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 人生は風土や社会、時代背景を切り離して考えることはできない。宮古島、沖縄、日本、台湾……唐の世、大和世、アメリカ世を生きた家族。戦前の台湾で女学校を卒業した母とその四姉妹の足跡を探すノンフィクション。(コシマキから) 
 琉球新報と沖縄タイムスがほぼ同時に書評を掲載していますが、以下に2018年7月22日の琉球新報のものを引用させていただきます。

・『花水木 ―四姉妹の影を追って―』 沖縄人と台湾の関わりに光
 本書は「四姉妹の影を追って」を副題にしているが、その内実は、よくある一家族の構成とその生い立ちを偲ぶ記念誌とは違い、明治、大正、昭和から戦後沖縄の激動の時代を、宮古島に生を受けた四姉妹を核にして、それにまつわる家族、親族、学業、職場、人物をおりなし展開し、宮古島、沖縄島、台湾、中国(偽満州)、東京、神戸などと資料を丹念に収集検索して、その足跡を現場に探訪したりして、史実に迫った力作である。
 それは琉球沖縄史の「女性史」「宮古史」「沖縄史」「海外植民地史」をも十分に補足するものとなっている。特に従来の沖縄史研究者が見落としてきた台湾、中国など東アジアと関わる沖縄人の海外体験の広がりと、その関わりをよく知るものでもあり、出版の意義は大きなものがある。
 四姉妹は、当時の女子の優秀校であった県立高等女学校に学び、その嫁ぎ先も同じく沖縄の「最高学府」であった沖縄県立第一中学校を卒業して、本土の大学や専門学校に進学しその後、台湾、中国大連などで教員や官吏になっている。その中の四女の嫁ぎ先になった渡久山寛三も台湾、中国(大連)などで就職してその道を歩んだ一人である。
 渡久山は戦後の引き揚げ後、アメリカ軍政下の沖縄商工会議所初代専務理事、琉球臨時政府の初代主計課長から検査官に任命されて、沖縄復興のかじ取り役を果たしている。著者の南ふうは、文学賞の受賞作がある作家であり、渡久山の次女として生まれている。
 本書で多くのページを割いているのは、著者の台湾調査である。四姉妹と親族らが生きた足跡を丹念に確認しながら、台湾人の生活、歴史、文化にも深く入り込み、理解を深めていく。その姿勢には学ぶことが多い。
 台湾と沖縄の関わりでは台湾疎開と引き揚げ、台湾空襲などは、沖縄戦と結合する「台湾戦」ともいうべきものであり沖縄人の戦死者も多い。戦後の台湾での虐殺事件に巻き込まれた2・28事件の犠牲者もいる。観光振興もある。隣接する台湾と沖縄、台湾に近い与那国、八重山、宮古と相互の関係性をよく知り、平和の友好交流を積み重ねることである。本書はその点でも今もっとも求められている。(又吉盛清・沖縄大学客員教授)

 なお、この書評を寄せた又吉盛清も、本書に登場します。

 著者は、1954年生まれ。九州芸術工科大学卒。「女人囃子がきこえる」で第1回祭り街道文学大賞、「クモッチの巣」で第19回ふくふく童話大賞を受賞。沖縄エッセイスト・クラブ会員。本名・浜田京子。

 登場人物が多く、各人が何世代もの時間を超えて登場するため、全体像がつかみにくいのが難点です。

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 文芸社だから、自費出版と思われる1冊。著者は、1923年生まれなので終戦時は22歳。上梓時には83歳と高齢のはずです。
 著者名は本名とは思えませんが、文中の主人公の名は井上健一郎。これも本名じゃないのかな。いずれにしても著者の寄って立つ背景がわからず、そのあたりが自費出版の辛いところのように思えます。

 北海道出身、満州奉天で会社勤務、召集されてハルビンへ、輸送船で下関、長崎、鹿児島を経由して配属地の宮古島へ。そこで終戦を迎え、武装解除後4カ月を経て中城湾から沖縄本島に上陸し、那覇の捕虜収容所でほぼ1年間、PW(Prison of War)生活を送ることになります。
 宮古島なので、著者は実際の戦闘には参加していません。

 戦時下、そして終戦後の混乱の中、小さな希望の光となって心に生起する想い――故郷に帰りたい。
 聖戦という名の侵略戦争に駆り出された日々、非人間的行為への疑念と後悔、そして予想を覆す捕虜としての収容所生活。
 本書に記したことはすべて「事実」である。
 「余りにも惨めな結末に、不安色に変色した兵隊達の胸の奥には、憤懣やるかたないものが渦を巻いているのである」(本文より)

 という具合に、戦争のおどろおどろしさはなく、著者の記憶にはのんびりとした捕虜生活ばかりが印象に残っている様子です。
 収容所での生活について書かれていればと期待していたのですが、それほど具体的な記述はありませんでした。つまり表題はそれほど中身とは合っていないということになります。

 12ポイントはあるかと思われる大きな字で広い間隔の130ページ。すぐに読み終わりました。



 沖縄本島から東へ360キロ。希少な自然、歴史、文化を持つ北大東島。
 「うふあがりじま」とは「太陽の上がる島」のことで、長らく海の彼方の存在が信じられてきました。しかしこの島に人が住み始めたのは20世紀に入ってからのこと。
 島にはダイトウオオコウモリ、ダイトウコノハズクなどの天然記念物や固有種が存在し、船が接岸できない特異な地形や内陸部の「幕(ハグ)」と呼ばれる岩稜、八丈島から伝わる文化、中学を卒業すると島を離れる「15の春」、県内で初めて文化的景観に国指定されたリン鉱山の全体像の残る遺跡などなど。
 特異な歴史、自然、文化についてコンパクトにまとめられた1冊。これを読むと北大東島へ行ってみたくなる!
 ――という謳い文句の1冊。

 小さな小さな北大東島をテーマにした本が全国販売されるなんて、すごい!
 愛知県の大学で都市デザインを専門としている教授が、北大東島の村長と知り合う機会を得て、北大東村の政策参与となり、2014年には村史の歴史編を執筆することになり、17年に刊行。
 その内容の最も濃密なところを多くの人に知ってもらおうとまとめられたのがこの本。

 この本は、外からの目で書かれた北大東村の郷土誌である。北大東村は、郷土の島に対する誇りをしっかりと主張しながら、外からの目を決して排除せず、親しげに受け入れる。そのこと自体が島らしさであるかのように。
 また、北大東村の自然・歴史・民俗を理解するための入門書であり、北大東島への旅をより充実したものとするための観光ガイドブックでもある。
 各章の最初には、島をおとずれた旅行者の視点で書かれた「旅の日記」が置かれており、初めて北大東島に出会う読者の入口となっている。
 自分に合った視点で、読んでもらえれば幸いである。(「はじめに」より)

