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 7月中旬以降8月28日までに買った本は、購入順に次の10冊です。
 順に、名称、著者、発行元、発行年月、購入価格。

1 内地の歩き方―沖縄から県外に行くあなたが知っておきたい23のオキテ  吉戸三貴 ボーダーインク 201701 古618
2 何度行っても変わらない沖縄  カベルナリア吉田 林檎プロモーション 201807 1620
3 花のカジマヤー―96歳・泣き笑いの独り言  宮城鷹夫 沖縄タイムス社 201807 1048
4 風の棲む丘  湧上アシャ ボーダーインク 201710 1296
5 突撃!島酒場(日本縦断ほろ酔い島めぐり)  カベルナリア吉田 イカロス出版 201807 1728
6 沖縄オバァの小さな偽証 さえこ照ラス  友井羊 光文社 201807 古1557
7 宝島  真藤順丈 講談社 201806 1998
8 六月二十三日 アイエナー沖縄  大城貞俊 インパクト出版会 201808 古1457
9 ど・スピリチュアル日本旅  たかのてるこ 幻冬舎 201408 古769
10 うふあがりじま入門 沖縄・北大東島を知る  服部敦 ボーダーインク 201807 1296

 1、6、8、9の4冊は、2014年から今年にかけて発売されたものを古書にて購入。中には今年8月発売のものが含まれていて、新品よりも若干ながら安く買えるというのがすごい。
 本は中身。あまりにも小汚いのはいやだが、そうでなければいくらかでも低価格で手にできるほうがいいのだ。
 では借りて読めばいいという見方もあるが、みんなのために丁寧にページをめくるという柄ではないし(本は好き勝手に読みたい)、読み終えてから手元になければ後で内容を確認する術がなくなるではないか。

 そして、買った本すべてが沖縄関係だというのは実に久しぶりだ。
 ボーダーインクが3冊、カベルナリア吉田が2冊。
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 沖縄市で30年もの間翻訳事務所を続け、日米男女の愛のかけ橋ともなっている仲間徹と、客の女性たちの人生ドラマを、直木賞作家佐木隆三が綿密な取材を重ねて鮮烈に描いた、1986年の作品。

 「1971年から73年まで、わたしは沖縄で2年間を過ごした。コザ市仲宗根383番地を住居とし、高等弁務官から在留許可をもらい、那覇の外人税務署に税金を納めた。72年5月の施政権返還で、コザ市に住民登録したが、仲間徹の住居も仲宗根町だから、いわば町内の人である。
 こういう旧知の人を書くには、どうすればよいのか。下手をすれば著者が、中途半端に顔を出して、読者の興を削ぎかねない。そこで三人称の方法を取り、仲間の内面からの描写もした。ノンフィクションとして、妥当かどうかは分からないが、わたしとしては、すべて真実を書いた。」(「あとがき」から)

 琉球朝日放送のHPに、本書に関連するテキストがあったので、以下に引用します。2008年5月15日の日付が入っています。

・Qリポート 女性たちの恋を見守った「恋文屋」
 戦後、基地の街と呼ばれた沖縄市・コザでは、アメリカ軍人と沖縄の女性が出会い、恋に落ちることも少なくありませんでした。その男女が交わす手紙を翻訳し「恋文屋」とも呼ばれた一人の翻訳家が、36年前の沖縄の女性達を見つめていました。
 「よくまあやって来たと思いますよ」
 仲間徹さん74歳。沖縄市で英語の翻訳をする個人事務所を営んでいます。
 仲間さん「(当時の沖縄は)全体として貧乏だった。」「その貧乏ゆえにいろんなことがあったのよ。女性たちにも」
 仲間さんが仕事を始めたのは1957年。軍から流れたタイプライターが仕事道具でした。当時のコザの街は軍人相手の「Aサインバー」が立ち並び、65年のベトナム戦争参戦以降は、明日をも知れぬ若い兵士が連日入り浸り、ベトナム景気に沸きました。
 吉原啓子さん「最高でしたよ、あの時の景気は。あれは、今時ああいう商売がまわってくるかねと思う程ですよ」
 そこでは、国籍を超えた恋も数多く芽生えました。仲間さんは、その男女が交わすラブレターの代筆を請け負い、「恋文屋」とも呼ばれていました。時に仲間さんは、女性達の良き相談相手になり、また、国際結婚に必要な行政手続も肩代わりするなど本来の業務を超えた仕事もしていました。
 仲間さん「いったん関わりを持った以上、来ている若い女性達が本当に上手くいかないと面白くないじゃない。」
 その仲間さんを主人公にした本があります。「恋文三十年」著者は「復讐するは我にあり」で知られるドキュメンタリー作家佐木隆三さんです。
 佐木隆三さん「政治的に一番熱かった時代でしょうね」
 復帰を挟んだ2年間、沖縄に住んでいた佐木さんは、仲間さんと出会います。
 佐木さん「沖縄の事を書くとすれば仲間徹さんがテーマだなと思って」
 「恋文三十年」は、国際結婚や、無国籍児など、仲間翻訳事務所にやってくる女性達が抱える様々な問題を淡々と描き出すことで、時代を浮き彫りにしています。
 佐木さん「沖縄の中でもAサインバーで働いている女性には偏見とか蔑視があったわけですからね。その人たちを仲間さんが守っていた。そういう印象を受けましたね」
 本には、仲間さんの女性達への思いが書かれている箇所があります。
 「僕が事務所で関わっている人たちは、社会の全体から見れば影でしかない。いわば隠れた部分だ。だからこそ、自分の仕事を大切にしたいと思っている」
 そんな女性達の姿は、他の人の目にも焼きついていました。
 我如古盛栄さん「女性としての誇りみたいなもの、アメリカ人と結婚できる。友達になれ誇っているようにさえ見えたな」
 照屋幹夫さん「自分達がイメージとして持っているその人なんか(女性達の姿は)は逞しさというのは未だに印象に残っているんですよね」
 生きるために懸命だった女性達。しかし、愛を交わした男女には悲劇も待っていました。仲間さんには、絶対に忘れられない仕事があります。それは、ベトナム戦争に行った恋人の死を知らせる手紙でした。
 仲間さん「ああいうのは辛いね」「あの頃はねベトナムの頃は届く手紙も中身も封筒もそうだったけど泥のついたものが多かったですよ」
 復帰の1ヶ月前、アメリカ軍は施政権が日本に返還されることを理由に「Aサイン」制度の廃止を発表します。復帰後、コザの街は外国人離れが進み経済は衰退。賑わった「Aサインバー」も廃業に追い込まれ、仲間さんの事務所を訪れる女性も、年々減っていきました。
 仲間さん「やはりあの時復帰して良かったということのほうが大きいと思いますよ」
 吉原さん「コザは変わりましたね一番」「(復帰は)良かったと思ってますよ。だけどコザの街は今当時を振り返ってみると本当に基地の街だったんだなという」
 「恋文三十年」から21年の時が経ちました。仲間さんは今でも現役の翻訳家。事務所は今年で51年目を迎えます。
 仲間さんは私達にあるノートを見せてくれました。30冊を超えるという大学ノートには数百人に上る、依頼に来た女性達の名前が書き込まれていました。
 仲間さん「こういうふうに住所、本籍だけでも留めておけばあとで何か役に立つかもしれないという気持ちだったんですよ」
 色褪せてしまったノートには、時代の中で生き抜いた女性達の歴史が刻まれているようでした。
 仲間さん「力になってあげんといかんという思いのする客は多かったですね」
 今でも仲間さんの事務所には、アメリカから便りを寄せる女性達もいるそうです。しかし、決して幸福な結果だけではないことも事実です。復帰前後時代、コザの街はアメリカが中心にあって経済も、そして人生も翻弄された人たちが多くいたんですね。

