ウチナーグチの学習本。このジャンルのものはできるだけ入手して、あのやさしいタッチの言葉に触れるようにしています。沖縄県の皆さん、ウチナーグチは宝ですよ。そして日本国民の皆さん、地域語は大事ですよ、消えていくことがないように、みんなで地域語を使っていきましょうよ。

 「思わず使ってみたくなる、いきいきした表現が満載! 「ぅんじ(ほんと?)」、「長(なげー)さやー(久しぶり!)」、「済(し)むんよー(大丈夫だってば)」など、日常生活で使える沖縄語(うちなーぐち)の会話表現や慣用句を、対話例とともに計238収録。思わず使ってみたくなる表現満載で、今ではあまり使われなくなってしまったうちなーぐちが、豊かにいきいきとよみがえります。ポイントとなる語句には解説が付いて、独習者も安心。うちなーぐちの音声はHPから無料でダウンロードできます。巻末索引付き。」――という素敵な本。

 簡単なあいさつなどの基本はもちろんのこと、喜怒哀楽を表す表現や依頼の仕方、遊びや食事、恋愛の場面で使える表現、ビジネスシーンで使えるフレーズまで網羅されています。
 また、タイトルの「リアル」が示すとおり、教科書的なウチナーグチではなく、ネイティブスピーカーが日頃用いるフレーズを知ることができます。

 本に載っている238フレーズのすべてを著者が話し、その音声をダウンロードして何度でも聞けるようになっている、というのがこの本の真骨頂。読むだけではわからないイントネーションや微妙な発音などが手に取るようにわかるし、生のウチナーグチを臨場感たっぷりに味わえるのがとてもいいです。

 さて、著者の比嘉光龍(「ふぃじゃ ばいろん」と、ふりがなが施されています)。
 沖縄ではそれなりに有名人で、1969年那覇生まれの、コザ(現沖縄市)育ち。父は米国人、母は沖縄の「アメリカ系うちなーんちゅ」で、国籍は日本。24歳時に初めて三線に触れ、ウチナーグチは沖縄芝居の名優真喜志康忠から指導を受けたという人物です。
 沖縄大学地域研究所特別研究員、沖縄キリスト教学院大学・沖縄国際大学非常勤講師。その他、新聞コラム執筆、沖縄語講師としてテレビ出演、ラジオ番組パーソナリティなどに携わっています。

 後半になってくると、「御胴(うんじょー) しぐ 逆上 (ぬぶ)しやびーくとぅやーたい」(あなたはすぐに緊張しちゃうのよねっ)とか、「うぬまーま 置(う)ちきてーいびーるむんぬ」(置きっぱなしなんだもの)とか、「入(い)ららん 目(みー)んかい 入っちゃるむん」(まずいところに来ちゃったなぁという慣用句)などと、ヤマトンチュにとってはかなり高度になっていきます。
 なので、スピードラーニングは無理。まずは読み、声を出して発音し、音声を聴き・・・という段階を踏みながら、各フレーズを一つひとつじっくりと味わってみたところです。

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 2017年9月に買った本は、次の9冊です。

1 王都首里見て歩き  古都首里探訪会 新星出版 201607 古1431
2 沖縄を売った男  竹中明洋 扶桑社 201703 古1404
3 東京B級グルメ放浪記―知られざる名店を探せ!  鈴木隆祐 光文社知恵の森文庫 201111 古259
4 ヒストリア  池上永一 KADOKAWA 201708 2052
5 沖縄と国家  辺見庸、目取真俊 角川新書 KADOKAWA 201708 864
6 島の果て  島尾敏雄 集英社文庫 201707 734
7 長さ一キロのアナコンダがシッポを噛まれたら  椎名誠 角川文庫 201709 648
8 心 水の如く 那覇市政十六年の回想  親泊康晴 沖縄タイムス社 200201 古1237
9 樹響 でいご村から―大城貞俊作品集〈下〉 大城貞俊 人文書館 201404 2862

 4~7と9が新刊で、1~3と8が古書です。
 古書とは言っても、1や2はわりと新しいもの。1は発売時にすぐ売り切れて買えなかったのを少しだけ安く手に入れることができたもの。また2は、安くなったなら買おうとはじめから古書狙いをしていたもの。

 ここにきてようやく、沖縄モノが9冊中7冊と、王政復古の感。
 池上栄一の新刊が久々に出たのがウレシイし、9は高いので値崩れしてから古書で買おうと思っていたけどちっとも下がらないので、業を煮やして新刊でゲットです。8なんかも興味深いよなぁ。

 沖縄でないのは、3のグルメ本と7のシーナ本。すでに3は読み始めています。



 沖縄の「食」には独特なものが多くあります。食材そのものがユニークなことはもちろんですが、「食文化」にも見るべきものが多いのです。琉球王朝時代の流れを汲む料理法や、アメリカ占領時代に持ち込まれて定着した食習慣、そして、かつてと比較すればややパワーダウンしたとはいえ百花繚乱の大衆食堂など。
 とりわけ大衆食堂については、アンマーの愛情たっぷりのおいしさとボリュームと激安感が相俟って、もはやワンダーランド化しているなあというのが率直な感想です。したがって、沖縄を訪れれば必ず何軒かの大衆食堂で定食や沖縄そばなどを味わうことにしていて、むしろそれが沖縄訪問のいちばんの目的にもなっているこのごろです。
 で、この本。発行元のウェブページから内容の紹介文を以下に引用。

 沖縄には、独特の歴史と風土から生まれた、個性的な店が数多くあります。
 おじぃやおばぁがやっている沖縄そばの店、琉球王国時代の宮廷料理の流れを受け継ぐ琉球会席、体も心も癒されるヒージャー汁(ヤギ汁)の食堂、市場の片隅で続くりシークヮーサージュースを売るスタンド、アメリカ軍政中の時代にオープンしたアメリカンスタイルのドライブインなどなど。
 こうした店は最近、チェーン店や開発の波に押されて数が減りつつありますが、地元の人に愛され続ける名店であり、沖縄の長い歴史や風土が詰まった、大切な沖縄の食文化といえます。
 本書では、こうしたお店を紹介しながら、沖縄の古きよき文化や風土について触れていきます。
 沖縄を愛する人、沖縄のことをもっと知りたいリピーターの人にも、ぜひおすすめしたい、保存版的内容です。

 登場する店は、きしもと食堂、三笠、イラブー料理カナ、仲地山羊料理店、道頓堀、照ちゃん天ぷら、やまや、富久屋、美栄、新垣カミ菓子店、歩、花ぬ島/アガパンサス、千日、おでん東大、まんぷく食堂、シーサイドドライブイン、コーヒースタンド小嶺、ブエノチキン、ジャッキーステーキハウス、チャーリー多幸寿・・・と、名店ぞろいです。けっこう食べ歩いているつもりですが、未訪の店はまだまだたくさんあるものです。