 内容は次のとおり。
 はじめに 外から見た郷土誌 
 序章 北大東島の希少性
 第1章 チャンプルーな開拓文化(民俗)
 第2章 空飛ぶ上陸風景(地学)
 第3章 日本の食料を支えた鉱石(歴史)
 第4章 フルーツコウモリとハートのシダ(生物)
 第5章 離島苦に克つ知恵と技術(生活)
 第6章 所得1位と15の春(経済)
 第7章 離島の愉しみ(娯楽)
 第8章 ぽてとの縁(人材)
 第9章 米軍の射爆場(ラサ)
 終章 北大東島の普遍性
 あとがき 3つの夢のあとに
 付録 基本データ/歴史略年表/主な北大東島の施設・店舗の案内/北大東島への旅行案内

 北大東島を旅する前に、一読すれば、楽しみもぐっと深まること請け合いです。



 「あ、そうだ、ぼくは来年97歳のカジマヤー。超老人の思いを書こう、若者たちには“あれ?老人ってそんなものか”と思わそう。老人たちは“そうだった、そうだった”と思うだろう・・・」
 ぼくが96歳まで生きた時代、そして父や母たちの古い時代を含めて、聞いたまま、思ったまま、感じたままを書き並べただけであるから、たわごとでよいと思っている。
 老いてカジマヤー、泣いて笑って独り言、命の終止符を打つその日まで、晩年の向かい風のなかを、自分の歩幅で歩き続けよう。そして書き続けよう。男のロマン「カジマヤー人生」を。
 (「「まえがき」……のつもりで」から)

 戦後沖縄を見続けてきた96歳のジャーナリストが、老いや人生、民俗などについて軽妙に綴ります。
 著者は、佐敷生まれで、沖縄タイムスの主筆や代表取締役専務を経て、沖縄県文化協会の顧問。また、全沖縄空手古武道連合会最高顧問という文武両道を地で行く方。久高島や久米島などについての著書がいくつかあるようです。
 さすがジャーナリスト上がりで、96歳にもなってから一般人が読める程度の文章をよくぞまあ書けるものだと感心します。自分には無理だろうな。その前にその御年まで生きられないと思うけれども。

 カバー写真は、南城市佐敷手登根区の「アカバンタ」に建立された民謡「あかばんた」の歌碑。実はここ、2018年2月に現地に行って見てきたばかりの場所です。
 この歌詞は著者が作詞したもので、上原正吉がうたってラジオ沖縄の第1回「新唄大賞」(1990年)に選ばれたことも書かれています。そうだったのか。知らなかったなぁ。



 「沖縄」がブームとなって絶好調だった21世紀初頭に編まれた、沖縄に関する何でもアリの「事典」。
 「日本で沖縄ほど多彩な自然、文化をもっている地方は少ない。本書はその沖縄の魅力をウチナンチュー(沖縄現地の人)が取材、執筆、編集したチャンプルー事典。ガイドあり、写真あり読み物あり、どこから読んでも見ても、きっと元気をもらえて楽しくなるハズ。」

 書店の棚でよく目立つ表紙のため、発売当時(2001年)には何度か手にして買おうかどうか考えました。しかしその当時はすでに沖縄の深みにどっぷりとはまってしまっていたので、沖縄のスタンダードを集大成した優等生的な出来上がりのこの本は買わずに過ぎてしまったのでした。
 あれから10数年が経ち、ネット古書店に送料込み258円で出ていたので、買って読んでみました。

 巻頭に沖縄をイメージさせる南国的な写真が載っており、これは垂水健吾によるもの。
 嘉手川学は編者であり、執筆者は嘉手川本人のほか仲村清司、長嶺哲哉、小浜司、平良竜次、當間早志、真喜屋力、上里隆史、高宮城実人、津波信一、おりべ・えりあなど44人が名を連ねていて極めて重厚。山と渓谷社が社命を賭けて(?)本腰で臨んでいる様子が窺えます。
 そのためか版を重ねて、手元のものは第4刷版となっており、時間の経過とともに多少の追記も行われているようです。

 文字は小さくびっしり。一方できれいな写真は大きいものを多用してグラフィカルなページもあり、この好対照も読んでいて楽しい。
 カテゴリーを文化、食、自然、暮らし、素顔、民俗の6つに分けて詳述。これ1冊で沖縄の大要がつかめます。
 でもまあ、発行から18年が経過しているので、流行の先端部分などについて古く感じるところがあるのはやむを得ません。過去を振り返る温かい気持ちで読みましょう。



 「ふたりきりになれるところへ行きます?」
 清楚な女将の言葉に、蒲生は耳を疑った。……
 サラリーマン人生の先が見えた58歳蒲生は、ひょんなことから妻と離れ離れで沖縄に住むことになってしまった。ある夜、暖簾をくぐった小料理屋で、彼を迎えたのは涼やかな四十路の女将雪江。枯れはてたと自認していた蒲生に夢のときが訪れつつあった。しかし、その夢の先には……。
 ――という、回春官能書下し。

 官能小説を買って読んだのは、実は初めてのことになります。これを買ったのも、まあ、設定が「沖縄」だから。
 何もそこまでして沖縄本を読み漁らなくてもいいような気はしていますが。

 で、どうだったかというと、そそるような表題のわりには、ペーソス感や笑えるところもあったりして、読んでいて楽でした。このジャンルの小説であるからこそ、そちらの方面一辺倒では読み続けるのが苦しくなるものなのかもしれません。
 また、「ああああっ」とか「ぅんんんっ」とか「おおおおっ」などのセリフが多過ぎ。これもこのジャンルでは効果的な手法として使われるのでしょう。

 正直言って、性格も見た目も普通のいい齢の男が、偶然に出会った妙齢で超美人とそういう関係になるなどということは現実的にはありうべくもないと確信できる筋立て。もしかしたら自分も…などという気にはこれっぽっちもなれません。

 沖縄関連では、那覇の繁華街松山の猥雑さ、辻のホテル街、恩納村の高級リゾートホテルなどが登場しますが、いずれもここといった場所の特定性はなく、沖縄らしい風景、言葉、習俗などはほとんど登場しませんでした。

 ところで著者は、2010年に日本官能文庫大賞(そーゆー賞があるのか)を受賞した最も旬の官能作家なのだそう。1967年東京生まれで日本大学芸術学部中退。04年に「ふしだら天使」で登場するや、濃密な濡れ場と巧みな物語構成でたちまち読者の支持を獲得、雑誌新聞連載でも大活躍中、とのことです。



