ベトナム旅行のドキュメントがようやく終わり、新たに目下の最大の関心事となったのが、10月9日に開催される「琉球フェスティバル2006in大阪京セラドーム」である。
 6月中にチケットを手に入れてスタンバイ。これで3年連続の大阪となる。

 8日に仙台を発ち、午後からなんばグランド花月で吉本新喜劇を観て、9日は琉フェスを6時間ぶっ通しで堪能、10日戻りのスケジュール。航空券は往復旅割確保で格安に。

 もうワクワクだなぁ。個人的にこんなに盛り上がった日々が続いていいのだろうか。(笑)



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 琉フェスから帰ってきました。
 今回は知名定男がよかったですね~! 感情こもってました。
 というのも、開催日の10月9日はあの風狂の唄者嘉手苅林昌の命日だったのです。司会の玉城満がそう言うのを聞いて、あぁ、そうだったんだなぁと。

 ここでミナサマに、ワタシのアーカイヴズから(なんちゃって)、嘉手苅おとうが亡くなったときの新聞記事をご紹介しましょう。沖縄タイムスさん、堪忍してね。

**** 以下、引用 ***************************
<1999年10月10日> 朝刊 1版 総合1面(日曜日)カラー
[訃報]/嘉手苅林昌氏が死去/沖縄民謡界、草分けの人物

 沖縄を代表する民謡歌手の嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)さんが9日午前5時4分、肺炎のため沖縄市内の病院で死去。79歳。嘉手納町出身。自宅は沖縄市室川1-○-○○○。告別式は10日午後3時から、具志川市具志川1508の具志川葬斎場で。喪主は妻の秋子(あきこ)さん。(23面に関連)
 沖縄民謡界の草分け的存在。独特な節回し、即興の歌、各地を歌い歩く自由奔放な行動で知られ、県内外に幅広いファンを持つ。民謡好きの母親の影響を受け、幼いころから三線を弾き始め、十代で村芝居やエイサーの地謡を務める。本土やサイパンでの生活から終戦後帰郷。沖縄芝居の地謡を皮切りに、舞台公演やラジオ、テレビ出演で、長年にわたり人気を博した。
 独創的な歌い方は評価が高く、"風狂の唄者(うたしゃ)"、"島うたの神"といわれたことも。海外ミュージシャンとの共演も多い。代表作品に「時代の流れ」「白雲節」など多数。シングルレコードは100枚以上、アルバムも30枚を超える。
 地域文化の発展に尽くした功績が認められ、1994年に県文化功労賞、95年沖縄タイムス賞文化賞、97年に国から地域文化功労表彰を受けた。
***********************************************

 どうですか。ためになりましたか? はい

 琉フェスの様子はおいおいご紹介していくことにしますので、今はしばしの間、嘉手苅林昌のことを思い出してみてください。
 目をつぶればあの悠々とした「白雲節」が流れてきませんか?

 嘉手苅林昌っていったい??という方は、「唯我独尊的島唄解説。嘉手苅林昌」をご覧くださいね。

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 先の「嘉手苅林昌没後満7年・・・」で、“23面に関連”という部分が割愛されていました。
 「もう、それが知りたいっ!」とか「なんで載せねぇんだ、このやろー!」とかいろいろあるといけないので、少し長くなりますが、載せてみます。またまた沖縄タイムスさん、堪忍してね。

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    (上:2001年11月の追悼公演のポスター)
**** 以下、引用 ********************************
<1999年10月10日> 朝刊 1版 社会23面(日曜日)
嘉手苅林昌さん死去/唐の世から大和の世、大和の世からアメリカ世/庶民の思い歌に紡ぐ

 風狂の唄者と呼ばれ、独特の節回しで幅広い人気を得た沖縄民謡界の大御所、嘉手苅林昌さんが9日、亡くなった。79歳だった。即興の歌詞、そして自由奔放な生き方は数多くの「伝説」を残してきた。「唐の世(ゆー)から大和の世/大和の世からアメリカ世/みじらさ変わたるこのウチナー」(『時代の流れ』)。庶民の思い、激しく揺れた沖縄の戦後を、ひょうひょうと歌って駆け抜けた嘉手苅さん。沖縄民謡の一つの時代が終わりを告げた。(1面参照)
 1920年に旧越来村に生まれ、民謡好きの母親の歌に合わせて幼いころから三線を弾き始めた。十代で村芝居やエイサーの地謡を務め、夜は当時の唯一の娯楽であった毛(もー)あしびに参加した。その中で歌い込み、三線の技を磨き、多くの歌を覚えた。
 レコーディングに携わったキャンパスレコードの備瀬善勝社長は、嘉手苅さんの記憶力や臨機応変な即興の歌に驚いた。「どんな歌でもよく覚えていたし、即興で延々と歌い続けた。毛あしびで鳴らした、島唄本来の自由さを体現した歌い手だった」と死を惜しんだ。
 若い時から旅好きで、出稼ぎ地の大阪や、第二次大戦中はサイパンなどの南太平洋諸島で生活。三線を持っての旅だった。
 琉球民謡協会の登川誠仁名誉会長は「歌い方や節回しを教えてもらった。独特の発声法で決してきれいとは言えなかったが、味があった。あんな唄者は後にも先にもこの人だけ」。
 民謡歌手として頭角を現したのは戦後。県内外でのステージ活動も頻繁に行い、テレビ、ラジオの出演も数多くこなした。シングルレコードは100枚を、アルバムも30枚以上に上る。今年もインドの民族楽器奏者とセッション、映画にも出演するなど活躍していた。
 有名になっても気負わず、どこへでも出掛け歌った。父親のように慕っていたというラジオパーソナリティーの上原直彦さんは「理屈も言わない、執着もない、自由奔放、まるで風のような人だった。逸話も多いだけに、みんなでうわさ供養をしてあげたい」としのんだ。

