おれのHPでは、東京や大阪で毎年1回開かれるウチナーポップの祭典「琉球フェスティバル」について、いろいろと取り上げさせてもらっている。
 本土で沖縄民謡やその周辺を体感できる最大のチャンスなので、おれにとっては貴重な時間であり、それらの記憶を大切にしたいと思っているところ。

 そんな琉フェスを、1998年の東京開催からほぼ毎年観に行っているが、おれのHPには2000年以降のインプレしかない。

 それ以前の様子なり鑑賞記については、かつてはいろいろな人がHPに書いていたものだった。
 とりわけ「Music Catfish」とか「島唄ゆんたく」などが秀逸で、ずいぶんと楽しませていただいたうえ、それらのテキストを大切に保存していたのだったが、いつしかそれらもWEB上から姿を消してしまい、さびしい思いをしていた。

 しかしこのたび、ひょんなことから旧「Music Catfish」の管理人の方と連絡が取れ、かつてそのページに載っていた‘96、‘97、‘98年の琉フェスの鑑賞記を、おれのページ上で完全復刻することについて了承していただくことができました! 管理人のなまずさん、感謝!

 ということで、近々これらをページ化して公開することにしますので、マニアの方、お楽しみに。
 これにより、1995年以来これまで12回にわたって開催されている琉フェス中、‘95、‘99、‘01年を除く9年分について、我がHPで追体験できることとなります。やっほぅ~♪



 なお、なまずさんは、今は、ブログ「なまず的日常見聞録」と、HP「世界一周への道」を運営されていますので、ご覧くださいね。
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2006.12.07 里や糸ぬ上
 仕事で、また声を荒げてしまった。
 こういう理念で、こういう目標でこの業務に臨んでほしい、こういうスタンスで、高い理想をもって考えてほしい――ということを態度で、言葉で部下に伝えてきたつもりだったが、業務が最終段階にさしかかった今日の打ち合わせに至って、それらがなおまったく伝わっていなかったことが明らかとなり、まず愕然とし、無性に腹が立ってしまったのだった。

 計画づくりという理念的な作業をする中では、目標を忘れたり、そもそも何のためにやるのかという根本的なところを見失うと、それは意味のない、ただの文字遊びになる。
 一貫性のない文言を並べて「これでいいんじゃないでしょうか?」と言ったチーフの顔が、これ以上ないまぬけ顔に見えた。

 君がいいと思うなら好きにしたらいいのではないか。――という無慈悲な言葉が、思わず口をついて出た。
 この作業はもう何ヶ月もやっているのだぞ。もうそろそろ美学を共有してくれてもいいのではないか。

 と、ブルーな気分に。

 くよくよしてもしょうがないので、気分を変えて、沖縄の古語に思いを馳せる。

 りんけんバンドの上原知子がうたう美しい曲のひとつに「里や糸ぬ上」というのがある。「さとやいちゅぬい」と読むのだが、これがどういう意味なのか、しばらくの間わからなかった。
 「里」は、女性が愛しい男性のことを呼ぶときに用いる雅語なのはわかるのだが、さて、その彼が「糸の上にいる」というのはどういう状況を指すのだろうか。

 これが、「与那国きび刈り日記」というページを読んでいて、わかった。それによると、与那国島の「旅果報節」には、

   かりゆしぬふにや かりゆしばぬしてぃ
   たびぬいてぃむどぅいや いとぅぬういから

という一節があり、その意味は、

   嘉例吉(かりゆし=吉事)の船は 嘉例吉を乗せて
   旅の行き戻りは いと絹布(のような水平線)の上から

なのだというのだ。

 おれは思わず唸ってしまった。引用すると、
「往古、息子が乗る船が祖納(注:与那国島の集落)のナンタ浜から出航すれば、クバの扇を手にした母親は、糸となった水平線の彼方に船影が消えるまで、海上安泰と無事なる帰島を願って名残惜しく見送った。順風満帆の航海安全を祈るこの謡は旅御前風(たびぐじんふう)とも呼ばれている。」という。

 水平線を美しい絹糸に喩える美学。
 「里や糸ぬ上」とは、愛する者の航海安全をひたすらに祈る女性の心境をうたったものだったのだ。

 これを歌姫・上原知子がしみじみとうたえば、おれはもう、ただただ眩暈を覚えるだけなんだナ。いやなこともケロリと忘れられる。


 いやはや、なんだかすっかり、どうしようか悩んでしまっている。
 いやね、年末に沖縄に行こうかどうか――ってことですよ。

 12月15日発、18日戻りのフライトが取れた。
 しかし、18日には仕事関係ではずすことのできない用向きが入ってしまった。
 で、17日戻りのフライトをチェックしたところ、これも取れた。