 なお、我如古盛栄さんは、沖縄民謡歌手我如古より子の実父です。



 沖縄在住の芥川賞作家・又吉栄喜の初のエッセイ集。

 「昭和50年頃、少年時代、一心不乱に遊んだ「原風景」が現在にもつうじる普遍性を帯びている、人間の問題にも通底すると考えるようになり、エッセイを基に小説を書き始めました。
 小説を書いている途中、登場人物も原風景の中の人物をモデルにしている、と気づきました。」(「前書き」から)
 その原風景とは、家の半径2キロ内にあった、琉球王国発祥のグスク、戦時中の防空壕、沖縄有数の闘牛場、広大な珊瑚礁の海、東洋一の米軍補給基地、Aサインバー街、戦争の痕跡をカムフラージュするために米軍機が種をまいたというギンネムの林、地元の人がカーミジ(亀岩)と呼ぶ海岸に突き出た大きな岩、戦死者の白骨や遺品など。
 「沖縄という固有の精神風土と人々の営みを見つめ、すべてエッセイに込めてきました。いつのまにか膨大な量になり、私の人生の軌跡にもなっています。」(コシマキから)

 琉球新報(2015年4月12日)に掲載されていた詩人・高良勉の書評が的確だったので、以下に引用します。

 作家の又吉栄喜が、40年間も注文を受け書きためてきたエッセーを、初めて単行本に編集して出版した。膨大な作品群から選抜し、「第一章 原風景1」「第二章 原風景2」「第三章 自然1」「第四章 自然2」「第五章 戦争」「第六章 米軍基地」「第七章 祈り1」「第八章 祈り2」と構成してある。
 その一篇一篇が独立した作品であると同時に、全体を通して「作家にとってエッセーとは何か」という問い掛けが貫かれている。数多くの作品が読みやすいが、その中でも「木登りサール」「放射能雨」「想像の浦添」「闘牛賛歌」「沖縄の楽天性」などが特に印象に残っている。
 それにしても、「原風景」の章のエッセー群は又吉文学・芸術の源泉を描き出している。「少年時代の「原風景」が現在にもつうじる普遍性を帯び、人間の問題にも通底すると考えるようになり、エッセーを基に小説を書き始めました」と述べている通りである。
 私は、又吉とほぼ同世代なので少年時代に「放射能雨」などの似たような体験をしている。従って、それらの体験の中から何が「現在にもつうじる普遍性」として選ばれ「小説化」されたかもよく分かる。又吉の体験は、単に「自叙伝的記録」に止まらず、文学・芸術として描き込まれているのである。
 又吉は「田宮虎彦の「足摺岬」とか、太宰治の「津軽」とかのように浦添を想像で形象して、後世に残したいという見果てぬ夢を見ている」(「想像の浦添」59ページ)とも述べている。
 ぜひ挑戦し実現してほしいものだ。浦添の原風景から書き込んでいって「時空超えた沖縄」のかなたに「津軽」のような言語空間の名作が生まれてほしい。
 すでに、作品「沖縄の楽天性」で時空超えた沖縄について書いた又吉には、決して不可能な要望ではないと思う。本エッセイ集はその文学・芸術の豊かな源泉を指し示している。



 仲井眞さんこそが県民の幸せと発展を考えて最善の努力をした人。「売った男」でないことは歴史が証明するはずです-菅義偉官房長官-〈本書より〉

 Amazonの商品説明を以下に引用。つまり、当書の発売時の沖縄の状況です。

 「辺野古に基地を造らせない」
 反基地運動の闘士として絶大なる人気を誇ってきた沖縄県知事の翁長雄志氏。今、その足元にほころびが見え始めている。
 昨年(2016年)末には辺野古の埋め立て承認を巡る裁判に敗れ、17年2月には側近中の側近であった安慶田光男副知事に教職員採用を巡る不正介入疑惑が浮上して辞任騒動が勃発。長らく翁長氏を“応援”してきた沖縄メディアとの間にも亀裂が生じている。辺野古新基地の建設を阻止する有効な手立てを示せていないことが、その一因だと考えられる。
 この状況を歯がゆく感じているのが、前知事の仲井眞弘多氏だ。13年には一括交付金を含めて毎年3,000億円規模の予算を政府から引き出したうえで、辺野古の埋め立てを承認したため、「裏切り者」「沖縄の心をカネで売った」などと非難された。
 歴代の知事が軒並み新たな基地の建設に反対、ないしは基地問題に関する膝詰めの議論を避けてきたなかで、県民の反発を承知で仲井眞氏は辺野古の埋め立てを承認した。その葛藤と承認に至る政府との交渉の裏側を、仲井眞氏本人や当時の副知事、沖縄県庁関係者、歴代の防衛大臣に“防衛省の天皇”と言われた守屋武昌氏、菅義偉官房長官などへの取材を通じて明らかにする。
 翁長氏とはまったく異なるアプローチで沖縄の基地負担軽減に取り組んだ仲井眞氏を通して、基地問題を見つめ直した一冊。


 辺野古の埋め立てを承認した見返りとして政府から破格の予算を引き出した仲井眞知事が、取材陣を前にして「これはいい正月になるなあ」と話しているのを聴いて、この知事はいったいナンナンダと憤ったことをよく覚えています。
 著者は、「仲井眞ほど評価の分かれる政治家はいない」といいます。
 知事就任後すぐに、日米合意に基づく普天間の移設計画を進めようとする政府と対立し、また、辺野古移設容認の立場で当選したのに、地元に譲歩する姿勢を見せない守屋武昌防衛事務次官と激しくぶつかります。その後は鳩山政権による「最低でも県外」をめぐる混乱を経て、埋め立ての承認に踏み切り、長い間膠着していた普天間返還に道筋をつけたという評価もあります。
 仲井眞は沖縄の基地問題をどうしようとしたのか。そこにもう一度光を当てようというのが、本書のねらいです。

