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 一時八重山民謡の中心的存在だった「ウムザ」こと山里勇吉が逝去した、との報に触れた。
 2月9日から那覇に行っていて、沖縄タイムスを読んで知ったのだった。

 マイクを使っているのだろうと思って聴いていたら、それが地声だったというぐらいの圧倒的な声量には驚愕したものだ。
 NHKの番組で観た石垣島白保の豊年祭で、行列の先頭に立って唄い歩く山里はふつうのオジサンなのになぜかCOOLだった。
 桜沢有理のプロデュースで、晩年の嘉手苅林昌と二人で本島と八重山の同名異曲を収録したCD「うたあわせ」(1999年)は実に白眉だった。
 映画「ナビィの恋」(1999年)でアブジャーマー男となった山里は、“トゥバラーマ”、“月ぬ美しゃ”、“ロンドンデリーの歌”とともに空手の型まで披露した。
 NHKテレビ「ちゅらさん2」(2003年)では古波蔵恵里の祖母ハナ(平良とみ)の婚約者・大浜豊を好演した。

 その山里も、享年92歳だったという。
 また一人、沖縄民謡界の巨星が堕ちた。残念でならない。
 この世にはもう、嘉手苅林昌も、照屋林助も、登川誠仁も、いない。時代は、このようにして少しずつ変わっていく。



 以下に2月10日付の琉球新報電子版を引用しておきます。

・山里勇吉さん死去 八重山民謡の大御所、92歳
 八重山民謡の歌手山里勇吉さんが(2018年2月)9日午前4時28分、肺がんのため宜野湾市内の病院で死去した。92歳。
 山里さんは1925年石垣市白保生まれ。16歳のころから三線を始め、57年に開かれた八重山全島とぅばらーま大会で優勝を機に、本格的に八重山民謡を学ぶ。声量、声の高さ、美しい節回しで、多くの人を魅了した。
 大工哲弘さんなど多くの後継者育成にも励んだ。八重山音楽安室流保存会師範、琉球民謡最高師範。99年県無形文化財「八重山古典民謡」保持者。長年県社会福祉協議会資金づくり芸能チャリティー公演の実行委員代表として企画、運営に関わり、2005年度の県功労者として表彰された。
 告別式は11日午後3時から4時、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館。喪主は八重山音楽安室流室山会理事長の名幸諄子さん。

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china 201503

 知名定男が公演活動を引退するとの報に触れて落胆したのは2012年3月。
 あれから3年が経過し、今度はその知名が「歌手復帰」を果たすのだという。
 沖縄民謡を追いかけて20年以上になる自分にとって、これは朗報。なにせ彼は、竹中労が本土に島唄を紹介した1970年代中頃にはすでにその中心メンバーの一人として活躍しており、今となってはその数少ない「生き証人」の一人であるからだ。

 だがその一方で、なにか腑に落ちない一面もある。
 3年前に書いた当時の記事を読んでほしい。そこには「引退」を聞きつけてかなり落胆している自分がいる。
 自分はある意味、そこでなにかにけじめをつけているようにも見える。
 ところが聴き手をそうさせた本人・知名は、「復帰」するというのである。
 多くの聴き手にけじめをつけさせた、当人としての「けじめ」やいかに。問題はそこだ。

 「島唄百景」という集大成となる6枚組のCDもつくられた。実はその歌声は、永年彼の声を聴き続けてきた者にとっては、声にかつてのハリが感じられず、一定の限界を予感させるものがあったのだった。

 つまるところ、復活してくれるのは誠に嬉しいのだが、はっきりさせておきたいのは、生半可な復活だったならば、聴く側は今度こそ厳しい裁定を下すだろうということだ。
 プロデュース活動の余技として、自分の気分で垂れ流すようにうたわれたのでは、唄者としてのこれまでの光栄ある活動まで否定されてしまいかねない。ファンはそれをけっして許さないだろう。
 島唄の大御所として余生を楽しむのではなく、精進を重ねてこれまで以上にいいものを提供し続けてほしいと願う。

 以下、沖縄タイムスの記事と、ディグ音楽プロモーションの告知を引用しておきます。

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・知名定男さん、3月に歌手復帰へ (沖縄タイムス 2015年2月5日)
 「バイバイ沖縄」「うんじゅが情どぅ頼まりる」などのヒット曲で知られ、2012年に民謡歌手を引退した音楽プロデューサーの知名定男さん(69)が、3月に歌手復帰することが4日、分かった。
 知名さんは、父で戦後民謡界をリードした知名定繁さんの生誕100年記念公演があることや、友人やファンの声もあり、復帰を決めたという。「二度と歌うことはないと考えたこともあるが、のどの調子も戻ってきたので、本来の自分の歌を披露したい」と意欲を示した。
 3月29日午後2時から「知名定繁生誕百年記念追悼公演」、同日午後7時から「知名定男復帰コンサート」がうるま市民芸術劇場響ホールで開催される。


