2006.10.01
ベトナム旅行記 57(最終回)
ホテルに戻ると、MITSU氏はふくらはぎに濡れタオルを当ててやや憤慨気味。
彼もまたバイクタクシーに乗ったそうなのだが、降りるときに足がバイクの熱いマフラーに触れ、火傷をしてしまったとのこと。それ以外にもベトナムでなければ体験できないいくつかの事情があって――ということらしい。
まぁ、そう怒りなさんな。時間が経てばそれらもきっといい思い出になると思うよ。
おれはというと、ホテルのレストルームを拝借し、足を洗い、全身を拭き、身につけていたものすべてを着替えて気分さっぱり。

で、夕食を早めにとっておこうということで、2日前に朝食をとったカフェに行ってサンドイッチを食す。
疲れていることもあり軽く食べようと思って選んだのに、この量。十分すぎますナ。
このカフェ、市民広場に面した角にあるため、店内からは、夕刻に準備をしていた記念式典が手に取るように眺められました。
食事を終えて店を一歩出ると、いつもに増してパワーアップした人、人、人・・・。

デジカメを両手で高く掲げて遠方だけを撮ったので写真には写っていませんが、この手前からむこうまでは全部、人。メシも多かったし、なんか気持ちわる…。(笑)
ってことで、サイゴンはサイゴンまで(笑ってね)、一人ひとりの集合体としての巨大なカタマリのスゴさとパワーを見せつけてくれたのでした。
この後は予定どおり8時に小さなバスがお迎え。そして、いくつかのホテルを回って十数名の日本人が集められ、車内に日本語が広がったときに、おれは「あぁ、ベトナムの旅はこれで終わったのだな」と思ってしまったのだった。
まぁ、あまり言いたくはないけど、彼女ら(若い女性がほとんどだったので…)のしゃべることを聞くともなく聞いていると、ガクゼンとするようなことばかりなのだな、これが。
○○を買ったとか、○○はイケメンだったとか・・・。結局のところコイツら(失礼)はベトナムに来てまで日本の(というより自分の独善的な)価値観を振りかざし、そのおメガネにかなわなかったものには興味を抱くことすらせず、すべての物事は帰った日本においてどう使うか、どう評価されるか――という視点で捉えている、ように見えるんだな。
ごめんね。おじさんはね、旅は“サプライズ”なんだと思うよ。旅先にいるときぐらい日本のことは、つまり、地位や肩書きや経済的な環境などは忘れて、一人の人間として真っ白なところで戦ってみてはどうかと思うよ。ついでに言うと、そのまとわりつくようなしゃべり方は人間的に自立できない不具的な成人を思わせ、たいへんに気持ち悪いですよ。スンマセンねぇ、グチが長くなって。
う〜〜む、最後はグチグチおじさんに逆戻りしてしまい、なんの結論もなくこの旅行記は終わっていくのですねぇ…。
でも、最後に忘れずに言いたいのは、今回の旅は相棒があってこそ満喫できたということ。
いつもは一人旅が多いおれだけど、それは自分なりの目的があって旅をする場合のこと。今回のように初めての地、しかも外国に旅する場合、一応「観光」はしたい。ここで言う観光とは、Sightseeing の観光。で、これって、一人でやっても絶対に無味乾燥だと思うのね。たとえばクチのトンネルを一人で通ったり、ディナークルーズを一人でやってみたところでなにも面白くないではないか。
そういう意味で、MITSU氏には深く感謝。単独行動のわがままも何も言わずに聞いてもらい、ありがたかったです。
えー、読んでいただいた皆さん、たいへん長らくの間お読みいただいた「ベトナム旅行記」も、これにて終了です。
旅を終えてからの1ヶ月間というもの、このドキュメント作業を楽しみながら行うことができましたのも、皆様のおかげです。
どうもありがとうございました。
彼もまたバイクタクシーに乗ったそうなのだが、降りるときに足がバイクの熱いマフラーに触れ、火傷をしてしまったとのこと。それ以外にもベトナムでなければ体験できないいくつかの事情があって――ということらしい。
まぁ、そう怒りなさんな。時間が経てばそれらもきっといい思い出になると思うよ。
おれはというと、ホテルのレストルームを拝借し、足を洗い、全身を拭き、身につけていたものすべてを着替えて気分さっぱり。