自由奔放に生きた人・家族
【沖縄】 沖縄市の室川市営住宅の嘉手苅林昌さんの自宅には、9日朝から訃報を知った民謡関係者など弔問客が次々と駆け付けた。妻の秋子さんは林昌さんのひつぎに寄り添うように座り、弔問に訪れた人たちに気丈に対応していた。
 家族の話によると林昌さんは先月7日に再入院してからは、病室にカセットを持ち込み若いころの自分の曲を聴くこともあった。意識はずっとしっかりしていて「家に帰りたい」と話していた。2日間、こん睡状態が続き「眠るようなやさしい表情で亡くなった」(三女の知花末美さん)。家族に見守られての最期だった。
 二男の林次さんは「気難しそうに見えたかもしれないが子や孫にはやさしい人だった」。芸についても「普段は言わず、行き詰まるといつも一言、適切なアドバイスをくれた。音楽と人が好きで自由に人生を生きた人だった」と語った。
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 さて、本日より、熱い思いで鑑賞してきた「琉球フェスティバル2006in大阪」の鑑賞記を少しずつですが掲載していきます。よろしくです~♪



 今回はのっけから失敗してしまった。
 琉球フェスティバルの開催される10月9日、朝のホテルの窓から見た見事な秋の青空につられ、午前中は少し離れた万博記念公園へと足を運んで散策と博物館めぐりと洒落こんだのだった。そして国立民族学博物館。膨大な映像アーカイブをはじめとしていやはや見応えたっぷりでやんの。

 結局そこで多くの時間を費やしてしまい、大慌てでモノレールや地下鉄を乗り継いでほうほうの体で大阪ドーム前にたどり着いたのは、開演時刻の3時をチト過ぎた時間になってしまったというワケ。琉フェスを観るためにわざわざ大阪までやってきたというのに、おれはいったい何をしているのか。

 で、小走りに勝手知ったるドーム内へと突入し(なにせ3年連続だからね)、係員に案内されて、すでに琉鼓会のエイサーで盛り上がっている場内のスタンド席の前から2列目の自席へと向かう。そんなワケで、今年は公式プログラムも泡盛ロックも何もなし。

 あとで琉フェス関連のブログなどを読んで知ったところによると、オープニングに嘉手苅林昌の「時代の流れ」が流れたり、よなは徹がド派手な衣装で琉鼓会の地謡を務めたりしたらしい。チショー、見られなかったのは残念至極。もっと早く来るはずだったのにぃ。

 などと思っていると、あれ?…おれの席、誰か座っているではないか。う~む、さて、どうするか。

 スタンド席を見回すと、バックネットから両翼にかけての一部が客席として使われているらしく、その先の両翼は無人。加えてバックネットの真後ろは、そのすぐ前に組み立てられた照明のやぐらが障害物となっているためか、ここも席の指定がないようだ。
 しめしめ、それならばと、おれはバックネット裏の角の最前列に陣取ってみた。“自己指定席”というわけだ。ここからならやぐらもまったく邪魔にならないし、周りは誰もいないので長い(?)脚も伸ばし放題~♪ 

 しかし、予想はしていたことだけど、今回は客の入りがよくない。一昨年は1万8千人と聞いたが、その時と体感的なものを比較すると、これでは1万人も入っていないのではないか。こんなにゆったりと姿勢を崩して観ることができるというのもまぁ贅沢な話ではあるが、満員の中で感じるはずのあの盛り上がりが得られないというのも少しもの足りなかったりして。ふふ、ないものねだりだよね、おれ。


 いよいよ唄者登場。トップバッターはディアマンテスだ。
 おなじみ「勝利の歌」でスタート。
 ♪ 生きてる喜び感じ~よ~うよ~ フムフム。

 最初からショボい話になってしまうが、ディアマンテスが絶好調だった2000年、東京で観た琉フェスでは、ディアマンテスの応援団によって色とりどりの旗が打ち振られ、観客が大爆発したものだったが、今回はそれよりもずっと地味。かなり地味。ナンデダ?