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・ディグプロモーションのHPから抜粋
 知名定男復帰コンサート「よみがえる唄声」
 2015年3月29日(日) 19:00
 うるま市民芸術劇場 響ホール
 前売4,000円 当日4,500円  全席自由

出演/知名定男、宇崎竜童、南こうせつ、森山良子、夏川りみ
   知名定照(琉琴)、DIG(嘉手苅聡、前濱YOSHIRO、KOZ、名嘉太一郎)

公演趣旨
 惜しまれつつ現役引退をしてから3年。
 創作活動、プロデュース、若手指導を行っていると沸々と湧きあがる唄への情熱。
 唄仲間に背中を押され、豪華なゲストに支えられ、ついに復活。甦る唄声。

主催:知名定繁生誕百年記念追悼公演実行委員会
後援:うるま市、琉球放送株式会社、琉球朝日放送㈱、沖縄テレビ放送㈱、㈱沖縄タイムス社、
    ㈱琉球新報社、㈱エフエム沖縄、㈱ラジオ沖縄、琉球音楽協会
minyo-kouhaku 201412

 創立60周年を記念し、あの民謡紅白歌合戦が帰ってきます!
 ――というキャッチフレーズで、RBC琉球放送の民謡紅白が復活するようです。

 RBCの民謡紅白歌合戦は、琉球民謡を代表する唄者が一堂に会して名演を繰り広げてきた番組で、RBC創立とともにラジオで始まり、その後テレビで放送され、県民に新年の風物詩として親しまれてきたものです。
 年1回の楽しみであり、わざわざ沖縄に渡って公開録画を見たこともありました。
 しかし、2009年には公開収録がなくなって、歴代民謡紅白の貴重な映像とスタジオ収録の演奏で構成されることになり、翌2010年には放送自体が無くなってしまったのでした。

 そんな悲しい思いをした民謡紅白が、RBC琉球放送創立60周年を記念し、公録ベースでは実に6年ぶりに復活されるとのこと。うれしいじゃありませんか。
 放送は新年1月1日(木)午後3時~4時54分。若手から実力派民謡歌手の華やかな舞台を2時間にわたりたっぷり堪能できるわけです。
 なお、公開収録は12月16日(火)にすでに行われています。

 出演者(予定)は、田場盛信、神谷幸一、前川守賢、加治工勇、仲宗根豊、フェ―レー、仲宗根創、島袋辰也、知名定人、大工哲弘、饒辺愛子、でいご娘、山川まゆみ、うないぐみ、川畑さおり、村吉茜――と、愛好者にとっては垂涎のメンバーです。

 自分は残念ながら見ることができません。どなたか、録画して、私に見せていただけませんか。


 それから、OTVでは、12月12日に収録を終えている『第8回 新春!島唄の祭典』(旧称・東西民謡合戦)を1月2日9時から1時間半にわたって放映されます。
 出演者は、前川守賢、でいご娘、神谷幸一、神谷千尋、とぅるるんてん、我如古より子、ゆうりきやー、宜保和也、大山百合香ということのようです。
 こちらも録画を、どうか分けてください。
 今日の「ネーネーズ便り」に載っていたのだが、比嘉真優子と保良光美がネーネーズを卒業することになったらしい。
 突然の報に虚を衝かれた感があり、どうまとめていいか困っている状態なのだが、真優子は5年半、光美は5年と、二人とも長い間ネーネーズとしてがんばってきたと思う。

 “どんと来い”的なパフォーマンスを見せてくれた真優子と、天真爛漫な感じの笑顔が素敵だった光美が抜けた後の穴は、かなり大きいのではないか。
 ネーネーズが今後もこれまでどおり存続していく上では一種の切迫した危機と言ってもよいくらいだと思っている。
 20年以上続いたネーネーズの血脈が途切れないようにするため、知名定男が次の一手をどう打ってくるか、しっかり見届けようと思う。

 二人の卒業は9月27日。
 真優子はソロ活動に入るようだが、光美は「ウチナーカラジをほどき新たな道を歩いて行く」と意味深なことを書いていて、どうなるのかは不明。
 こりゃあ、8月の沖縄旅では「島唄」に顔を出さなければならないだろうな。

mayuko 201407    terumi 201407

 以下、「ネーネーズ便り」から、二人の卒業の弁を引用させていただく。

《比嘉真優子 卒業のご挨拶》
 私、比嘉真優子は、9月27日をもちまして“ネーネーズ”を卒業し、“ソロ活動”へ転向することとなりました。
 5年半、ネーネーズというとっても素晴らしいグループで歌わせていただきました。
 今でもネーネーズの曲を歌うことが大好きで、本当に楽しくて、続けていきたい気持ちが大きいです。
 しかし、私の夢はソロで歌うこと。
 もっともっと歌が上手くなりたい、もっともっとたくさん勉強したい、という気持ちが大きく、ネーネーズを離れることにしました。
 約三ヶ月、ネーネーズとしての私を応援してくれた皆様へ、感謝の気持ちを込めて、日々全力で歌わせていただきます。
 これからも、比嘉真優子、そしてネーネーズを、応援よろしくお願いいたします。