 ところで、これを書いている日の前日(8月8日)の晩、沖縄県の翁長雄志知事が、膵臓がんのため入院中の病院で死去しました。
 混迷する沖縄基地問題はどうなっていくのだろうか。ウチナーンチュには不思議なバランス感覚があって、県政は右と左に行ったり来たりすることがあるのですが、弔い合戦となる知事選はどういう結末になるのだろうか。



 1970年に講談社から刊行されたのが初出。それを文庫化したものを入手してこのたび読みました。

 「昭和20年、太平洋戦争の最後の戦場として、民間人多数をも巻き込んだ沖縄戦。死と直面した極限的な状況の中で、生徒や教師、家族たちは、自分たちに与えられた日常を黙々と生きていた。生存者に綿密な取材を敢行し、一切の美談も感傷も排し、戦争のありのままの姿を描き切って人間の真実に迫る文学作品。」(裏表紙から)

 この作品が出来上がるまでには大掛かりな作業になったようですが、才能あるベテラン記者4人からなる取材班がつくられ、彼らの聴き取りによって少しずつ戦争体験者たちの心がほぐれ、真実が明らかになっていったようです。そうした200人に近い協力者がいてこそ完成した1冊です。
 取材は重く過酷で、百戦錬磨の取材記者が「まいった、一緒に泣いちゃったよ」と言って帰ってくることも。また、地元新聞社、米国民政府広報局、沖縄教職員会、医師会などを巡って資料集めも行われました。

 曽野はのちに、「ある神話の背景」(1973)で、沖縄戦において日本軍が命じたとされる集団自決強要の確証はなく、軍命があったとする「鉄の暴風」(沖縄タイムス刊)や大江健三郎の「沖縄ノート」等には誤った記述が多いと主張します。
 「生贄の島」は知る限り、曽野のノンフィクション・レポートとしての1作目であり、いわば上記の物議が醸し出された根っこの部分に当たるものだろうと思います。



 「あなたが忘れてしまった無理しない生き方」との副題がつく、「ちゅらさん」のおばぁが、「あくせく働くばかりじゃ長生きできないよ。ゆったり、のんびりがこれからのキーワード。」という思いを込めて著した本。

 若いウチナーンチュでも沖縄の言葉や歴史・文化を知らない人が多くなっている状態をみて、やはり「おばぁ」が道案内してあげないといけないかねェ、と考え、沖縄芝居60年の経験から拾い集めた「沖縄文化探険キーワード集」といったものをまとめてみたとのこと。
 おそらくゴーストライターが間に入っているのだろうけれども、2002年の発行。NHKの朝ドラ「ちゅらさん」が大ブレークしたのが2001年の上半期なので、その後の沖縄おばぁブームに便乗してつくられたものなのだろうと思料します。

 平良とみは、那覇市出身。13歳で沖縄芝居の世界に入り、ゆっくりと話す様子や小柄な容姿、親しみやすい笑顔で人気を博しました。「ちゅらさん」ではヒロイン古波蔵恵里の祖母で、「おばぁ」と呼ばれる沖縄のおばあさんを演じ、全国的な知名度となりました。
 そのほか、映画「マリリンに逢いたい」、「ウンタマギルー」、「うみ・そら・さんごのいいつたえ」、「パイナップルツアーズ」、「ナビィの恋」、「ホテル・ハイビスカス」など多数出演。2014年、旭日双光章受章。2015年12月、敗血症による呼吸不全のため87歳で死去。

 取り上げられているキーワードのいくつかを紹介すると、なんくるないさ、柔ら頑丈(やふぁらガージュー)、テーゲー主義、命グスイ、モアイ、イイマールー、「ダカラヨー」、チャンプルー文化、カチャーシー、モーアシビー、世替わり、艦砲の喰ェー残サー、キジムナー、マブイ込め、ニライカナイ、などなど。

 「どうかみなさん、いちどは沖縄においでください。・・・そして、国立劇場おきなわでわたしたちのお芝居も見物してくださいね。「なんくる主義」のウチナー(沖縄)の空気にふれるだけで、きっとどこからか元気がわいてくると思いますよ。では、またどこかでお会いしましょうねえ。おばぁはこの島でいつでも待っているからねえ。」(エピローグから)

 おばぁにそう言われると、この世とあの世が同居しているような沖縄では、本当におばぁが待っていてくれるような気がしてなりません。



 1994年3月発行のものを2015年1月に入手し、18年まで書棚に積ん読として温存していたものを、引っ張り出して読みました。初出は昭和55年の「別冊文藝春秋」なので、この作品が世に出て40年近く経ってからようやくにして読んだことになります。

 福州琉球館とは、琉球専用の滞在施設として中国側の手で設置されたもので、はじめは泉州にあって来遠駅といったものが、1469年に福州に移転し、名も柔遠駅(じゅうえんえき)といわれるようになります。設置の年代は不明ですが、15世紀後半にはすでに存在し、1879年の琉球処分により王国が廃されるまで活用されました。
 琉球使臣の宿泊所、交易連絡所として用いられ、明・清2代にわたる琉球と中国の交流の主要舞台となりました。

 その琉球館は、琉球王国崩壊後、沖縄県設置に反対する旧臣たち(脱清人)の拠点となります。
 日本の琉球処分に反発し憂国の思いに燃える男たちは清国に支援を求めて海を渡りますが、彼らを待っていたのは…。
 ――という、歴史の波に翻弄されながらも、時代に立ち向かう琉球人の群像を描いたものが本書となっています。

 漢字の名前のたくさんの登場人物同士が会話をしている記述が多く、その部分はついついすーっと読んでしまうのですが、小説全体の筋立てがよく見えなくなってしまいがちなのはそのあたりに原因があるのかもしれません。つまり、各登場人物のイメージが脳内で結像しないというか。
 また、ある程度琉球王国のたどった経緯なり歴史を踏まえていないと難解なところもあったような気がします。
 それらはつまるところ、読み手の能力と集中力の問題でしかないのでしょうが。
 うーむ、いつか読み直しをするべきなのだろうな。

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 5月中旬以降今日までに買った本は、購入順に次の15冊です。おお、この2か月の間にそんなに買っていたか。