 ――ははぁ、そうなんだ。今年からアリーナ席は椅子席に。マス席状態だった去年までとは違い、これでは最初からスタンディングでというわけにはいかないのだろう。
 後ろのスタンド席から見ていてもアリーナの観客はお行儀よく整然としているものなぁ。アリーナに陣取っているあの渾然一体のフィーリングが大好きな方々はきっとがっかりしていることでしょう。

 2曲目は、ニューアルバム「太陽の祭り」の1曲目に収録されている「この愛を届けよう」。ラテンのノリのうただけど、女性のボーカリストが手をヒラヒラさせて踊りだせば会場全体がオキナワになる、といった風な、ディアマンテスならではのうた。

 アルベルト城間が「踊ってもらえます?」とアピールして、3曲目は「オキナワ・ラティーナ」。城間の張りのある声はやっぱり魅力的だなぁ。
 ♪ ケ面白い、ケ面白い・・・ 体の前で両腕をくるくるっとやるあの振り付けも、つい一緒にやってしまいたくなるよね。

 その後城間が、ディアマンテスを結成して15周年を向かえることやオキナワの心をメッセージにしてうたい続けていきたいといったようなことを語り、最後は女性ボーカリストのen-Rayを迎えて「片手に三線を」を。かりゆし会のエイサー太鼓も入り、フェーシを(囃子)を入れて雄大に。あぁ、いいなぁ。バッチリ決まりました。


 お次は神谷千尋。
 白っぽいひらひらのスカートにブーツ、頭には鳥打帽という一風変わった出で立ち、そしていつものヘアースタイルと違うブラウンのショートボブで登場です。

 ♪ ツンダーサー! というソロパートが場内に響き渡って、出世作「美童しまうた」でスタート。自ら三線を弾きながらうたうという“唄三線”の王道スタイルは好感がもてる。駆け出しの若い唄者の一人と思っていた神谷千尋もいまや立派な、堂々とした唄者になった感がありますねぇ。

 2曲目は、アコースティックMの知名勝がアコースティックギターでサポートして「ティンジャーラ」を。これ、名曲。しかし、この曲の特徴である宇宙的な広がり感が観客にうまく伝わりきったかは、やや疑問。ストリングス系の装飾音が足りなかったからなのかなぁ。

 うたい終えて、「琉フェス、すごく来たかったです!」と。そうだよね、3年ぶりの出場だものね。あの時は、誤解を恐れずに言えば、小娘が才能だけでつっぱってうたっていたような印象があったけど、今や唄者として確かな存在感がある、と思う。

 3曲目は、この夏発売の「やさしさのカケラ」を。自作の詩に上地一成が曲を。キーボードの新垣雄(かつし)も加わって。音づくりの面でもクリエイティブな面でも、優れたアーチストたちがしっかりサポートしてくれていることが彼女の強みなのだなとつくづく思う。
 最後は「わらび時分」でフィニッシュでした。

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 3番手はよなは徹。
 はじめは無伴奏で「御知行(うちじょう)」を。これ、今年のGWに北谷のライブハウスで聴いたときもやっていたな。民俗芸能の泡瀬の京太郎(ちょんだらー)で祝福芸の際にうたわれる伝統的なもの。
 ひたすらよなはの声だけが響き渡る時間が流れ、観客は唖然というか、オドロキというか――といった風情。琉フェスの大舞台でまさかコレでスタートするとはおれも思わなんだ。

 三線を十分にチンダミ(調弦)しながら彼もまた「3年ぶりに帰ってきました」と発言し、次は「最近習った唄を」ということで「北谷ナークニー」を。いや~、三線の響きが冴え冴えとして、いいですねぇ!
 4台の巨大スクリーンに大写しになった彼は、黒のジャケットに黒皮のロングパンツ。いつもより顎鬚が濃くてなかなか精悍な印象です。

 アップテンポに転調した散らしでやや盛り上がりましたが、それで終わり。たった2曲かぁ…。う~む、こういう本格的な民謡を聴きたいおれとしては、かなり物足りないぞ。
 それと、できれば「三重城(みーぐしく)」とか「栄口節」とかのお得意のミーウタも聴きたかったなぁ。それとそれと、次回は仲間の松田一利クンも同行いただいてはいかがだろうか。
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 玉城満から、小さい頃からのど自慢荒らしをやり今回が初出場との紹介があって登場したのは、キジムナーを思わせる真っ赤な衣装を着た普天間かおり。
 「はいた~い! 普天間かおり やいび~ん!」とあいさつし、よなは徹が三線でサポート。

 これまでほとんど聴いたことがないアーチストだったので注目してみていたのだけど、正直言って、Ummm・・・。
 「芭蕉布」「童神(わらびがみ)」とメジャーどころを彼女風のうたい方でうたってくれました。声の出し方はストレートな感じがして悪くないのですが、あのぺったりとした感じの平板なうたい方については、童謡でも聴いているような気になってしまってしっくり来ず、個人的にはイマイチだったかなぁ。

 蛇足だけど、おれ、1対1や親しい友人同士ならいざ知らず、周囲の全員に向かってぺたぺたと甘えたような声でしゃべる女性って、信用できないというか、生理的に合わないというか・・・。あ。また始まったかって? お呼びでない?? あっそ。

 最後は、平和への思いをこめて――ということで、NHKのみんなのうたでも放映されたという「祈り」という曲をうたって終了。

 もっとオリジナルをうたえばいいのになぁ。ほかならまだしも、琉フェスという場で「童神」をうたえる唄者は限定されると思う。おれは「童神」の間じゅう、夏川りみや古謝美佐子の姿を想起してしまっていたゾ。


 次は、内田勘太郎とBEGINの島袋優のギターマンコンビによるTwo Tonesの登場です。

 二人が声を合わせて「ぼくたち、Two Tonesで~す!」と言いながら始めたのは、
♪ Two Tones Two Tones 野を越え 山越えて~
という感じのグループのテーマソング。「Two Tones In Your Town」という曲かな?