で、夕食を早めにとっておこうということで、2日前に朝食をとったカフェに行ってサンドイッチを食す。
疲れていることもあり軽く食べようと思って選んだのに、この量。十分すぎますナ。
このカフェ、市民広場に面した角にあるため、店内からは、夕刻に準備をしていた記念式典が手に取るように眺められました。
食事を終えて店を一歩出ると、いつもに増してパワーアップした人、人、人・・・。

デジカメを両手で高く掲げて遠方だけを撮ったので写真には写っていませんが、この手前からむこうまでは全部、人。メシも多かったし、なんか気持ちわる…。(笑)
ってことで、サイゴンはサイゴンまで(笑ってね)、一人ひとりの集合体としての巨大なカタマリのスゴさとパワーを見せつけてくれたのでした。
この後は予定どおり8時に小さなバスがお迎え。そして、いくつかのホテルを回って十数名の日本人が集められ、車内に日本語が広がったときに、おれは「あぁ、ベトナムの旅はこれで終わったのだな」と思ってしまったのだった。
まぁ、あまり言いたくはないけど、彼女ら(若い女性がほとんどだったので…)のしゃべることを聞くともなく聞いていると、ガクゼンとするようなことばかりなのだな、これが。
○○を買ったとか、○○はイケメンだったとか・・・。結局のところコイツら(失礼)はベトナムに来てまで日本の(というより自分の独善的な)価値観を振りかざし、そのおメガネにかなわなかったものには興味を抱くことすらせず、すべての物事は帰った日本においてどう使うか、どう評価されるか――という視点で捉えている、ように見えるんだな。
ごめんね。おじさんはね、旅は“サプライズ”なんだと思うよ。旅先にいるときぐらい日本のことは、つまり、地位や肩書きや経済的な環境などは忘れて、一人の人間として真っ白なところで戦ってみてはどうかと思うよ。ついでに言うと、そのまとわりつくようなしゃべり方は人間的に自立できない不具的な成人を思わせ、たいへんに気持ち悪いですよ。スンマセンねぇ、グチが長くなって。
う〜〜む、最後はグチグチおじさんに逆戻りしてしまい、なんの結論もなくこの旅行記は終わっていくのですねぇ…。
でも、最後に忘れずに言いたいのは、今回の旅は相棒があってこそ満喫できたということ。
いつもは一人旅が多いおれだけど、それは自分なりの目的があって旅をする場合のこと。今回のように初めての地、しかも外国に旅する場合、一応「観光」はしたい。ここで言う観光とは、Sightseeing の観光。で、これって、一人でやっても絶対に無味乾燥だと思うのね。たとえばクチのトンネルを一人で通ったり、ディナークルーズを一人でやってみたところでなにも面白くないではないか。
そういう意味で、MITSU氏には深く感謝。単独行動のわがままも何も言わずに聞いてもらい、ありがたかったです。
えー、読んでいただいた皆さん、たいへん長らくの間お読みいただいた「ベトナム旅行記」も、これにて終了です。
旅を終えてからの1ヶ月間というもの、このドキュメント作業を楽しみながら行うことができましたのも、皆様のおかげです。
どうもありがとうございました。
2006.10.01
ベトナム旅行記 56
ホテル集合は夜8時。あと3時間ほどの余裕があるので、コンチネンタルホテルのカフェで休憩を。
さすが高級ホテルだけあって、椅子、テーブルは籐製。高い天井。その下には大きな液晶モニターが架けられ、世界のサッカーのダイジェストが放映されていました。う〜む、なんか、ヨーロッパのどこかにでもいるような感じだ。
でも、時折ふわりと姿を見せては消えていくウエイトレスはアオザイ姿。その立ち居振る舞いはホテルウーマンとして見事に洗練されていて、美しい。

