さにつられて読んでいくうちに、すこ~しずつ意味がわかってくるのです。そして、だんだんと読むスピードが上がってくることに気づくのです。宮古の人たちのことがすこしはわかったような気になれて、これはちょっとウレシイ。
 この快感、あなたもぜひ体験してみるべきはずね~。
 (チラシ)

 8月5日(日)、宮城県の七ヶ浜で「七ヶ浜アート・ウォリアーズ2007 ~海よ宝 人よ宝~」という催しがあり、その一環として「おきなわんミュージック Vol.5」が開かれるというので、クルマで七ヶ浜へと向かいました。

 参加ミュージシャンは、古謝美佐子withさんさら、元ちとせ、新良幸人withサンデー、下地勇、志田真木。よーしよーし、なかなかいいではないか。

 海水浴客でにぎわう七ヶ浜町の海岸沿いの道を通り、少し山手に入ったところに、会場となる七ヶ浜国際村はありました。外観はなかなか威風堂々。
 中に入ってみて感心するのは、コンサートが催されるだけでなく、テーマ性を持って様々な催しが合わせて企画されていること。沖縄関連のものだけを取ってみても、琉球泡盛展、八重山ミンサー織展、垂見健吾らの写真展、沖縄観光PRコーナー、沖縄雑貨の販売、沖縄料理屋台、三線演奏やシーサーづくりなどの各種体験コーナーなどなど盛りだくさんです。箱が立派なだけではなく、今回のようなイベントが打てるマンパワーがきっちりそろっているのでしょうね。
 屋台でマンゴーアイスをなめ、周囲から漂ってくる沖縄そばのショウガのいい香りにくらくらしながら、しばしの間開演を待ちました。

 さあ、「おきなわんミュージック Vol.5」。予定の17時30分きっかりに開演です。
 最初に登場したのは、新良幸人withサンデー。幸人はいつものとおり真っ赤の長袖シャツに黒のタイトパンツ姿。頭髪はモヒカン風に短く刈り上げられていて、薄暗いステージ上でひときわテカっています。(笑)
 スターティング曲は、志田真木の舞踊つきで「鷲の鳥節」を。
 ♪ あやぱーーあぁにぃーいーばーまーらーしょーうぅりぃー・・・
と、滔々と。いい声ですね、惚れぼれしますね。
 続いては、お得意の三線による即興曲を披露。題して、「うみそらさんごのいいつたえ」だそう。
 こういうことをさりげなくやってしまうというのも幸人ならでは。それにサンデーが息の合った太鼓を合わせると、立派なインプロビゼーションになってしまう。
 3曲目は、導入部に「ゆんたしょうら」を無伴奏でウムを言わせぬ勢いでがなったうえで、「夏花」を。「与那国ションカネー」とよく似ている曲調のアレですね。
 その後は八重山民謡(曲名不明)を1曲挟んで、生まれ島の白保を思い出しながらということで、持ち歌の「ファムレウタ」を披露。
 その次からがなかなか圧巻で、ノリのいい曲を2曲。「加那ヨー」と「天川(あまかー)」です。
 「加那ヨー」では、志田真木が赤色の手巾(ティサージ)を持ちながら陽気に踊れば、観客から自然と手拍子が沸きあがります。「天川」での三線の早弾きは迫力モノ。幸人の真髄を見たような気がしました。
 今回の幸人は、いつものおふざけはあまりなく、比較的真面目にやっていました。(笑) 冗談といえば、「海と、空と、・・・幸人」のひとつだけ。(わかります?)
 うたった曲の説明は端的で、誰にでもわかるように解説していたのが印象的。初心者でも理解できる説明は、説明者のほうがよ~くわかっていないとできないことですよね。 (つづく)

ara.jpg   shida.jpg
新良幸人                      志田真木
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                               下地 勇

 幸人が手を振って袖に消え、ステージの模様替えの間に登場したのは、当イベントのプロデューサーの“タルケン”こと垂見健吾氏。背中には大きな「○」の中に「垂」の文字、襟にもカタカナで「タルケン」と書かれた紺色のハッピを纏い、短パン姿の足元はシマサバ(ビーチサンダル)という出で立ちです。
 彼の本業は写真で、作家の椎名誠らから“南方写真師”と呼ばれ慕われている、愛嬌たっぷりのオジサンです。彼はきっと、その格好のまま沖縄から飛行機に乗ってやって来たのではないかと思わせる風貌ですね。(笑)

 今年は七ヶ浜国際村の会館15周年であり、5回目となる今年の「おきなわんミュージック」のテーマは、始めたときの原点に立ち帰って琉球弧の心を歌で表すものにしたという旨のあいさつを。なるほど、今年の出演者は沖縄本島、宮古、八重山、奄美からの代表が集っていますね。

 さて、ステージには下地勇が登場。すらりとしたベルボトムっぽいジーンズに、黒地に白い斑模様の入った長袖シャツ、頭髪は従来より長めの印象。ウッドベースのガチャピンさんと、コンガなどの打楽器を担当するノーリーさんを従えて演奏を始めました。