 「沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」との副題が付く、「集団自決」が日本軍の強制であったか否かを考える上で問題となる1冊です。

 沖縄戦の開戦直後、慶良間諸島に駐屯した軍の強制の下、肉親どうしで手をかけ、600人を超える住民が命を断った「集団自決」。
 本書は、その「集団自決」から生き残った祖父母と母(初枝)をもつ著者が、「母の手記」を原点に、30年をかけて聞き取った住民の証言で構成したノンフィクションです。
 ところが、その「母の手記」を証拠として、慶良間を基地とした海上特攻隊の元隊長らが、自分は「自決」命令は下していないとして、「沖縄ノート」の著者・大江健三郎氏と発行元の岩波書店を「名誉毀損」で告訴。文部科学省もそれを受け、歴史教科書の検定で、軍による「集団自決」への関与・強制の記述を削除させました。
 そんな中で「集団自決」の体験者が重い口を開き、新たな証言を語り出した。 ――というもの。

 第4部「母・初枝の遺言」の記述はインパクトあり。
 初枝は1962年、「家の光」の体験実話の懸賞に応募し、「3月25日夕刻、梅沢部隊長(少佐)から、住民は男女を問わず、軍の戦闘に協力し、老人と子どもは全員、今夜忠魂碑前において玉砕すべし、という命令があった」と記述しました。
 原稿をまとめるにあたり「自決命令」についてどう記述するかずいぶん悩んだとはいえ、集団自決で障害を負った人や遺族にはすでに国から年金や給与金が支給されていることを考慮して、(隊長命令はなかったという正しい)証言をすることができなかった。――と記されています。

 また、1980年には梅沢氏を探し当て、初枝は「命令したのは梅沢さんではありません」と伝えます。するとはじめのうちは「ありがとう」と嗚咽していた梅沢氏でしたが、その後には自分の無罪を主張し、「座間味島の集団自決の命令者は助役だ」として態度を硬化させていきます。
 このあたりは、真実を言えない苦悩や自己保身など、壮絶な人間模様が読み取れるものとなっていました。

 こういう本を読むにつけ、その場に置かれた住民たちの絶望感ばかりが浮き上がります。大事なのは、誰がどのように命令したのかということよりも、国家からの強制感はみんなが感じていたという疑いのない事実のほうだということです。そうだろ、国。



 「ある中小企業経営者の喜びと悲しみ」との副題がつく自分史。
 徳之島出身者の一代記であれば読んでみようかと、2004年発行のものを2017年に古書店から購入したものです。
 著者は1934年生まれ。ということは、古希を契機に当書をしたため、今は84歳。毎年「四国88か所行脚」をし、毎朝のWEBチェックをするなどし、周囲の人たちはその元気さにほとほと感服している様子です。
 徳之島から沖縄を経て単身上京、喫茶店ボーイから商社マンまでさまざまな苦難を乗り越え、1968年に独立し、額縁、絵画製造販売会社を創業。

 カバー袖に書かれていた、「潮風」編集主幹水野修氏の発刊に寄せる文章から一部を抜粋して以下に記載しておきます。

 雪山渥美さんが私共の主宰する雑誌「潮風」に、6回にわたって寄稿していただいた玉稿が1冊にまとめられたこと、まずは「おめでとう」とお祝い申し上げずにはいられない。
 「自分史」といえば、鼻持ちならない自慢話だと相場が決まっているのだが、そういう既成概念は雪山さんの文章には当てはまらない。まず驚かされることは、少年期の思い出から企業経営のトップとしてく実践現場の描写に至るまで、微塵の文体の崩れも感じられず、一貫して無欲恬淡の境地で書き進めている点である。そういう姿勢が文学的な完成度のマイナス面をはねのけて、嫌みを感じさせない不思議な魅力を醸しているのであろう。
 ・・・敗戦後間もなく、父の仕事の失敗から先祖譲りの土地や家屋敷を売り払い一家そろって、米軍政下の沖縄へ引き揚げて行かねばならなかったことや、母の死に直面しても日本本土と沖縄は自由に行き来できなかった歴史事実、そして妻女との出会いや暑いトタン屋根の仕事部屋で乳飲み子を守りながら夫雪山さんの仕事に協力した妻女の姿等など、いずれフィクションを織り込めば、読み物としての文学的な高鳴りを醸すであろうが、雪山さんは意識的にそれを避けたのだと読み取れる。
 庶民史の傑作と評したい。

 ――ということで、読んでいて、自分は人生に成功した、充実しきっていたと感じている人は、一代記や半生記といったものを書きたくなるのだろうなと思ったところ。
 我が身を振り返れば、これまでが成功した人生だとは捉えていないし、それなりにテレンコでやってきたので、他人に自分の過去を伝えよう、誇示しようなどとは露も思わない。それよりも、誰かから評価してもらおうなどとは考えず、無名の人間の一人としてその時々に思ったことを脈絡なく、自分にとってだけ何らかの価値がある文章を書いていくほうが、肩が凝らず、責任もなく、いいのではないかと思っている。



 先に読んだ「沖縄幻視行」(連合出版、2012)に続く沖縄モノで、今回は多良間島。著者は、前著執筆時に知った「淡水レンズ」という言葉をきっかけに多良間島に興味を抱き、5年以上かけて島を取材したそうで、その成果としてまとめられたのがこの本です。
 多良間島の特徴であるトゥブリが、澄みきった青空とともに表紙を飾っています。

 多良間島というひとつの島をここまでじっくりと見詰めて詳述した本はほかに知りません。おそらく採算度外視で出版に踏み切った関係者には深甚なる敬意と大きな拍手を送りたい。
 島の人々や雰囲気、祭祀スツウプナカと八月踊りなどについて、内面的な想いを含めて記されており、多良間独特の選挙の様子やタラマフツ(多良間方言)などについての記載も。
 多良間島を知るのにとても参考になるとともに、読み応えや読後感もしっかりたものがありました。

 沖縄文化の原型を保存する島――。
 琉球弧の西の端、多良間島。東西6km、南北4km、人口1,185人。この小さな島には、神と交わる壮大な祭祀が受け継がれてきた。それを絶やさないで継承して行こうとする島の人々の意志には確かなものがある。
 しかし、急速に進む人口減少と高齢化および周辺海域の緊張の高まりは、この島に深刻な問題を投げかけている。
 著者は、島の最大の神事に参加し人々の思いを受け止め、文化継承の道を提言する。(連合出版ホームページから)