1 短編伝説めぐりあい  集英社文庫編集部 集英社文庫 201708 古368
2 ゆらしぃ島のスローライフ  金丸弘美 学習研究社 200402 古507
3 なぜ世界のお金持ちはこっそり「おきりぞ」を楽しむのか? 外間晃 東邦出版 201704 古697
4 武士マチムラ  今野敏 集英社 201709 古1375
5 谷川健一全集〈5〉沖縄1-南島文学発生論  谷川健一 冨山房インターナショナル 200610 古2307
6 谷川健一全集〈6〉沖縄2-沖縄・辺境の時間と空間 他  谷川健一 冨山房インターナショナル 200610 古1388
7 谷川健一全集〈7〉沖縄3-渚の思想 古代歌謡と南海歌謡  谷川健一 冨山房インターナショナル 201206 古3757
8 谷川健一全集〈8〉沖縄4-海の群星 神に追われて 他  谷川健一 冨山房インターナショナル 200809 古4257
9 おいしい旅 錦市場の木の葉丼とは何か  太田和彦 集英社文庫 201804 777
10 時雨みち  藤沢周平 新潮文庫 198405 古255
11 孤剣―用心棒日月抄  藤沢周平 新潮文庫 198409 古257
12 周平独言  藤沢周平 文春文庫 201204 古351
13 消えた女―彫師伊之助捕物覚え  藤沢周平 新潮文庫 198308 古258
14 用心棒日月抄  藤沢周平 新潮文庫 198103 古258
15 新装版 もの食う話  文藝春秋編 文春文庫 201502 古358

 これらはすべてネットで注文したもの。一昔前は楽天ブックスから買った「新刊」が多くを占めていたものですが、昨今はすっかり様変わりして、Amazonから買う「古書」がほとんどになっています。
 今回でいえば、9のみが新刊で、ほかはすべて古書です。
 楽天カードを使ってポイントをゲットしたいので新刊は楽天ブックス、それより安く買える古書はAmazonと、いつのまにかすみ分けができています。

 15冊のうち琉球弧系は2~8の7冊。そのうち5~8は谷川健一の全集24冊のうちの沖縄部分で、新刊だと1冊6,500円+税のところを1,388~4,257円で手に入れることができ、とてもシアワセ。待てば海路の日和あり、でしょうか。

 藤沢周平が5冊。1973年の「暗殺の年輪」から年次を追って読み進め、ようやく現在文庫本で読める作品の半分近くまで来ました。まだまだ先は長い。
 ほかには飲み食い関係2冊と文学オムニバスが1冊。

 沖縄関連本の割合は全体の半分以下にまで落ちてきており、興味の向く先も様変わりしてきているということなのかもしれません。

 分厚い谷川全集4冊が書棚で重厚な存在感を放っており、さてどこから攻めるべきかと困惑することしきり。
 いつものことだが、一歩一歩着実に読んでいくしか消化策はない。



 経営者が高齢化し、その後継者がいないなどの理由で、沖縄の大衆食堂が着実に減少していることに憂いを感じています。
 ドカ盛で名を馳せた与那原の「かっちゃん」、テビチ料理のナンバーワンとして著名だった那覇市西町の「嶺吉食堂」、黒いハンバーグの浦添市勢理客の「大衆食堂泉」、占領時代を彷彿とさせたコザの「ニューヨークレストラン」などはすでになく、南部ではピカ一と思っていた喜屋武の「家庭料理の店三姉妹」もカラオケスナックに衣替えしてしまいました。

 そんなノスタルジーに駆られて、2012年発行のこの本を古書市場から手に入れて読んでみたところ。
 2011年3月で休刊となった地元情報誌「おきなわJOHO」で連載していた「古食堂味巡り」を加筆訂正し、11軒の追加取材を経て完成したもの。20年以上取材し食べ歩いた中で、食べてユンタクして笑った味わい深い満腹の食堂60軒を紹介しています。
 この本を手に沖縄の食堂に足を運び、美味しい食事しながら楽しいひとときを味わって下さい――とのことです。

 書き手の嘉手川学は那覇生まれで、「オキナワふうどライター」を自称。沖縄のタウン誌の草分け「月刊おきなわJOHO」の創刊メンバーで、歴史、文化、音楽などの沖縄ネタは何でも書くが食べ物関係には特に強いライターとして印象に残っています。

 さてその60軒。全部店名を列挙したほうがわかりやすいでしょ!
 ひまわり食堂(国頭村)、レストランふりっぱー(名護市)、嶺吉食堂(那覇市、閉店)、大衆食堂ミルク(同)、南国食堂(八重瀬町)、みつ食堂(那覇市、閉店)、でいご食堂(同)、普天間コーヒーシャープ(宜野湾市)、お食事処三笠(那覇市)、高良食堂(同)、元祖ステーキハウスビッグハート泡瀬店(沖縄市)、波止場食堂(国頭村)、家庭料理の店まんじゅまい(那覇市)、大衆食堂むつみ(同、移転)、はつみ食堂(浦添市)、ゲンキ食堂(那覇市)、春風堂(同、閉店)、海洋食堂(豊見城市)、お食事処かねふく(同)、大衆食堂泉(浦添市、閉店)、やまさち食堂(那覇市、閉店)、お食事の店まあぼう(同)、御食事の店純(同)、イタリアンハウス(同)、お食事の店でいご(同)、お食事の店ブルボン食堂(同)、やんばる食堂(同)、がじまる食堂(北谷町)、丸宮食堂(宜野湾市)、みどり屋食堂(宜野湾市)、大衆食堂ミッキー(沖縄市)、お食事の店かおる(うるま市)、栄食堂(沖縄市)、うえはら商店(同)、オークレストラン(同)、南食堂(糸満市)、にしき屋食堂(本部町、閉店)、とんかつの店かつ亭(南風原町)、かめ食堂(那覇市、閉店)、みなと食堂(本部町)、お食事処紀乃川(同)、前田食堂(大宜味村)、読谷山そば(読谷村)、ちえ食堂(本部町)、ステーツサイズ(那覇市、閉店)、チャーリーレストラン(南城市)、ハイウェイドライブイン(沖縄市)、お食事処つるや(那覇市)、定食丸仲(沖縄市)、よね屋(那覇市)、お食事処メモリー(同、閉店)、割烹居酒屋江戸前(うるま市)、あやぐ食堂(那覇市)、波布食堂(同)、FOOD食堂MyHouse(宜野湾市)、グランド食堂(沖縄市)、きょんたろう食堂(那覇市、閉店)、お食事のでいご(同)、お食事処みかど(同)、軽食の店ルビー(同)(登場順)

 ――とまあ、すさまじいラインナップ。このうち閉店してしまった店は10店。ここに載っている店は老舗で頑張っているほうなのかな。
 この本で初めて知ることになった店は多し。まだまだ未踏の店は多いです。一方で、過去に訪問したことのある店は少なくとも18店はあり、長い間沖縄を歩いてきたことも実感したところです。



 「太平洋戦争中、地上戦で20万人以上の犠牲者を出した沖縄。本土復帰しても広大な基地は残され、米軍の起こす事故は後を絶たない。この連綿と続く構造的沖縄差別のルーツを解き明かし、本土の視線にひそむ欺瞞を仮借なく暴くことで、この国の歴史と現在を照らし出す。」
 「基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、闘う二人の作家が告発する!
  だれも傍観者、忘却者であってはならぬ――。
  沖縄問題は、ヤマトゥが糊塗した欺瞞そのものである。
  本質を射貫く眼差しと仮借ない言葉でこの国の歴史と現在を照らし出す徹底討論!」