 そうなると、わずか2泊3日。
 このような短期ツアーを何万とかけて行くものだろうか。

 行って何をするかが問題である。
 それは、実は決まっている。
 RBC新春民謡紅白歌合戦の公開録画を観るのである。これは15日。琉球フェスティバルよりも濃い!って感じで、これがなかなかいいのダ。
 そして、16日の夜は、琉球大学八重山芸能研究会の発表会那覇公演がある。
 これらを鑑賞することは、おれの年末恒例行事になりつつある。

 しかし、これらのために往復5万円かけるか? ・・・というところがねぇ。
 まあね、チケットは株主優待で半額なのだけどね、フフ・・・。

 ・・・・・・。
 こんな調子なので、きっと行ってしまうのでしょうね。


yui.gif

 沖縄行きを検討していて、「ゆいレールサウンド」というページを見つけた。
 そこでは、ゆいレール車内放送で各駅に到着するときになる音楽を聴くことができる。
 ゆいレール(沖縄都市モノレール)では、全部で15ある駅のテーマソングが決まっていて、いずれも沖縄の民謡やわらべうたが使われている。
 で、このごろのおれは、那覇空港に降り立ちゆいレールに乗ってこのメロディを聴くと、あぁ、沖縄に来たんだなぁと実感するのである。
 その曲たちは、那覇空港から順に、谷茶前、花の風車、小禄豊見城、じんじん、唐船ドーイ、海ぬちんぼーら、てぃんさぐぬ花、ちんぬくじゅうしい、いちゅび小節、安里屋ユンタ、だんじゅかりゆし、月ぬ美しゃ、クイチャー、芭蕉布、赤田首里殿内――とくる。
 いやぁ、いいですなぁ。聴いているだけでソソられますなぁ。

 あまりにステキなので、赤嶺駅の「花の風車」を貼り付けておきます。右クリックして保存して聴いてね。


 久々に沖縄本を読んでみた。
 というか、このところNHK-BSで毎週3本、計9時間ほど放送されているNFL(アメフト)のチェックがなかなか難儀で、読書にまわす時間が取れなかったのだ。

 でもまぁ、これって、かなり言い訳になってしまっている。要は、読書欲、いや、知識吸収欲とでもいうようなものがかなり減退していたのだ。これにもまぁ、いろいろと理由があるのだけどね。

 で、読み始めてみると、やはり本はいいものだと気づく。
 たとえばこの本のような紀行モノであれば、行き先がまんざら知らない場所ではないことも手伝って、ふと自分が旅をしているような気になるし、知らないことを探ってみようと思って読んだ本なら、知りたいと思った思い入れの分だけ、新たな知識が身につく。

 一方で、本は読まないでも、ある程度は平気で生きていられる、ということもわかった。そんな生活は、別に無味乾燥でも退屈でもなかったし、それはそれでいいのだと思えるようにもなった。

 結局のところ、どういう心具合で読むか――ということが問題なのだろう。未読の本がたまるのを横目で睨み、「読まなければナラヌ!」と思った瞬間に、読書はつまらないものとなる。
 読むべきだから、買ったから、ではなく、読みたいから、楽しいからと思えなければ、読書はやめたほうがよいのだね。

 ということで、内容の紹介がおろそかになってしまった。

 沖縄の、出会いが好きだ。ジュースを買うと黒糖をオマケしてくれる、売店のオバちゃんが好きだ。勝手に止まって「どこまで行くねー?」と乗車を誘うタクシーの運転手が好きだ。バスの中でグチをしゃべり、止まらなくなるオバアちゃんが好きだ。――そんな束の間の出会いが楽しくて、沖縄に50回以上通っているカベルナリア吉田氏の新刊です。
 おー、いつもの徒歩やバスと違って、今回は自転車ですねぇ。沖縄本島や宮古島、石垣島はもちろんのこと、北は伊平屋島から西は与那国島まで自転車で走破しています。なんと、通算5ヶ月、走行2千キロだそう。よくやったよ、キミは。

 主に民宿やドミトリーなどをねぐらとしていて、「出会い」を求めることが主眼のよう。そんな沖縄旅を目指したい向きは必読でしょう。
 写真入りで200ページほどなので読破も軽いのではと思って読んだのですが、出会いの数々をはじめとして、内容はけっこう濃い! 一文一文味わいながら読ませていただきました。
 写真の数だけ登場人物がいる、という感じ。(笑) みんないい顔していましたよ。