 章立ては、前後に「プロローグ」と「旅のあとで」を配し、その間に「島の散歩」、「スツウプナカの祭祀」、「八月踊り」、「多良間の生と死」、「歴史の中の多良間」の5章。

 「宮古新報」のホームページに、著作の紹介が載っていたので、以下に紹介しておきます。

・波田野直樹さんが「多良間島幻視行」を発行  2018/03/10 配信
 【多良間】 波田野直樹さんがこのほど「多良間島幻視行」を発行した。波田野さんにとっては前作「沖縄幻視行」に続いて沖縄をテーマとした2冊目の著書。
 波田野さんと多良間島との出会いは2011年で、「沖縄幻視行」の執筆中に淡水レンズのある島、風水集落の残る島として訪れ、以来6年間にわたって多良間の風土や住民たちと付き合ってきた。
 波田野さんは「観光的にそれほど知られてなく、どちらかと言えば地味な土地柄だが、そこに生きる歴史、文化、そして共同体の姿は鮮烈な印象を残した。その体験を余すところなく描いたのが本書」と述べている。
 波田野直樹(はたのなおき) 1948年東京生まれ。ウェブサイト「アンコール遺跡群フォトギャラリー」主宰。主な著書は「アンコール遺跡を楽しむ」(03年)、「アンコール文明への旅、キリング・フィールドへの旅」(07年)、「沖縄幻視行」(12年)、「多良間幻視行」(18年)。



 古書にて入手。童門冬二の著書を読むのは「上杉茂憲―沖縄県令になった最後の米沢藩主」(祥伝社新書、2011)以来2冊目になるでしょうか。

 ウェブ上で見かける内容紹介では、
 「血で血を洗う三山対立時代から、やがて琉球は一つの王朝に統一される。大明国との貿易で栄え「黄金の時代」に生きる海人たちを突如襲う薩摩軍! 琉球・尚王家700年の栄光と悲劇を描く。」
 とか、
 「「最初の琉球王は源為朝の遺児だ」という伝説がある。そして、その伝説の裏には、琉球(沖縄)人たちの「日本」への、いや琉球国存続への思いのたけが込められていたのだ。1609年3月、100隻余りの軍船が運天港に姿を現わした。突然攻め入ってきた3千余の薩摩軍。なすすべもなく首里王府はわずか10日で敵軍の手に落ちる。長く、辛い琉球の悲劇の幕開けであった…。」
 など。
 しかしこれらは内容のほんの一部を取り上げているだけで、中身はもっと濃いものになっています。
 発売当時はNHK大河ドラマで「琉球の風」がまもなく放映されようとしている時期で、琉球王国全体を平易に理解することができる書籍が求められていたのでしょう。

 読んでみると、難解な文書の引用などはなく、小中学生の教科書のような文体を用い、これなら誰もがすっと理解できると思われるものになっています。
 ややこしい歴史上の経緯などもばっさりと省略。たとえば、第一尚氏王統の王位継承をめぐって惹起した志魯・布里の乱は「しばらくゴタゴタが続いた後」として簡潔にバッサリやっています。

 序として「琉球王朝の始祖・為朝伝説」。
 6つの章建ては王国の各時代をきちんと概括しており、それらは「琉球王国の夜明け―誇り高き三つの「王国」たち」、「第一次尚氏王朝の興亡―余りにも短命に終わったはじめての統一王朝」、「第二次尚氏王朝の栄光―血と野心で築き上げた「黄金の時代」」、「悲劇の王国―薩摩藩が幾重にも仕掛けた「死の罠」」、「中興の雄―敵中に飛び込んでこそ活路あり」、「琉球王朝の残照―栄光と苦悩の「歴史」のゆくえ」。
 そして最後は終章に代えて、「沖縄と私―歴史の中から湧き立つ新しい「気流」」が置かれ、著者の沖縄に対する思いが記されています。

 王国の流れを俯瞰することができ、読んでよかったと思えました。



 発売時には価格の関係から即買いを躊躇し、2017年に古書で購入し、それから1年以上たってから読むという経過をたどりました。

 時代の波に翻弄された村人の生と死を描いた、これまでに未収録となっていたもの4篇が収録されています。代表作「椎の川」に低通しているところがあり、「でいご」は戦争の死者たちを蘇らせる記憶の花として象徴的に扱われています。

 2014年5月、琉球新報に掲載された、詩人・松原敏夫の書評があったので、それを以下に移記しておきます。

・無名の民の多様な「生」照らす
 全共闘世代の雰囲気を、青春時代に体験した人が、生活や社会や個に帰って、例えば、村上春樹を始めとする作家たちが、時代の感性を取り込みながら書いている。春樹の作品世界は時に社会や現実にある奇妙でねじれた関係を生きる人物が色濃く出たりする。大城貞俊もその世代であるが、人間の描き方がやはり違う。
 作者が「椎の川」以来、詩から小説へ傾注して書き続け、沖縄を書く作家としての位置を確立しているのは周知のことだ。今回の作品集ではさらに多彩に描いている。
 父を戦争で、母を病気で亡くし、上の姉は蒸発、下の姉は米兵と結婚、妻にも病気で去られ自らも心臓の病を持つ火葬場の男を描いた「鎮魂別れてぃどいちゅる」。
 知的障がいのある、村の娘加世子や学生運動家で自殺する文学好きな涼子との付き合いを描いた自伝的な「加世子の村」。
 ホステス同僚で堕胎経験をもつサユリとミキと脱走米兵との同棲生活を描いた「ハンバーガーボブ」。
 沖縄の、無名の民の、様々な生を照らすのが、この作家の文学なのだ。戦争の記憶者、自殺者、障がい者など沖縄的現実の生の痛みを描いた作品に「生きる切なさ」や「人の生は哀しくて美しい」慈しみの感情がある。それは詩的で抒情的な情景にも表れる。
 例えば「加世子の村」の結末。農道で夕日に向かうように老婆を運ぶリヤカーを押す加世子が〈ぼく〉を見つけて手を振る。〈ぼく〉も何度も手を振る。夕日を背景に加世子は影となって、〈ぼく〉は淡く照らされて浮かぶ。うまいなと思う。描写のほろ苦さが何ともいえない。いい小説だ。
 「でいご村から」も、〈戦争の残した傷跡〉という作者がこだわるテーマを訴える作品である。沖縄戦で愛する家族や恋人を失った一家の悲哀の物語だが、首里士族の末裔、村人との距離という構図は古くさくないかと思った。あとがきの「沖縄を描くことで普遍的な世界に到達する」に呼応して〈沖縄文学〉に文体表現の新しさと多様描写を求めたくなった。