 ほとんどケンカ腰の目取真俊がすごい。すご過ぎて、対談とは言いながら目取真が一方的にしゃべって空回りしているところがあります。沖縄の現実に理解を示そうとしながら話しかける辺見庸に対して、「現場に来てやってみろ」と目を合わせずに語る目取真――という構図です。

 共同通信社の企画により、2017年3月13日、共同通信社が本社にて行われた対談をまとめたもの。
 「はじめに」を目取真が、「おわりに」を辺見がそれぞれ記し、その間に「沖縄から照射されるヤマトゥ」「沖縄における基地問題」「沖縄戦と天皇制」「国家という暴力装置への対抗」の4つの章が挟み込まれています。

 この書のひとつの捉え方として、2018年1月7日の沖縄タイムスに掲載された白井聡・京都精華大専任講師の書評を以下に引用しておきます。

 先日、ある論壇誌の編集者と会話した際に、こんな嘆きを聞いた。「もっと沖縄の特集をやりたいのだが、沖縄特集と銘打つと売り上げ部数が如実に伸び悩む」。
 私もこの現状は皮膚感覚でわかる。沖縄の基地問題は、日本全体の問題であり、日米関係の矛盾の濃縮したかたちでの表れなのだ、という認識が本土ではいまだに広まっていない。
 だから政府は、「反抗的な」翁長県政を懲らしめるために、来年度の沖縄振興予算の削減を平気で行える。
 しかし、東京の政府が認識の広まりまで禁圧できるわけではない。茫漠たる無関心が、メディア関係者や知識人といった世論形成者をも「自然に」覆っているのである。辺野古や高江で基地建設反対運動の先頭に立ってきた山城博治氏が、不当な長期拘束からようやく解放されたとき、山城氏の主張をどの在京メディアよりもしっかりと取り上げたのは、あろうことか「星条旗新聞」であったことを知ったとき、本土の政府だけでなく市民社会も、現状では沖縄基地問題に対処する能力を持っていないことを私は確信した。
 辺見庸氏はこのような本土を、「思考力と記憶力と反抗心」を失った「愚民」の住む「クソみたいなところ」と容赦なく形容し、目取真俊氏の批判は日本政府はもちろんのこと、本土の沖縄問題への共感者にも向かう。自己満足を目的とした共感など有害無益だと。
 私が両氏と認識を共有するのは、本土の現状には何の希望も見いだせない、という点においてである。北朝鮮からの核ミサイルに備えると称して、頭を抱える訓練をしている人々の姿を見るがよい。社会的無関心と無知から生じた政治的幼児性は救いがたい水準に達しており、その姿に映し出されているのは社会の崩壊である。
 そして、沖縄問題への対応(正確には、対応能力の欠如)にこそ、この劣化が最も明瞭に表れている。本土の読者たる私は、このような腐敗物と沖縄はやがて手を切るだろうことを予測させる「警告」として、本書を受け取った。
 沖縄の読者に、本書は何を与えるだろうか。それは、ある種の覚悟や決意であるかもしれない。

 もうひとつ、日本経済新聞の簡潔な書評。

 ともに組織や集団を背負わない「単独者」として書き、発言してきた作家2人による対談だ。
 辺野古の海でカヌーをこぎ、基地建設への抗議を続ける目取真の現実に肉薄する言葉。目取真の小説が提起する「暴力」を高く評価し、身に引き受けようとする辺見の思考。国の名の下に行われる差別と暴力の構造、歴史を可視化する。

 辺見庸のプロフィールを記しておく。
 1944年宮城県生まれ。早大卒。70~96年共同通信社でハノイ支局長や編集委員。91年「自動起床装置」で芥川賞。94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞、2011年「生首」で中原中也賞、12年「眼の海」で高見順賞、16年「増補版1★9★3★7」で城山三郎賞を受賞。



 私は「私」のことを書きたいといつも思う。けれど書かれた「私」はナマ身のこの私とは別モノにならざるを得ない。また、「沖縄」と「私」というようなことを書いていっても「沖縄」と「私」の間には深いミゾが横たわっている。俗にいう男と女の間のように。――という、崎山多美の第二エッセイ集。

 砂子屋書房からの発行。砂子屋書房は歌集・詩集を中心に出版・販売している東京都千代田区内神田の出版社。かつてとある短歌文学賞の事務局をしていたときに、多くの歌集の発売元としてよく耳にしたものです。

 読んでいて、著者の本業が予備校教師であること、中学の頃はコザでやんちゃしていたこと、一度コザを離れたものの著作当時にはコザ界隈に住んでいること、沖縄の芸能に造詣が深いこと、などがわかります。
 組踊に関して、著名な立方である瀬底正憲や宮城能鳳に対する批判は強烈で、慣れから驕りがきていると一刀両断にしています。

 ちょっと深呼吸、コトバの小箱、コトバ・言葉・ことば、シマ・生活・老人・子供、ブック・レビューの5章立て。
 ブック・レビューでは、既読の大城立裕「水の盛装」、目取真俊「魂込め」のほか、目取真俊の「盆帰り」その他の短編、岩森道子「石の里」、小浜清志作「後生橋」なども。

 ここで、先に読んだ「沖縄への短い帰還」(池澤夏樹著、ボーダーインク、2016)に崎山著「ゆらてぃく ゆりてぃく」の書評が載っていたので、その一部を以下に抜粋しておきます。

 小説は書かれるものと語られるものから成る。書かれるものは史ないし誌である。語られるのは話。書かれる方はどこか公式で、作者がことのすべてを知っているという前提の上に立っている。語られる方は一人の語り手を想定する。
 沖縄の作家崎山多美の「ゆらてぃく ゆりてぃく」を読むとこの二つの関係がよくわかる。一方ではこれは保多良島という架空の、しかし沖縄のどの離島でもありうる島の、島史ないし島誌となっている。作者は相当にファンタスティックな島の歴史や民俗誌をしたり顔で書き連ねる。他方には、島に住む者たちの独り語りによって主観的に提示される話がある。独り語りではあるが、合いの手を入れる聞き手はいる。
 どちらの記述も現在については薄く、過去が圧倒的に濃い。現在にはただ過去を整理し展示する場としての意味しかない。すべてはすでに終わっている。
 沖縄という土地の精神性を最も正確に小説の形で表現しようという意図が、こういう作品を生む。ヤマト(日本本土)の読者にわかりやすいようにという配慮を捨てて、沖縄の本性を歪めることなく書く。わかりやすいストーリーを望むことはできない。なぜならば、それよりもずっと大事なものがあるから。
 この小説で沖縄の言葉が多用されるのは当然で、それが読者を限定するのはしかたのないことだ。
 話は「ありんかん、くりんかい」(あちらへこちらへ)ふらふらと揺れながら進み、やがて物語ぜんたいが見えてくる。・・・
 濃厚な過去がかつてあった。今はない。この島ではしばらく前から子供が生まれず、島社会の消滅は目に見えている。この話ぜんたいが強い喪失感に包まれ、哀切の情が漂っている。そういう沖縄が小説として表現される。
 「後(ヌチ)ぬ事や、ヌーん心配(シワ)しみそーらんぐと、彼方(アマ)かいや、心安(ククルやし)やしーと行ちみそーリヨー」(後のことは何も心配しないで、あちらに心安らかに行ってくだされよ)という葬式の挨拶は、沖縄の精神性そのものに捧げられた弔辞のように思われる。