客の少ないそんな雰囲気の中で、これまでに体験してきたベトナムの旅の余韻を味わうのも悪くない。
この斜めから差し込む夕刻の陽差しこそが、旅の終焉を象徴しているのではないか。
通りの側の明るさと混沌がベトナムそのもので、おれのいる側、陰影深く、ものが豊富で世界の情報が降り注ぐこの室内が、これから戻らなければならない日本なのではないか――。
そんなことを考えながら、ゆっくりとメンソールのタバコをくゆらしつつ、セブンナップで喉を潤し、耳でサッカーの歓声を聴きながら、通りを動く人たちの様子を観察する。
道売りのおばぁの声掛けによっておよそ何パーセントの人が物を買うのかがわかり、通りを歩く人たちに占める観光客のおよその比率がつかめ、通りを何度も往復している人間が数人いることがわかったあたりで、ホテルへと戻ることにしたのだった。
さすが高級ホテルだけあって、椅子、テーブルは籐製。高い天井。その下には大きな液晶モニターが架けられ、世界のサッカーのダイジェストが放映されていました。う〜む、なんか、ヨーロッパのどこかにでもいるような感じだ。
でも、時折ふわりと姿を見せては消えていくウエイトレスはアオザイ姿。その立ち居振る舞いはホテルウーマンとして見事に洗練されていて、美しい。

客の少ないそんな雰囲気の中で、これまでに体験してきたベトナムの旅の余韻を味わうのも悪くない。
この斜めから差し込む夕刻の陽差しこそが、旅の終焉を象徴しているのではないか。
通りの側の明るさと混沌がベトナムそのもので、おれのいる側、陰影深く、ものが豊富で世界の情報が降り注ぐこの室内が、これから戻らなければならない日本なのではないか――。
そんなことを考えながら、ゆっくりとメンソールのタバコをくゆらしつつ、セブンナップで喉を潤し、耳でサッカーの歓声を聴きながら、通りを動く人たちの様子を観察する。
道売りのおばぁの声掛けによっておよそ何パーセントの人が物を買うのかがわかり、通りを歩く人たちに占める観光客のおよその比率がつかめ、通りを何度も往復している人間が数人いることがわかったあたりで、ホテルへと戻ることにしたのだった。
2006.10.01
ベトナム旅行記 55
さて、日も傾きかけてきたし、ドンコイ通りへと戻ろうか。
おれはその際、出口にバイクタクシーがいたならそれで帰ろうと思っていた。そして、これまで会ってきた何人かの兄ィたちの話を総合すれば、ここから中心部までなら1ドルもあれば十分だろうと踏んでいた。
で、記念館を出ると・・・。いたいた、1人。で、さっそく手を挙げて合図を送ってくるではないか。
おれは彼のほうに歩み寄って行き、交渉を始める。