 まずはいつもの「開拓者」。コンガが効いていい感じです。ヘイ! エッサ! の掛け声がとてもいいですね。
 そして、ラテンミュージックのような「黄金の言葉」。ギターの弾き方からしてフラメンコのようなノリなので、歌詞のミャークフツ(宮古口)もなんだかスペイン語のようにも聴こえてきます。
 勇はミャークフツとギター1本の演奏スタイルをいろいろなジャンルの音楽と融合させることに挑戦しているようですが、それらのいずれもが、とても完成度の高いものになっていると感じます。きっといいアレンジャーがついているのでしょう。それって、いったい誰なのか、興味のあるところ。

 ミャークフツであいさつをして観客の度肝を抜いておいて、「私、日本人です」と言って笑いを誘います。
 「木にぶら下がるときは片手でぶら下がれ」という意味の宮古の含蓄ある“黄金言葉”を紹介するなどして、お次は今晩唯一の標準語のうたとの説明で「シビランカ」を。
 ♪ ビルの谷間に カッカッカッ 足音が響く カッカッカッ ・・・
 Ummm・・・渋い。これ、ブルース?
 終わって、今年の宮古島は少雨なので、みんなで雨を招いてほしいとのことで、次のうたは「世持つ雨」。
 ♪ ウリササ シッタイササ 雨、雨よー ・・・と、場内大合唱。いやはや、乗せ方もうまいですね。

 盛り上がってきたところで、最後はおなじみ「ワイドー」です。自分の足で歩かなければその先は拓けないぞーという、弱き心を挫く応援歌。いつ聴いてもなにかしら元気をもらえるような、いいうたい方でした。
(つづく)


 その後20分間の長~い休憩があって、再開は元ちとせ! 大スターの登場とあって期待は膨らみます。
 薄黄色に蝶の模様をあしらったひらひらのドレス、足元は裸足といった恰好で登場し、椅子に座って三線を持ち、シマウタ(「朝花節」か?)を1曲。おぉ、グッドですね~♪ 奄美のシマウタ特有の声の強弱や、音程の変化に伴うファルセットの入り方が実に心地よく、さすが、小さい頃からシマウタをやってきて名をなしただけあるなと感心することしきり。

 しかし、残念ながら、私としてはいいなと思ったのはここまででした。
 実は私、彼女のステージを見るのは初めてなのです。シマウタ時代の音源はいくつか聴いているのですが、メジャーデビューしてからの元ちとせはまったくと言っていいほど聴いていなかったので、今回彼女がうたった曲名を挙げることすらできないということあったかもしれません。2曲目以降の6曲のうち曲名がわかったのは、「ワダツミの木」と、最後に本人がこの8月に発売する曲であると説明をしてうたった「あなたがここにいてほしい」だけでしたから。(悲)

 いやね、聴いていて漠然と思ったのは、奄美大島の嘉徳の娘が東京くんだりまで出てきて、なんでこんな曲で、こんな変な踊りを踊らされているのだろう――ということだったわけです。
 ずっと島唄を聴いてきた人間(私)にとって、彼女のうたは、歌詞の言葉の多さや振付けのオーバーアクションのわりには、聴き手に伝えようとしているものが的確に伝わってくることはありませんでした。喩えれば、言葉少なな島の長老の話と、若者が携帯電話で声高に話すよしなしごとの違い、でしょうか。

 私が感じたこの歯がゆさは、直感的に言って、他の客の中にも同じように感じていた人が多かったように思います。何か、場違いな感じ、と言ったら顰蹙をかうかもしれませんが、新良幸人や下地勇のときのような客席とステージとの間の親近感がないような気がしてならないのでした。

 う~む・・・。期待していただけに残念!
 このところ、奄美の唄者だった中(あたり)孝介が元ちとせを追うようにしてメジャーデビューして新たな地平を切り拓いていますが、彼のうたを聴いてもこれほどの違和感はなかったし、島唄以外は受け付けないというわけではないのですがねぇ・・・。
 彼女の持ち味の生かし方や、ステージング(ステージ作法、振付け、バックミュージシャンとの連携など)について考えることはいろいろあるのですが、愚痴っぽくなりますので、これ以上語るのはやめることにしましょうね。

 元ちとせがうたい終わって、ステージの合間にタルケンが再登場。
 客席から「おじーちゃーん!」の声がかかり、思わず「あぎじゃびよ~ですな」と照れ笑いするタルケン。どうやら孫が来ているらしい。(笑)
(つづく)
misako.jpg  古謝美佐子

 さぁ、いよいよ最後はお待ちかねのさんさらです。
 まずは、佐原一哉のシンセサイザーの音に乗って、3人による「トゥネー(唱え)」が。いやぁ、心にしみじみと来ますねぇ。比屋根幸乃の透明感のあるハイトーンボイス、宮里奈美子の女性らしい柔らかい声、古謝美佐子の迫力すら感じる技巧的な発声。三者三様でたいへんよろしい!
 幸乃はやや肉付きがよくなり、奈美子はかつての泥臭さ(?)のようなものが影を潜め、美佐子は前髪のあたりが白くなったけれど、3人が揃うと不思議な輝きを発するようです。