 紹介店自体もいいですが、キッチンミノルの写真がとにかくスバラシイ! 沖縄の人々の日常が垣間見え、なによりも切り取った食べ物たちがおいしそう。料理写真撮影のスペシャリスト?! きっと食べることが、沖縄が、大好きな写真家なのでしょう。

 まさに、保存版的な内容です。こういう店が地元に愛され、末永く残っていくことを強く望みます。



 一風変わったタイトルの2010年発行の沖縄関係小説を、古書市場から安く買ってみました。著者も知りません。
 ヒントは、販売サイトの解説に書かれていた次のような文章のみ。
 「昭和初期、世界恐慌時に一時不振に陥った日本の石炭産業は、満州事変以降、戦争への傾斜を強める帝国日本の国策下、軍需の拡大から再び活況を取り戻す。
 日本の最南端の採掘場として西表島のジャングルに埋もれる炭鉱も、坑夫1,200名を擁する規模に発展した。
 そこで坑夫として働いていた中には詐欺同然に連れてこられた者も少なくない。南洋の緑の楽園と信じてやってきた者を待ち受けていたのは、果てしない強制労働とマラリア、奴隷のような生活だった。戦時には小学四、五年生が採掘に従事した記録さえある。
 そうした歴史を踏まえて書かれたこの物語は、無間地獄の底から命懸けで脱出をはかる少年たちの冒険譚である。
 西表では逃走者・脱走者のことを「ピンギヌム」と呼んだ。悲劇の運命にあらがい、生きる道を探った少年たちの決死の脱出は成功するのか!?」
 また、
 「地獄の採掘現場、密林のジャングル、マラリアの死窟で、少年たちは―。
 西表島―東西30キロ、南北20キロの八重山諸島最大の島に、この物語の主人公の家族が渡ってきたのは太平洋戦争への傾斜が深まった昭和14年の春のこと。近代国家をめざす帝国政府が第一の国策事業として推進した炭鉱開発の真っ只中であった。主人公の少年たちは死と絶望だけの闇が広がる無間の底へと落とされた…。」

 ははあ、つまりは、西表島にかつてあったという炭鉱を舞台にした冒険・アクション小説だな。だったら面白そうじゃん。――ということで。(笑)

 それにしても、これを書いた人物は1950年東京生まれといいますから、西表島の炭鉱とは関係がなさそうだし、年齢的にも当事者にはなりえません。いったいどのような経緯があって、このような内容の書をものしようと考えたのでしょうか。
 その著者は、巻末の略歴を見ると、歌手、画家、馬券師などを経て、1986年から小説を書き始め、95年に作家デビューを果たしたという変わり種のよう。
 近隣に西表炭鉱経験者の子孫がいたりするのかもしれません。多くの参考文献を読み、歴史的にも破綻なくまとめられているようです。



 第40回(2014年度)新沖縄文学賞受賞作。
 中沢けい、又吉栄喜、山里勝己が審査員となり、3人がこの作品をもめることなく一致して受賞作に選んだそうです。
 沖縄文学賞とは、沖縄タイムス社が1975年に創設した賞で、これまでの受賞者には又吉栄喜、崎山多美、目取真俊、照井裕、水無月慧子なども名を連ねています。

 著者は、1969年埼玉県生まれ。北海道大学農学部を卒業後、十勝毎日新聞、八重山毎日新聞を経て、2016年からフリー。石垣島をはじめとする沖縄と台湾の関係を中心に取材を続けて、著書に「八重山の台湾人」、「与那国台湾往来記」などがあります。ああ、フリーになったのですね。島旅メーリングリストのメンバーでしたよね。

 ビル管理会社でエレベーターを監視するケイは、ひょんなことからマンションの住人の「おばちゃん」と親しくなり、ルームメイトのユミとともに「神様のところ」へ向かい・・・という、いかにも沖縄っぽいストーリー。
 那覇市内を舞台に、現代風の若い女性二人と都市の集合住宅に孤独に生きる台湾出身の老女が織りなす複雑な多文化世界を描いています。

 台湾の巻き尺の「魯班尺(ろはんじゃく)」がストーリーのキーアイテム。それには数字の列と平行して二字熟語が書かれており、赤い文字はおめでたい言葉、黒い文字は恐ろしい言葉になっているもののよう。
 「おばあちゃんの部屋のドアには、内側に巻尺のようなものが張ってあり、玄関の靴脱ぎのところに立つと身長が測れるようになっていた。おばあちゃんは私の身長を確かめて、部屋に入ってよしと判断したわけだ。・・・」(本文から)

 会話も今風で軽妙、沖縄おばぁのマイペースも健在。さあ、物語はどう展開していくのか?! この続きはぜひ本を買って読んでみてください。
 新書版120ページほどの薄い本。沖縄タイムス社が新沖縄文学賞受賞作を多くの人に読んでもらうために創設したのであろう、「タイムス文芸叢書」の700円。全国の書店では手に入りにくいのが玉に瑕でしょうか。



 南の島の絶景に触れてしまうと、これらを知らないで暮らしていたそれまでのモノトーンの人生はいったい何だったのだろうと思ってしまう心境――、というのはすごくよくわかります。南の島で人生を変えたい、人生をやり直したいと、自分も思ったものです。

 で、この本。
 いったいどこからが「日本の南の島」なのか?
 それは北緯29度付近にある「渡瀬線」(奄美群島の北部付近)より南だと考え、その「見えない不思議な壁」を突破し、かつての琉球王朝の歴史に触れていきます。
 取り上げられる島々は、著者自らが仕事に私事に300回以上足を運んだ中から、選びに選んだ26島で構成されています。
 それらは登場順(=五十音順)に、阿嘉島、粟国島、奄美大島、波照間島、伊江島、伊平屋島、伊良部島、西表島、石垣島、伊是名島、加計呂麻島、喜界島、久米島、黒島、水納島(多良間村)、水納島(本部町)、宮古島、沖縄島、下地島、竹富島、多良間島、渡嘉敷島、渡名喜島、与那国島、与論島、座間味島。
 おおっ、大部分は自分も渡島していますね。これらのうちまだ行っていないのは喜界島、水納島(多良間村)、多良間島の3島だけです。喜界島は宿まで取ってあったのに荒天のために飛行機が飛ばず行けなかったことがあり、多良間周辺は未踏なのです。行かんとなあ、これらにも。

 ページを開くと、南国特有のまばゆいばかりの写真がたっぷり。それらだけでも心がとろけていくようで、こうなると文字はいりませんね。(笑)
 その200点以上の写真は、すべて著者の撮りおろしなのだそう。ドローンで撮影した島全体のショットが満載なのも特徴です。
 各島について、リード文と地図イラスト、短めの本文、島の基本情報があり、あとは写真がバーン! 飽かず眺めてしまいます。

 本シリーズはほかにもヨーロッパ編、アジア編があり、シリーズのキャッチコピーは「人生に必要なのは、iPhoneと勇気とサムマネー!」。
 近年、沖縄でプチリタイア生活をする人も増えているようです。人によってはこの本が、人生を変えるキッカケになってしまうこともあるかもしれませんから、読むに当たってはドウゾお気をつけて。(笑)