 1994年から2004年まで沖縄で暮らした作家・池澤夏樹が記した、沖縄をめぐるエッセイ、書評、インタビュー、講演、掌編小説を、新城和博らボーダーインクの編集者が厳選をして1冊にまとめたもの。
 「沖縄式風力発言」(1997年)以来19年ぶりとなる池澤夏樹の沖縄県産本。沖縄で暮らした10年と、そこで得た様々な思いが書き記されています。
 単行本初収録されるものも多いようです。「コラムマガジンWander」でのインタビューや、「島立まぶい図書館から眺め」に収録していた書評など、ボーダーインクならでのものも多数。
 解説が宮里千里だというのもファンを喜ばせます。

 この本の刊行にあたり新城和博は、「版元ドットコム」というウェブページで次のように書いています。
 「・・・池澤さんと那覇で飲む機会があったので、沖縄に住んでいたころの文章をいろいろ集めて、あらためて本にできないかと話した。文章のセレクトは僕がおおよそ行い、単行本未収録の文章もできるだけ載せる。池澤さんも、沖縄の10年、そしてこの先を考えるにあたって、あらためてまとめることに興味をしめした。
 結局、沖縄に来る前から去った後まで、およそ25年にわたる期間の中から、エッセイ、書評、インタビュー、講演、掌編小説など、さまざまな沖縄に関する文章を収録した「沖縄への短い帰還」は、話を持ちかけてから2年ほどたち、ようやく刊行することになった。
 ・・・沖縄に来た人も、去って行った人も、沖縄に住んでいる人も、それぞれ時間が過ぎ去った。この本を製作しながら、沖縄で生まれ育ち、ずっとこの島にいる僕も、あの“沖縄”としか名づけようのない季節にいたのだと、なんだかずいぶん感慨深い一冊になった。」

 こうしてみると、本というものもまた、人と人とのつながりの中で生まれ、育っていくものなのだなと思う。そして、そういうストーリーこそが、書き綴られた中身をぐっと味わい深いものにするのでしょう。
 内容の一部を紹介すると、次のとおり。

 エッセイなどは、「今なら間に合うヤンバル探検隊」「沖縄人のための越境のすすめ」「おろかな魔物は直進する」「泡盛にあって他にないもの」「四軍調整官による講演の計画に抗議する」など。
 沖縄に関する本の書評・解説で取り上げているのは、「南島文学発生論」(谷川健一)、「八重山生活誌」(宮城文)、「山原バンバン」(大城ゆか)、「高等学校 琉球・沖縄史」(沖縄県歴史教育研究会)、「アコークロー」(宮里千里)、「琉球王国」(高良倉吉)、「料理沖縄物語」(古波蔵保好)、「水滴」(目取真俊)、「恋を売る家」(大城立裕)、「てるりん自伝」(照屋林助)、「ゆらてぃく ゆりてぃく」(崎山多美)、「沖縄おじぃおばぁの極楽音楽人生」(中江裕司)、「街道をゆく 沖縄・先島への道」(司馬遼太郎)、「新南島風土記」(新川明)、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(佐野眞一)など。
 講演は「太平洋に属する自分」。

 ボーダーインクにしては少し値の張る本ですが、いい読み応えがありました。



 著者は、震洋特攻隊の隊長として奄美群島加計呂麻島に赴任した経験を持つ作家。1945年8月13日に特攻戦が発動され出撃命令を受けたものの、発進の号令を受けぬまま待機するうちに終戦を迎えました。
 その当時のことを書いたのがこの作品集。代表的な短編作品と言っていい「島の果て」(1948)、「徳之島航海記」(1948)、「夜の匂い」(1952)、「アスファルトと蜘蛛の子ら」(1949)、「廃址」(1960)、「出孤島記」(1949)、「出発は遂に訪れず」(1962)、「その夏の今は」(1967)の8編が収録されています。(括弧内は初出年)

 1978年の集英社文庫の復刊版として、2017年に発行されたもの。
 南海のカゲロウ島に配属された朔中尉。特攻隊長として、常に死を目の前にして過ごす彼は、島の少女トエに出会う。おとぎ話のような二人の恋。戦局が緊迫する中、遂に出撃命令が下る――。(「島の果て」)
 趣の異なる8編を、寄せては返す波のように体感できる短編集。生々しく描かれる感情表現と、やわらかな筆致で綴られる情景描写とが両立することで、島尾戦争文学の存在は決定的なものとなります。

 全体として表現手法が古典的で、センテンスが長く、句読点が少ない文体。少し読みにくいですが、戦争文学の記念碑的な作品でもあるので、一文一文をよく噛みしめながら読みました。そうでもしないと自分のバカ頭にはなかなか入ってこないものですから。
 復刊にあたり、新たに著者近影などの口絵と巻末の年譜が追加されています。



 満84歳になった著者が、それまでに書き溜めてきたものをまとめたエッセイ集を出しました。家族たちがこっそり話し合って、新聞や雑誌、機関誌、広報誌などに書いてきた文章をまとめて出来上がったものであるとのことです。いい話じゃないですか。
 統一性や方向性はないけれども、そのほうが面白かろう、それがエッセイ集だろうと思い直して出版に至ったというのもいい話です。
 古いものでは1958年のものから所収され、直近のものは2011年。半世紀以上にまたがるエッセイ集になっているというのがすごいです。

 儀間進の本はこれまで「語てぃ遊ばなシマクトゥバ」(沖縄タイムス社、2000)、「楽しいウチナーグチ」(沖縄文化社、2009)を読んできていて、自分にとっては3冊目でしょうか。

 儀間進という人は、1931年首里生まれ。琉球大学文理学部国文学科卒で、「琉大文学」にも参加していました。高校教師となり、そのかたわら1970年には個人誌「琉球弧」を創刊。
 82年に沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。87年、「うちなーぐちフィーリング」(沖縄タイムス社)で沖縄タイムス出版文化賞受賞。沖縄エッセイストクラブ会員。