 3人は、高松塚古墳の壁画に描かれた美人たちがつけていたような白いひらひらの袴のようなものはき、左側の幸乃が茶、中央の美佐子が紫、右側の奈美子が緑の羽織といった出で立ち。
 「梅の香り」、「ナークニー~カイサレー」ときて、3曲目は「八重山育ち」という創作曲。
 これ、正調の「八重山育ち」と、 ♪ ひとつと サノーエー ・・・ という「南洋数え歌」をミックスさせたような、八重山の島巡りを疑似体験できるつくりのうた。曲間に幸乃の「与那国ションガネー」が挿入されたりして、なかなか聴かせるものになっていました。

 4曲目はネーネーズ時代のメドレーということで、会場の人たちは大喜び。ほらね、元ちとせとは違うでしょ。(失敬) 「ウムカジ(面影)」、「ジントヨーワルツ」、「テーゲー」、「黄金の花」を連チャンで。あぁ、いいですね~。もう、好き好き、こーゆーの。

 その後、さんさらとしてのオリジナルだという「島のことのふぁ」、そしてフィニッシュに「童神」を聴かせてくれました。
 美佐子が仕切り、幸乃が自信なげに追随し、奈美子がボケる――という漫才のようなステージはお楽しみたっぷり。しかし、お小言を言えば、やや練習不足の一面も。息継ぎ後の“入り”の歌詞の不ぞろい、チト目立っていましたよ~。(笑)

 そしてアンコール。
 さんさらの3人が着替えている間にボクたちで、ということで、幸人、勇、サンデーが登場。幸人が三線、勇がアコギで何をやるのだろうかと思ったら、なんと!「テネシーワルツ」をうたい始めました!! これにはびっくりで、場内「おおぉ!」と、どよめきます。いぇい、クール~♪
 その2番はミャークフツとヤイマグチ(八重山口)で。これがまた曲にどんぴしゃ。プロはやりますねぇ。さすがです。

 その後さんさらの3人がおそろいのTシャツ、おろし髪の姿で登場し、サンデーの叩くゆったりとした太鼓のリズムにしたがって「なりやまあやぐ」と「デンサー節」の先島二大教訓歌を。やっぱりこういうのが好きなのですね、私は。
 ・・・とくれば次は本島の教訓歌の「てぃんさぐぬ花」かと思いきや、それはやらず。美佐子が「ちと~せちゃん!」と元ちとせを招き入れて、「安里屋ユンタ」をうたいます。正調のヤイマ口から、本土普及版の歌詞から、ネーネーズオリジナルの歌詞まで入れて、6人で12番までうたってしまうあたり、スバラシイですね~。
 で、最後は、志田真木やバックミュージシャンも参加して、お約束、「豊年音頭」のカチャーシーでにぎやかに全ステージを終えたのでした。

 この時点で21時30分。琉球弧めぐりを都合4時間で堪能したのでした。
 終了後、ホールを歩いていると、あれ?すぐ後ろに幸乃が。おぉ、小さい!(笑) サイン会があるので出てきたようです。幸乃のファンなんですよね、私。幸乃の名誉のため、ステージで見るよりずっとスマートだったことを申し添えておきましょう。
 サインをもらいたい気もするけれど、まあいいや。翌日は通常どおり仕事もあるし、帰ろう。

 ――ということで、車を飛ばして家にたどり着いたのは23時を過ぎていました。
 はあ・・・。いい1日でしたね。
(完)
namiko.jpg    yukino.jpg
宮里奈美子                      比屋根幸乃


 彩図社のぶんりき文庫刊。ぶんりき文庫って、詳しくはわからないのですが、企画原稿を募集し、著者自身がカネを出して出版するというスタイルのものらしく、私がこの著者の本を読んだのは、やはりぶんりき文庫の「リストラマン放浪記」以来2冊目。ネットショッピングで「石垣島」の検索に引っかかってきたものです。

 「リストラマン・・・」のときも感じたのですが、内容は、プロというにはもう一息といった感じ。著者は、1938年生まれ、定年と同時に執筆活動に入ったという人。好きなことをとことん突き詰める人生、それもいいのでしょうね。少し羨ましいですね。

 「ヤング・ラブ・ストーリー」、「Eメール・バスター」、「アダンの木」の3篇。登場人物やストーリーのところどころにやや説明不足があったり、できすぎや偶然によってコトが進んだりと、読者側の寛容性に頼る部分がいくつかあります。

 しかし、「キミ食堂」、「産業道路」、「石垣島まつり」、「のーでんショップ」、「ダイブショップ・トムソーヤー」などなど、石垣島の場所や固有名詞が随所に出てくるので、島を知っている人ならあぁ、アソコね、などと思い出しながら読むことができます。

 はじめは石垣島とあまり関係ないのではと思われるストーリーであっても、最後までには必ず石垣島が登場します。(笑) このあたりをみると、著者はよっぽど島が好きなのだということがよ~くわかります。

 石垣島マニアの方は読んでみましょうね。
 この盆休み中、部屋にこもってやるべきことややりたいことがいくつかあるのだけど、こうも暑いとそれらもまったくやる気が起きず、いずれも遅々として進んでいない。
 というわけで、涼みがてらスーパーに行き、そのついでに、前から飲みたいと思っていた黒糖焼酎を買ってきた。



 宇検村湯湾の「奄美大島開運酒造」の産。
 スーパーにはほかに名瀬産、龍郷村産、喜界島産があったが、飲むといいことありそうな酒造会社の名前にホレボレし、奄美を訪れたときに通った宇検村のくねくね悪路を思い出して、これに決定。

