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 久しぶりに沖縄本の大量買いをしました~♪
 備忘録をみると、昨年の11月に4冊入手してからというもの、ちまちまと1冊ずつ買い足すこと3回。このありさまでは、「積ん読」分が目減りしてしまう。そうすると、どうなるか。おれの場合、アセるのでありますね。
 数十冊の未読本をそう簡単に読破することができないことは重々知りつつ、もし万一、ストックがなくなってしまったら、いったいおれは何を読んで暮らしていけばいいのか?!――などと、妙な不安にかられてしまうのダ。

 てなことで、このたびの入手分を列挙しますと、
「甦る海上の道・日本と琉球」  谷川健一 文春新書
「仲村清司の独断偏見!!沖縄とっておきの隠れ家」 仲村清司 沖縄スタイル
「沖縄シュガーローフの戦い」  J・H・ハラス  光人社
「奄美の島々の楽しみ方」  あまんゆ・編 双葉社
「南島古譚」  藤民央 郁朋社
「地名を歩く増補改訂」  南島地名研究センター ボーダーインク
「くまから・かまから」   ボーダーインク
「石垣島事件帖」  坂本成穂 ぶんりき文庫
「十七年目のトカラ・平島」  稲垣尚友 梟社
「にっぽん・海風魚旅(2くじら雲追跡編)」  椎名誠 講談社文庫
「名も知らぬ遠き島より」  日高恒太朗 三五館    の11冊。
 今回はいつもの沖縄、八重山、宮古島などに加えてトカラ、奄美関係も。
 これだけ買い足せば、当分安んじて暮らしていけるなぁ・・・。

nantoukotan.gif (画像は「南島古譚」。色がきれいなので載せておこうっと)
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 今読んでいるのは、「カクテルパーティ」で芥川賞を受賞した大城立裕の著による「沖縄歴史散歩」。彼は小説だけでなく、沖縄をみつめた戯曲やエッセーなども発表していて、沖縄きっての知識人の一人と言えるでしょう。
 「南海を生きたもう一つの日本史」との副題がついています。いいですねぇ・・・。
 本人が語るには、できるだけ文化史的に、また、沖縄の今日の問題を鳥瞰できるように、面白い史話集をつくりたいと思った、とのこと。読んでみると確かにそのようになっていて、興味深く読み進めていくことができます。

 ほほう、と思ったのは、古琉球史に登場する人々の名前の多くが地名に由来していること。たとえば三山時代の南山王「承察度」は現在の「大里」、北山王の「怕尼芝」は現在の「羽地」の地名と見てよいのだそう。
 また、勝連城の英雄「阿麻和利」の語源は「天降り」ではないかと考証していることなどもおもしろい。
 その阿麻和利が登場する15世紀の対立抗争、護佐丸・阿麻和利の乱について詳述している部分についても、登場人物に関する逸話や女性の担っていた呪術的役割などの背景を明らかにしているためとてもわかりやすく、引き込まれるように読んでいます。

 これから八重山の英雄オヤケアカハチの乱や島津氏侵入の真因、琉球における黒船来航、琉球処分、人頭税廃止運動などなどについての著述が登場するようなので、楽しみ。
 しかし、沖縄戦と戦後についての記述は紙面の都合上割愛せざるを得なかったようで、著者は相当に心残りだったようです。まぁ、そのあたりについては別の著書に期待しましょう。
 ネーネーズらの唄者が出演するライブハウス「島唄」がこの4月、宜野湾から那覇の国際通りに店舗を移して営業を開始した、らしい。一刻も早くその現場に足を踏み入れてみたいものだ。

 このことについてネット上で調べてみると、
1 知名定男の息子の知名定人が店長をしていること
2 席数は180席(!)で、店舗面積は宜野湾店の約3倍の広さであること
3 ステージは幅7.2メートル、奥行き3.6メートルとこれまた広くなっていること
4 フードもゴーヤーチャンプルーなど定番の沖縄料理を中心に約35種もあること
5 これまで21時からだったステージが、19時からと、沖縄らしからぬ時間帯からスタートすること
6 ライブチャージが1500円から2000円になったこと

などがわかった。ふーん。

 で、店のオーナーだった知名定男はどうしているのか。
 3月18日にはうるま市の『響ホール』で「知名定男芸能生活50周年記念公演」を開いたはずだが、その後はどうなの?