 たたみこむように2曲目は、「てぃんさぐぬ花」をアコギのみ、うたなしで。
 二人のギターテクはすごい! 特に内田のスライドギターは、まさにギターが泣いているって感じ。聴かせてくれますねぇ…。

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 3曲目は、内田が沖縄に移り住んで最初につくった曲との紹介で「美らフクギの林から」。受けた印象はというと、“高校生フォークシンガーの初作曲か、コレハ!?”でした。(笑)
 よしだたくろうが女の子を好きになって初めてつくったという「準ちゃん」を聴いたときの感動と似ていましたデスネ。その経験から言うと、きっと2~3回聴けばその味がじんわりとにじみ出てくるのでしょう。

 最後は、パーカッショニストの斎藤ノブを招き入れて「適当にセッションしてみようか…」と。ロックンロール調のノリ。これで本当に適当なの? “一流”って、やっぱりスゴイんですね。


 で、そのメンバーがそっくりステージに残って、下地勇が登場。
 下地はいつもどおり、ギターをストロークしながら声を振り絞ってうたうという、フォーク黄金時代をホーフツとさせるステージング。それは、たくろうやかぐや姫がこの秋つま恋で31年ぶりにコンサートを開いたりしているので、なおさら印象深い。

 これまたいつもどおりなのだけど、圧倒的なミャークフツ(宮古方言)にボーゼン。…う~~む、ワカラナイ。(笑)
 1曲目はおばぁの話、2曲目はマイナーコードの悲しげな曲――という程度の理解度です。
 戻ってからいろいろ調べてみると、この9月に発売されたばかりのアルバム「ATARAKA」に収録の「商店(マッチャ)のおばぁ」と「黄金の言葉」という曲だったようです。

 実はおれ、下地のCDはファーストの「天(tin)」しか聴いていない。彼はその後5枚目の「ATARAKA」まで、うたの多くを難解かつ超高速のミャークフツでうたっているのだろう。
 でも、ゴメン。彼のうたにかける情熱や思いは聴いていて十分に理解できるけど、うたそれぞれの違いについてはあまりワカランというのが正直なところです。

 あ、でも、最後にうたった「開拓者」はすぐにそれだとわかりましたよ。

 その後は琉ゆう会のエイサーの演舞が繰り広げられました。
 アリーナの観客は大喜びで一緒に舞い踊ります。盛り上がりだけを見れば、プロの唄者たちのパフォーマンスを凌駕してしまっている感じ。(笑)
 最後の「唐船ドーイ」なんて、もう大騒ぎ。終わった後の拍手もすごかったな~。
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 エイサーの興奮冷めやらぬ中、次はパーシャクラブ!
 いつもの“ッヘイ! ッヘイ!・・・”と掛け声の入るスカ調の音に乗って登場です。

 毎度おなじみ、赤のシャツに黒のパンツの出で立ちの新良幸人が、
♪ 月のぉ~ かいしゃぁ~ とぅかぁ~み~ぃかぁ~
と「月ぬかいしゃ」のはじめの小節をがなり、いきなりお得意の「固み節」へと突入。
♪ さても めでたや この御世に サァ 祝いぬ 限りねらん・・・
 盛り上げ方がうまいねぇ。

 終わって、「ヤッホー! 昨日は東京(の琉フェス)で(今日の)大阪のリハーサルをやってきました!」と発言。そして、パーシャクラブらしくないが新曲を紹介しますとのこと。ほほー、これは本当にらしくない。(笑)
 曲名は定かでないけれど、オリオンビールの今年のCMソングらしい。これを一緒にやるために神谷千尋が再登場。「仲順流り」のうたい出しで始まるエイサー・オリエンティッドな感じの曲でした。

 そうそう、コレをやる前に幸人と千尋が琉フェス史に残るのではないかと思われる会話をしていたので紹介しましょう。
  幸人 いま楽屋で話題になってたんだけどぉ、千尋のソレは自毛なの?
  千尋 これは、(ズバリ)ヅラです!
  幸人 あぁ、ヅラなんだ。
  千尋 使いまわし出来ますよぉ。
  幸人 じゃ、あとで貸してよ。
  千尋 (幸人の薄い頭部を見て)幸人さんもヅラですか?
  幸人 うん、これはヅラなんです!
 いやはや、大笑い。

 この後は「五穀豊穣」、「海の彼方」(うたい出しのみ)、「じんじん」と、いつもの黄金のラインナップで場を盛り上げてくれました。
 7月にWBA世界スーパーフライ級のチャンピオンになった名城信男(父が沖縄県本部町出身、奈良在住とのこと)本人が壇上に現われ、その紹介とインタビューがあって、お次は奄美大島。

 坪山豊と中村瑞希がそろって登場。坪山は8年ぶり、中村は初めての出場です。スタートは、二人で奄美のお約束の「あさばな節」を。おぉ、奄美の三線の音色がグ~ッド♪

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 2曲目は坪山が「綾蝶(あやはぶら)」を。ぱりっとした明るい紫色の着物姿は、奄美のシマ唄の正統を思わせるものがありますねぇ。しかし、かつてよりやや声量が落ちたような印象が・・・。シマ唄の真髄である裏声のキレにもやや精彩がないと感じたけど、どうなのだろう?