 会社のホームページを覗いてみると、この酒、
『れんと(Lento)とは、「ゆるやかに、ゆっくりと」という意味の音楽用語。交響曲を約3ヶ月聴きながら、ゆっくりと、まろやかな味に熟成していきます。
 奄美大島最高峰の湯湾岳山麓の伏流水を、仕込水・割水に使用し、豊かな香りを引き出す酵母菌を使った原酒と、深い味を醸し出す酵母菌を使った原酒とを絶妙にブレンド。まろやかで優しい飲み口でありながら、豊かな香りと味がひろがります。』 ――とのこと。

 日大山形 対 常葉菊川の高校野球を見ながら、山形庄内特産のだだちゃ豆をつまみに、ぐびりと。
 あぁ、うんまい! ホント、黒糖の独特の甘みがほのかに口に広がります。
 野球は負けてしまったけど、飲んだ酒には大満足!
 一昨年に旅した与論島や沖永良部島では、これを毎晩飲んでいたのだったなぁ・・・。
 いいお盆をお過ごしですか?
 私は、明日1日出勤し、また木、金、土、日とお休みです。
 まとまった休みのときにこそ、まとまったことをやろうといつも思うのですが、なかなか思うようには行きませんね。

 さて、2000年10月から続けているホームページ「沖縄病Tobiの琉球弧探訪」で、読み終えた沖縄本のインプレッションを開設以来書き続けてきているのですが、これがとうとう300冊に到達しました。
 好きで始めたこととはいえ、ここまで続けられるとは自分でも思ってもいませんでした。

 まぁ、その内容については、読んで感じた個人的感想を備忘のために整理しておくことを主眼にしているため、ゲージツ的価値や特筆すべきことなどといったものからは程遠いところにあります。
 しかし、これらはすべて、「買って」読んだもの。低く見積もって1冊千円としても、30万円にもなんなんとする大層な投資。あきれるくらい、沖縄関係には寛容に投資しています。(笑)
 でも、本って、趣味としてはいちばん金のかからないクチかもしれませんね。

 そのページは、 「琉球関連書籍総覧」 。よくもまぁ、恥ずかしげもなく大げさなネーミングをしたものだと恐縮なのですが、一度ご覧になっていただけたらうれしいです。 


(画像)首里赤田のみるく


 沖縄地上戦最大の戦い――。それは、那覇市北部、今は「那覇市おもろまち一丁目6番地」となっている小さな丘をめぐって、血で血を洗うような白兵戦が繰り広げられたという“シュガーローフの戦い”でしょう。

 那覇市街への突破を試みる精鋭・米第6海兵師団と、丘に地下陣地を構築した日本軍は、1945年5月12日から一週間、激しい丘の争奪戦を繰り広げます。1日に4度その主を変えるほどの激戦に、海兵隊は2千名を超える戦死傷者を出したとのこと。
 この本は、その熾烈な戦闘を、生き残った100名以上の最前線兵士へのインタビューをもとに、精密に再現したドキュメンタリーです。

 沖縄戦というと、首里にあった日本軍の司令部が南の摩文仁へと撤退する1945年5月下旬以降の逃避行の際の、戦火から逃げ惑う県民と日本軍との悲惨な状況を思い浮かべます。
 しかし、その最前線、首里の防衛線をめぐって泥沼の戦いをしていた日本軍と米軍の様子については、比較的伝えられることが少ないようで、なかなか知ることができませんでした。
 そんな折、見つけたこの本、なかなかの会心作でした。

 シュガーローフをめぐって米軍は、少なくとも11回の攻撃を行ったといいます。その様子は、
『朝日がのぼると、K中隊の周囲は、海兵隊員や日本兵の死体、飛び散った肉片などで、食肉処理場のような様相を呈していた。「泥の上に散らばったり、谷間の壁の岩に張りついたり、人間の肉片は、あたり一面に散らばっていた」と海兵隊員は語った。体が真っぷたつになった男、切断された腕や脚、取れた頭部などがゴロゴロしていた。G中隊の海兵隊員、フランク・ヘップバーンがこの場所にやってきたとき、手を伸ばせば、どこにでも砲弾の破片があり、前夜の砲撃の凄まじさに息をのんだ。「降り始めた小雨で、泥の表面が洗われ、金属片や肉片などが驚くほど鮮明に、ぼんやりとした霧の中にうかび上がっていた」と彼は当時を回想した。』――という具合。

 人間たちが、こんなに簡単に、しかもこんなにたくさん、戦争のために死んでいったという事実。それがごく当たり前に、ほんのちょっとしたエピソードを紹介するかのように、360ページにわたって記述されています。これは、他の追随を許さないほどに鬼気迫るものがありました。

 そんな悲しい歴史を持つシュガーローフも、今では紳士服量販店やCD・ビデオ店などが立ち並ぶ新都心おもろまちの一角に、頂上部に市の配水タンクを載せたかっこうで、何事もなかったかのように存在しています。