 購読しているメルマガ「奄美・沖縄エッセイ」によれば、知名定男はプロデューサー業を長男定人に譲り、プロデューサー業から引退し、島唄に打ち込むとのこと。へぇ~、そうなんだ。

 それによって彼の渋い沖縄民謡を聴ける機会が増えるということであれば、一見大変いいことのように思えた。
 しかし反面、ネーネーズをはじめとしたポップな島唄は彼があって初めて実現したものとおれは思っており、今後、ウチナーポップの新しいウェーブは誰が起こしていくのか――という点についてはかなり疑問であり不安なのダ。
 求心力のある人間を欠き、ネーネーズのようなスーパーグループは今後は二度と現れなくなってしまうのではないか・・・。
 それに、知名定男プロデュースで回を重ねてきた「琉球フェスティバル」はどうなってしまうのか・・・。

 書いているうちにだんだんと不安さが増してきたゾ。
 前回、「知名定男はプロデューサー業を引退し・・・」ということを書いたところ、知名定男が所属する、というよりも、知名が主宰すると言ってもいいディグ音楽プロモーションの知名定徳さんからメールを頂戴しました。

 それには誤解があるようです――とのことで、
「知名定男がプロデュースの現場から離れる事はありません。離れるのは「経営」からです。」 ――ということでした。
 もっとプロデュースや唄に専念したいという本人の気持ちを尊重したとのこと。
 そうだったのですねー、あぁ、よかった。安心しました。
 これからはもっともっと沖縄音楽の為に、プロデュースやステージに立って歌う機会も増えていくことでしょう。



 そして今日、東京での琉球フェスティバルを主催するM&Iカンパニーからメールが届き、今年も日比谷野音でフェスが7月29日に開催されることがわかりました。やっほぅ! いいぞいいぞ。

 参加者は今のところ、大城美佐子、大工哲弘、朝崎郁恵、パーシャクラブ、大島保克、よなは徹、池田卓、桑江知子、かりゆし58。真夏の暑い夜になりそうですね~♪

 きっと大阪でも開催されるのだろうね。おれは例年沖縄民謡色が強いこっちのほうに行きたいな。

2007.04.10 春や、春々や
 世は春である。
 あぁ春である、春である。

 多少雨が降ろうと、風が吹こうと、黄砂が舞い降りようと、すべては春だからなのであって、なんだかあっさりと許せてしまう。

 そんな春を迎えた喜びをやさしくうたったものが、ネーネーズにあったよなぁ。
 「春の唄」。初出はCD「なーらび」(1995)だった。

  深山鶯や 節や知らにどぅん
  梅ぬ匂いしちどぅ 春や知ゆる
  春や春々や 花ん盛い

  たずにゆる花ぬ 近くなてぃさらみ
  忍ぶ身が袖に 匂いたちゅし
  春や春々や 花ん盛い

  山ぬさらかちに 袖や引かるとぅん
  匂いある花や 訪に欲しゃぬ
  春や春々や 花ん盛い

  いちゃしが庭ぬ 青柳ぬ糸に
  暮りてぃ行く春や ちなじ欲しゃぬ
  春や春々や 花ん盛い

 「さらかち」とは野のイバラのこと。イバラに袖を引かれても、匂いたつ花を訪ねたい――。
 春を愛でるとともに、今を咲き誇る花のような愛しい女性をうたった名琉歌です。

 この「春の唄」、CD「サウダージ ウチナー」(2002)では、「なーらび」のと同じオケに乗せて知名定男がうたっています。これは聴きどころだと思うなぁ。

 CD「なーらび」のインプレは、唯我独尊的島唄解説「ネーネーズ」
 CD「サウダージ ウチナー」のインプレは、唯我独尊的島唄解説「ネーネーズ関連」でどうぞ。
 
  saudageuchina.gif

 山形は、まだ桜は咲いていないけど、確実に春である。
 春を愛でる歌で秀逸なものが、もうひとつ。
 りんけんバンドの「春でぇむん」です。
 初出はCD「アジマァ」。アジマァとは、沖縄の方言で交差する所・交わる場所という意味。1992年に発売された、りんけんバンド4枚目のアルバムです。