 目次から項目をいくつか拾い上げると、「標準語との出会い」「祖父の教え・父の教え」「熊本方言との出会い」「方言論争から40年」「沖縄方言が生き残るとすれば」「ウチナーグチ、自信を持って語りたい」「ユンタクは断髪屋で」「コザ文化論」「ベトナム戦とふんどし」「故郷を失うことでものが見えた」など。

 ウチナーグチとヤマトグチのはざまで引き裂かれ、悩み、苦しみ、ときには落ち込み、しかし自信と誇りを持って、自分のことばとそのことばが生み出す沖縄文化のやさしさを語り続けた著者。
 ユーモアとペーソスにあふれたエッセイたちは、著者の自分史であり、同時代の沖縄の文化・社会史でもあるのでしょう。



 沖縄関連であれば、ジュニア向けだって読みます。(笑)
 「中二の夏休み。英治、安永をはじめぼくら9人は沖縄に遠征した。沖縄の美しい自然が、アコギなリゾート開発業者によってメチャメチャにされてしまうことを銀鈴荘のまさばあさんから聞いたのがきっかけだ。21世紀には紺碧の海がなくなってしまうなんて許せない!と怒りに燃えたぼくらは、手ごわい土建業者を相手にイタズラ大作戦をくりひろげるが……。サンゴと白浜とマングローブ林に囲まれた小さな秘島を舞台に、元気いっぱい戦った真夏の思い出――。」――背表紙から。

 宗田理の本を初めて読みました。1928年生まれというから、間もなく90歳。
 この作品は1991年初出のようです。当時はバブル景気の真っ只中で、リゾート開発が盛んに行われていた頃でした。映画「ぼくらの七日間戦争」(1991年)の原作小説だそうです。

 舞台は八重山の離島・神室島。八重山の人たちはこの島をパナリと呼んでいるとの記載があるので、これは新城島がモデルなのでしょう。過疎化して学童が4人になってしまったとあり、当時の様子が偲ばれます。今はもう、住んでいる人の数がその程度になっています。
 ここに大規模なホテルとゴルフ場ができるという設定ですが、今となってはそれも夢。いくらすごいリッチマンでもここにゴルフをしにくることはないだろうと思います。

 いくら利口な中学生といえども、大人を相手にこううまくばかりはいかないだろうと思わせる場面が多くあり、子どもならいざ知らず、大人が読んでわくわくするものではないようです。

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 3月以降、今日までに買った本は、購入順に次の9冊です。

1 沖縄・離島情報2017-2018 林檎プロモーション 201704 849
2 竜宮歳事記 どんとの愛した沖縄  小嶋さちほ 角川文庫 200601 古477
3 立腹のススメ  宮良長和 沖縄タイムス社 200610 古513
4 オキナワ紀聞  砂守勝巳 双葉社 199806 古351
5 ニッポンの奇祭  小林紀晴 講談社現代新書 201708 古537
6 帰る家もなく  与那原恵 ボーダーインク 201804 1944
7 あの瞬間、ぼくは振り子の季節に入った  荷川取雅樹 ボーダーインク 201803 1836
8 茶と琉球人  武井弘一 岩波新書 201801 842
9 偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する  仲新城誠 産経新聞出版 201707 古401

 いずれも沖縄関係本。1、6~8の4冊は新刊、2~5、9の5冊は古書市場から。
 このところけっこう沖縄本を読んでいて、本棚の未読ストックは少しずつ減少してきています。
 多いときで平積みの山が7つありましたが、今は5つとちょっとで、崩れてきそうな圧迫感が多少は薄らいできました。そうは言っても冊数にすると60冊ほどあり、まだまだなのですが。(笑)

 それは、近時沖縄本をあまり追加して買っていないことにも原因があるわけで、つまりは沖縄に関する面白そうな本がそう多く発売されていないとも言えるのかもしれません。
 この頃の沖縄本の新刊は、その数自体が一時のように多くはなく、内容についても基地問題や沖縄戦、観光などに関するステロタイプなものが中心で、沖縄の地域カルチャーに関するものは激減していると言ってもいいと感じています。
 さらには、新刊発売時に買い残したものをここ数年古書で買い漁ってきましたが、それらもあらかた手に入れて一段落した感じがあります。

 そんな状態でもあったので、本ではなく、久々に買った音楽CDについても書いておきます。
 奄美シマウタの朝崎郁恵の2枚です。これらも中古で格安に。

 CD おぼくり  朝崎郁恵 200505 古2330
 CD うたばうたゆん  朝崎郁恵 200208 古1111



 「伝説を具体的な事物と関連づけること、伝説が「事実」だった時代の想いを共有すること、伝説の信憑性を少しでも回復させること、それが「伝説を歩く」ということである。」――という力強い前口上で、全36編の伝説話が写真と共に紹介されていきます。

 それらは、あまりにも自分の興味の赴くところと合致しているので、全部挙げておくことにしましょう。
 「鬼餅の由来…内金城御嶽」、「識名坂の遺念火…識名坂」、「怪物ガーナー森…ガーナー森」、「普天満宮の由来…普天間権現発祥之地」、「黒金座主…大村御殿跡」、「真玉橋の人柱…真玉橋」、「琉球の開闢神話…ヤハラヅカサ」、「稲作発祥の伝説…受水走水」、「黄金の瓜子…イシキ浜」、「木田大時の占い…木田大時の屋敷跡」、「白銀堂の由来…白銀堂」、「奥武の観音像…奥武観音堂」、「飛び安里…飛び安里初飛翔顕彰記念碑」、「手登根大比屋…フッチャー石」、「袖離れ坂…野嵩石畳道」、「妖怪を封じた経塚の碑…経塚の碑」、「森の川と天女…森川公園」、「浜比嘉島のアマミキヨ…シルミチュー霊場」、「泡瀬ビジュル…泡瀬神社」、「屋良漏池の大蛇…屋良ムルチ」、「赤犬子の伝説…赤犬子宮」、「運玉義留…運玉森」、「多幸山のフェーレー…フェーレー岩」、「金武観音寺の由来…金武観音寺」、「夫振岩の由来…夫振岩」、「源為朝伝説…源為朝上陸記念碑」、「受剣石…テンチヂアマチジの御嶽」、「大宜味のブナガヤ…喜如嘉の七滝」、「天岩戸のクマヤ洞窟…クマヤ洞窟」、「無蔵水の由来…無蔵水の岩」、「宮古島の創世神話…漲水御嶽」、「ヨナタマと継子伝説…通り池」、「マムヤの悲恋伝説…マムヤの墓」、「野底マーペー…野底岳」、「赤口とティラ石…赤口」、「ティンダバナの伝説…ティンダバナ」。