 谷川健一全集全24巻のうち、沖縄を主題にしたものは第5~8巻に4分冊されていて、これはそのうちの2冊目。
 谷川健一の著述は、あるところまでは定説に基づいて進めていくものの、資料のないその先について、地名や伝承、現地の古老から聞いた話、実際に現場を訪れて感じたことなどをもとに独自に様々類推していく展開が、本当にそうだったかのように感じられて、とても面白い。
 琉球弧に鉄器がもたらされた時期を類推し、ではそれをどこから誰がもたらしたのかを推理する著述はいかにも谷川らしい筆致です。
 また、与那国と宮古の歴史伝承を読み解き、鬼虎の娘、仲屋マボナリ、多良間ウプツカサなどの女たちの悲惨な物語に先島の受難の歴史そのものを垣間見せてくれます。
 さらには、琉球王国の出自をめぐって、為朝伝説をはじめとする大和との関連性を紹介します。

 これを読んですべてを理解するのはなかなか困難なことではあるけれども、出てくる場所や地名について、これまでの沖縄巡りである程度は現場に足を運んだり、沖縄本を読み続けてきたことなどが役に立って、イメージを持ちながら読むことができました。

 収録内容の初出は次のとおり。
「沖縄・辺境の時間と空間」 三一書房、1970
「孤島文化論」 潮出版社、1972
「沖縄、その危機と神々」 「展望」、1973
「沖縄問題は終わったか」 朝日新聞、1992
「宮古島の神と森を考える」 産経新聞、1994
「「古琉球」以前の世界-南島の風土と生活文化-」 小学館、1992
「与那国と宮古の歴史伝承の陰に」 「与那国町史」、2003
「「琉球王国の出自」をめぐって」 「國學院雑誌」、1978
「「おもろさうし」が遺したもの」 公明新聞、1978



 高校生の深冬は、思いを寄せる大学生の優弥とともに、彼の故郷・潮見島を訪れます。この島、読んでいて久高島が舞台であることがわかります。
 12年に一度しか執り行われない島伝統の「潮祭」。つまりはこれが現実の久高島では1978年を最後に途絶えてしまった「イザイホー」なのですが、この祭祀が開かれる夏に、深冬は島で、祭の神女となるために自分の未来を捨てた少女・柑奈と出会います。
 深冬は彼女の生き方に疑問と嫌悪感を抱きます。なぜ柑奈は伝統に縛られることを望むのか?と。
 そしてある人物が島に来訪することで、12年前に起きた悲しい真実が明かされていきます。
 消えてゆこうとしている伝統と、若者にとっては先の見えない将来。そして、まっすぐな恋と、ゆがんだ友情。これらが交錯し、それらが焦点化した一瞬、12年に一度しか開かれない祭が幕を開けます。

 久高島は小説のモチーフになりやすい島で、このほかにも似たような作品を読んだような記憶があります。
 ストーリーとしては、主人公の年齢が若いためか恋愛感情が底流にあり、悪く言えばあまり質のよくないテレビドラマを観させられているような感じ。
 そういうドラマって民放に多いですよね。若手人気女優を主人公に配して、俳優の表現力やシナリオの巧みさなどは二の次で、とにかく3か月は続けようというようなものが。人気女優さえ使っていれば視聴率はついてくると観る者を侮っているようにも思えます。
 民放ドラマへの不満がつい出てしまいましたが、8ポイントの小さい文字で330ページ以上あるこの本が1,400円+税というのは安価かもしれません。額賀澪って売り上げ部数の多い人気作家なのかな。

 その著者は、1990年、茨城県行方市生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。2015年「屋上のウインドノーツ」で松本清張賞、「ヒトリコ」で小学館文庫小説賞を受賞。著書に「タスキメシ」「さよならクリームソーダ」「君はレフティ」。



 「沖縄は竜宮城だよ」どんとは、よくそう言っていた。95年に私たちは東京を離れ、沖縄にやってきた。それは物理的には単なる引っ越しだけれども、私たちにとって“東京”が象徴する世界から抜け出す、次元のシフトでもあった。沖縄に来た誰もが口にするように、ここでは違う時間が流れている。――どんとは沖縄で何を見て、何を感じていたのか。どんとの魂の軌跡をたどるスピリチュアル・エッセイ集。町田康氏との語り下ろし対談も収録。(カバー裏表紙から)

 2017年3月に古書店から入手。
 そもそも彼らのことをよく知らないので調べてみると…。
 どんとは、本名久富隆司、1962年岐阜県大垣市生まれ。京都大学に進学しバンドを結成。その後ローザ・ルクセンブルグを結成しブレーク。87年にはローザを脱退してZELDAの小嶋さちほとの生活を始める。同年からボ・ガンボスでのライブ活動を始め、88年には年間100本を超えるライブを全国で行い、動員急上昇。89年、ボ・ガンボスが第31回日本レコード大賞「アルバムニューアーティスト賞」受賞。94年、ボ・ガンボスを脱退し、95年に沖縄に移住、ソロ活動開始。
 2000年、ハワイ島ヒロ市内にて脳内出血のため死去。享年37。
 一方、小嶋さちほはミュージシャン。1980年代初頭より、女子だけの本格的なロックバンドの先駆け的存在ZELDAのリーダー&ベーシストとして活動。95年、パートナーのどんととともに沖縄に移住。子育てをしながら女性3人のバンドAMANAというグループでも活動してきたとのこと。

 1995年6月にどんと自身が書いた「「どんとの沖縄宣言」どんとからの手紙」からは、どんとが沖縄民謡やウチナーポップにどっぶりと心酔している様子が窺えます。
 「竜宮さいじ記 小嶋さちほのオキナワカレンダー」には、1996年9月の日米地位協定の見直し等を問う県民投票や、同年10月に近藤等則と嘉手苅林昌が久高島で行ったコンサートの様子(この様子はCD「沖縄の魂の行方」(2005年)となって残されている)など、沖縄の文化を彩ったたくさんのことが書かれています。なかでも「「民謡紅白」で迎えるウチナーのお正月」や「コザに住む島唄ファザー、ビセカツさんのこと」などは出色です。
 「どんとツアー どんとの愛した沖縄のスポットを巡る旅」に登場するのは、知念海洋レジャーセンター、浜辺の茶屋(玉城村のカフェ)、垣花樋川、百名ビーチとヤハラヅカサ、八重山料理の潭亭、沖縄そばの御殿山、首里そば、牧志のタタバザール、ライブハウスのジャックナスティ、照屋太鼓三味線店などなど。
 ほかに「あとがき」と、「どんとのおみやげ 町田康&小嶋さちほ」――という構成になっています。