  風ぬソイソイ  いいあんべぇ
  肌むち美らさ  いいあんべぇ
  波ぬ音ん 風ぬ声ん
  春でぇむん   春でぇむん

  花ぬ香ばさ   いいあんべぇ
  ふきるウグイス いいあんべぇ
  野山ぬ緑 色まさてぃ
  春でぇむん   春でぇむん ・・・

 かつて、中学校の国語の教科書にこの歌詞が採用されたこともある、照屋林賢の作による詞です。
 おだやかな旋律が、妾建華のニ胡によって奏でられる、これもまた名曲ですな。

 CD「アジマァ」のインプレは、唯我独尊的島唄解説「りんけんバンド」でどうぞ。




 それぞれのページが沖縄へと続くどこでもドア。読むだけで楽しめる、沖縄一人旅イラスト&エッセイ――と銘打った、手作り風の旅日記です。

 著者は、大学の造形学部油絵学科を卒業後、七宝焼の工房で伝統工芸を学び、現在は地域情報誌の編集・ライターをなさっている20代の女性。丁寧に描かれていて好感の持てる自作のイラストがたっぷり。

 こういう本って、値段のわりにはあっさり読み終えてしまうのでコストパフォーマンスが悪いのよね・・・などと考える、ゲージツやアートへの理解が欠如している私ですが、今回は比較的納得して読めたし、楽しめました。

 わずか2週間の旅なのに、いろいろなことがあってとても楽しそう。沖縄の美味しいものをたっぷりと食べてご機嫌な様子が手に取るようにわかります。
 どうやら楽しいだけではなく、辛いこともあったよう。でも、沖縄の風景や人情などに癒されて、打ちひしがれた自分を素直に認め、夢をかなえるのは沖縄ではなく自分自身なのだと明るく解決していく様子には、読者としても静かに感動できます。

 「沖縄ごはんを食べつくそう」、「アートを楽しもう」、「歴史と文化を訪ねて」、「おやどでの出会い」など。

 著者は、沖縄大好き、だから移住を――などと短絡的に考えず、沖縄で、今の自分を信じ好きになれば、どこにいても生きていけるんだ、と気づく。そして、ちょっとエネルギーが足りなくなったなと感じたら、また沖縄に来ればいい、沖縄はどこにも行かないのだから――と結論づけています。私の感覚もこれにすごく近いのですね。いつも沖縄から生活のパワーをもらっているものなぁ・・・。
 沖縄のエッセイストに宮里千里というヒトがいて、これがまた読んでいて肩の力が抜けるというか、なにかこう、ホッとするような文章を書くのです。
 彼は、那覇市役所の職員。我が同業者にもエッセーを書きながらゆるゆるの生き方をしているヒトがいるんだなぁなんて思い、ウレシくなったものだ。
 著書は豊富で、「島軸紀行 シマサバはいて -異風南島唄共同体-」、「アコークロー~我ら偉大なるアジアの小さな民」、「ウーマク! オキナワ的わんぱく時代」、「沖縄 時間がゆったり流れる島」など、そして近作には「沖縄あーあー・んーんー辞典」があります。
 内容等についての詳細は、「琉球・沖縄関連書籍総覧~宮里千里」をご覧ください。

  akohkuroh.gif

 この宮里サン、今となっては伝説的な奄美の唄者・里国隆(さと くにたか)が那覇の平和通り商店街で路上演奏していたのを偶然発見し、大急ぎで家まで機材を取りに戻って録音したという逸話があります。
 その音源は、CD「路傍の芸」(1999、JABARA JAB-10)で聴くことができます。詳細は、「唯我独尊的島唄解説~奄美の唄者」をご覧ください。

 さて、話はこれだけではありません。
 宮里さんのような生き方は大好きなのですが、役人の世界では往々にしてこのようなタイプは、行政としては傍流の(失敬)文化畑ナンゾを歩まされがち。きっと彼もそーゆーことなのだろうと思っていました、私は。
 ところが! 彼って、現在は那覇市のソーム部長などという超要職を担っているのです!!
 最近は寡作だなと思っていたら、ナルホドねぇ。きっと、もっと上に行くぞ、恐らく。

 彼のような人にはぜひ仕事でがんばってもらいたいけど、その一方で、彼の洒脱なエッセイにお目にかかれなくなるのもちょっと残念。複雑~♪


 「歯科医師でありながら稀代のボードビリアン(注:喜劇役者)として、また脚本家兼プロデューサー、作詞・作曲家、そして司会者として・・・。戦禍で傷ついた沖縄の人々の心に活力を吹き込み、沖縄芸能の存亡の危機を救った男の胸の内と生き様をはじめて描ききった力作!」――ということで、もう、ワクワクして読み始めました。

 小那覇舞天。戦後沖縄芸能の復興に尽力した功労者の一人で、照屋林助とともに「ヌチヌグスージサビラ(生き残った命のお祝いをしよう)!」と悲嘆に暮れる家々を回った逸話は有名です。

 が――。著者によれば、この逸話は後に林助らが誇張して語った眉唾ものであると論考しています。う~む、ホントにそうなのか?

