くよくよしていてもしょうがないし、いつまでも再開できないから書いてしまおう。
 1月29日未明、私の家が火事になってしまった。半焼半壊。
 ご近所、町内会をはじめ、職場の人々、子供の学校関係者、親戚縁者等々の方々に多大なご迷惑をおかけし、心からお詫び申し上げる次第。

 そんな非常時にあって、近隣の方々からずいぶんと助けられた。それはまさに物心両面において。
 改めて「世間様」のありがたさ、大切さを痛感することとなりました。本当にありがたかった。
 そして、幸いにも家族は全員無事。「命どぅ宝」。命あってのモノダネ。みんなの命さえ無事であれば、これからまたきっと笑って暮らせるときがくる。夫を引き立てない妻だし、お世辞にも親孝行とはいえない子供たちだが(笑)、共に捲土重来の時を築こうではないか。

 ・・・てなことを言えるようになったのも、事件から3週間も経った今になってのこと。いやはや、事情聴取やら火事場の跡片付けやら引越しやら焼失物の買い足しやら、はたまた関係各方面へのお詫び行脚もあったりして、かなり疲弊。
 でもおれはメゲないぞ。メゲてどうなる。――自分にそう言い聞かせてがんばってきた。

 そんな中で常に念頭に置いたのが次の2つ。
 ひとつは、沖縄戦終結後に小那覇舞天と照屋林助が悲しみに沈む家々を「命(ぬち)の祝事(すーじ)さびら!」と言いながら回ったという逸話。命ある者が悲しんでどうする、生きていることをこそ祝おうではないか――ということ。当時の沖縄の人々は家も家族も失って、この先の生きる希望を持つことすらできなかっただろう。火災程度でメゲてたまるか。
 もうひとつは、お見舞いのお礼に出向いたときの、昨年までの上司からの言葉。「オレの部下だった男なら、危機にこそ力を発揮せよ」と。意味がよくわからなくもないが、不思議と自信がみなぎったものだ。


 大部分が焼失または水損・煙損を蒙った中で、幸いにもパソコンは生き残った。しかし、ネット環境が整えられず、このたびようやっと、こうして書き込みをしている次第。

 しばらくはこの影響は避けられず、物を書くにしてもこれをまったく無視して続けていくのは困難と思われるので、一応皆様にご報告いたします。

 これから徐々に復活していこうと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
スポンサーサイト
「真っ赤なデイゴの咲く小径」  作詞・作曲・唄:成底ゆう子

  咲いた咲いたよ 春の花     晴れ渡るデイゴの咲く小径
  涙こらえて 手を振った     母親の姿がありました

  夢見てたようには ままならん  生きる難しさ 知りました
  いつからか 都会の渦の中    親のお金 遊びに消えました

  島で過ごした夏休み       空港に駆けつけた父が
  手渡したのは 土がついた    お金でした

  親の情けも知らないで      わがままな娘を許してと
  泣き泣き手を振る私に      「体だけは大事にしなさい」と

  咲いた咲いたよ 春の花     澄み渡る心に咲き誇り
  親(うや)ぬありがたみ 肝染(ちむす)みてぃ
  赤く咲いたよ 我身(わみ)ぬ花 真っ赤なデイゴ咲く花道


 事件後の数日間は、市内の自分の実家に身を寄せて生活していた。
 連日朝から晩まで事後処理のために飛び回り、やっと夜更けにたどり着く部屋はというと、ふだんは体のいい納戸として使っていた古い空き部屋。南と北が障子になっていて、ストーブを点けても、いつまでたってもちっとも暖まらなかった。

 それではあまりに惨めというもの。癒される何かがなければたまらないと、凍えそうになりながらとにかくパソコンだけでもつないでみた。
 すると、点いた! 壊れていなかった!
 こんな些細なことすら、やたらとうれしかったりして。

 しかし、部屋には電話のジャックすらなく、データCDはどこかに行ってしまっていて、わずかにハードディスクに保存したいくつかのファイルだけが再生可能という状態だった。

 冒頭に記した「真っ赤なデイゴの咲く小径」は、音声ファイルをたまたまデスクトップに置き去りにしていた石垣島出身の歌手成底ゆう子の1曲だった。
 ♪ 咲いた咲いたよ 春の花 ・・・ と、ゆったりとたゆたうように流れ出すメロディが心に滲みこむように伝わってきて、これを聴いて、いらだちやらでとげとげしくなった気持ちが解きほぐされたことが何回かあった。

 音楽はいいねぇ。
 辛いときこそ、音楽は必要だなぁと思ったよ。

 「mf247」のページで視聴できますので、一度聴いてみてはいかがでしょう?