「ドンコイ通りに行きたい。いくらだ?」
「4ドルだ」
「1ドルなら乗りたい」
「そりゃあ無理だ。しょうがない、3ドルなら」
「そうか。じゃあこの2本の足で歩くとしよう。ありがとうな」 と、歩きかけると・・・。
「待ってくれ、わかった、1ドルで行こう」 となった。
このあたりはあまりにも読みどおりなので可笑しくなってしまう。と同時に、なにもそこまでケチケチすることもなかったかという温情も。だが、ボラれたくはないという気持ちのほうが勝る。
「いいな、1ドルだ。それ以上は何があっても払わないからな」 と念を押す。
「あぁ、オーケーオーケー、さあ乗って、レッツゴー!」
――彼はこんなノリ。おれが後席にまたがるとゆるゆると発進したのだった。
ノーヘルでバイクに乗るのは実に爽快。もわりとした風が体全体に押し寄せてくる。金額云々では語れないステキな解放感。おれはやっぱりバイクが好きだったのだなぁと改めて認識する。と同時に、日本法規におけるヘルメット義務付けや原付二人乗り禁止のナンセンスを糾弾したいような気分になっていた。
バイクの洪水をバイク側から見ると、それはまた違って見える。川を遡上する魚の群れの1尾になったような感じ、といえばわかってもらえないだろうか。同じ方向に進むバイクたちはひとつの群れなのであって、その中での激しい接触などはありえないし、この群れに別の群れが大挙して突っ込んでくるようなこともない、というようなことなのですナ。
また、スピードは緩やかで、急ブレーキ、急発進などはまったくなし。日本でありがちな“自分が正しければぶつかってきたほうが悪い”というような手前勝手な発想はないようだ。
「Marriage?」 またいつもの質問がなされた。
「Yes,I’m married.」 おれはいつものようにそう答えて、ふと今の、身体に羽根の生えたような心境を前を向いて運転している彼に伝えてみたくなり、「But,in Vietnam,I’m not married.」 と付け足してみた。
この雰囲気の中で彼はこの冗談を勘違いすることなく見事に理解できたらしく、「Ah,In Vietnam?」と言いながら笑ってくれたのだった。
合わせて、今夜ベトナムを去るが、十分に楽しませてもらったと言うと、それはよかったというようなことも言ってくれた。言葉というものは、感慨をこめて話せば案外伝わるものなのだなぁ。
一方通行の多い中心部を時には逆行したりしながら、ドンコイ通りの市民劇場前で下車。
彼はその際、「2ドルだ」と言う。
乗せてもらっていたわずかの時間にしてはずいぶんと親しくなれたつもりだったのに、それでもやはりオマエはそう言うのかとちょっとがっかりし、「だ〜め、オンリーワンダラー」と告げる。
すると彼は、少し恥ずかしそうに“やっぱりそうだよナ”という顔をして、最後は写真の通りピースサインをして去って行ったのだった。
おれにしてみれば軽く10ドル以上の価値は十分にあっただろうに。物価というものは合理的なようでいてけっこうな不合理を内在しているのだね。

あれ? 市民劇場の前では軍隊が出動して何か催し物の準備が…。
そうだった。この9月2日はベトナム独立61周年の記念日なのだ。
おれはその際、出口にバイクタクシーがいたならそれで帰ろうと思っていた。そして、これまで会ってきた何人かの兄ィたちの話を総合すれば、ここから中心部までなら1ドルもあれば十分だろうと踏んでいた。
で、記念館を出ると・・・。いたいた、1人。で、さっそく手を挙げて合図を送ってくるではないか。
おれは彼のほうに歩み寄って行き、交渉を始める。

「ドンコイ通りに行きたい。いくらだ?」
「4ドルだ」
「1ドルなら乗りたい」
「そりゃあ無理だ。しょうがない、3ドルなら」
「そうか。じゃあこの2本の足で歩くとしよう。ありがとうな」 と、歩きかけると・・・。
「待ってくれ、わかった、1ドルで行こう」 となった。
このあたりはあまりにも読みどおりなので可笑しくなってしまう。と同時に、なにもそこまでケチケチすることもなかったかという温情も。だが、ボラれたくはないという気持ちのほうが勝る。
「いいな、1ドルだ。それ以上は何があっても払わないからな」 と念を押す。
「あぁ、オーケーオーケー、さあ乗って、レッツゴー!」
――彼はこんなノリ。おれが後席にまたがるとゆるゆると発進したのだった。
ノーヘルでバイクに乗るのは実に爽快。もわりとした風が体全体に押し寄せてくる。金額云々では語れないステキな解放感。おれはやっぱりバイクが好きだったのだなぁと改めて認識する。と同時に、日本法規におけるヘルメット義務付けや原付二人乗り禁止のナンセンスを糾弾したいような気分になっていた。
バイクの洪水をバイク側から見ると、それはまた違って見える。川を遡上する魚の群れの1尾になったような感じ、といえばわかってもらえないだろうか。同じ方向に進むバイクたちはひとつの群れなのであって、その中での激しい接触などはありえないし、この群れに別の群れが大挙して突っ込んでくるようなこともない、というようなことなのですナ。
また、スピードは緩やかで、急ブレーキ、急発進などはまったくなし。日本でありがちな“自分が正しければぶつかってきたほうが悪い”というような手前勝手な発想はないようだ。
「Marriage?」 またいつもの質問がなされた。
「Yes,I’m married.」 おれはいつものようにそう答えて、ふと今の、身体に羽根の生えたような心境を前を向いて運転している彼に伝えてみたくなり、「But,in Vietnam,I’m not married.」 と付け足してみた。
この雰囲気の中で彼はこの冗談を勘違いすることなく見事に理解できたらしく、「Ah,In Vietnam?」と言いながら笑ってくれたのだった。
合わせて、今夜ベトナムを去るが、十分に楽しませてもらったと言うと、それはよかったというようなことも言ってくれた。言葉というものは、感慨をこめて話せば案外伝わるものなのだなぁ。
一方通行の多い中心部を時には逆行したりしながら、ドンコイ通りの市民劇場前で下車。
彼はその際、「2ドルだ」と言う。
乗せてもらっていたわずかの時間にしてはずいぶんと親しくなれたつもりだったのに、それでもやはりオマエはそう言うのかとちょっとがっかりし、「だ〜め、オンリーワンダラー」と告げる。
すると彼は、少し恥ずかしそうに“やっぱりそうだよナ”という顔をして、最後は写真の通りピースサインをして去って行ったのだった。
おれにしてみれば軽く10ドル以上の価値は十分にあっただろうに。物価というものは合理的なようでいてけっこうな不合理を内在しているのだね。