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 3曲目は、こんどは中村が「やちゃ坊節」を。中村はこの曲で今年4月、日本民謡フェスティバルのグランプリに輝いている。すらりとした体型を包む黒のロングドレス。両肩に流したロングヘアーの間からのぞく表情は、遠めにはではあるが、長谷川京子に似ていると言ったら褒めすぎになるだろうか。

 声のハリや伸びは坪山をはるかに上回り、脇役が主役を喰うといった状況のよう。
 27才。5年前、彼女のCD「うたの果実」を聴いたときにもその完成度の高さに驚いたものだが、当時よりさらに大きく成長していることは間違いのないところだ。

 最後は、普天間かおり、鳩間可奈子、神谷千尋、そして太鼓のサンデーも加わって、奄美も沖縄もわけへだてのない「ワイド節」をにぎにぎしく。奄美の「ワイド節」もすっかりメジャーとして定着しましたね。
(下:日本民謡協会のHPから)
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 玉城による指笛教室を挟んで、次は大島保克。
 12回中11回の最多出場です。昨年は初めての欠場だったけど、やっぱり彼がいないとなにかが足りないような思いをしたものだ。

 ギターに近藤研二、太鼓にサンデーを配して、名曲「イラヨイ月夜浜」と明るい八重山サウンドの「赤ゆら」を続けざまに。
 まん中で三線を抱え、股をかっぱり開いて椅子に座った大島がうたい出せば、この広い会場全体が彼特有の叙情的な雰囲気に一変するのだから不思議だ。

 うたい終わって「マイド、大島です!」とあいさつ。この日は大先輩である嘉手苅林昌の命日であること、そして、曲がつくれなくて悩んでいたその時期に嘉手苅林昌を題材につくらせてもらったのがこの曲であることなどを彼らしい口調で説明して、3曲目は「流星」を。

 これも名曲。でも、彼以外の人がうたったら凡百の曲の仲間入りをしてしまうものなのかもしれない。要は、うたう者がどのような気持ちを込めてうたうか、そしてそれを聴く者がどのような感慨をもって聴くか、ということが大事なのだろうな。

 4曲目は、CD「島めぐり~Island Journey~」に収録されていない島唄をやろうということで、鳩間可奈子を呼び入れてこれまた八重山民謡の「高那節(ザンザブロー)」を。
 よく聴いているとコレ、歌詞といい曲調といい、「固み節」とよく似ている。きっとルーツは同じうたのはず。

 また、可奈子の“返し”の声がスゴ~。真似のできないハイトーン。だんだん母親の鳩間千代子の声と似てきたな。なんか彼女、少しオバサンくさくなったんじゃないかい?(笑)


 玉城の今度はカチャーシー教室があって、彼は今、ジンタというジャンルの音楽に凝っている――との紹介で、大工哲弘が登場。
オレンジ色の柄のアロハシャツに白のチノパン、頭には紫色のサージをきりりと結んだいつものスタイルだ。

♪ サァー あ~さぁ~どやぁ~のぉ~ クぅ~ヤぁ~マぁ~にぃ~よぉ~・・・
と、「安里屋ユンタ」のうたい出しを自慢の大声量でがなる。まるで、ここからは大工がうたうんだゾと主張しているかのようだ。

 そしてお得意の「川良山節」を。ふむふむ。ジンタもいいけど、やっぱり大工には八重山民謡がいちばんよく似合うよねぇ。笛が入ってなおさら八重山らしい。お! 笛を吹いているのはコーニーズのメンバーでもある屋嘉部充ではないか。彼はホントは笛が本業だからね。

 一息ついて大工は、「美しい国ニッポンをつくるためにも琉フェスは不滅でありたい」などと、就任直後の安倍晋三首相を意識した発言を。
 このおじさん、そのようなことを真顔で言うものだから、どこからが冗談なのかはっきりしないのね。ま、それもひとつの持ち味なのだろうけれどね。(笑)
 さらに、「30年務めた那覇市役所をやめ、今年はプロ1年生です。よろしくお願いします」と謙虚な発言。

 そして「マミドーマ」へと進みます。ミンサー模様の絣を着たツンダラーズも絶好調。二人が鎌や鋤を振り振り足踏みしながら踊りだせば、見ているこちらの身体も自然と動き出します。

 うたい終えて大工は、おもむろにポケットからハンカチを出して顔の汗を拭い始めました。これ、甲子園で活躍した早稲田実業のピッチャーの仕草を意識したものらしく、客席からは失笑が…。
それでもめげない大工は「東京では受けなかったのですが、さすがに大阪はちがう。私はハンカチ王子ならぬハンカチおじぃです」と口走り、揶揄ともとれないこともない拍手を受けていました。

 で、最後は「くいちゃ踊り」。おぉ~、いいぞいいぞ!
♪ ディディガマ ササガマ ウーイラッシ カーイラッシ・・・ と合いの手が入るアレね。
 ドーム内の観客が一体となって、八重山の五穀豊穣を祝い、サッサイ、ア、サッサイ・・・と踊ったのでした。