 WEB古書店を歩いていて、元那覇市長・親泊康晴の回顧録が出ていたので、2017年9月にゲット。定価2,600円ですが、送料込み1,237円でした。

 ウィキペディアによれば、親泊康晴(おやどまりこうせい)は1926年那覇市生まれ。九州医学専門学校(現久留米大学医学部)中退。本土復帰前の琉球政府にて労政課長や地方課長を経て、76年那覇市助役。84年の那覇市長選に沖縄社会大衆党、日本社会党、日本共産党の推薦と公明党の支持を得て立候補。
 選挙戦では「平和都市づくり」をスローガンに、4期16年にわたる平良良松革新市政の継承(平良も親泊も沖縄社会大衆党員)を訴え、自民党と民社党が推す前副知事の比嘉幹郎を破り初当選を果たす。4期務めた後、2000年に引退を表明。
 市長退任後も革新の立場から県政・国政への影響力を保持。04年参議院議員選挙では、当時の国政野党が推す糸数慶子陣営の選対本部長となり、糸数の当選に寄与した。
 05年4月死去。死後、名誉市民顕彰が那覇市より授与された。

 なお、その後那覇市長は、翁長雄志(2000.12~14.10)、城間幹子(2014.11~現在)と続きます。
 「心如水」を座右の銘に、水のように無心で那覇市づくりにあたってきた著者の、那覇市長初当選の日から退任まで、市民に支えられた4期16年の日々を語った回顧録となっています。

 親泊市政16年の間には様々なことがあったでしょうが、巻末の年表から拾うと、次のとおり。
 憲法九条の碑(与儀公園)の除幕、天久米軍住宅地の一部返還、第1回うないフェスティバル開催(以上1985年)
 泊大橋開通、那覇市民体育館が識名に完成(86年)
 せせらぎ通り(那覇高校~開南交差点)完成、明治橋完成、天久軍用地牧港住宅地区が全面返還、第1回那覇市少年の船の実施、首里金城石畳道が日本の道百選に選定、海邦国体の開催(87年)
 第1回那覇市民大運動会、「日展」沖縄展を誘致、那覇市情報公開制度がスタート、都市景観形成モデル都市(建設省)の指定、新栄通りアーケード「サンライズなは」が完成、小禄市営住宅が完成(88年)
 那覇新都心開発整備の事業認可を地域整備公団に申請、市「ごみ処理問題懇話会」発足、第1回「ピース・ラブ・マチグヮー&壺屋まつり」開催、全国初の自衛隊施設建設に係る公文書の全面公開決定(89年)
 軍用地違憲訴訟の那覇地裁判決で那覇市が全面敗訴、新庁舎位置選定審議会設置、「パレットくもじ」上棟式、南風原町大名の一般廃棄物処分場拡張工事の起工式、福州園の起工式(90年)
 「パレットくもじ」グランドオープン、第1回「NAHAシーサイドフェスティバル」開幕、市制70周年記念式典開催、「パレット市民劇場」オープン(91年)
 本庁舎立体駐車場の供用開始、那覇市文化協会設立、福州園開園、尚家文化財(識名園、崇元寺、玉陵)が那覇市に無償譲渡、那覇新都心整備事業に着手、首里城公園開園、福州市が琉球館を復元(92年)
 NHK「琉球の風」支援事業スタート、泊ふ頭旅客ターミナル建設工事起工式、那覇市伝統工芸館が自衛隊基地隣接地にオープン、「とよみ大橋」が開通(93年)
 第1回「あけもどろ・なは総合文化祭」開幕、那覇都市モノレール事業の条件整備のため県・バス4社との協定締結、大田知事に国立組踊劇場の那覇市への誘致を要請、第1回「那覇市伝統工芸まつり」開幕、リサイクルプラザ(南風原町新川)起工式、那覇市民会館の大規模改装が完了、「NAHAマラソン」10周年記念大会開催(94年)
 沖縄芝居「さらば琉球館」福州市公演、海上自衛隊那覇基地に係る那覇市情報公開訴訟の一審判決で那覇市が全面勝訴、「とまりん」グランドオープン、「那覇・広島・長崎ピース・トライアングル・サミット」開催、第1回「1万人のエイサー踊り隊」開催、「天に響めさんしん3000」を奥武山陸上競技場で開催、「戦後50年 沖縄の美術家展」開催、宜野湾海浜公園の「日米地位協定の見直しを要求する県民総決起大会」に参加(95年)
 がじゃんびら公園供用開始、市立壺屋焼物博物館の起工式、首里金城村屋が落成、日米地位協定の見直し等の賛否を問う県民投票で那覇市は92.52%の賛成率、なは女性センターがオープン、美栄橋の改修工事が完了、沖縄都市モノレール事業の本体工事開始(96年)
 那覇市インターネットホームページ開設、「伊波普猷没後50周年展」開催、那覇新港の国際コンテナターミナル供用開始、全国スポレク祭開催(97年)
 「那覇市立壺屋焼物博物館」オープン、市立病院の待ち時間短縮のためのオーダリングシステム導入(98年)
 本庁前庭整備工事完成、選抜高校野球優勝の沖縄尚学高校ほかに那覇市民栄誉賞、那覇市福祉バスの運行開始、新那覇空港ターミナルビルが落成、第1回「沖縄伝統空手道古武道世界大会」開催(99年)
 県内初のNPO支援センターがオープン、末吉市営住宅が完成、九州・沖縄サミットが開幕し、首里城北殿で首脳夕食会(2000年)



 那覇市港町にある出版社から発売された街歩きガイド本。
 首里城をはじめ各町の見所を紹介したガイドブックで、首里公民館のサークル「古都首里探訪会」の面々が、資料をもとに首里のスージグヮーまでくまなく調べた成果の集大成です。
 今となっては場所が特定できるだけのものや、その場にあったことを想起できるわずかの手がかりしか残っていないものなども含まれていて、紹介ポイントはかなり詳しいものになっています。これは地元をよく知る人たちでなければ著せないものでしょう。
 古都首里の歴史に思いをはせながら、ロマンを感じつつ散策するのにとても役立つ一冊になりそうです。

 琉球の王都・首里には、豊かな湧水がもたらす平和で静寂な佇まいがあった。
 城の東方(首里三箇)では泡盛、北方と西方は琉球和紙、南方は豆腐とモヤシが作られた。
 史跡や拝所を訪ね歩く人の姿は今なお絶えないが、古参の住人にもそれらの在処や由来はあまり知られていない。
 本書は2006年に首里公民館で開かれた市民講座「古都首里再発見」の修了生による古都首里探訪会が、150回もの踏査に基づいて史跡やスージグヮー(路地)の解説、現在の地図を収録した充実の一冊。(琉球新報)