 「日本一の長寿バンド「白百合クラブ」の半世紀」と副題の付く、2003年発刊の本です。
 映画「ナビィの恋」や「ホテル・ハイビスカス」の監督・中江裕司がはじめての書き下ろしたノンフィクションです。

 終戦直後の石垣島白保で、若者たちが集まって結成された楽団「白百合クラブ」。手には、ひょうたんで作ったマンドリンに、桑の木をくりぬいたバイオリン。ラジオも電気もない時代、彼らが奏でるあたらしい音楽と、可憐な舞踊に、島の人々は熱狂した。……それから57年、なんと、平均年齢70歳の白百合クラブはいまも活動を続けている!
 彼らにすっかり心を奪われ、ドキュメンタリー映画を撮った著者が、語りつくせぬ彼らの魅力と、知られざる57年の足跡を書き下ろし。メンバーインタビューや、2002年のTHE BOOMとの東京公演の模様などの写真も多数収録。宮沢和史(THE BOOM)による、白百合クラブに捧げる詩も初掲載。
 ――という内容。

 映画を撮るほうが先でしたが、それでは彼らの魅力を語り尽くせないとばかりに書かれたもので、2002年10月、鶯谷の「東京キネマ倶楽部」で行われた東京公演の様子とその写真、映画完成後に新たに取材したメンバーインタビューなどにより構成されています。
 歌われるのは、クラブのテーマソングである「ぼくらのクラブ」に始まって、「港横浜花売娘」、「満州娘」、「ロンドンの街角で」、「白保の十九の春」、「さよなら港」、「桑港のチャイナタウン」「長崎のザボン売り」、「さらばラバウル」、「ミルク節~ヤーラーヨー」など。踊りも入って、すごいものです。
 映画「白百合クラブ東京へ行く」のDVDも一緒に買って観ましたが、本と合わせて観ることによって、白百合クラブメンバーの人生をしみじみ味わうことができてなかなかよかったです。

 底抜けの笑顔はなぜだろう。
 沖縄の戦後は、混乱のなか、辛いことの連続であった。
 しかし、沖縄の人たちは、辛ければ辛いほど、明るく楽しそうにしているように見えた。
 写真で見た白百合クラブの人達の笑顔に、沖縄の戦後が集約された姿を見た。
 白百合クラブだって、楽しいことばかりじゃなかったはずだ。なのにあの底抜けの笑顔はなぜだ。
 この謎を解くためにも、私は白百合クラブに出演を依頼した。(本文より)

 メンバーのうち、会長の西玉得浩は石垣市内でスーパーを営む。(現在は閉店) 大島勇は最年少メンバー(1942年生まれ)。屋号がヒバリ、つまりは大島保克の父ということ。白百合クラブの最盛期に入団したものの病気で活動を休止していた新良幸永は、新良幸人の父です。
 白保というところは音楽の血が脈々と受け継がれている不思議な地なのですね。
 映画が撮られてからすでに14年が過ぎましたが、あの元気でにこやかなメンバーたちはその後どうしているのだろうなぁ。



 1975年といえば、今から40年以上も前ということになりますが、その時代の沖縄のことが旅行者の目を通してどのように記述されているのだろうかとすごく気になって、ウェブ古書店からわずか18円(送料込みで275円)で、2016年5月に入手したものです。
 100ページに満たない、文字も大きめの、手に取りやすい1冊です。

 著者は、千葉県八街市でこどもクリニックを経営している、1963年生まれの医師。その人が1975年当時、つまり小学6年時に書いた作文を忠実に再現したものとなっています。ああ、そういうことね。小学生の感想文なのですね。

 列車で鹿児島へ、そして鹿児島から船で那覇港へと向かっています。
 立ち寄った観光地は、旧海軍司令部壕、ひめゆりの塔、摩文仁の丘、知念海洋レジャーセンター、守礼の門、嘉手納空軍基地、幸地腹門中墓、ハブセンター(多幸山)、万座毛、玉泉洞、嵐山、東南植物楽園など。そしてメインは、沖縄国際海洋博覧会でした。
 ナナサンマル(1978年)前なので、車は右側通行だったようです。

 ホテルでの夜の過ごし方や、めいっぱいお土産を買い集めている様子なども逐一記載されており、当時の家族による観光旅行ってこんな感じだったよなぁと、懐かしく思えたところです。
 子供の目線ということもあり、期待していたものとは異なりましたが、それなりに楽しく読ませてもらいました。



 「基地賛成派の意見を封殺している」、「事実を捻じ曲げている」――。インターネットを中心に「偏向」と批判されることの多い沖縄の新聞報道。しかし、沖縄の新聞―琉球新報と沖縄タイムスの記事は、本当に「偏向」しているのか。
 日本国土の0.6%の面積に73.8%の米軍基地が存在する沖縄で記者をやることとは。
 現場を取材する琉球新報、沖縄タイムスの記者を実際に訪ね、直接話を聞き、沖縄の新聞が生まれた歴史的背景、その報道姿勢を探る。
 ――という趣旨の本。

 著者は、1964年静岡県生まれで、「週刊宝石」「サンデー毎日」記者を経て、現在フリー。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続け、12年に「ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて」で講談社ノンフィクション賞、15年に「ルポ 外国人「隷属」労働者」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞している方です。

 取材対象は、沖縄の2大新聞である琉球新報と沖縄タイムスの記者とOB約20人。ジャーナリストがジャーナリストの話を聞くという形で著されており、こういう形のものは珍しいのではないでしょうか。
 章立ては、「沖縄に向けられる差別の視線」、「捨石にされ、主権を奪われ続ける島」、「沖縄と地元紙がたどった軌跡」、「ないがしろにされる自己決定権」、「「キチタン」記者と権力との攻防」、「地元保守による新報・タイムス批判、「歴史の視座から見えてくる沖縄問題」。
 このように書くと、沖縄批判者からは「またか」、「一方的な」との声が聞こえてきそうですが、そこにはネトウヨの中傷のような謂れのないレベル議論とはまったく違う切実さがあります。
 目の前に基地がある。空を見上げればオスプレイが飛んでいる。米兵による事件は後を絶たない。このような地で記者として生きるということは、こうした現実と真正面から向き合うということなのですから。
 無責任なネトウヨの行動や、自民党「文化芸術懇話会」で作家・百田尚樹氏が発言(2015年6月25日)した「沖縄のあの二つの新聞社はつぶさなあかん」などは、対岸で火事を眺めて痛みを感じることのできない無感覚な人間たちのものでしかないことは、論を待ちません。