 62回目の終戦記念の日を挟み、盆の休暇中に心静かに読了。
 平和のありがたさを痛感するとともに、そのような史実を絶対に風化させないことこそが何よりも大切である、ということを今一度肝に銘じさせずにはおかない1冊でした。
 今度は1989年の旧正月の特別番組、OTVの第26回東西民謡歌合戦です。
 これまた宜野湾市民会館を会場に、平安座島と玉城村奥武島からの中継を織り込んで放映。

 守礼の門をかたどったセットを背景に16組の選手が入場。
 出演者及び演目は、登場順に次のとおりでした。

1  前川守賢  「みんな島」 多良間島のほうの水納島をテーマにしたシンプルなうた。
2  我如古より子 「池間美童」 彼女のCDのいくつかにも収められているこの曲、この頃からうたっていたのですね。
3  上原政雄と黒潮太鼓 「しゅうらー節」 上原本人は地味な感じですが、2人の女性唄者を伴って。バックには笛、琉琴、二胡も。この人、今では琉球民謡協会長で最高師範というお方です。
4  乙女椿   「胡蝶の歌」 八重山で言うところの「パピル節」。5人姉妹。3人の三線と太鼓、三板。バックに4人の琉琴を配して。
5  長間辰夫  「とぅばらーま」 前年度、日本民謡大賞の沖縄代表。普段は宜野湾の交番勤務のお巡りさんだそう。返し担当の女性唄者は鳩間千代子か?
6  久志貞光  「島唄育ち」 87年の民謡紅白と同じ。いいセン行っていると思いますよ。♪グスーヨー~ のバックコーラスは、我如古より子と、このために駆けつけたと思われる古謝美佐子。女性4人による若衆踊りがついてにぎやかに。
7  応援団によるコント合戦
    平良とみが元ミス羽衣に扮して、吉田妙子らと登場。
    一方の西軍は、笑築過激団らによる笑天風大喜利で場を盛り上げます。

8  大城志津子 「ナークニー~ヨー加那ヨー」 独特のエレキ三線の音色と独特の節回し。この人がうたうと、おなじみの曲も一風異なった雰囲気に。
9  田場盛信  「遊び美童」 当時の新曲なのだそう。誰にでも受け入れられそうなノリのいい曲。めずらしく三線を自分で弾いていました。
10 琉球舞踊  うみない会福田加奈子琉舞教室による「三尺棒」と、新崎典子琉舞道場による「貫花(ぬちばな)」
11 大工哲弘  「うら舟ユンタ」 三線を持たない本来のユンタ形式で、笛の音と掛け声に乗って朗々と。テッチーの真骨頂ここに。
12 宮国米男  「なりやまあやぐ」 八重山の次は宮古。声量があって好感。顔がプロレスの小島聡とよく似ていますね。(笑) 今年(2007. 7.15)の琉フェス福岡にも出場したらしい。
13 金城恵子  「風車(かじまやー)情話」 芝居「花の風車」の主題歌。この人がうたうとどんなうたでも情け唄になってしまうよう。(笑)

14 仲本昭盛  「島造い」 民謡鶯組の演奏をバックに。浦崎康子は太鼓にまわっています。
15 仲宗根悦子 「南洋浜千鳥」 初めて見る歌い手。情感たっぷり。恰幅もよく、女唄者の正統派という感じ。山内昌徳の弟子?
16 宮良康正  「富崎野ぬ牛なーま」 こういう場にあっても、超スローの八重山民謡をしみじみと聴かせる「技」を持っています。さすが。
17 山里ゆき  「恋の花」 この人、美人! うたもうまいし、声もいい! いまさらながら再認識。名曲をじっくりと聴かせてもらいました。
18 瀬良垣苗子 「ゆすぬ花」 87年の民謡紅白に続いてこちらでも大トリ。当時の最重鎮だったのでしょうね。

 西軍勝利が告げられ、最後は「嘉手久~唐船ドーィ」にのせての大カチャーシーで幕を閉じたのでした。

 RBCよりもこちらのOTVのほうが玄人向け、というか高齢者向けのような印象。この傾向は今でも大きく変わっていないのではないでしょうか。
 しかし、こういう番組には嘉手苅林昌や登川誠仁、山里勇吉、大城美佐子、津波恒徳、知名定男・・・といった顔ぶれはあまり出ないのでしょうか。
 また、80年代後半といえば、ワールドミュージックが華やかなりし頃で、すでにりんけんバンドは活動を始めていた時期。彼らのようなニューリーダーの登場は、もう少し後になるのかな?

 ネーネーズの結成は90年だから、ウチナーポップがもてはやされる前夜の沖縄音楽を聴くことができたのは僥倖。しかし、彼ら唄者は、時代は移り変わろうと、昔も今も、なんらスタンスを変えることなく、地道にうたい続けているのだなというのが率直な感想です。ほんの少し、それぞれが年を取ったけれど・・・。

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上原政雄(中央)                    宮国米男(中央)
 ユニバーサルミュージック 2006 UICZ-8008

(1)登川誠仁 早嘉手久節 (2)喜納昌永 天川 (3)知名定男 越来ヨー (4)よなは徹 沖縄三板 (5)山里勇吉 真謝川節~白保節 (6)大工哲弘 スビヌオーザ (7)新良幸人 綾蝶 (8)湧川明 アッチャメー小 (9)松田弘一 毛遊び~千鳥 (10)嘉手苅林昌 ヒンスー尾類小 (11)金城実 南洋帰り (12)国吉源次 中立ぬミガガマ (13)徳原清文 島尻真壁ぬ首里ぬ主 (14)照屋寛徳 嘉手久 (15)登川誠仁&知名定男 スーキカンナー (16)嘉手苅林昌&登川誠仁 ハンタ原