《保良光美 卒業のご挨拶》
 大切な皆様へ、ご報告。
 私、保良光美は、9月をもちましてネーネーズを卒業します。
 ずっとこの世界に憧れて・・・。子供の頃から この舞台に立つことが夢でした。
 ネーネーズのオーディションに応募し、合格した時はとても嬉しく目に映る世界がすべて変わったような気がして最高でした。その気持ちは今でも忘れません。
 歴史あるネーネーズ。歌も踊りも三線も覚えるのが大変でしたが、夢が叶った喜びですべて頑張るパワーに変わりました。
 今の私があるのは、ファンの皆様、ネーネーズのメンバー、知名先生、康子先生、社長、会社の方々、家族、友達、たくさんの皆様に応援して頂いたおかげだと感じています。感謝の気持ちをいっぱい重ねても感謝しきれません。
 これから私は、ウチナーカラジをほどき新たな道を歩いて行きます。
 不安はありますが、皆様に支えられた5年間を思い出し、これからも笑顔で力いっぱい前に進んでいきます。
 もしかしたら、この道は何処かでまた繋がっているかもしれません。
 この世界に入り、皆様に出会えて最高に幸せでした!
 保良光美! 卒業の日まで、皆様に感謝の気持ちを忘れず精一杯歌っていきますので、今まで以上の応援宜しくお願いします!
 そして、ネーネーズの応援もお願いします。
 最後に、本当に・・・本当に・・・ありがとうございました。
 ネーネーズ 保良光美
2014.04.12 まっとーばー
 かりゆし58がうたう「まっとーばー」。やや説明口調になっているけど、これは泣ける。
 一度聴いてみてください。作詞・作曲の前川真悟のハートが伝わってきますから。




まっとーばー   かりゆし58

  真っ向からどストレートだ もう一歩も引けない時には
  何もかも全部を自分の真っ直ぐに懸けろ

  同い年の幼なじみで しかも近所で育ってきたから
  まるで家族みたいなもんだ お前のオヤジも
  テレビゲームなんかやめろって いきなり空き地に連れ出して
  作業着姿でノックを始めるようなおっちゃん
  中2の冬休みくらいから不良の真似事を始めたおれ
  ずっと野球をやめなかったお前
  なんとなくおっちゃんに会いづらくなったのも
  おばちゃんが急に倒れたのもあの頃だったっけ

  真っ向からどストレートだ もう一歩も引けない時には
  何もかも全部を自分で真っ直ぐに懸けろ
  真っ向からどストレートだ もう行くしかないって場面で
  やり切ったんなら 勝ったも負けたもないっていうのがおっちゃんの口癖

  高校最後の夏間近 市営グランドの外野席 何年ぶりかにおっちゃんに会った
  結局 補欠のまんまでベンチにも入れないくせに
  誰よりもデッカい声を仲間に送ってる自慢の倅だって笑ってた

  おっちゃんの背広姿を初めて見たのはその年の冬
  おばちゃんが天国に行った日の夜
  こんな時こそ賑やかにしてるのがいいんだと言って
  お客さんにビールをついでまわっていた ありがとうばっかり言ってた

  真っ向からどストレートだ もう一歩も引けない時には
  何もかも全部を自分の真っ直ぐに懸けろ
  ど真ん中めがけろ もう行くしかないって場面で
  やり切ったんなら勝ったも負けたもないっていうのがおっちゃんの生き方
2013.04.09 復活 上原 渚
nagisa 201304

 新年度が始まって、余暇時間が思うようにとれず、いつものような沖縄に偏向した生活ができなくなっている。困ったものだ。
 そんな中で意表を衝く出来事が一つ。これは記しておかねばなるまい。

 ネーネーズのメンバーからマーキーこと仲本真紀がこの3月いっぱいで結婚のため離脱し、4月から新メンバーが加わるとのことだったので、はて、どんなムスメが加入するのかと待っていたところ、ナント、上原渚が復活するというではないか!

 ナーギーは、2005年5月から2012年5月までの7年余の間ネーネーズの一員として活躍。
 そして1年弱の充電期間があって、このたび復活と相成った。
 旧メンバーが復活するなんて、1990年以来続く長いネーネーズの歴史上、前代未聞のこと。
 でもそれって、昔からのネーネーズファンの自分としては大いに歓迎するところ。第3期ネーネーズで彼女が中心的な存在だった期間は長く、「国頭捌理」のソロパートなどは、古謝美佐子のそれともまたちがって絶品だったしね。

 初代ネーネーズの吉田康子とは縁戚関係があり、知名定男が主宰する「二代目定絃会」の一員。
 彼女は今24歳のはずだから、16歳のときからネーネーズでやっていたんだな。
 ステージでの並びは、ナーギーがかつての定位置の左から2番目に入り、そこにいた本村理恵がマーキーのいた右端に移るのかな。