 「地元に寄り添い、地元の感情を代弁していくのが地方紙の役割であるのならば、沖縄の2紙はそれを忠実に守っているだけの話ではないのか。」
 「沖縄は、人の住む島だ。人が生きる場所だ。人が生活を営み、息遣いの響く場所だ。・・・沖縄の記者は、沖縄で沖縄の苦渋を吸収しながら、沖縄をさらに知っていく。そして、その場所から沖縄を発信していく。それは「偏向」なんかじゃない。記者としての軸足だ。地方紙の果たすべき役割なのだ。」
 と、著者はエピローグで力強く結んでいます。
 その考えには、私も強く賛同します。



 アグーについてはこれ1冊を読めばあらかたワカルというすばらしい本が、ボーダーインクから発刊されました。
 昭和初期までの沖縄では、豚肉は島豚(シマウヮー)、すなわちアグーがほとんどで、全国一の養豚王国を誇っていたといいます。「琉球料理は豚に始まり、豚で終わる」といわれるほど、島豚とウチナーンチュは切っても切れない関係にあったのです。
 ところが、さまざまな要因によりアグーは一時期消滅の危機に瀕することとなります。これに危機感を抱いた一部の有志がアグーの復活に取り組み、現在ではふたたびアグーの隆盛を見るに至りました。
 本書はそのドラマティックな流れを中心に記しながら、長きにわたって続いてきた沖縄の養豚の歴史をひもといていくものです。

 著者は、1945年生まれの獣医師・調理師・旅食人。鹿児島大学大学院博士課程修了し、沖縄県動物愛護センター所長、県中央食肉衛生検査所所長などを歴任。2006年3月に定年退職し、現在は公益社団法人沖縄県獣医師会会長、(株)サン食品参与。

 雑学的ではあるものの、一部専門的なところも含んでいるので、門外漢が本の内容を説明するのは難しいです。
 そのため、津波高志・琉球大学名誉教授が記した琉球新報2016年5月1日版に掲載された書評を以下に引用しておきます。

「復活のアグー」 旅食人が書く贈り物
 名護市の市立博物館を訪ねると、真っ先に目に飛び込んでくるのが鼻の長い、全身真っ黒な島豚(シマウヮー)、すなわちアグーである。本書は畜産関係の学術博士で、獣医師・調理師および旅食人の肩書を持つ著者の、そのアグーに対する思いの丈を六つの章に分けてつづっている。
 アグーは明治・大正期から次第に姿を消し、戦後にはほぼ消滅しかけたが、最近の関係者の努力で見事に復活した。その「繁栄と消滅、そして復活へ」の経緯を第1章で概括的に扱っている。
 そして、第2章「沖縄と豚との関係」、第3章「史料に見る食生活と豚」および第4章「戦後の養豚復興」では、食文化の中にアグーを位置づけ、かつその歴史的な展開をより詳しく述べている。
 また、第5章「アグー時代の屠殺場から近代的な食肉センターへ」と第6章「沖縄料理における豚肉料理の知恵」では、豚肉一般に関する今日的な問題にまで言及している。
 一読してびっくりするほどの幅広い、豊富な資料が用いられている。それらはいろいろな分野からの活用が可能であろう。民俗学の聞き取り調査から一例を挙げよう。沖縄本島北部のある村で昭和10年にトイレと豚小屋一体式のフールからトイレを分離し、そのトイレを衛生便所と称していた。ただ、なぜその時期なのかについての説明は聞けなかった。しかし、著者が見つけた昭和8年の沖縄県衛生課の書類には寄生虫を撲滅するために「養豚兼便所の廃止」が明記されているのである。
 著者は自らを旅食人(がちまいたびんちゅ)と称している。その食する側の視点が一貫しているからであろうか、分かりやすい内容に加えて、独特のユーモアや面白さも漂っている。
 昨年の12月に沖国大で食に関する国際シンポジウムがあり、沖縄側の若い文化人類学者がアグーは決して黒くなかった云々という発言をしたようである。本書はそのような沖縄のアグーを知らない世代への贈り物として打って付けの一書といえる。



 沖縄、フィリピン、タイ。米軍基地の町でネオンに当たり続ける女たち。横浜・黄金町の盛衰を見た外国人娼婦。国策に翻弄されたからゆきさんとじゃぱゆきさん。世界最古の職業にして、日陰に生きる者・娼婦。彼女たちこそ、裏日本史の体現者である。
 彼女たちの身に起こった事は、次に私たちに起こる事だ。10年以上をかけ、色街の興亡を取材した歴史ドキュメント!! 人の寂しさは、人でしか救うことが出来ない―。(裏表紙から)

 なかなか衝撃的な内容ですが、このうち沖縄を扱っているのは第5章「娼婦は基地を抱き、基地に傷つけられる―沖縄県」の部分になります。
 北海道から移り住んだというタクシー運転手の語る、宜野湾市真栄原にあったちょんの間街の華やかな時代の述懐から始まって、その社交街が戦後米軍とは切っても切れない関係で生まれてきた経緯を述べています。さらには、元ちょんの間経営者の男の話、2009年に行われた大規模な浄化作戦なども。
 そして著者は、辻のソープ街でかつて真栄原で働いていた女性を探し当て、当時の働き方やそこで働いていた女性たち、様々なエピソードなどについて聞きだしています。

 真栄原から辻のソープランドへと流れてきた女性たちは、長くは続かなかったといいます。
 「ここでの仕事は朝の10時から夜の7時まで、お客さんが来なかったらずっと待っていなくちゃいけないし、お金も入ってこない。真栄原なら2、3時間で3万円稼ぐことだって出来たから、真栄原で働いていた子には難しいの。私にとって、お客さんがつかなくても、その時間を有効活用できるからストレスにはならない。英語の勉強をしたり、本を読んだり。自己啓発から哲学書まで。自分は何でこんなことしているのかな、とか。考えることが私にとって生きることなの。今しかできないことがしたいと思って、風俗で働くようになったけど、自分のことを突き詰めていくと、快楽主義者の生まれ変わりだなって。チンコも好きだし」(本文から)

 ほかにも、コザ吉原のちょんの間街や、戦後風俗の歴史が始まった八重島の特飲街についても言及。「吉原」とは東京の吉原にちなんでつけられた地名といい、八重島周辺では奄美大島出身の人々が多かったという逸話が紹介されています。
 最後は那覇の栄町。厚化粧の老娼婦と語り、その筋の旅館の一室で40歳前後の女性からマッサージを受けながら話を聞きます。

 どこか壮絶、けれどもなんとも切なげ。この本全体を流れるトーンはそんなところでしょうか。
 真栄原、栄町、吉原・・・。これらの街は繰り返される浄化作戦で、今ではすっかり廃れてしまいました。



 これまでに、「街を泳ぐ、海を歩く カルカッタ、沖縄、イスタンブール」(1998)、「美麗島まで」(2002)、「サウス・トゥ・サウス」(2004)、「まれびとたちの沖縄」(2009)、「わたぶんぶん わたしの「料理沖縄物語」」(2010)を読んできている、好きなノンフィクション作家の一人、与那原恵。
 今回は、沖縄の戦後復興に隠された熱いドラマです。