 うなる三線! はじけるリズム! これぞKING OF琉球!! 三線の名手が一同に会した究極のコンピ、ここに登場! これを聴かずに沖縄を語れない! ――とのキャッチがついたオムニバス・アルバム。フムフム、コンセプトはなかなかいいのではないか。

 オムニバスというのは、入り込みやすいが、飽きも早い。なぜならば、ともするとそのラインナップに明確なコンセプトがないから。そしてまた、いいトコどりで、結局送り手が聴き手に何を伝えたいのかがわからないときがあるから。
 ということで、オムニバスは敬遠気味ではあったのだけど。

 で、聴いたところ、・・・うむ、これはけっこう秀逸。皆さん、ぜひ聴いてみるべきです!(断言)
 リスペクト、普久原楽器、マルフク、オフノート、M&Iカンパニー、キャンパス、ビクター、テイチクの各レーベルから名作のみをピックアップしたというからスゴイ!

 のっけから早弾きをさせたら右に出る者がいないといわれた誠グヮーの、お得意の曲。早くもノリノリです。
 (2)もまた早弾きで鳴らした喜納昌永の十八番。これ、マイ聴きどころのナンバーワン。
 (3)は、05年のCD「うたまーい」からのチョイス。知名らしい端正な出来。これを聴けばアナタも、むずかしかった「越来よう」がうたえるようになります。指笛にシビレますね~♪
 (4)は若手ホープにして実力者の登場。これまた早い! 3月8日の「三板の日」(というのが沖縄にはある)のテーマソング。
 (5)から(7)は八重山バージョン。(5)の音源はかなり古そうですが、一気に山里ウムザ・ワールドへ。(笑) (6)も大工らしい野太い声でグッド。(7)は新良お得意。キレのある三線がステキ。03年の「月虹」から。
 (8)の原義は「歩ちゃ舞」。この方、これまで聴く機会に恵まれませんでしたが、唄も三線も、いいです! 寡作らしいのですね。
 (9)はユニーク。「また変なことさせようとしている・・・」という台詞があってスタート。最後は「こんなに素晴らしい手拍子をいただいたのは沖縄刑務所に慰問に行って以来」と笑いを誘います。モーアシビの雰囲気が醸し出されています。
 (10)で大御所登場。他界しても(1999)、こういう類いのものには必ず顔を出すというあたり、さすがです。あぁ、カディカル節だなぁ。
 (11)は、ンナルーの秀逸曲。 ♪ 汝(やー)と我(わん)とやヨーサンラー 南洋帰りのコンパニー・・・ 一発で覚えられるようなナチュラル・ソング。
 (12)は宮古島から。これ、本島の「テンヨー節」。源次サンお得意の、クイチャー風掻き鳴らし奏法です。
 (13)は、カチャーシーの定番「唐船ドーイ」のメロディに乗せて真境名由康が新たに劇中歌として作詞したもの。徳原は芝居の地謡をやる人なので、こういうのもお得意です。
 (14)も大物。こちらは(1)と違い“昔節”。この人の場合、♪チャッカチャッカ・・・というオフビートが効いたリズムが、いつのまにか、むしろ ♪チャカチャカチャカ・・・という感じになるのがおもしろい。もしかして、これが本来の姿?
 (15)の魅力は、誠グヮーの昔節から知名のアップビートのものへと転調するところ。ゾクゾクします。知名は幼い頃、このアップテンポ版でデビューした経歴を持っています。
 最後(16)は、両巨頭の競演で閉め。最初はゆったりと始まり、徐々にヒートアップしていきます。血湧き肉踊る唄喧嘩。即興が効いていて、お見事!としか言いようがありません。

 あぁ、堪能。
 蛇足ですが、この16曲のオリジナル音源をいくつ持っているか調べたところ、9曲でした。おれもまだまだですな。


 またまたとんでもないことが起こってしまいました。
 那覇空港で、チャイナエア機が爆発、炎上!
 乗客の方、さぞかし怖かったことでしょう。

 でも、全員無事だったというのが不幸中の幸い。
 また、夏休み中のこの民族大移動期、国内線の離発着に大きな影響がなかったというのもまた幸い。

 午前10時34分ごろ、駐機場の41番スポットに入ったが、その直後に主翼の下にある左側エンジン付近で爆発があり、大きな爆発音とともに黒煙が上がった――という。

 昼のニュースを何気なく見ていて、どこの国のことかと思ったら、なんと那覇空港と言うではないか! 開いた口塞がらずといった風情で、ボーゼンとして画面を見ていたものでした。

 実は、去年ベトナムに行くとき、チャイナ・エアを利用しようとしたのですが、この航空会社だけがあまりに安価だったため、やめたことがあります。
 また、この夏休みに沖縄に行ったとしたらおそらくこの時期だったでしょう。そして、帰りはきっと月曜日の今日。