 以下に、2013年4月6日付けの「ネーネーズだより」に掲載された「復帰のご挨拶」を引用しておきます。


 新メンバーの「上原渚」です。
 やっぱりネーネーズが好きで、歌いたい!という気持ちを押さえられず、復帰することを決意いたしました。
 1年前、夢を追いかけるために卒業しましたが、ネーネーズ愛の気持ちがくすぶったままで、やり残した事もいっぱいでした。
 卒業の時に盛大に送り出してくれたお客様、ファンの皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 1日も早く皆様に温かく受け入れて頂けるよう、応援してもらえるよう、そしてまた「ネーネーズ」として歌える喜びを噛みしめながら、全力で頑張って行きたいと思います。
 宜しくお願いします!
                                  上原 渚


 沖縄民謡の現代の御大、登川誠仁が、3月19日、死去した。
 この何年か入退院をしていたようだが、昨年の琉球フェスティバルでは元気な姿というか、人一倍張り切ってのステージングを見せていたものだったのに。

 竹中労が沖縄民謡をヤマトに紹介するべく琉球フェスティバルを開催したのは1974年。当時の沖縄民謡界は今となってはきら星のような唄者たちが勢ぞろいしていたものだが、誠グヮーはその少なくなった生き残りの一人だった。
 当時の琉フェスは、嘉手苅林昌、照屋林助、大城美佐子、国吉源次、山里勇吉らとともに誠グヮーも中心人物だった。知名定男や大工哲弘らは新進気鋭の範疇だったし、もちろん喜納昌吉やりんけんバンドなどが活躍するにはあと15年ほどの歳月がかかるという時代だった。

 愛すべきショーリー(shorty)。
 知名は昨年うたうことをやめたし、これからの沖縄民謡界は誰がイメージリーダーとなっていくのだろうか。

 以下、誠小の訃報記事をいくつか抜粋しておきます。


毎日新聞(3月20日) <訃報>登川誠仁さん80歳=沖縄民謡の最高峰歌手
 映画「ナビィの恋」などの出演で全国的人気を呼んだ沖縄民謡の最高峰歌手、登川誠仁さんが19日、肝不全のため死去した。80歳。葬儀は23日午後3時、沖縄市松本のサンレー中部紫雲閣。喪主は長男仁(ひとし)さん。
 兵庫県に生まれ、沖縄で育つ。地元劇団で歌と三線を習得し、20代半ばでソロの民謡歌手として注目を集める。ウチナーグチ(沖縄方言)にこだわった自作曲、ロックばりの三線早弾きも評判を呼びつつ、三線譜と声楽譜を合わせた初の楽譜集を編集するなど沖縄民謡の発展と継承に大きく寄与した。明朗快活でありながら哀感と滋味があふれる歌は沖縄音楽の神髄を表している。琉球民謡協会名誉会長。琉球民謡名人位。沖縄県指定無形文化財技能保持者。
 99年、中江裕司監督の「ナビィの恋」で準主役を演じ、02年にも同監督の「ホテル・ハイビスカス」に出演。全国的な知名度を得た。主なCD作品に「酔虎自在」「歌ぬ泉」、弟子の知名定男さんと共演した「登川誠仁&知名定男」など。

沖縄タイムス(3月20日) 登川誠仁さんが死去 戦後沖縄を代表する民謡歌手
 戦後沖縄を代表する民謡歌手で「セイ小(ぐゎー)」の愛称で親しまれた登川誠仁さんが19日午後11時37分、肝不全のため、入院先の沖縄市内の病院で死去した。80歳。兵庫県生まれ。告別式は未定。
 ここ数年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。
 登川さんは、父親の影響で幼いころから三線に親しみ、沖縄諮詢会が設立した「松」劇団に1948年ごろ入団。その後も、珊瑚座などの劇団で古典音楽や民謡などを幅広く習得。「早弾きの天才」として脚光を浴びた。
 62年設立の琉球民謡協会の評議員に就任し、同会師範としても民謡ブームのけん引役を担った。伝統組踊保存会初代会長の故真境名由康さんにも巧みな演奏やレパートリーの広さを見込まれ、創作舞踊の地謡を務めるなど、民謡以外のジャンルでも力を発揮した。
 70年には民謡では初めてという声楽譜付き工工四(くんくんしー)を発刊。「歌の心」「豊節」など自作の歌も多く、レコードやカセットテープ、CDなどは100点以上に上る。
 泡盛が好きで、ユーモアにあふれ人なつっこい言動からファンも多く、沖縄発の映画として全国ヒットした「ナビィの恋」(1999年)で、平良トミさんの夫役としても存在感を示した。知名定男さんや徳原清文さんら多くの弟子も育てた。
 89年県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者、98年琉球民謡協会名誉会長。2002年沖縄タイムス賞文化賞、沖縄タイムス出版文化賞、12年県功労者表彰。