 大正末期から昭和初期、大々的な琉球芸術調査を行い、貴重かつ膨大な資料を残した研究者・鎌倉芳太郎。
 彼がテーマとしたのは、芸術、文化、民俗、宗教、言語など、その幅広さでも、他に例を見ない存在だ。81冊におよぶノート、2,500点の写真資料、古文書文献、紅型の型紙……。
 稀代の記録者の仕事を紹介する本邦初の評伝であるとともに、彼に琉球文化の扉を開いた人々の姿、そしてそれが現代に繋がるまでの熱きドラマを描く。
 第二回河合隼雄学芸賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞をダブル受賞。
 ――というもの。

 ウェブ上に、敬愛してやまない民俗学者・赤坂憲雄による日本経済新聞の格調高い書評(2013年8月11日付朝刊)がありましたので、以下に引用してインプレッションに代えます。

首里城への坂道 与那原恵著 琉球の痕跡をもとめる旅
 匂いやかな風が吹き抜けてゆく。たとえばそれは、沖縄でも南島でもなく、琉球の風でなければいけない。その風に包まれて、ことばが、うたが、風景が起ちあがってくる。これはノンフィクションであるよりは、琉球の痕跡をもとめての旅が産み落とした一篇の物語であるのかもしれない。

 主人公はとりあえず、鎌倉芳太郎というヤマト出身の研究者である。「琉球文化」のすべてにわたる最高のフィールドワーカーであるが、この人ほどに「琉球と対話し、観察し、記録した人間」はいない、と著者はいう。その沖縄本島から宮古・八重山・奄美の島々へいたるフィールドワークの旅は、大正10年代から昭和のはじめにおこなわれている。いまだ琉球の影がそこかしこに残る時代であった。「沖縄学」の勃興期でもあった。それが鎌倉に思いがけぬ大きな役割を与えることになる。ここで手探りに試みられていたのは、そうした鎌倉の再評価といっていい。

 とはいえ、ここに描きだされているのは、たんに鎌倉ひとりの足跡ではない。むしろ、同時代を生きた数多くの沖縄の人々の群像である。その描写はいずれも簡潔でありながら、鮮やかな臨場感をともなっている。ここに示された肖像画のいくつかは、確実に、わたしのなかに忘れがたい印象を留めている。たとえば、末吉麦門冬や、座間味ツルといった人たちだ。

 それにしても、ほんとうの主人公は首里城なのかもしれない、とも思う。鎌倉は若き日に、首里城を取り壊しの危機から救った。そして、死後には、戦乱に焼失した首里城の復元にたいして決定的な資料をもたらした。鎌倉芳太郎がいま再発見されようとしているとしたら、それは首里城がまさに「琉球文化」の象徴であるからだ。それはやがて、将来の沖縄の人々のアイデンティティの拠りどころになるのかもしれない。

 晩年の鎌倉は、ヤマトの人間と沖縄人のあいだに揺れながら、ついに「本土からの旅人」という自己認識に落ち着いていった。それでいい。著者はだから、「だれよりも深く、ひろく、琉球と対話をした旅人」というオマージュを捧げたのである。



 「すべては“軍命による集団自決”から始まった」と副題が付く、曽野綾子の「ある神話の背景」が刊行されてから40年後の顛末記といった位置づけの書です。

 「はじめは傷を癒そうとする小さな「方便」だった。やがて「暴走する正義」として、異論を許さない全体主義圧力に転化していく。
 既得権を守るはずの歴史見直し拒否は、「独立を問う住民投票」という情念に姿を変えた。
 前任者を追い落とす政局のために、排日気運を利用した政治家。それに煽られて、引き返せない一線をこえてしまった沖縄政治。
 激化する国際紛争の中で、島は新たな悲劇に向かう――」
 ――との説明がなされています。でもこれでは、なんだか正直言ってよくワカラナイですよね。

 そもそも表題の「強欲チャンプル」ってどういうことを表しているのだろう。ここだけで使われる造語ではないかと思いますが、かなり胡散臭いアジテーションが潜んでいるように感じられます。
 表題というのはそれだけで全体を端的に表現する大事なパーツなのだから、意味の説明が文章のどこかでなされないのなら入れないほうがいいと思います。

 ところで、著者の大高未貴はウィキペディアによれば、1969年東京都生まれ、フェリス女学院大卒のフリージャーナリスト。海外旅行会社に就職し、入社半年後にトルコ、イスラエル研修旅行でパレスチナ問題に遭遇し、ジャーナリストを志し退社。転職した大手広告会社系列シンクタンク勤務時代にミス日本に応募し、1993年度ミス日本に。同年イスラエル、トルコの国際親善の仕事をこなし、その後自費でパレスチナガザ地区を取材。その後、インドでダライ・ラマ14世などへのインタビューが成功したことがキッカケとなり、95年にジャーナリストデビュー。
 2004年の日本文化チャンネル桜開局以降、番組のキャスターを務める。慰安婦問題では国内外で取材を行い、現在に至る――という方です。
 個人的な感想を言えば、美人は嫌いじゃないけれども、美を利用して世渡りをしているような印象があり、あまりまっとうな経歴とは言えないような気がします。(言い方キツイかな)

 その論調は、「序章」で述べている次のような文章に、方向性が示唆的に表現されています。

 ・・・沖縄を守りたかった戦没者たちは、その思いが正当に理解、評価されず、暗黒の闇に沈んでいるとはいえまいか。さらに今、戦没者たちを冒涜するような「沖縄独立」などという、どこかの国の工作にのせられたかのような動きが加速している。
 私はかつて、沖縄集団自決の軍命令問題で、「死ぬな!生きろ!」と軍人さんに命令されたと証言する、数人の人達に現地で会ったことがある。
 一方的に旧軍を指弾する沖縄の異様な同調圧力の中で、「命がけで島を守ってくれた軍人さんに、濡れ衣を着せたままでは死ぬに死ねない」と、批判や嫌がらせを覚悟でカミングアウトしてくれた人もいた。援護金を貰うために村ぐるみ、県ぐるみで集団自決の軍命令をでっち上げたのではないか、さらにそれを正当化するため、「日本軍が沖縄にいたから悲劇が起こった」という「広義の強制」説が、あたかも正論であるかのように島の言論空間を支配しているのではないか、という疑問を多くの歴史家や研究者が指摘している。そうだとしても、当初は許容される程度の詐術だったかもしれないが、ある国の工作に利用されるままの現状を知るにつけ、あの沖縄戦で亡くなった人達の怨嗟の声が聞こえてくる気がするのは私だけではあるまい。

 この文章の中には引っかかるところが多くあります。
 多数の軍人が、沖縄県民に「死ぬな!生きろ!」と言ってくれたなら、あのような悲劇は起こらなかったわけだし、集団自決の軍命令がでっち上げられたものだとの考えについてはまだ我慢できるとしても、それが「ある国の工作」によるものだというに及べば、そこにはあまりにも論理の飛躍があるとしか言わざるを得ないと思います。