 あなおとろしや。


 毎年、東京や大阪などで開催される琉球フェスティバル。
 この琉フェス、1974、75年当時、沖縄の諸芸に心酔したルポライターの竹中労が、出血大赤字を覚悟の上で、大阪フェスティバルホールや東京の日比谷野音などで開催したのがそもそもの始まり。
 その後1991年、竹中の死を悼んで川口のリリアホールにて1度だけ復活。

 もうそれ以降はこんな不採算のイベントは開かれまいとフツーの人は考えるワケですが、それを見事に覆したのが、H.I.P大阪の河野社長であり、FM大阪であり、そして知名定男であったのですね。

 その知名らによる新生琉フェスは、1995年に大阪城野外音楽堂で開催されて以来、今年が数えて13回目。東京開催はすでに終了し(7月29日)、待望の大阪開催は10月21日。もう、今からワクワクですね。

 さて、その新生琉フェス、私は95、96、99、01年の開催以外はすべてどこかの会場なりで観ており、00年以降は自分のホームページにその鑑賞記を掲載しているのですが、いつも思っていたのは、マイHPに、一番ウチナーポップが輝いていた(と思っている)初期の鑑賞記がない――というのは、どうも画竜点睛を欠いているのではないか、ということだったわけですね。

 かつては古い琉フェスのインプレがwebにいくつか存在していて、そのテキストを大切に保管してはいたものの、今ではすっかり見られなくなってしまって・・・。

 しかし、しばらく前、ひょんなことからそのインプレを書いた人の一人と連絡がとれ、その貴重なインプレを私のホームページで復活させてもらえないかと相談したところ、「それらが加われば琉フェスのアーカイヴがほぼ一通り揃うことになりますね。」と、ご快諾をいただきました。

 そしてこのたび、その1996年開催分をHPにアップしました!
 題して、
  ★復刻! 琉球フェスティバル1996・東京 (1996.6.29 東京・有明コロシアム) 

 10年以上も前の、第2回開催時のことがリアルに再現されます!
 沖縄音楽ファンの方はぜひ一度ご覧になってみて下さいね。

 なお、今後、順次97、98年分を掲載していきますので、乞う、ご期待!


 著者は、種子島出身。外国航路船舶の航海士、放送作家、事件記者を経て、ノンフィクションライターに転進した方です。

 著者には、十代の初め、中学進学のため大阪に出るとき、祖母から言われた「もう止めもはんが・・・じゃっどん、故郷を忘れた都会のハグレ者だけにはなるなよ」という言葉が、遠い記憶にあるといいます。
 それにもかかわらず都会のハグレ者になってしまったと自責する著者は、背中にひりつくような焦燥と喪失感を背負い、1999年、はっきりした旅程も、これといったあてもない薩南諸島の旅へと赴きます。

 物書きとして人並みの生計を立てることもままならず、あきれ果てた妻に離婚を宣せられ、二人の子供と別れ、東京生活から逃げ出したい一心で編集者に提案した道の島の「食」に関する取材。
 しかし、焼酎を酌み交わしながら島の人たちの話を聞いていくにつれ、結局薩南諸島で著者が見聞きしたことをまとめるという体裁のものへと内容は大きく変容していきます。

 登場する島は、種子島とその属島馬毛島、屋久島とその属島口永良部島、三島村の竹島、硫黄島、黒島、それに十島村の口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島。
 それぞれの島の様子が、そこで出会った人たちとの話や定期連絡船の船内放送を引用した島々の紹介、島ごとのカラー写真や手書きの地図などによって、単なる紀行文にとどまらない、叙情的で楽しめる作品になっています。

 通奏低音は、過疎化。そして故郷を喪失してしまったという著者の深い想い。
 読み始めてまず考えさせられたのは、政治も経済も文化も、中央が絶対的な優位にある今の日本において、地方はどのような自立の道を求めればよいのか――ということでしたが、読み進むにしたがって、果たして「中央」という概念はそもそも何なのか、「辺境」とは? 「国境」とは?――というようなことが、きりきりと胸に迫ってきました。

 それは著者も同じ考えだったようで、エピローグで次のように書いています。

   原稿との格闘を終えて、思うことがある。
   「中央」とは、「私」が立つ場所にしかない。  ――と。

 “汝の立つところを深く掘れ。そこに泉あり。”
 ニーチェの言葉で、沖縄学の父伊波普猷の座右の銘です。
 掘り方は人によっていろいろ方法が異なるのでしょうが、著者の言わんとするところに一脈通じるものがあると、私は思います。


 ご存知シーナの海風魚旅の第2弾。コンセプトは、いい人やうまいものと出会うために日本の海べりを無目的的にめぐり歩く――というもの。2003年10月発売の単行本を文庫化したもの。

 掲載されている8篇のうち、琉球弧関連は4つ。
 ひとつは宮古島。山羊のキンタマを肴に泡盛を飲み、菊の露酒造や鰹節工場を見学し、三線屋でニシキヘビの皮まるまる1枚を見てオドロき、妖しい民謡酒場に潜入します。
 二つ目は慶良間。島で少年たちと戯れ、食堂で昼から生ビールをぐびぐびと。夜は村長の弾く三線と泡盛に酔いしれ、古くからの友人たちと語らいます。
 3つ目は屋久島。サバ節工場を見学し、島のラーメンを食べ、小学校のグランドで三角ベースの野球を楽しみ、名物首折れサバのスキヤキを堪能します。
 4つ目は与那国島と石垣島。西崎展望台で新潟の色白美人と出会い、与那国馬との濃厚なふれあいを体験し、島の祭り「ンマナガマチリ」を見学し、「擂り唐辛子」づくりのオバチャンと語らいます。