朝日新聞デジタル(3月20日) 沖縄民謡の第一人者、登川誠仁さん死去
 沖縄を代表する民謡歌手で、映画「ナビィの恋」にも出演した登川誠仁(本名登川盛仁〈のぼりかわ・せいじん〉)さんが19日午後11時37分、肝不全のため沖縄県沖縄市の病院で死去した。80歳だった。葬儀は23日午後3時から同市松本7の5の3のサンレー中部紫雲閣で。喪主は長男仁(ひとし)さん。
 兵庫県生まれ。沖縄県の東恩納(現うるま市)で育つ。7歳で沖縄の楽器・三線を手にし、16歳で芝居の地方(じかた)の弟子として修業を積む。1950年代半ばから伝統歌謡の代表的歌手の一人に。「セイ小(セイグヮー)」の愛称で親しまれ、古典から民謡、即興の琉歌までこなし、三線の速弾きの名手で知られた。知名定男さんら多くの弟子も育てた。琉球民謡協会の発展に貢献し、名誉会長などを務めた。89年には、沖縄県指定無形文化財保持者に認定された。
 琉球民謡の正調を広く伝えようと、県内外の野外音楽フェスティバルなどにも意欲的に出演し、「モンゴル800」など沖縄出身の若いアーティストとの共演を楽しんだ。2012年秋には、ともに沖縄の民謡界を盛り上げてきた大城美佐子さんと初共演したアルバムを発表し注目された。
 99年公開の映画「ナビィの恋」では、平良とみさん演じる主人公ナビィの夫・恵達役で出演し、ひょうひょうとしたキャラクターが人気を集めた。
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 ぬゎんと! 仲本真紀が、ネーネーズを卒業するそうです。
 ネーネーズのブログ「ネーネーズだより」の1月16日付の記事などで発表されました。

 それによれば、
『突然のお知らせではありますが、私、仲本真紀は、2013年3月31日を最後に、ネーネーズを卒業します。
 理恵が加入したばかりで「今からこのメンバーで!!」という時ではありますが、結婚、そして新しい道へ進んでいきたいという気持ちで決断しました。
 4年間…短い間ではありましたが、今まで応援してくださり支えてくれた皆様、本当にありがとうございました。
 あと残り2ヶ月半…、歌手として、ネーネーズとしての生活、1日1日を大事に、ステージで一生懸命、歌を歌いたいと思います。
 ありがとうございました。』 とのこと。

 結婚するのですね。4年も頑張ったんだね。
 沖縄から遠く離れた地で応援している者にとって、ネーネーズのメンバー変更はいつも突然のことであり、驚くやら、がっかりするやら。
 ついこの前の12月には「島唄」で久々に会って、写真を撮らせてもらったりしていたのに。(下画像)
 CD「贈りもの」では、彼女のお父さんの仲本政國がジャズピアニストとして大活躍していたのになぁ。

 残念でなりません。

mayu maki 201212


 この3月に公演活動からの引退を表明した知名定男のDVD「唄魂LIVE」を鑑賞しました。
 もったいないことに、昨年(2011年)の3月に購入して以来、初めて鑑賞。こういうことって実はけっこうあって、大切だったり貴重なものなどは特に、読んだり見たり聴いたりするのが惜しいというので、買ったまま封を切らずに大事にとっておいたりするのだな。
 こういうものはなんつったって、ファーストインプレッションが重要だからね。

 2009年末に、民謡101曲を録音した「島唄百景」で、第51回日本レコード大賞企画賞を受賞。これに先立ちそのいいトコ取りをしたようなCD「唄魂」が発売されますが、さらにそのちょっと前の7月12日、日暮里サニーホールで行ったライブを収録したものです。

 知名の引退を報じる新聞記事には、2006年ごろから喉に不調を感じていたことが記されていましたが、このときはそのようなこともなく、いつものとおりいい声でうたっています。
 ただ、ずっと椅子に座ったままでの唄三線で、周りにいる吉田康子や鳩間可奈子、ひがけいこなどがスタンディングなので、なんだか一人だけ老けこんでしまったような印象がありました。
 たしか昭和20年生まれ。なので、若いと思っていた知名も今年67歳になるのだな。
 知名定照の奏でる琉琴が入ると、知名定男の唄はぐっと引き締まり、映えますね。

 ところで、2006年の喉の不調については、彼が著した「うたまーい」(2006年2月、岩波書店刊)のあとがきで、次のように記しています。

『 昨年(註 2005年)の琉球フェスティバル(11回目)の福岡会場で、僕は初めて声が出ないという事態に直面しました。唄えなかったのです。変声期の時でも唄うことは出来ました。それがほとんど声が出なかったのです。半世紀にわたる音楽生活で、これは初めての経験でした。とてもくやしかったし、反省もしてます。
 僕は体力には自信を持ってます。現在でも週に1、2回はあの新芸会の仲間たちとゴルフに行ってます。さすがにお酒の量は減りましたが、まだまだ健全です。作曲活動も頑張ってますし、プロデュース業も忙しくこなしています。
 声の調子はほぼ戻りましたが、「まえがき」でも触れましたように、あの天才少年も今年で還暦を迎えました。60歳です。もうオジイの年齢に到達してしまいました。事実、僕には四人の孫がいます。でも、気持ちは昔と同じく、青年の積もりでいるのです。しかし、声が出なかったというあの初めての経験によって、やはり自分も確実に年老いていってるなあ、ということを認識せざるを得ませんでした。 』