 また、沖縄タイムスに書評が載っていたので、以下に移記。

・古都首里探訪会編・著「王都首里見て歩き」 地元愛積み重ねた労作 2016年10月29日
 沖縄の史跡案内・世界遺産の解説というジャンルの書籍は、これまでも幾つか存在する。その中で、最近出版された本書は、異色の良本ではないだろうか。このような解説本の執筆者は、研究者などのいわば「専門家」の方々だ。しかし、本書の執筆陣はそうではなく、「古都首里探訪会」というサークルの皆さんなのである。
 本書は、この古都首里探訪会の長年のサークル活動の成果を積み上げて上梓されたもので、最初は琉球史も首里の歴史にも素人だった会員の方々が定期的に会で招聘した専門家の講師の講話で学習し、学習成果をもとに首里周辺のフィールドワークを繰り返し、会員間で、何度も勉強会・編集会議を地道に行い続けて出版にこぎつけた労作なのである。
 大手の出版社のプロの編集マンや、著名な研究者を揃えた執筆陣とは違い、素人っぽいところはあるが、会員自体が地元である首里を愛し、多くの史跡を自らの足で訪れ、現場の空気を感じながら、心を込めて紹介している本なのである。
 地道な活動から挙げられた項目には、こんな井戸(カー)や道があったのか? という場所や、近世や近代の文献史料の情報だけでなく、会員が記憶する史跡の近年の歴史を紹介している部分もある。実は、ここ数十年の記憶は最近すぎて記録として残された媒体も少なく、かえって次世代に残りづらい情報なのである。
 本書に息づくのはまさしく地元の方々が知る情報で、今、記録しなければ消えてなくなるかもしれない内容なのである。単なる史跡紹介本というだけでなく、数年、数十年後、首里の街並みが変化していった後に、さらに価値が出る1冊といえるのではないだろうか。
 首里を愛した方々の労作は県外からの観光客だけでなく、沖縄県民にこそ読んで欲しい一書である。首里城祭や琉球王朝祭り首里など、首里は祭りのシーズンを迎えている。ぜひ本書を片手に首里の町を秋風に吹かれて巡ってほしい。
(上江洲安亨・沖縄美ら島財団琉球文化財研究室長)



 カベルナリア吉田の本は、沖縄関連は発売時に買って読んでいるつもりですが、島旅モノについてはそのときの気分次第で買ったり買わなかったりという状態でした。そんななかで取りこぼしていたのが2010年発行のこの本。2017年7月に、送料込み258円(本体価格1円)で古書をゲットしました。

 海の上に浮かぶ僕らの知らない「日本」へ―。日本に約400以上もある有人の島。うち、著者が訪れた北海道、東北、東京の諸島に瀬戸内、九州に沖縄まで、約40もの島々の旅は、予想もつかない出来事の連続! 「島の数だけ「日本」がある」。(本文より)

 教科書には載らない特異な歴史。連綿と受け継がれる神秘的な慣習、信仰、伝説。
 その他、都会で暮らしていると想像もつかない、でも島の人たちにとっての「当たり前」がいろいろ。海で「大陸」と隔てられた島は、島ならではのさまざまな慣習や空気感を育み、長い年月をかけて海岸線の内側に閉じた「小宇宙」をつくってきたのかもしれない。だから僕ら旅人はしばしば、「本州では予想もつかない出来事」に島で遭遇し、驚いてしまう。
 そんな……「島で驚いたこと」を「驚いた」だけで終わらせず、せめてもう少し調べて掘り下げて「日本の島の素顔」を浮き彫りにしてみたい――そんな想いから書いてみたのが本書である。(「まえがき」から)

 各島当たり7~9ページ程度を使って、写真とともにエピソードを紹介。琉球弧関係では、北から口永良部島、屋久島、口之島、与論島、伊是名島・伊平屋島、沖縄本島、渡嘉敷島・座間味島、久高島・浜比嘉島・古宇利島、伊良部島、多良間島が取り上げられています。

 付け加えておくと、上記のほかに登場するのは北から次の島々です。
 利尻島、礼文島、焼尻島、天売島、飛島、佐渡島、舳倉島、神津島、利島・御蔵島・青ヶ島、父島・母島、神島・保戸島、沖島、小豆島、女木島、直島、大久野島、柱島、対馬、福江島、上甑島。



 池上永一作品は沖縄や八重山を舞台とするものが多いので、たいていは読んでいます。
 しかし、「バガージマヌパナス」「風車祭」「あたしのマブイ見ませんでしたか」「レキオス」「夏化粧」「ぼくのキャノン」に続く2005年発表のこの作品はほとんど沖縄には関係のないストーリーとなっていたので、読まないままになっていました。
 でもまあ、読まなければ始まるまいと、2017年11月、Web古書店に送料込み281円で出ていたので入手。その後さらに家でも数か月間積ん読になっていて、このたびようやく読んでみました。結局、池上永一であっても「沖縄」でなければあまり食指が動かないということなわけです。

 地球温暖化の影響で、東京は熱帯の都市へと変貌した。都心の気温を5℃下げるために、東京は世界最大の森林都市へと生まれ変わる。
 しかし、地上は難民で溢れ、積層都市アトラスへと居住できる者はごく僅かだった。
 地上の反政府ゲリラは森林化を阻止するために立ち上がった。
 「月刊Newtype」の人気連載小説を待望の単行本化! ――というもの。

 2段組み、おそらく6ポイントの極小文字、600ページという重厚本。これを読むのはただでさえ大変なのに、内容が破天荒過ぎてハチャメチャ度ばかりがスケールアップしており、自分にとってはついて行けるようなものではありませんでした。
 ということで、400ページぐらいまでは何とか我慢して読んだけれども、極めて久しぶりに途中でアバンダン。これを読む時間が惜しく、その時間を別の書物に充てたほうがずっと有意義だという判断でした。

 この作品はおそらく池上にとっては失敗作だったのではないか。
 そう考えるのは、その後の池上作品が「テンペスト」「トロイメライ」「統ばる島」「トロイメライ 唄う都は雨のち晴れ」「黙示録」・・・と、ずっと沖縄を舞台に展開していく方向に戻っているから。
 近作の「ヒストリア」も沖縄からのボリビア移民の物語で、デビュー後初めて沖縄戦を取りあげた作品となっています。