あれ? 市民劇場の前では軍隊が出動して何か催し物の準備が…。
そうだった。この9月2日はベトナム独立61周年の記念日なのだ。
2006.10.01
ベトナム旅行記 54

例によってあちこちと眺め、立ち止まり、迷い、休みつつ「ホーおじさん記念館」へ。この派手な建物ですから、遠くからでも目的地はあれかな?と推測できてしまいます。
しかし、市街と、記念館のある対岸との間にある橋が工事中のため、仮設道路の位置が手持ちの地図とは大きく違うので、近くなってからウロウロ状態に。
すると遠くから、日本語で言えば「お〜い!」というような掛け声が2回。
まさかおれを呼んでいるのではないだろうと思いつつも一応振り返ってみると、道路脇に座り込んでいた工事の日雇い風のおっちゃんがおれに向かって“あっちあっち”というジェスチャーを。
彼は、このあたりで道に迷っている観光客風情はほぼ間違いなくホーおじさん記念館を目指しているはずであると確信し、
「チッ、また迷ってやがるゼ。あぁあぁ、そっちじゃ方向が違うよ。見ちゃいられないよ。しょうがあるめい、面倒だが教えてやるか」
とでも一人ごち、声をかけてくれたのだろう。
うふふ・・・おじさん、ありがとうね。
ということで、閉館時間が迫る館内へと突入。
基本的にベトナム語での説明なので、それぞれの展示物の価値などはよく理解できなかったものの、ホーチミンの写真がとにかく豊富。当時彼は人民の絶大なる人気と信頼に支えられていたのだなということがよ〜くわかりました。

そしてこんなブースも。はい。ホーおじさんです。
ホーおじさんは、1911年、記念館のあるこの地から船に乗ってフランスへと渡ったのだそうです。いわばベトナム近代史の始まりの場所がココなのだそう。へぇ〜。
サイゴン川に面した庭園も美しいし、園路沿いには市内各地の今昔を写真で比較する看板が設置されていて、全体としてなかなか見応えがありました。
2006.09.27
ベトナム旅行記 53
この後は歴史博物館へと戻り、わりとたっぷりと時間をかけてベトナムの先史時代から現代まで、さらにはベトナムの50以上に及ぶ民族の衣装や暮らしなどを垣間見る。
次に、すぐ近くの「ホーチミン作戦博物館」に行ってみたが、ここもまたなぜか休館。見に来る人もそう多くないのかもしれないが、なんとかナランか。
今日はどうも運勢的についていない日のようだね。
午後3時。いよいよベトナム滞在時間も残り少なくなってきて、ここからは各自最後の自由行動にしようということに。
で、おれは作戦博物館から今度はトンドクタン通りを徒歩制覇して、その足で小さな運河を挟んだ対岸にある「ホーおじさん記念館」に行ってみることにした。
トンドクタン通りはサイゴン川沿いを走る市街環状線のようになっているので、比較的自動車の交通量が多い感じ。でも川を見ながら歩くには悪くないコースだと思う。ジョギングをする西洋人や散歩する老夫婦、暇に任せて油を売っているホテルマン仲間などを眺めながら歩く。
「ヘイ、どこまで。バイクはどうだ」 また兄ィから声がかかる。
「メリン・スクエアだ」 間もなく到着するであろう広場の名前を告げる。
兄ィは、じゃあ必要ないなという顔をしてのろのろと走り去っていく。
それを目で見送っておいて、左側に広がるこのような景色を見ながら歩く。
いい天気だ。今日はにわか雨はないのだろう。