 知名はいつも、「琉球フェスティバル」を「琉球ヘスチバル」と発音していたよね。(笑)

 さて、上記とは全く関係ありませんが、おれ、このDVDのジャケットに写る知名の着ているかりゆしウェアがサイコーにカッコイイと思う。
 こりゃぁええねぇ・・・。おんなじもんがほしいんだがや。
 ブランド名や、売っているトコなどの情報、知っとったら、ぜひ教せーてやってちょーでぇ。

 ・・・さらにはずれるが、名古屋のうみゃあもんをい~ろいろ食べ歩いてみたゃあもんだがや。
 知名定男の公演活動引退の報に触れ、すっかり気持ちがしょぼくれてしまっている自分がいる。
 ぼんやりしながら押し黙っている自分に気づく。

 どうもこのごろは、友人が突然の病に伏せった、親しくしていた知人の親が亡くなった、自分にとって大事なものを突然失ってしまった、などの、悲しい、もしくは残念な、はたまた苦しい…といったようなことがらが多く、いったんそれらに触れてしまうと、そのことについてついついあれこれと考え込んでしまい、以前のようにそこからにわかに立ち直っていけなくなってしまっている。

 考えても詮無きことは深く考えないようにして、多少の時間をかければ心の傷は着実に癒えていくものだと自分に言い聞かせているのだが、なかなか理屈通りにいかないのが人生というものなワケで。

 なぜ容易に立ち直れないかの理由を、実は自分はよく知っている。
 そういう悲しい、残念な、苦しいことは、おれこそが、おれの感受性でもって、いつまでも忘れずに、ひっそりと自分の心に刻み込んでおく必要がある――と考えるからなのだ。
 大切なのだ。かけがえのないものなのだ。
 そのことは自分自身が一番よく知っていたりする。

 齢を重ねるということは、そうやって辛いことを自分の奥底にどんどんため込んでいく作業なのかもしれない。

 そんなくよくよ中年が、自分の傷に塩を塗るような思いで読んだ沖縄タイムスの記事を引用。
 おれはこれからも知名定男のうたを、密かに自分に対して、声に出さずに歌いかけ続けていく。

  ********************

□知名定男、歌声・拍手に送られ芸歴に幕  (沖縄タイムス 2012年3月27日)

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画像:涙をこらえながら「別れの煙」を演奏する知名定男(中央)と定人(左)。右は徳原清文=25日、沖縄市民会館

 「一曲も歌い切れない。こんな不作法なステージになってしまい、すみません」。知名定男が泣いた。
 25日、沖縄市民会館で開かれた芸歴55周年記念リサイタル「島唄百景」。好きな酒も断って臨んだ、歌い手として最後の舞台だった。「最後の舞台だというのに、神様は冷たかったなあ」。本番終了後の楽屋、じっと中空を見詰め、悔しさをにじませながらつぶやいた。

 冒頭の口上で引退を発表した後、ゲスト演目を挟んで再登場した知名。客の注目を浴びた1曲目は「南洋小唄」。いったん歌いだすが、後が続かない。
 「ぬーが、あんすかやんでぃとーるやー(どうして、こんなに変かなあ)」とユーモアたっぷりに中断する。
 「55年はあっという間。何かこう『やみんなよー(やめるなよ)』とか『やーから歌とぅいねー、ぬーぬぬくいが(お前から歌を取ったら何が残るんだ)』と、先輩方が言っているみたいだ」

 だが休憩を挟んでも、歌声は戻らなかった。ゲストの宮沢和史や大城美佐子の歌、舞踊などを挟んでのフィナーレ。知名の伴奏で松田須之吉、徳原清文、吉田康子らが次々と歌う。息子の定人が公演最後の曲「別れの煙」を歌っている途中で、知名の目に涙があふれ始めた。
 「リサイタルといいながら、お客さんを満足させられなかった。歌えない自分が悔しくて、情けなくて…」
 島唄の魅力に目覚めた30代からこだわり続けた情け歌を、「今日は後のことを考えず思う存分歌うつもりだった。最高の舞台にするはずだったのに」。

 それでも客席は温かかった。親子そろって涙で声が出なくなると、自然と会場から歌声が聞こえてきた。
 「お客さんは本当は納得してないですよ。それでも優しく自分を送ってくれた。その気持ちに甘えず、今後は新しい曲作りや後輩の育成に力を尽くしたい」
 今日歌えなかった分、また歌いませんか。そう尋ねた。だが答えははっきりしていた。「二度と歌うことはない。皆の前であんなにはっきり宣言したんだから」

 知名の55年は、島唄の新しい世界を切り開いた55年だった。幕が下りた後、いつまでも拍手は続いた。
(玉城淳)