 ミス沖縄スカイブルーさんから沖縄観光のPRがあり、次は特別出演の白百合クラブ。
 白百合クラブとは、1946年、石垣島白保の若者が集まって結成された楽団で、当時のメンバーが今でも活躍しながら極楽人生を送っている――というすごい楽団。おそらく日本一の長寿バンドなのではないか。この日は16人のメンバー中13人が結集。83才から70才までの平均年齢75才とか言っていたナ。

 男性7人がそれぞれ楽器を手に登場。アコーディオン2、三線2、それにバイオリン、ギター、笛といった構成。リーダーとおぼしきおじぃがにこやかな表情かつ手馴れた語り口で、賞味期限切れが間近いがよろしくお願いしたい旨あいさつを。

 1発目はお得意らしい「サンフランシスコのチャイナタウン」。音楽に合わせて4人のおばぁがチャイナドレス姿で登場し、中国風の大きな扇子のようなものをひらひらさせながら踊ります。
 ほほー、これはあっぱれ。これまでの琉フェスでは見られなかった光景ですな。普通なら目をそむけたくなってもおかしくないところだが、音楽も踊りもその年齢としては考えられないほどの卓越感があるため、つい見とれてしまう。
 それは自分だけではなかったようで、やんやの大拍手。これまで一番の拍手じゃないかな。(笑)

 2曲目の「さよなら港」では、航海士を思わせる真っ白な服を着たおばぁが脚をまっすぐに高々と上げて踊り、またまた場内は「オォ~!!」のどよめき。踊り手さんの準備が整わず、始まるまでにかなり時間がかかってしまったのはご愛嬌。

 最後の「南の島」も ♪ マクブ、タマンの大漁唄~ というようなうたと踊りを披露してくれました。

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 かりゆし会のエイサーがあって、次は鳩間可奈子。
 1曲目は「月ぬかいしゃ」をハイトーンでうたい、まずは観客のどぎもを抜いておいて――というスタート。水色のカジュアルなシャツと白のスラックスに着替えたようで、さっきの“おばさんくさい”云々の発言は直ちに取り消しです。

 「コンバンハー!」とあいさつ。鳩間可奈子といえばやはり1999年の琉フェス。“可奈子がすべてを持っていった”と言われた琉フェスから7年。23才になった彼女は自分のうたう場所、位置を確立できたのだろうか。

 ここからチナサダオ楽団が加わって、アルバム「ヨーンの道」から「トゥバリャー」と「風が吹く」を。
 「トゥバリャー」は、八重山民謡の「トゥバラーマ」を現代風にアレンジしたもの、「風が吹く」は60年代青春歌謡風。いずれもデキはイマイチですかね。

 やはり鳩間可奈子はミンサー模様の絣の着物に三線を持ち、八重山民謡を民謡としてうたうほうが似合うと思う。次回に期待ですかね。


 このあたりまでくると、登場していない唄者は限られてくる。それらの顔ぶれを思い浮かべながら、トリをとるのは? まぁ順当なところは知名? 津波? いや、ひょっとすると、ネーネーズ?! ま、まさか・・・などと思っていたら、シンセサイザーの音色がやさしく響き渡り、ネーネーズが出てきました。(笑)

 チナサダオ楽団をバックに、4人が琉装に金色の扇子を持って「シャーマン」を。
 左から与那覇歩がピンク、比嘉綾乃が黄色、上原渚が赤、金城泉が青の琉装。
 琉フェスが知名定男のプロデュースだけに、知名の愛弟子のネーネーズのステージはいつも人とお金がたっぷりつぎ込まれているので、見ていて充実感がある。

 2曲目は「テーゲー」。
♪ ものごと ちゃっさ 思いつめたって ないる事どぅ ないるむん・・・
 パーランクーを打ち鳴らしながらそのようにふんわりとうたわれたりすると、ホント、人生なんてテーゲーでいいんだよなと思ってしまう。
 このゆるゆる感こそがオキナワの持ち味であり、毎年琉フェスを鑑賞しに来る理由でもあるのだ。

 3曲目は「キジムナーブルース」。
♪ キジムナー ほろほろ ・・・ってヤツね。
 楽団も大ハッスル。彼らがいなければこのような大きい器でのネーネーズのステージは成立しないのだろうな。

 4曲目は「オキナワ」。
   島唄に出逢い  愛を見つけた  大切な記憶がよみがえる
   それは沖縄  私の沖縄  あなたの沖縄
 初代ネーネーズがこれをうたって卒業していったという、知名作詞・作曲による名曲なのだが、今それを3代目の彼女たちがうたっても、あの時のような深い感動はなかなか得られなくなっしまった。そんなことに気づき、少しだけど一人愕然。ステージングは悪くないのだが…。

 考えてみれば、沖縄民謡やオキナワンポップが華やかだった時代は着実に遠ざかっている。嘉手苅林昌や照屋林助が逝き、登川誠仁や大城美佐子、山里勇吉、国吉源次、坪山豊らが老い、りんけんバンドやチャンプルーズ、ディアマンテスらが思うようにアルバムを世に問えなくなってしまった今となっては、いったい誰があの盛り上がりを受け継ぎ、中興していくのだろうか。