 このほかにも、「舞天の弟子と称する林助らは、ラジオの時代に知名度が一気に高まった舞天を師匠と崇めながら、どちらかというとその恩恵に与ろうとしていたようにも見える」と、おれが尊敬してやまない林助を一刀両断にしてくれたり、「沖縄が民謡の島と言われるのは、(舞天がプロデュースして一大ブームを巻き起こした)フォーシスターズの音楽活動があったからこそだ」などと、言わせてもらえば極めて一面的な見方をしたりしているのがやたらと気になります。

 そして、舞天に関する取材でインタビューをした多くの沖縄ミュージシャンのほとんどが自己顕示欲の塊で、沖縄の芸能文化を一人で背負っているようなことを言う人たちばかりだった――とまで述べています。ますます、う~~むと唸ってしまう。そこまで言うか。取材中によほど面白くないことでもあったのかなぁ、おれには信じられないが・・・。

 なんか、書いているうちにだんだん腹が立ってきたゾ。
 内容がきついので、おれも少しきついことを言わせてもらえば、わずか2年余りの文献資料調査や現地取材でどこまで真髄に近づくことができるというのだろうか。著者本人も「あとがき」で書いていますが、著者は主に犯罪者をはじめとした悪人に関する事件に関係する取材と執筆が多かったといいます。そのようないわば門外漢(きっぱり!)が、営々として築き上げられてきた唄の島の真髄をそう簡単にコキ下ろしていいものなのだろうか。

 そんなこんなで、長年沖縄音楽に触れ、沖縄の唄者たちの言動や人柄にまで探りを入れてきた自分としては、この伝記にはあまり共感できるところは、残念ながら多くない。

 さらに、自重せず気の向くままに書いてしまうと、ものを見る角度が多少屈折している、というか、斜に構えたような印象を受けるし、話の筋道が頻繁に周辺事情の詳細説明のほうにそれていく部分が多いし、この著書によって舞天という人物の輪郭がよりはっきりしてくるというようなことは、結局なかったでした。

 期待が大きかっただけに、ザムネン(残念+無念)です。


 「人」の半生記、一代記を読むのが好きだ。とりわけ沖縄ゆかりの人の、数奇な運命をたどる人生ともなれば、興味津々である。

 主人公の中谷ナンシー夏子さんは、1921年ハワイ生まれ。南カリフォルニアで長年にわたって沖縄の伝統芸能の継承と後世代育成に尽力してきた方。
 37年に家族で沖縄へ移住した後、41年に結婚のためロサンゼルスへ移住し、戦時下の日本人収容所で長女を出産。看護婦になりたいという夢をかなえるためロサンゼルスの夜間大学で学び、63年に正看護婦試験に合格。以後、正看護婦として勤務する傍ら、72年に中谷夏子琉球芸能教室を開設。カリフォルニアやハワイ、沖縄間で芸能文化交流の架け橋役を務めた功績が評価され、94年に勲六等瑞宝章を受章したということです。

 著者は、沖縄県在住で糸満市役所職員。那覇市総務部長の宮里千里をはじめ、沖縄は現職役人の文芸人が多いのですね。
 彼は、沖縄とアメリカの文化交流事業を手伝うなかで中谷さんと知り合い、明るさを失わずに厳しい時代を生き抜いた中谷さんの半生を若者たちに伝えたいと思い、約2年間かけて日米を往復しながら取材活動を続けたそうです。

 読んでいて、心が大きく揺さぶられるような圧倒感とまではいかないものの、一人の人生なんて大局的に見れば小さいものなのに、その人にしてみればいかに大変で、数々の試練や孤軍奮闘に満ち溢れているものであるかがじわじわと、しみじみと、伝わってきます。
 無名(もちろん一部では有名)の人の歴史を追うときに得られる、つくりものでないこのしみじみ感。これが、とてもいいのですなぁ。

 主人公の少女期から始まる各時代の写真が読者のイメージを刺激して、読み応えに花を添えます。
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