 画像は、成底ゆう子サンです。
 成底ゆう子のホームページはこちら。
2007.02.22 屋嘉節
「屋嘉節」     詞・金城守賢 作曲・山内盛彬

  なちかさや沖縄 戦場になやい  世間御万人の 流す涙
  涙飲で我んや 恩納山登て    御万人と共に 肌ゆさらち
  無蔵や石川村 茅葺きの長屋   我んや屋嘉村の 砂地まくら
  心勇みゆる 四本入り煙草    淋しさや月に 流ちいちゅさ

 (歌意)
  悲しいねぇ沖縄 戦場になり 県民みんなの流す涙
  涙を飲んで 私は恩納岳に登り 多くの収容者と共に肌を晒している
  愛するあの人は 石川村の茅葺きの長屋に 私は屋嘉村の砂地が枕だ
  心励ます四本入り煙草 淋しさは月に流して生きていくよ


 沖縄県民の4人に1人が亡くなったといわれる沖縄戦。県民たちはさぞかし痛み入ったことだろう。
 終戦後、軍属や県民は、島内の屋嘉、石川などで着の身着のままの収容所生活を送ったという。そんな傷心の生活をカンカラー三線の音色に乗せてうたわれたのが、この屋嘉節だ。

 屋嘉収容所で生活する当時の人々の映像を見たことがあった。
 砂地を枕にして、配給の4本煙草を吸い、炎天にさらされながら、彼らはそれでも笑顔で、生き生きとして生活していたのだった。なんと生命力旺盛な人たちなのだろうと、感動しながら見た記憶がある。

 今回の災害に見舞われてからというもの、ずっと心の中を流れていたメロディは、この「屋嘉節」だった。
 彼らの哀れさからみれば、こちらの状況など些細なことになるのかもしれないが、彼らの笑顔の内にある悲哀が少しはわかったような気がする。

 知名定男のうたう「屋嘉節」が聴きたいなぁ。



(画像)屋嘉収容所
 おかげさまにて着実に日常を取り戻しつつある今日この頃。これも皆様の支援あってのことと感謝しております。
 また、このブログ上でもいろいろな方からお見舞いやら激励をいただいて、ブログをやっていてよかったなぁとつくづく思います。

 宮古の方でしょうか、「あららがま!」&「わいどー!」でがんばって、とか。そのとおりですね。これらの言葉は今のおれにぴったりかも。元気が湧いてきます。下地勇の「ワイドー」が聴きたくなりました。(笑)

 「日常」なんて退屈でつまらないものの代名詞のように言われますが、こうなってみるとつくづくフツーの毎日がいいんだなぁと思います。いつものようにいかない毎日って、けっこう苦痛です。

 そのひとつに本があります。
 このごろようやく少しずつ読書欲が出てきたのですが、沖縄関連をはじめとして20冊近くあったはずの未読本が見つからないのです。はて、どこへやったものかと罹災品をあざいてみるのですが、どうしても見つからない。コマッタ。(笑)

 あぁ、読みたいなぁ、オキナワ・・・。
 でも、ないものはない。捨てたわけではないのでそのうち出てくるだろうということで、今はしょうがなく手元にあった「山形県の歴史」(山川出版社)なんていう本を読んで気分を紛らわしています~。・・・チェッ。

 でもまぁ、本を読めるくらいに気持ちが落ち着いたということは評価できるのではないか。
 ブログはおずおずとながら再開できたし、本もわずかずつ読むようになったしと、かようにワタクシにとってのありがたい「日常」は確実に復活しつつあります。