 2007年11月発行の、創作組踊十番。
 著者・大城立裕は「あとがき」で、次のように記しています。

 20世紀末期、琉球伝統芸能・組踊の殿堂としての国立劇場おきなわの創建をひかえて、組踊の創作をしようと志したのは、伝統の継承のためには創作が必要であり、琉球語のネイティヴ・スピーカーとしておそらく最後の世代ではないか、という責任感のようなものに突き動かされたからであった。それを組踊の創始者・玉城朝薫の顰にならって5本書き、「新五番」だと少々きざな吹聴をして「琉球楽劇集 真珠道」と題して上梓したのが、2001年のことである。
 先人の衣鉢を継ぐとしても、現代は現代なりのあたらしい方法を持たなければなるまいと、私なりに思索をしたつもりである。その思索のひとつに、5つの作品を琉球歴史の5つの時代を配するということがあって、当然現代劇をふくんだが、喜劇を配したのはわれながら思いつきの冒険であった。書いた順序は時代順で、「海の天境」(古琉球)、「真珠道」(近世)、「山原船」(近代の夜明け)、「花の幻」(沖縄戦)、「遁ぎれ、結婚」(戦後)となる。
 五番で終わるはずであったが、かるい思いつきで六番目を書いたところで、勢いに乗るように十番まで書いてしまった。
 書いた順にいえば、
 「さかさま「執心鐘入」」は時代喜劇である。「執心鐘入」の道具の鐘のもうひとつの使い道を作ろうというだけが動機である。十番まで書こうと思いつく、きっかけになった。
 古典組踊はすべて王府を擁する首里中央の立場や美学を描いたが、辺境を舞台にする組踊もあってよいではないかと、「悲愁トゥバラーマ」(八重山)、「サシバの契り」(宮古)を書いた。
 古典に数多くある按司ものを一つは、と思って「今帰仁落城」を書いた。唯一の荒事といえようか。
 最後の十番目に何を書こうかと思案して、恩納ナベと吉屋ツルに歌合戦をさせてみようかと思いついた。多少ふざけているが、ふざけをドラマに転化すれば、真面目である。
 「琉球楽劇集 真珠道」と異なる最大の点は、本文の下段に日本語訳をつけ、本文を現代読みの表記にしたことである。歴史的仮名遣いの表記は、現代の役者にとっても読者にとっても無理な面がある、との配慮からである。
 「琉球楽劇集 真珠道」では「梗概」をつけたが、今回はそのかわりに作品ごとに、作にかかわるエッセイを入れた。作の意図などを書いた。
 古典の時代にくらべて印刷の便にめぐまれたために、後世に残る可能性が大きくなっている。ひとりの書き手で十番の達成というのは、けだし組踊の創始以来初のことだが、それも印刷、発表の可能性を得て、なかばはそれをたのしみに牽引されてのことであり、その面では有難い時代にめぐりあわせたと思っている。あと2年、数え年85歳の干支までに十五番達成をめざし、いま十三番を書きあげたところである。
 ――と、厚顔にも公言するのは、もっぱら己れの退路を断つためである。時あたかもしかし、琉球語の衰えゆく時代のさなかにあるというのは、まことに皮肉なことで、この十番が無益な抗いに終わらないことを願っている。

 この文章で、著者の思いや作意については十分に理解してもらえることと思います。
 組踊十番+エッセイのほかに、歌劇「月夜の人生」と「泊阿嘉(補綴)」、随筆「私のなかの琉球芸能-伝統と創造のはざまで」。

 付け加えておくと、これらの新作は2010年段階で、「サシバの契り」を除く9作品が舞台化されているとのこと。作品は上演してこそ価値があるということからすれば、舞台化された数もすごいです。
 一時期沖縄で「遁ぎれ、結婚」がけっこうな話題になっていたことを思い出しました。2005年の国立おきなわでの上演では、玉城満の演出により、地方として徳原清文、長嶺ルーシー、與那覇徹が参加していたようです。立ち方では瀬名波孝子のほか、当時若手と言われていた小嶺和佳子、高宮城実人、呉屋かなめ、新垣江里子・麻里子姉妹、山城亜矢乃なども。みんな、今も元気でやっているのかな。
 また、大城はこの後新作組踊を二十番まで書き上げ、2011年には「真北風が吹けば ―琉球組踊続十番」をものしています。それらは、奄美、糸満、首里、久米島、やんばるを舞台とした「風土記」もの5作と「愛のシリーズ」5作の10本になっています。



 ラジオ沖縄「前田すえこのいいことありそうウィークエンド」に寄せられた、ウチナーグチに関するテーマにまつわるFAXを集めたもの。その「3(みーち、と読む)」冊目です。

 このシリーズ本はこの「3」で完結しているようで、仕掛け人でありこの番組に出演もしていたボーダーインク編集者の新城和博は、「僕が沖縄の出版に携わってやりたかったことのひとつは、ラジオの本を出すことだった。その昔、TBSラジオの深夜番組「パック・イン・ミュージック」でリスナーからの手紙をまとめた本「もうひとつの別の広場」というシリーズがあって、コツコツ買いそろえていた学生時代を過ごした僕にとって、そのスタイルのラジオ本はあこがれであった。」と語っています。
 自分も「1(てぃーち)」については1999年に新刊で、「2(たーち)」については2017年に古書で購入して、それぞれ読んでいます。

 「リスナーの人生の断片をスーミーしつつ、あらためてうちなーぐちニュアンスのおもしろさ、沖縄の奥深さを感じてみましょう。はっきりいってデージ面白いです。」――とのふれこみ。
 1997年4月から2000年3月までの間に寄せられたFAXについてまとめられていて、目次からあまり聞くことのないいくつかを例示すると次のとおり。
 うたとーん(疲れた)、いーたん(もらった)、にんららん(眠れない)、なーら(まだまだ)、ぬするーびさ(忍び足)、ちじ(比較して悪い)、くさぶっくゎー(生意気な人)、あたらさー(大事にする)、まんどーん(いっぱいある)、てぃがねー(ちょっとしたお手伝い)、ぐー(仲間を組む)、ねーびー(真似をする)、かめーたん(手に入れた)、いらんけーしむたるむん(言わなければよかった)、でーだかー(値のはるもの)、してぃほーりー(放りぱなし)、やーにんかからんぬー(家にいない人)、ばっぺー(ミステイク)、えーかんちゃー(親戚)・・・。
 ウチナーグチはおもしろいです。

 なお参考までに付すと、これも新城が発行に携わった、多喜ひろみ・FM沖縄編の投稿本「ハッピーアイランドの本」(ボーダーインク刊)というのもあり、1991年に編集が始まり、2008年8月にはその8冊目が発売されています。そこまで続くなんてすごい。
 その「8」も買い込んでストックしており、近いうちに読む予定です。

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