 ここでひとつだけはっきりしたことは、残念ながらネーネーズにそれを受け持たせるには荷が重過ぎる、ということだった。いや、彼女たちはむしろすごくがんばっている。おれはそれに強い好感を持っている。大好きである。
 しかし、“退潮”という大きなトレンドに彼女たち4人で立ち向かえというのは、あまりにも酷だ、ということなのだ。
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 で、いよいよ次は大物、知名定男の登場です。いよっ、待ってましたっ!
 三線を片手に持ち、薄手の紺地の着物姿で登場。玉城に一言と促され、「まいど。盛り上がってるかな?」と月並みなあいさつ。観客の「イェ~イ!!」との反応に「ホントに?」と念を押したりするのは、おとなしめの今年の状況が彼にも伝わっているからなのだろう。

 この日が嘉手苅おとうの7回忌(正式には満7年)であることを話し、嘉手苅さんはきっとその辺で聴いているんじゃないか――と語る。
 うん、そうかも。おれもドームの天井を仰ぎながら、おとうのうたや、うたうときの表情、仕草などを思い浮かべ、しばし感慨に浸る。

 1曲目は「ナークニー」を。後でわかるが、予定では別の唄をうたうはずだったらしい。でも彼は、おとうをはじめとした“あちら側”に行ってしまった多くの先輩方のことを思い出し、自然にこのうたが口から出てしまったのではないだろうか。
 なぜなら「ナークニー」には沖縄の悠久、情け、愛情、感慨、風景、風土といったさまざまなものが深く織り込まれているのであり、何よりも彼の心のうたなのだから。

 いつもに増して情感をこめてしっとりとうたう、凛としたその姿には感動!の一言。比較的雑音が聴こえてしまうきらいのある民謡タイムだが、このときばかりは会場も静まりかえり、息をのむ様子だったのが印象的でした。
 散らしに「汀間当(てぃまとう)」をもってきて、♪ イリイリイリヤサ・・・と。

 2曲目は、なんと、おとうの十八番「白雲節」を。
 このうた独特の三線のウタムチ(イントロ)が響きだせば、白雲のように自由奔放にこの世を駆け抜けていったおとうのことが偲ばれますねぇ…。
 知名の頭の中では、そんな彼らとともに芸道を歩んできた半生が走馬灯のように巡っていることだろう。
 三線のデキも秀逸。きっちり6番までうたってくれた。久々にいいうたをじっくりと聴かせてもらった満足感がありましたね。
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 知名一人によるステージはここまでで、これからは我如古より子を呼び寄せて二人のステージに。

 知名の「ますますエロ鮮やかというか・・・」との紹介で登場した我如古は、濃紺の絣に琉球カラジを結って、ヒジョーにあでやか。
 その立ち姿は、男女の区別なくこれまでに登場したどの唄者よりもずば抜けて存在感があったように思う。これが貫禄というものなのか。さすがですねぇ。

 今回彼女がうたう曲はすべて知名がリクエストしたというその1曲目は、再び「ナークニー」。
 我如古は、知名が何の前触れもなく先に「ナークニー」をやってしまったことに触れ、「知名さんは私にプレッシャーをかけてくる」と可愛く拗ねてみせる。おやおや、ずいぶんと色っぽいですねぇ。これにはさすがの知名もタジタジとなり、「いや、それはそれということで…」などと弁明。

 で、うたい出したそれは、我如古調とでも言えるような女の情念たっぷりのもの。これ、独特なので、一度彼女のCDで聴いてみることをおススメします。いいですよ~♪
 そして、散らしには「カイサレー」を。好きなのよねぇ、これ。すべての歌詞は理解できないまでも、情愛に苦しむ女性の胸の内みたいなものがヒシヒシと。

 2曲目は、知名が、あまりコンビ唄はやらないのだが今日は二人で・・・と言いながら、昔の那覇の色街での許されない恋をうたう「西武門(にしんじょう)節」を。
 ナニ、コンビ唄はやらないって? 糸数カメにはじまって大城美佐子や吉田康子などとたくさんやっているじゃないの。(笑)
 でも、知名と我如古という組み合わせは新鮮。思わず身を乗り出して聴いてしまいました。

 3曲目は、我如古の大ヒット曲「娘ジントヨー」。
♪ 南風吹けば 咲く花の美らさよ 島の美童の ジントヨー 想い染めてよ ジントヨー ジントヨー
 こんどはスコーン!とした、沖縄のティダ(太陽)のように明るいあでやかさを見せてくれました。


 そしていよいよ大トリは、津波恒徳です。
 この人、おれもよく知らないので改めてご紹介すると、「ちぶみ」や「浅地紺地」の作者で、1927年読谷村生まれ。戦後、本土での出稼ぎから帰り、知名定繁に師事。石原節子とのデュエット・レコーディングやのど自慢荒らしで頭角を現す。古謝美佐子、松田弘一らの師匠。99年には松田弘一、息子の津波恒英、嘉手苅林次とゴーヤー・トーンズというユニットを結成――とのこと。へぇー、これでは彼以外は誰もトリは務められませんな。