メリン広場には、前日に苦労して踏破したあの通りの名前となった“チャンフンダオ”の像があるのだった。これを見ずにはおれは日本には帰れまいと思い、ここにわざわざやって来たというワケなのね。
どれ、写真写真。

逆光をものともせずに撮ってしまい、顔の部分が暗く写っていたため、画像ソフトを使ってガンマを強く当ててみた。なのですこし白っぽくなってしまったけど、そうか、チャン君よ、オマエはこんな顔をしていたのであったのか。(詠嘆&笑)
それからは、観光船乗り場周辺の公園で休憩。
川の臭いがきつく、物売りが多く、あちこちきたない公園だったが、そんなところでもベトナムの若い者は川面に目をやりながら二人だけのロマンチックな語らいをしていたのだった。
こーゆー人たちに沖縄の真っ青な海なんかを見せてあげたら、そこできっと3年間ぐらい語らい続けるのだろうナ。
次に、すぐ近くの「ホーチミン作戦博物館」に行ってみたが、ここもまたなぜか休館。見に来る人もそう多くないのかもしれないが、なんとかナランか。
今日はどうも運勢的についていない日のようだね。
午後3時。いよいよベトナム滞在時間も残り少なくなってきて、ここからは各自最後の自由行動にしようということに。
で、おれは作戦博物館から今度はトンドクタン通りを徒歩制覇して、その足で小さな運河を挟んだ対岸にある「ホーおじさん記念館」に行ってみることにした。
トンドクタン通りはサイゴン川沿いを走る市街環状線のようになっているので、比較的自動車の交通量が多い感じ。でも川を見ながら歩くには悪くないコースだと思う。ジョギングをする西洋人や散歩する老夫婦、暇に任せて油を売っているホテルマン仲間などを眺めながら歩く。
「ヘイ、どこまで。バイクはどうだ」 また兄ィから声がかかる。
「メリン・スクエアだ」 間もなく到着するであろう広場の名前を告げる。
兄ィは、じゃあ必要ないなという顔をしてのろのろと走り去っていく。
それを目で見送っておいて、左側に広がるこのような景色を見ながら歩く。
いい天気だ。今日はにわか雨はないのだろう。

メリン広場には、前日に苦労して踏破したあの通りの名前となった“チャンフンダオ”の像があるのだった。これを見ずにはおれは日本には帰れまいと思い、ここにわざわざやって来たというワケなのね。
どれ、写真写真。

逆光をものともせずに撮ってしまい、顔の部分が暗く写っていたため、画像ソフトを使ってガンマを強く当ててみた。なのですこし白っぽくなってしまったけど、そうか、チャン君よ、オマエはこんな顔をしていたのであったのか。(詠嘆&笑)
それからは、観光船乗り場周辺の公園で休憩。
川の臭いがきつく、物売りが多く、あちこちきたない公園だったが、そんなところでもベトナムの若い者は川面に目をやりながら二人だけのロマンチックな語らいをしていたのだった。
こーゆー人たちに沖縄の真っ青な海なんかを見せてあげたら、そこできっと3年間ぐらい語らい続けるのだろうナ。