  ********************
 今朝、琉球新報のホームページを見てびっくり! 知名定男が公演活動を引退するのだという。
 以下、琉球新報のページから引用。

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○知名定男さん引退 「若い人に受け継ぎたい」 2012年3月26日
 民謡歌手の知名定男さん(66)が25日、公演活動を引退することを発表した。
 同日、沖縄市民会館で開かれた芸能生活55周年記念公演で知名さんが来場者に、「この公演を最後に引退したいと思っている。考えに考えた結果。理解してほしい」と語った。
 知名さんは2006年ごろからのどに不調を感じていたといい、今後はプロデュース業や後進の育成に努める考え。

 知名さんは父・知名定繁さんの下で芝居の子役として民謡に親しみ、登川誠仁さんに師事。1956年に「スーキカンナー」でデビュー。「うんじゅが情どぅ頼まりる」などのヒット曲を生み、民謡にレゲエをミックスさせた「バイバイ沖縄」など独自路線も切り開いた。
 東京、大阪での琉球フェスティバルやネーネーズのプロデュースも手掛けた。
 2009年には伝統曲から新唄まで民謡101曲を録音した「島唄百景」で第51回日本レコード大賞企画賞を受賞した。

 知名さんは25日の公演で声が出ず、悔し涙を流しながら徳原清文さんや次男の知名定人さんらの歌に三線を合わせた。
 「助けられ、ありがたい。お客さんは納得しないだろう。悔しい」と語り、「先輩方から受けついできた島唄の根元にある大切な部分を若い人たちに伝えたい。それがこれからの自分の役目だと思っている」などと語った。

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画像:芸能生活55周年記念公演で、活動を締めくくる演奏を聞かせる知名定男さん=25日、沖縄市民会館

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 3月26日に55周年の記念公演があることは、知っていました。
 自分は10年前、具志川市民芸術劇場響ホールで行われた「知名定男芸能生活45周年記念リサイタル」を生で体験しており、記念すべき節目として今回も行くべきなのだろうなとは思っていましたが、都合がつかず断念していたのです。

 しかし、こういうことになるとは考えてもみませんでした。
 万難を排して赴くべきでした。

 “公演で声が出ず、悔し涙を流しながら”うたった知名定男の心境はいかばかりだったでしょう。
 沖縄民謡の先駆者たちを若い頃から支え、その道の正統を未来に引き継ぐべき立場を自他共に認めてうたい続けてきた人物が、皮肉なことに喉に病を抱えることになるのですから…。

 自分も長い間沖縄民謡を聴き続けてきましたが、これほどのショックは1998年に嘉手苅林昌が逝去したとき以来であり、愛聴していたうたうたたちが自分から遠ざかっていくような哀しい気持ちになりました。

 知名定男のステージが観られなくなることは、残念などという言葉では表現しきれません。
 痛恨の極みです。
 もういっちょう。旧ティダカンパニーのFu-miさんのブログ「Forever Young」から。

○Forever Young 2011年11月30日
 いよいよ明日「三線SAMURAI/島うた40年史」と題するライブが開催されます。
 出演は「ハイサイおじさん」「花~すべての人の心に花を~」でお馴染みの喜納昌吉さん、ネーネーズのプロデューサーとしても知られる知名定男さん、りんけんバンドを率いる照屋林賢さん。
 沖縄民謡界を40年近くも引っ張り続け、島うたブームを創り上げた先駆者3氏が初めて同じ舞台に立つという事で注目されておりますが、私も「沖縄の歴史を動かす奇跡の共演」の目撃者となるべく、チケットを手に楽しみにしている一人であります。
 ところで、何故「奇跡の共演なのか?」と言う事について、手元の資料によると…。
 公然の事実として語られているが、3氏は絶対に交わらない3星(ミーチブシ)とか言われ続け、同じ舞台を一緒に踏んだ事が無い。先駆者ゆえの三者三様の生き様がやや誤解を産み、勝手に話が広がり、噂話的な感じも無きにしも非ずのようであるが、実際のところは本人達しか知らない事であろう…と。
 その三氏が共演するライブ実現への大きなきっかけを作ったのが、実は今回のライブで司会を担当する南こうせつさんなんですね。今年の夏、こうせつさんの音頭で那覇のとある居酒屋の奥座敷に集まる事となり、会食はアルコールも入り多少のバトルはあったものの、4氏共に還暦を過ぎて丸みを帯びた事もあってか(?)、終始和やかに進み、お開きとなる前に誰となく「年内に初ライブをやろう。LIVE会場は(3氏が)生まれ育ったコザの地で、小さな会場で良い…」という話に。「それなら、司会進行は私がやります」と、沖縄の移り変わりを外から見てきた南こうせつさんが買って出るという事になったらしいのです。(拍手)
 私と3氏の関わりについて。
 林賢さんとは「りんけんバンド」に歌姫の上原知子さんが加入した頃からですので、知り合って30年近くになります。ユッコと一緒にやり始めた頃にCMソングを歌わせてもらった事があります。更に、僕らの結婚披露宴には「メンバー(りんけんバンド)に誘われて来た」と出席(?)してご挨拶まで頂戴致しました。(笑)
 昌吉さんと初めて会ったのは、コンサートの音響スタッフとして仕事をしている時でしたね。リハを一通り終えて、サウンドチェックを兼ねて遊びで打楽器を叩いたら「おー、ノリがいいね」と昌吉さんがサンシンを弾いてちょっとしたセッションになりました。その後、那覇の「パレット久茂地」のオープニングイベントにご一緒させて頂いた際にご挨拶をしたところ「君は何派か!?」と聞かれて「はー?…派!?」とびっくりした事があります。(笑)
 知名定男さんとは「ネーネーズの拠点」として経営するライブハウスに、一度だけですが出演させて頂きました。その時に、自費出版で出したCDを真っ先に買って頂いて恐縮した思い出と共に「君はなかなか面白い事やりそうだね。頑張れ!!」と激励された事を覚えています。
 南こうせつさんとは「フォークTIDABOX」(RBCiラジオ)へのゲスト出演以来、ここ最近では「ニーニーズ」として東京で頑張っていた頃からの交流がある「かでかるさとし」と共に、沖縄でのコンサートでステージに呼ばれたり、昨年と今年のコンサートでの共演に引き続き、今年4月に開催された「東日本大震災チャリティーイベント」へ急遽出演する事になった際には、こうせつさんから私の携帯へ「フーミはその日は仕事とか大丈夫? 良かったら一緒に盛り上げようよ」との連絡があり「かでかるさとし&ティダカンパニー」として共演させて頂きました。
 ふと思えば、4氏と私もそんなこんなの縁もあったりという事で、明日のライブを楽しみにしている訳です。ちなみに、かでかるさとしは「忘年会の仕事が入っている」とのことでした。