 那覇の波の上通り、護国寺前にあった食堂の風景です。
 すっかり古くなってしまった建物だけど、きっと店には笑顔のおばさんがいて、タクシーの運ちゃんをはじめとした常連さんがいて、ゆるゆるの時間が流れていたりするのだろうなぁ。
 アイスティーはもう、好きなだけ飲んでってくださいねー、とか、ひょっとしたら、そば(もちろん沖縄そば)の単品を注文したのに、なぜかそれにいなりずし2個がサービスで付いていたりとか、しているのかも。
 こういう建物も、そしてそこに住む愛すべき人たちも、近い将来には姿を消してしまうのかもしれない。
 あ~ん、もう。
 15日から予定していた沖縄行き、とうとう断念です。

 故あっての長男の入院、業者の都合で今日(14日)から唐突に始まってしまった家のリフォーム、それに加えて、反抗期の真っ只中にある次男のふて腐れが極致に達し、ガッコの先生と相談。こんな状態では到底遊びに行ける心境にはなれないよねぇ。オトーサンとしては、いろいろと悩みのタネが尽きないなぁと苦笑い。
 ♪ 時のいたずらだね 苦笑いだね ・・・・・・ といううたがあったねぇ。(「時のいたずら」by松山千春。古いかナ。)

 でも、そんな中で、うれしいことも発見。申し入れをして相談の時間をとってもらった次男の中学校の担任の先生は、多くの生徒の一人でしかない息子のことを実に注意深く観察してくれていて、おれなんかよりずっとしっかりと彼の心境などについて分析してくれた。おかげでこちらの不安もある程度ほぐれたりして。
 帰り際に、「ありがとうございます。でも、さすがですね、先生」と素直な気持ちを述べると、「いやいや、いつも失敗ばかりですよ」と謙虚に。おれよりもずっと若いのに、教師という仕事に真摯に取り組んでいる姿にはちょっと感動したな。

 それから、キャンセルの電話を入れた先のコザのデイゴホテル。「次の機会にはまたお願いしますねー」と謝りながら言うと、「その際はどうぞご利用くださいませ。お待ちしております」と、やさしく言ってくれた。
 そんな素朴なやさしさが心に染むのですよ。おれはこのホテルがゆるゆるな雰囲気を持つだけではないことに気づき、ますます好きになった。

 なんか、いろんな人たちや、そのやさしさなどに支えられているんだなぁ。

 そんなこんなで時間休をとりながら仕事をしているものだから、今週中に(ということは、明日まで)とか、週明けすぐにとかの課題がけっこう出てきて、沖縄行きは無理。
 ま、こんなおれだって必要としてくれているのだと、喜ぶべきなのかもしれないよね。

 さて。上原知子のご尊顔でも拝して、彼女のうたを思い浮かべながら明日に備えて寝るとしますか。




 8月に読み始めた「古代琉球語の旅」でしたが、その後、知識吸収欲減退のため、しばらくの間放擲。しかし、最近ようやく読書欲が復活し、続きを読んでいるところ。

1 「日本列島へやって来た人類の足跡」
2 「日本祖語(原日本語)に語源を持つと思われる語彙や地名」
3 「琉球語が日本祖語(原日本語)と分離した時期」
4 「天孫氏王統伝説と琉球の先史時代・今帰仁湧川にある新里屋と北山の系譜」
の4つの章立てとなっており、その中でも圧巻は、第2章第1節の「琉球方言に生きる古代日本語」で、ここに全体の半分ほどのページが割かれています。
 本土ではすっかり姿を消してしまった古代の日本語が、琉球方言の中にひっそりと息づいていることに感動。

 著者は、学者さんではないこともあって、一部にはかなり大胆な推論を交えて展開しているのですが、これがまた楽しい。古代探求を試みる記述というのはどうしても結論が出にくく、目の前の霧が晴れなくて・・・というのが一般的になっていますが、良くも悪くも、“私はこう思う!”と言っているところが、エラい!