 いやはや、すごい。沖縄を歩き始めてから四半世紀以上が経つのでこれらの大部分については聞いたことがあり、またかなりの場所を現地に赴いて見てきています。
 この中で未踏なのは、ガーナー森、木田大時の屋敷跡、飛び安里初飛翔顕彰記念碑、フッチャー石、野嵩石畳道、運玉森、テンチヂアマチジの御嶽、喜如嘉の七滝、マムヤの墓、赤口の10箇所。
 沖縄の「まちまーい」のガイドブックとしてスグレモノ。沖縄に行く機会を捉えて、この本を参考に、未踏地についても見に行きたいと思います。



 「怪」が日常と隣り合わせに潜む沖縄。この地を包み込む、知られざる恐怖と怪異が今、語られる……。邪悪なものはヤナカジと共にやって来る――。
 TOブックスの「怖い話」の3冊目。ワンパターンなんだよなぁと思いつつ、読んだ小原猛の本はこれで6冊目になります。

 38本の怖い話。各ページは黒い縁取りがしてあり、ページの余白部分が書かれている以上の何かを訴えたそうな雰囲気がいいです。
 カニハンダーとは、神様に取り付かれている、タガが外れているという意味。ほかにもシタナカジ(汚い風)、ヤナカジ(嫌な風)、マブヤーウー(魂の緒)、マブヤーメー(魂の飯)、ターリ(憑依していること)、ジチチケー(術使い)、イチジャマ(生霊)、サーダカー(精が高い)などの沖縄特有のスピリチュアル用語も登場します。

 文章はことさらに怖いところを強調するようなものでなく、むしろ沖縄の死後の世界は現世のすぐ近くにあるのだなと思わせるようなもの。真夏の怪談のように子どもたちを怖がらせる迫力はなく、異界への扉はいつでも目の前に開かれているような錯覚を覚えます。

 著者は「前口上」で次のように記しています。
 私にはすべての話が現実に起きたことだと断言することはできない。ただ、これだけは言えるのである。それが現実に起こったかどうかはともかく、それが起こったと信じている人々は確かにいて、彼らはその体験から大なり小なり、影響を受けているのであると。
 ただ沖縄には怖い半面、優しい神々もいる。神々とは祟りを引き起こすだけの存在ではなく、人々を助ける存在なのである。人と神が協力して調和して初めて、沖縄という存在は実際の価値を見出すのだ。そんな風にも思う。
 とにもかくにも、怖いだけではない、沖縄の不思議な話を聞いてもらいたい。そして沖縄に来たことがない方は、いつか沖縄まで足を運んで、自分の目で確かめていただきたいものである。



 いじめを受けて不登校だった航は、小学6年生の春から「神が宿る」という沖縄の離島・神高島にある施設で新たな生活を始めた。そこで、ミウという赤い髪の少女に出会い、次々に不思議な体験をする。――というストーリー。
 2011年の産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞作です。

 神高島のモデルは明らかに久高島。徳仁港やその近くの売店、久高島宿泊交流館、五穀が流れ着いたとされる伊敷浜などの描写が出てくるほか、北のカベール岬も「クベール岬」として登場します。
 モチーフは、里子を受け入れた海浜留学を題材とした鳩間島の「子乞い」(森口豁著、1985年初出)にも似ています。そして、久高島のノロ、キジムナー、海ぶどう、イラブーなども取り上げられているので、沖縄マニア、特に久高島経験者は楽しく読めるはずです。

 著者の末吉暁子は、1942年生まれの児童文学作家。児童文学の延長にあるので、文章は平易でわかりやすく、文字も大きいので、どんどんページが進みます。
 当作は68歳(2010年)での発表ですが、子供同士の会話や使われる用語に古臭さはなくむしろ現代風で若者言葉なのがユニーク。
 2016年に73歳で病没しています。



 沖縄屈指の作家である著者が生まれ育ったのは、大宜味村大兼久。戦前は漁業の町で、南洋諸島のパラオやペリリューで戦死した人々が多くいる土地柄なのだそうです。
 団塊の世代に生まれた著者は、戦後70年を過ぎて、やっと戦争と向き合える時間を手にすることができたといいます。定年退職を迎え、父や兄が死亡した年齢を過ぎると、父が召集されたパラオのことが気になり、生まれ育った大兼久の戦死者のことが気になり始めたと、プロローグに書いています。

 「戦死者たちにとって、織り成されるはずであった人生の物語はどのようなものであったのだろうか。個々人にとってかけがえのない一つきりのその物語が奪われたのだ。(略) 戦後70年間、郷里のこの土地は、無念の思いで斃れていった人々の血と物語を吸い込んで、空を見上げ、雨に打たれ、風に曝されてきたのだ。運命と呼ぶにはあまりにも悲しいこの想定内の愕然とした事実が、私にこの本を書かせる動機になったと言っていい。」
 大兼久の戦死者一人ひとりに関することについて、著者は上記のような思いで丹念に聞き書きをしています。

 「沖縄タイムス」のページから、2016年8月に書かれた南風原文化センター学芸員の平良次子氏の書評を以下に引用しておきます。

 最近、戦災調査についていろいろ考えることがあった。体験者が話さずにはいられない、あるいは話したくない心境は、聞いている私の人生に大きな影響を及ぼすような気がしてきた。非体験者の私たちがその体験を知るか知らないかで、記憶や記録に残るか否かということだからである。本書を手にして、なんだか胸騒ぎがした。

 この本は沖縄に生きる私たちにとっての沖縄戦という歴史が、「あってほしい未来」に託す大切な人とのつながりや人と地域の歴史物語から教わることの重要さを刻んでいる。
 これまで私がとらえていた沖縄戦の記録や記憶の継承などというカテゴリーを超えていた。戦死者や戦死者とともに生きてきた人たちの記録であるとともに、その「戦争体験者」と現在を生きてきた戦後生まれの人たちを重ね合わせた「物語」であるのだ。
 また著者が地元の戦争体験記録を「私をも変革してくれた」と記されたように、あらためて親しい人たちの戦争の記憶に向き合った日記のようでもあった。

 私がこれまで読んだ戦争体験証言や記録と明らかに違うのは、語り手の言葉がカギかっこで書かれていること。それに聞き書きをする自分自身の感情、同行した人たちの様子をも含めて文章化されている点だ。それは戦争体験者の話をどのように受け入れているか、という記録でもある。
 戦争犠牲者(あえて本書はそう書かれている)の話を非体験者がどんな気持ちで受け入れたのかは、これまで読んできた戦争体験記録からはなかなか見えない事であった。主人公が体験者そのものだからだ。なるほど、聞き手、書き手の様子も同時に記録表現する、そういうやり方もあるのかと新鮮であった。体験者の声を常に聞き取る自分の生き方に反映させることを意識している、と思った。
 また沖縄国際大の田場裕規先生の解説は今後の沖縄戦の記録や伝える作業で意識したい重要なことを示唆してくれた。