 沖縄をめぐる事象を寄せ集めて強引につなげてみたら、もしかしたらこんなことも成り立つのではないですか?という無脈絡さを感じます。もしかしたら、それが「強欲チャンプル」(強引なまぜこぜ)なのでしょうか。
 そのあたりは、さまざまな考え方があろうと思いますので、読まれた方々それぞれの立場で判断すればいいのではないでしょうか。



 単行又吉本の11冊目として2003年に発刊されたもの。沖縄の「巡査」モノといえば池宮城積宝の「奥間巡査」が随一ですが、これはどうなのだろうなと思って購入しました。
 それを2015年3月に買い求め、2017年3月に読み終え、同年9月になってからそのインプレッションをまとめようとしているわけです。
 しかし、読んでから半年も経ってしまうと、読後の印象なんてすっかり失われてしまい、どーゆーあらすじなんだっけ?というところから振り返らなければならなくなります。
 うーむ、かといってもう1回はじめから読むというのもなんだし。こういうときはふつうネットを漁ってみるのが効果的なのですが、困ったことにあまりいい内容のものがヒットしないんだよなあ。
 ――という状態で書いています。嗤ってくださって結構ですよ。
 でまあ、ネット通販によく出ているこの本の紹介を引用。

 「巧一郎は、なぜ「首」を無くしたのか。本当に同僚を殺したのだろうか。
 克馬と早紀の兄妹は祖父の真実を求め小舟(サバニ)で謝名元島から垂下国へと漕ぎだした。
 〈首狩りの風習〉を追究する芥川賞作家の力作。
 四国の半分ほどの大きさの垂下(すいか)国は、謝名元(しゃなもと)島の西南160キロにある。
 元々の名称はジャガル島だが、阿族が両手に下げていた生首を戦前日本人が西瓜と見間違え、「西瓜島」と名付けたのが、いつのまにか「垂下島」に転じたと言われている。――(本文より)」

 ・・・。つまりは、沖縄をモチーフにして書き続けてきたこの芥川賞作家は、ミステリーやはたまたファンタジーの分野に自らの新天地を求めたのでしょうか?!

 少しシェイクダウンすると、沖縄の謝名元島から160km離れたところに垂下国という国があり、そこには首狩りの習慣がある阿族が治めていた。そこで以前巡査をしていた功一朗おじいは同僚を殺害し、阿族に首を切られて死んだのだといいます。
 そこで、孫である克馬と早紀は、滝おばあの骨を功一朗おじいのもとへ埋めてあげようと考え、あわせておじいが同僚を殺したという真相を確かめるために、垂下国に向かって舟を漕ぎ出す、というもの。
 そのような非現実的なほうに話が行ってしまうと、ハマれば面白いのだけれども、そうならない場合はすんなりと物語にのめり込んでいけず、読後にストレスが残るということになります。
 モデルは台湾なのかな。しかし沖縄の周辺にはそんな国はなく、ましてや首狩りなんて。
 ありえないことをさも事実らしく話されると、自分の場合、冗談だろと思った瞬間にはその先の興味は失うことがあります。なんだかこの作品もそういうカテゴリーに入っちゃうのかなぁ。
 又吉作品の非現実性は、沖縄の風習や豚などの動物ぐらいに留めておいたほうが、神秘性も感じられていいんじゃないのかな。



 沖縄を初めて訪れたのが1993年。それ以来50回近く沖縄に通い続けてきましたが、率直な感想を言うと、沖縄は変わりました。
 初訪時の沖縄は、国際通りには米軍払下げ品の店や貴金属店などがたくさんあり、普通のお土産店一色の今とは違ってアメリカ世の名残りが感じられました。旧国道329号線沿いの古波蔵あたりの道路は狭く、両側には古い建物が水タンクを備えた姿でびっしりと立ち並び、異国の風情があったものです。那覇空港は新しくなる前の黄緑色の小さな建物だったし、首里城は復元公開されたばかりでした。
 そして内地の者から見て圧倒的だったのは、沖縄の文化です。当時は沖縄ポップカルチャーが波に乗っていた頃で、りんけんバンドやネーネーズなどが大活躍。それらの背景を探ってみると、奥の深い琉球民謡の系譜があり、琉球舞踊や歌劇・芝居があり、夜ともなればあちこちで琉球舞踊が見られる店や民謡酒場が店を開き・・・という具合なものでした。
 いまよりもずっとウチナーグチを話す人が多く、那覇を少し離れれば赤瓦屋根の建物が目立つような時代でした。
 1998年の秋に目の当たりにした大田昌秀と稲嶺恵一が戦った知事選などは、振り返ってみればあれが大事なターニングポイントだったのかもしれません。

 ところが今の沖縄は、ほかの地方都市と同じような表情を持つ町並みへと変わってきました。女性たちのスタイルや顔立ちも西洋化してすらりとしており、話す言葉も、立ち居振る舞いも、都会的です。
 毎日といっていいほどどこかで開かれていた芸能公演は激減し、てびちや汁物が食べられる大盛り激安の大衆食堂もあまり見かけなくなったような気がします。

 これから沖縄は、どこに向かって進んでいくのだろうなぁ。
 そういう憂いにも似た気持ちをずっと抱えていましたが、同じようなことを思っている移住者がいました。大ファンである仲村清司です。

 大阪生まれの沖縄人二世である著者は、1996年に那覇に移住します。当時は「沖縄ブーム」の走りの頃であり、その後NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」の影響もあり2000~05年頃をピークに、沖縄は「有史以来」といわれる空前のブームを巻き起こしました。
 一方、その裏側では、95年に起きた米兵による少女暴行事件をきっかけに、日米地位協定の見直しを含めて反基地運動が高まりをみせます。そして96年、普天間基地の返還が発表され、辺野古移設へと基地問題が動いていきます。
 そしてその後の20年の間に、沖縄で何が起きたのか――。
 「沖縄ブーム」「沖縄問題」と軌を一にし、変質していく文化や風土などに触れ続けてきた著者が、<遺言>として「中期決算的な自分の心情と素顔の沖縄」を綴ります。

 プロローグに「1996年の沖縄、2016年の沖縄」を前置し、「戸惑い―観光立県・沖縄の現在」、「失われゆく風景―故郷、那覇、農連市場」、「溝―移住者の揺らぎ」、「葛藤―まとまる沖縄とまとまらない沖縄」、「民意―沖縄の真価が問われる時代」、「信仰―消える聖域と畏れ」の6章立て。最後に「エピローグ―私たちは<矛盾>とどう向き合うのか」。

 沖縄を愛する著者は、米軍基地問題をめぐって沖縄と本土の関係が悪化していく中で、著者が探し求めてきた沖縄社会の基層がほかならない沖縄人の手によって切り崩されていく様に、「疲れてしまった」といいます。現実の沖縄社会の急激な変質に失意を覚えているのでしょう。それは沖縄への報われなかった「片想い」、でしょうか。
 すっかり変わり果てた沖縄に残す「遺言」だと著者は言いますが、著者の変わらぬ沖縄への愛情がそこまで言わしめていることは論を待ちません。