 現在3分の2程度まで読み進めてオリマス。
 今晩は、去年まで在籍したセクションのトップが功労者表彰を受けたということで、その祝賀会に参加。自らのイズムを部下に示し、前へと進み続ける尊敬すべき上司であり、その下に集うメンバーもきっちりとした組織人ばかりで、なかなかすがすがしい。まぁ、このきっちり感が連日続くとなるとチト辛いという意見もあるかもしれないけど・・・。



 ところで、おれはなぜか、こんな画像を持っている。
 何がなにやらよくわからないことと思いますが、これ、おれにとっては貴重レベルの1枚なのね。ま、何からパクったのか、もはや思い出せないのだけど・・・。

 沖縄のレコードレーベル・マルタカは、1955年にスタート。戦後沖縄音楽の第一期黄金時代の一翼を担っていたという。
 写っている人を一部紹介すると――。

 前列左端は前川朝昭。いまやスタンダードとなっている「兄弟小(ちょーでーぐゎー)節」の作詞者でもある。

 その右隣は照屋林山。照屋林賢の祖父であり、照屋林助の父で、初期のマルタカを支えた重要人物の一人。

 で、その右隣の細面の紳士が、丸高レコードの創立者である高良次郎

 前列右側に並ぶ二人の女性は、船越キヨ(左)と糸数カメだ。
 船越は、女性プロ民謡歌手の草分け的存在であり、糸数はその2年後輩で、那覇の遊郭で諸芸を身につけた優れた唄者なのですな。糸数カメはいいです! 美人だし、唄には色気があるし。

 これらの唄者のうたは、なんとウレシイことに、今ではデジタル音源で聴けるのです。それは、「ベスト・オブ・マルタカ」
 沖縄民謡ファンならぜひ聴いておきたい1枚ですよ。

 写真を見て、おお~~!と思える方がいたならご連絡ください。沖縄民謡を熱く語り合おうではありませんか。(笑)


 今日はこの季節に珍しく、終始快晴のいい一日であった。
 さて、復活した読書ライフ、相変わらず沖縄方面を攻め続けてオリマス。
 ネット書店でこの本を発見。おぉ、著者はかつて「ヤマトンチュのための沖縄音楽入門」をものしていた金城厚サンではないか!
 あれは1998年のことだったか、駆け出しのウチナーミュージックファンだったおれは、沖縄音楽を体系的かつこれ以上ないというくらいに平易に解説されているこの本を読み、とてもよく理解でき、これはいい本だなぁとつくづく思ったことをよく覚えている。

 で、こちらの“ヤマトンチュのための”が取れた「沖縄音楽入門」、書名もカバーデザインも異なるので別の本だろうと思い注文したところ・・・。あれあれ? な~んだ、あの本の改訂版だったのね。
 でも、2006年7月第一刷発行とあるから・・・。別本と独断したおれが悪いのか?! まったく、改訂版である旨をどこかに付記しておいてよね、チェッ。

 とまあ、ぐずぐず言いながらも読んでみましたが、奄美大島の歌や沖縄音楽の現代に関する記述などが付け加えられていて、それなりに満足。

 しかし、初読から約10年。自分で言うのも何だけど、内容に対する理解力は格段に高まっていた。そりゃそうだよね、10年間馬鹿みたいに沖縄音楽に触れ続けてきたわけですからね。(苦笑)
 いやはや、御用納めだった昨日の夜はまたまた痛飲。遅めに起きた今朝の寝室は、自分でもわかるほどとても酒臭かった。今年一番の量だったかな。
 午後は年賀状の印刷。ウチのポンコツプリンターは時折一部の色が出なくなったり紙送りがうまくいかなかったりして作成ミス多し。

 で、その後はコタツに入ってうつらうつらしながら読書。やっぱりこういう時間こそがおれにとっては至福であるなぁ。



 読んでいるのは曽野綾子の「沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実」。
 解説を読むと、『先の戦争末期、住民を巻き込んだ地上戦となった沖縄戦をめぐり、さまざまな悲劇が語り継がれている。慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で起きた住民の集団自決もその一つだ。いずれも旧日本軍によって自決を強いられたと伝えられてきた。今も、多くの教育現場では、そう伝えられている。この“定説”に初めて疑問を投げかけたのが、本書だった。二つの島のうち、渡嘉敷島の集団自決に着目し、徹底検証したノンフィクションである。』――とある。

 島の守備隊長がこれ以上ないような無慈悲な極悪人で、島民300余名は彼の命令により自決に追いやられた――という話は、沖縄戦関係の書き物にしばしば登場する逸話で、ステレオタイプ化された旧帝国軍人の例として引用されることも多い。しかし、それが事実と相違するならば・・・。
 そんな60年以上も前の謎が、絡まった糸が解きほぐされていくようにクリアになっていくとしたら・・・。
 そう考えただけでもうワクワクですねぇ。

 実際に渡嘉敷島に行ったことがあり、集団自決の地や白玉の塔、島民たちが自決に向かって歩いたと思われる道々なども見てきているので、記述内容はリアルに想像できるから、なおのことワクワク。

 年末年始休暇は上々のすべり出しですね。