 ほかには、南紀白浜周辺、岩手県の宮古・釜石周辺、秋田県の北海岸地帯、山陰海岸。

 いつもどおりのシーナ節。これといって特筆すべきところはないけれど、読んでいて肩の凝らない、いい旅日記です。
 写真も秀逸。海辺の人たちの気取らない表情が出ていて、とてもいいですよ。
 今年の7月中旬に続いて、沖縄本のまとめ買いをしました。
 ナニ? 読むペースより買うペースのほうが断然速いのではないかって? オー、イエ~ス。そうなんです。それが目下の悩みのタネなのね。(笑)

 でも、地道に読んでいるつもりですよ。買った以上は、多少面白くなくても読み通すというのが自分の信条でもあるので、いつかは必ず読むのダ。ただ、それがいつになるかというのは、自分でもワカラナイ。
 読みたくても読めないときがあるし、時間があっても読む気が起きないときもあるし。

 というわけで、今回求めたのは以下の書。

 「大東島の歩みと暮らし」     奥平 一     ニライ社
 「住んでびっくり!西表島」    山下智菜美   双葉社
 「三線かついで奥の細道」    おもて敏幸   文芸社
 「沖縄学への道」          外間守善    岩波現代文庫
 「回想80年 沖縄学への道」  外間守善    沖縄タイムス社
 「私の沖縄戦記」          外間守善    角川書店
 「沖縄通い婚」           下川裕治編   徳間文庫

 今回目立つのは、外間守善センセイの本が3冊あるところ。
 氏は、「おもろさうし」研究、沖縄の言語や文学、文化研究の第一人者で、伊波普猷以来の沖縄学を大成させたといわれるお方。しかし、今年で82歳ということもあり、氏のライフワークの集大成の時期にきているよう。そのためか今、多くの書が世に送り出されているのです。これは買っておかないと。

 ということで、また読む楽しみが増えました。


(画像) いつの世までもあなたとともに・・・。八重山のミンサー織


 自分では沖縄初心者だとおっしゃるはるやま氏が那覇の「裏道」で体験し、感じたことを書いた文章と、「月刊 漫画大衆」に連載された犬養ヒロさんと猫拾ブミさんの漫画&コラムが収録されています。

 裏道の何を表現したかったのかと言うと、昔からある大衆食堂や、長い歴史に支えられたスナックなどに関する居心地の良さやトホホ体験など。沖縄では、それらのことだけで1冊の本ができてしまうのですな、ナント。

 そうなれば、もちろん我が愛する大衆食堂も紹介されています。あやぐ食堂をはじめとして、花笠食堂、お食事処波布、嶺吉食堂、やんばる食堂などなど。この本を読んで知ったけど、壷屋のきよちゃん食堂、なくなっちゃったんですね。う~、ザムネン!
 他にも気になる店として、バーエロス、おとん、くーすBARカラカラ、栄町ボトルネック、おでん東大、スナック母子家庭なども登場。

 文章の根底思想は、そういう味のある店たちを軽々しく失ってしまっていいのか、ウチナーンチュよ! ―ということらしい。そのことがよく表されているのが次の一文。

『桜坂の店にはそれぞれの“粋”があった。何も言わずにBGMに客の好きな曲をかけてくれるマスターや、酔っていても優しく招き入れてくれる物静かな店主、客を楽しませてくれるおかまさん・・・。そんな店の正反対にあるのが、“無粋”な道路拡張だ。確かにもうこの流れはとめられない。
 キラキラする新しい匂いの建物が立ち並び、みんなが晴れやかに笑いながら遊びに行く街が、どんどんつくられていくのだろうか。いや、それは健全でいいのだろう。しかし、“それだけ”になってしまっていいのか!? どこか暗さを残した路地裏で、店と客の濃厚な繋がりや濃密な時間が過ぎていく、密やかな場所・・・そんな裏道を湛えた街が、まったくなくなってしまっていいのだろうか!?――』

 素直に同感。もしかしたらこういう感覚、今の若い人たちにはわからないのだろうなぁ・・・。
 人生の先輩たちによって築き上げられてきた文化や風俗、構築物などが、この頃は妙に愛おしく感じられてならない。そして、それらが目の前で徐々に失われていく様子を、手をこまねいて見ているのがツライ。

 これ、違いのわかる苦みばしったダンディが一人増殖したとみればいいのか、はたまた、日没を見送りながら涙する役立たず感傷オヤジがまた一人増えたとみればいいのか・・・。
 うーむ・・・。寂しいことだが、答えは歴然といった気がしないでもないナ。

 コホン、閑話休題。
 話を元に戻すと、漫画については、個人的には評価は高くない。オバサンの域に達した登場人物が好き勝手を言いすぎていて、笑うべきところが心から笑えませんでした。
 それから、書かれている内容は、もっぱら観光客向けのよう。この本は、あくまでも沖縄好きのヤマトンチュ向けに書かれたものであることに留意が必要だと思います。