 「ひめゆりの塔」から「ウルトラマン」、「沖縄やくざ戦争」まで。スクリーンに立ちあらわれる沖縄を手がかりに、戦後日本、現代を照射する社会批評。(コシマキから)
 ――との触れ込みの、興味深い沖縄映画論。
 ぱらぱらとページを繰ってみると、当時のポスターや映画のワンシーンなど貴重な図版が多数掲載されていて、興味はさらに深まっていきます。

 著者は、1951年北海道網走市生まれ。法政大学国際文化学部教授。80年に「異様なるものをめぐって-徒然草論」で群像新人文学賞を受賞し、文芸評論を開始。
 古典文学に関する評論で唯一の群像新人賞受賞者で、古典と近代をともに論じる文芸評論家として出発したものの、次第に朝鮮・韓国文学や文化にも手を広げ、左翼的立場をとることから各界人と論争し、批判を受けることも。
 1993年から17年間にわたって毎月、毎日新聞に文芸時評を連載し、これは最長記録になっているそうです。

 当書については、映画監督の當間早志が琉球新報に書評を寄せていたので、それを以下に引用します。

 本書のタイトルに「沖縄映画論」とあるが、批評性は薄く、著者の「沖縄映画」に対する思いを綴ったエッセーに近い内容だ。資料の精査と取材の踏み込みが少し足りない感じが否めない。事実違いや過剰な解釈がいくつか見られるのだ。
 例えば、宮平雅風監督の『新説・運玉義留』について、「戦前」に「琉球芝居の実演」をそのまま撮った「ビデオ作品」と紹介しているが、大間違い。1950年代に作られた劇映画である。そもそも、戦前にビデオ作品があるワケがない。著者はその後も「ウンタマギルー」の響きから「たまげる」を連想して独自の「運玉義留」論を展開させているが、僕にはそれこそ“たまげる”ほど滑稽に思えた。
 沖縄の空手青年役でデビューした高倉健の記述に〈本土復帰前に、沖縄ロケを初めて実現した劇映画は……「網走番外地 南国の対決」だったことは、面白い偶然〉とある。これも間違い。「~南国の対決」より7年も前の59年に「海流」という沖縄ロケの松竹映画がある。他にも「八月十五夜の茶屋」に登場する「サキニ」の名が「サキ兄(ニィ)」からきたと連想したり、「沖縄やくざ戦争」の国頭も「国の神」として解釈したりと、安易な推論が随所に。
 僕の作品「パイナップル・ツアーズ」も、舞台である架空の島が「具良間島」であることから、川島雄三の沖縄関連映画「グラマ島の誘惑」に対するリスペクトが示されている、と解釈しているが、その島の名付け親である僕から言わせると、ほぼ偶然だ。確かに「グラマ島~」から名前を頂戴したが、当時その作品は未見で、内容が沖縄と関係あることも知らなかった。
 …と、揚げ足を取るようなことばかり並べてきたが、どうも憎めない。筆者の「沖縄映画」に宛てたラブレターとして受けとれるのだ。前述の問題箇所も、思いの丈を綴る勢いや焦りから書いてしまったのではないか。持論を押しつける文体ではないので嫌みもない。慈しみさえ感じることもある。オススメです!

 自分は、ところどころ解釈が沖縄を知らないヤマトンチュ風なところがあるなぁとは感じましたが、それ以外は格別違和感なく読んでしまったところ。
 苦にならなかったわけはやはり、當間早志が言うとおり、この著書が「筆者が「沖縄映画」に宛てたラブレター」だから、というのが大きいからではないかと思っています。



 沖縄は、怖い話、妖怪のパラダイスだ!
 「琉球怪談」シリーズでおなじみの著者が、怪談取材の裏話、書けなかった自らの体験談、マジムン伝承を検証した論考などをまとめた実話怪談風エッセイ。
 「琉球怪談」それは〈過去から現在に渡って綿々と続く人々と神々とマジムンの交わりを見ていくことに他ならない〉。
 ――という、ここだけのハナシ。マジムン(妖怪)を具体的に検証・妄想する1冊です。

 小原猛の本は、「琉球怪談 現代実話集 闇と癒しの百物語」(ボーダーインク、2011)、「琉球怪談(七つ橋を渡って)」(同、2012)、「沖縄の怖い話 琉球怪談物語集」(TOブックス、2014)、「沖縄の怖い話・弐 壊せない場所」(同、2014)と読んできて、マジムン系にはいささか食傷気味。
 でも、この本はエッセイなので、多少は趣向が異なるだろうということで、当然のように購入。
 そして、「沖縄の怖い話(3)カニハンダーの末路」(同、2016)も既に手に入れています。
 つまりは、自分は沖縄のスピリチュアル系が嫌いじゃないのかもしれません。(笑)

 第1部は、“琉球怪談”の裏話。著者が怪談取材を続けるなかで遭遇した不思議な出来事がいっぱいです。
 「私が録音機材を使わない理由」、「ハナモーの岬でハナモーと叫ぶ」、「赤を嫌うギーザ」、「ユタのKさんと一緒に、日本兵の幽霊と対峙する」、「琉球ユタ免状を授けます」、「「So It Goes.」と安須森の上で考えてみる」など。
 第2部は、マジムン・パラダイス考。沖縄のマジムンの伝承をさまざまな角度から検証します。
 「マジムン・パラダイスへ繰り出そう 那覇「わかさ妖怪さんぽ」」、「怪獣「ガーナームイ」と人柱「ナナイロムーティー」漫湖界隈」、「マジカル「耳グスグス!」ツアー 若狭、奥武山、そして首里へ」、「ウニ!ウニ!ホーハイ!鬼がいっぱい! 首里、大里、八重山」など。

 本のなかでは、琉球怪談にはつきもののユタ、御嶽、沖縄戦の幽霊、マジムンが軽妙に生き生きと語られています。この世には数多くの不思議な伝承や民話が我々のすぐ傍に残っているのだなあ。
 著者に倣い、「ムン」がいついつまでも枯れることがないようにと願いましょう。



 このところ大城立裕の旧著作を古書店から買い漁って読んでいましたが、当人にとって初めてという私小説で、しかも川端康成文学賞を獲ったという「レールの向こう」が新たに刊行された(2015)ので、ありがたくゲットしたところ。

 当書の紹介文をウェブから拾うと、次のとおり。
 「川端康成文学賞受賞記念の短篇集。「沖縄の私小説を書いてきた」作家の新境地。沖縄に生きて、その風土を呼吸しながら創作を続けてきた89歳の作家の、初の私小説。時の移ろいを生き抜く老年の日常。妻の入院をきっかけに、出会ってきた人々の面影とともに、遠い記憶が鮮明に蘇り、いまを生きる私を、強く激しく揺り動かす――川端康成文学賞を受賞した表題作と新作「病棟の窓」を収録する、最新作品集。」

