「真っ赤なデイゴの咲く小径」  作詞・作曲・唄:成底ゆう子

  咲いた咲いたよ 春の花     晴れ渡るデイゴの咲く小径
  涙こらえて 手を振った     母親の姿がありました

  夢見てたようには ままならん  生きる難しさ 知りました
  いつからか 都会の渦の中    親のお金 遊びに消えました

  島で過ごした夏休み       空港に駆けつけた父が
  手渡したのは 土がついた    お金でした

  親の情けも知らないで      わがままな娘を許してと
  泣き泣き手を振る私に      「体だけは大事にしなさい」と

  咲いた咲いたよ 春の花     澄み渡る心に咲き誇り
  親(うや)ぬありがたみ 肝染(ちむす)みてぃ
  赤く咲いたよ 我身(わみ)ぬ花 真っ赤なデイゴ咲く花道


 事件後の数日間は、市内の自分の実家に身を寄せて生活していた。
 連日朝から晩まで事後処理のために飛び回り、やっと夜更けにたどり着く部屋はというと、ふだんは体のいい納戸として使っていた古い空き部屋。南と北が障子になっていて、ストーブを点けても、いつまでたってもちっとも暖まらなかった。

 それではあまりに惨めというもの。癒される何かがなければたまらないと、凍えそうになりながらとにかくパソコンだけでもつないでみた。
 すると、点いた! 壊れていなかった!
 こんな些細なことすら、やたらとうれしかったりして。

 しかし、部屋には電話のジャックすらなく、データCDはどこかに行ってしまっていて、わずかにハードディスクに保存したいくつかのファイルだけが再生可能という状態だった。

 冒頭に記した「真っ赤なデイゴの咲く小径」は、音声ファイルをたまたまデスクトップに置き去りにしていた石垣島出身の歌手成底ゆう子の1曲だった。
 ♪ 咲いた咲いたよ 春の花 ・・・ と、ゆったりとたゆたうように流れ出すメロディが心に滲みこむように伝わってきて、これを聴いて、いらだちやらでとげとげしくなった気持ちが解きほぐされたことが何回かあった。

 音楽はいいねぇ。
 辛いときこそ、音楽は必要だなぁと思ったよ。

 「mf247」のページで視聴できますので、一度聴いてみてはいかがでしょう?



 画像は、成底ゆう子サンです。
 成底ゆう子のホームページはこちら。
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2007.02.22 屋嘉節
「屋嘉節」     詞・金城守賢 作曲・山内盛彬

  なちかさや沖縄 戦場になやい  世間御万人の 流す涙
  涙飲で我んや 恩納山登て    御万人と共に 肌ゆさらち
  無蔵や石川村 茅葺きの長屋   我んや屋嘉村の 砂地まくら
  心勇みゆる 四本入り煙草    淋しさや月に 流ちいちゅさ

 (歌意)
  悲しいねぇ沖縄 戦場になり 県民みんなの流す涙
  涙を飲んで 私は恩納岳に登り 多くの収容者と共に肌を晒している
  愛するあの人は 石川村の茅葺きの長屋に 私は屋嘉村の砂地が枕だ
  心励ます四本入り煙草 淋しさは月に流して生きていくよ


 沖縄県民の4人に1人が亡くなったといわれる沖縄戦。県民たちはさぞかし痛み入ったことだろう。
 終戦後、軍属や県民は、島内の屋嘉、石川などで着の身着のままの収容所生活を送ったという。そんな傷心の生活をカンカラー三線の音色に乗せてうたわれたのが、この屋嘉節だ。

 屋嘉収容所で生活する当時の人々の映像を見たことがあった。
 砂地を枕にして、配給の4本煙草を吸い、炎天にさらされながら、彼らはそれでも笑顔で、生き生きとして生活していたのだった。なんと生命力旺盛な人たちなのだろうと、感動しながら見た記憶がある。

 今回の災害に見舞われてからというもの、ずっと心の中を流れていたメロディは、この「屋嘉節」だった。
 彼らの哀れさからみれば、こちらの状況など些細なことになるのかもしれないが、彼らの笑顔の内にある悲哀が少しはわかったような気がする。

 知名定男のうたう「屋嘉節」が聴きたいなぁ。



(画像)屋嘉収容所