 知名が「何度か説得したがなかなか出てくれなかった。昔のにおいがプンプンするようなトラディショナルなうたを聴いてほしい」と紹介し、知名が三線、我如古が三板でサポートしてスタート。
 青色の着物に三線と正統派的なのはいいのですが、頭頂部のツルテカが印象的。これは琉球民謡界の横山ノックだぁ~!といった感じ。それだけならまだしも、てっぺん以外に残るまわりの髪の毛を後ろに束ねて志村けんのように結っているからおもしろい。

 1曲目は、曲名不明の「あやぐ節」にも似た曲(ということは「ナークニー」の範疇にあるもの)から、散らしに「泊高橋」へと移行。
 唄三線はどんなものかと思っていたけど、さすが師匠、三線しっかり、声もしっかり。80才にしてこれはスゴイですよ。現在の力としては登川誠仁や喜納昌永より数段上なのではないかな。

 大阪は戦後少しの間いたことがあるだけで、また、大阪でうたったのは初めてだという話をして、2曲目は「恋里千鳥」を披露。これ、開催日の翌日に発売となる最新曲なのだそう。

 いや、なかなかたいしたものでした。ぜひ今後も参加してほしいものです。
 各参加者のステージが全部終わり、20時57分、再び全員が登場してフィナーレです。

 まずはみんなでうたおう!ということで、「花」を大合唱。みんなが満面の笑顔でひとつのうたをうたいます。観客のうたう声もバッチリ聞こえてきて、会場内の1万人の人々がひとつに。こういうのもひとつの幸せであり、至福の時間なのだなぁと実感。歌詞のようにみんなで“ひとつの花を咲かせた”ということなのだろう。

 はじめは鳩間可奈子やネーネーズ、神谷千尋などの若手女性軍がマイクを握っていたのが、いつの間にか年配や大御所にもマイクが回って、白百合クラブの男性陣や坪山豊、津波恒徳らも。3番は知名がうたっていましたねぇ。

 みんなでうたうもう1曲は「バイバイ沖縄」。ははぁ、これなのか。
♪ ぐぶりーさびたん またやーさい 島尻、中頭、山原と ・・・
 一部の沖縄ファンのものだった知名の名曲も、ドーム内にいる人たちはみんなご存知のようで、3番まである歌詞もきちんとうたえます。(笑) 我々は沖縄の何にバイバイをしているのかよくわからないけれど、そんなことはこの際もうどうでもよくなって、おれもフルコーラスうたわせてもらいました。

 次はお約束のカチャーシー。
 まずは「奄美六調」でスタート。坪山豊と中村瑞希が奄美三線を掻き鳴らして ♪ めでた めでたの 若松様よ~・・・ と観客を煽ります。続いては、大工哲弘や白百合クラブらが中心になって「八重山六調」を。そして本島からは「嘉手久」でカチャーシーでした。
♪ テントゥルルン テン シトゥリトゥテン ・・・

 みんな踊る中でひときわ目立ったのは、がんばる80才、津波恒徳。かつて誠グヮー(登川誠仁)と喜納昌永の3人で組んで民謡節渡りなどをやっていたというこの人、こうなると年も立場も何もかも忘れて血が騒いでしまうらしい。肩書きも、日頃の悩みもどこかに置いて、自分の気持ちに素直になれるこのような人たちって、なんてすばらしいんだろう! 羨ましいよね。

 で、玉城が出演者を一組ずつ紹介してそれぞれ喝采を浴びた後は、いよいよ大団円、「豊年音頭」がバクハツして大騒ぎ。去年と同様、チナサダオ楽団で打楽器をやっていたごとうゆうぞうが中央に出てきて銅鑼を打ち鳴らし、今年のフェスティバルが終わったのでした。
 時間は21時19分。(おれってコマイね(笑)) フィナーレだけで20分もやっていたんだね。

 あぁ、シアワセ。今年は観る姿勢が楽だったので疲れることもなく、6時間の間集中力を失わないままあっという間に過ぎてしまった。これなら8時間でも10時間でも大丈夫だな――なんちゃって。
 もう今から、来年が楽しみです。知名さん、HIP大阪の河野社長さん、出演者や関係者のみなさん、来年もぜひぜひよろしくお願いしまっせ!

《琉球フェスティバル2006in大阪ドーム鑑賞記 -完-》


 本部半島方面に行くときはたいてい寄ることにしている――というよりも、むしろココに寄ることを前提として本部半島方面に行く、という感じ。

 味が落ちたとかなんだかんだ言う向きもあるけど、おれは高く評価しているぞ。
 店の前に積まれた薪。これこそが、灰汁で小麦粉を練るという本来のつくり方を証明している。
 それに、あの太々とした麺。これぞやんばるの沖縄そばである。

 値段がやや高い印象は否めないけど、どこぞの製麺屋から買ってきたのを湯がくわけではないのだから、まぁ、しょうがないのだろうな。

 おれはかつて、ここのつゆを一口飲んで、相席になった見ず知らずのカップルに思わず微笑んでしまったことがある。微笑まれたほうはさぞ気持ち悪かったことだろうが、ホントは「んまぁ~い!!」と言ってしまいそうなのをこらえていたのですよ。