 「レールの向こう」、「病棟の窓」、「まだか」、「四十九日のアカバナー」、「エントゥリアム」、「天女の幽霊」の6篇。
 
 「レールの向こう」は、脳梗塞で倒れて入院した妻に付き添う日々。作中では妻を、長年連れ添った思いを込めて「お前」と呼び、旧知の作家への追悼文を依頼されても即座に断り、「お前への思いを薄めることを、いまの私は拒否したい」と。まっすぐな知性と意志とが文章に張りを持たせ、老いを感じさせません。
 「病棟の窓」は、今度は自分が左大腿骨を骨折して妻と同じ病院に入院することになり、院内でやはり高齢となった旧知の人々と思いがけない再会をすることに――。
 「まだか」は、95歳の父親の遺産相続をめぐる兄と弟の心理的確執を。
 「四十九日のアカバナー」は、墓をめぐる本家と分家の葛藤を分家の側から描いています。
 「エントゥリアム」は、移民したまま音沙汰のなかった祖父をハワイの病院に見舞う話。
 「天女の幽霊」は、戦後60年を前に急速に都市化する那覇新都心に幽霊が出るという噂が。ヒロインの巫女が、噂の背後に何らかの陰謀があるのではないかと疑って調べ始めてみると、案の定いかがわしい巫女が介在していることに気づく、というストーリー。沖縄における古いものと新しいものとの相克を描いています。

 90歳になんなんとしてなお、これだけの筆力があることには、ただただ感服するしかありません。
 なお、川端康成文学賞は、年度中最も完成度の高い短篇小説に贈られる、作家の川端康成を記念して作られた文学賞。1974年からの歴史があり、過去に佐多稲子、水上勉、開高健、島尾敏雄、大江健三郎、高橋たか子、安岡章太郎、目取真俊らが受賞しています。



 これも古い本。1997年発行のもので、その当時ラジオ沖縄の「前田すえこのいいことありそうウィークエンド」という番組に寄せられたFAX投稿を「今週のうちなーぐちのテーマ」として紹介したものの中から秀逸なものを厳選して本にしたもの。
 沖縄で大ブレークしたもので、出版元のボーダーインクはこのシリーズで今の経営的基礎を築くことができたのではないかとワタクシは推測しているのですが、どうでしょう。

 内容については、当書の前書きに端的に記載されているので、それを以下に引用して説明に代えます。

 「土曜の朝、沖縄県民はラジオの前で、名コラムニストになる」と銘打ち、「笑う!うちなーぐちFAX小全」が出版されて、あっという間がたちました。
 ラジオ沖縄の人気番組「前田すえこのいいことありそうウィークエンド」の中の名物コーナー「沖縄探検隊」は、その後も快調に、朝っぱらからうちなーぐちをテーマに、時にはするどく、時には涙もろく、時にはチラアファサン、しかしながら全体的にちゃー笑いしながら、リスナーから送られた作品を紹介してきました。
 よくもまぁ、いろんなことがあるよなぁと、あらためてうちなーぐちのニュアンスのおもしろさ、沖縄の奥深さを感じつつ、毎週土曜日の午前中は、大騒ぎでした。
 そして、ふたたびその作品の中から厳選した名作の数々を集めてパート2を出版する事になりました。題して「かなりいけてる 笑う!うちな-ぐちFAX小全2」。(「2」は、「たぁーち」と読む)
 今回は、前回に増して「濃い」世界が繰り広げられています。番組では、常連になったリスナーには、「出席番号」なるものを差し上げています。その方々を中心に、自身の人生の中で起こった様々なうちなーぐち体験のコラムは、思わず「でぃかちゃん」「すっさー」「どぅーかって」「ちむがかい」「ぅわーばぐとぅ」「ちむどんどん」「はじちらー」「あきさみよー」「いちでーじ」「ちびらーさん」「まちかんてぃ」「ぱーくー」「てーふぁー」「ちゅーばー」「いちゅなさん」「ならんさー」「うかーさん」などなど、「ちゃーすがやー」の連続です。
 「むとぅびれー」という一言に、ふと心揺れてしまうことってあるでしょう。そんなあなた、さっそくページをめくって下さい。……えっ? 「むとぅびれー」って何ですかって。よくぞ聞いてくれました。それはですねえー……。

 1冊目(てぃーち)を1999年に読んで、それ以来18年を経てから「2」を読みました。素人による、おそらくは急いで書いたであろうFAXの文章なので、すらすらとというわけにはいかないところもありますが、時は経てもそのおかしさは十分に伝わってきます。
 このシリーズは「3(みーち)」まであります。今アマゾンで調べてみたらその「3」の古書が400円で出ていたので、それも買ってしまいましょう。



 著者は、津波信一(つはしんいち)。1971年、佐敷町(現南城市)生まれ、沖縄を中心に活動するローカルタレントで、沖縄県内ではしんちゃんの愛称で親しまれています。
 地元のお笑い集団「笑築過激団」の一員として活動した後、独立。RBCテレビで1990年代に放送されていた「お笑いポーポー」に出演し、独立後は沖縄県で俳優や演出家、ラジオDJなどマルチタレントとして活動しています。
 映画にも、パイナップル・ツアーズ(1992)、パイパティローマ(1994)、ナビィの恋(1999)などに出演しています。

 そのしんちゃんが長年にわたって撮りためた、沖縄の街角のあちこちで発見した大爆笑のおもしろ看板を一挙大公開!
 沖縄独特の発音の看板や、惜しい書き間違いやら、読めない店名、意味不明のメニュー、子ども達の可愛い立て看板、さらに怪しげな張り紙などを180連発。
 おそばのあとのぜんざいのようにさくっと楽しんでください――とのことです。

 こういう趣向のものはカベルナリア吉田の本にもありましたが、沖縄って本当に面白いんですよ、こういうところが。ネオンや看板、案内板って一度設置するとわりとずっとそのままで使うものじゃないですか。だから本土などではいろいろ吟味して作るものなのでしょうが、沖縄ではあまり深く考えないで立ててしまうようなのですね。
 それらは例えば、「いらっさいませ」とか「テェイクアゥト」とか「デッカー移動」とか、意味が伝わればいいさぁ、みたいなものや、「居酒屋ほったらかし」、「おでん・やぎ汁シャイ」、「スナック母子家庭」、「年金族」(これらは有名!)、「カラオケパブ音はずれ」などの一風変わった店名など。
 「らんぱちやー」(断髪屋の沖縄ハチオン)という床屋や「アガンニャ!なんで止まらんか」の交通標語、そば屋の「名護名物ヒートゥそば」(ヒートゥはイルカのこと)などの地元密着系もユニークです。

 これだけの数の笑っちゃう看板を、よく集めたものだと思います。
 2009年モノで、これも古書市場から格安価格で購入しました。