samurai poster2 20111

○Forever Young 2011年12月2日
 これまでに、何度か機会はあったものの同じステージに揃って立った事がないという三人が、司会の南こうせつさんに呼ばれて並んだだけで、会場がざわめく不思議な雰囲気というか空気に包まれるというか。
 でもって、その主役の三人を見ていると、やはりどこかぎこちなかったり、それぞれ三者三様の個性というものがそのまま伝わってくるような。
 こうせつさんの「昌吉さん、怒ってない?」というツッコミに一発目の大爆笑となりましたが、眼光鋭い喜納昌吉さんも笑うと優しい笑顔だったり。(笑)
 こうせつさんとのトークも面白かったですね。お三方の父親がそれぞれ沖縄民謡界の大御所であるという話では、知名さんから「昌吉のお父さんはとても優しい人だった。それなのに何でお前は…」と言われて大爆笑を誘う一方で「私(知名定男)の父もとても穏やかな人で、カメラを向けると直ぐ笑顔を作る人だったけど、私はひねくれ者でクサブックァー(愛嬌のない奴)でしたね…」とも。(笑)
 その中で、照屋林賢さんが父親である林助さんに作詞を依頼した時のエピーソードでは、FAXで届いた最初の詩にダメ出しをすると「お前は人にお願い事をして駄目だというか!?」で喧嘩となり、実は親子での作品も多いけど、その度に喧嘩していたと。
 そしてその話と共に語ったのは「父親が偉かったのは、喧嘩をしてもお願いされた事を投げ出す事はしなかった」と。
 で、2作目の詩が届くのですが、ナントこれまたダメ出しをしての大喧嘩(!?)。ところが、決して投げ出さない父親の3作目が素晴らしい詩となって送られてきたそのFAXの一番下には「人の意見も聞いてみるものだ、お陰で素晴らしい詩ができた」とあったそうです。
 その話を聞いたこうせつさん、「じゃあこの三人も、これからは素直に人の意見も聞けばいいんだよね?」という話にまたまた大爆笑。昌吉さんとのトークでも「国とか国境とか言う、そういう次元の話じゃなくて、宇宙という視点から見れば、人間と地球がダンスするような精神でいかなければ間違いなく破滅に向かう」という話と共に、「大震災から原発問題を考えた時に、何も戦争だけが地球を破滅に向わすものではないという事がわかった。だから、これからはみんなで一緒になって考えていかなくてはならない!!」等々の持論に対して、「だったらこの三人も仲良くしていかなきゃ」というこうせつさんのツッコミにこれまた大爆笑。知名さん曰く「この三人は仲が悪いんじゃなくて、気が合わないと言うか馬が合わないんだよ…」で、最後まで大爆笑の連続といった感じでした。(笑)
 ところで、三人の中で唯一リードボーカルをとらない林賢さんに対して、昨日は知名さんから「お前も歌え!!」と父親の作品を歌わされる場面があったのですが、「僕は歌が下手で、曲を作るのが好きなんです」という言い訳を隣で聞いていた昌吉さんが、「林賢の歌を初めて聞いたね、なかなかいいね、もっと下手かと思っていたから…」と言うとこれまた大爆笑。
 この三人が揃ってのライブというのは、ぎこちない可笑しさが漂う不思議な雰囲気の中で「コラボというよりバトルだから」という感じにもなっていましたね。
 でもって、アンコールの拍手に戻されてステージ上で打ち合わせをするものの、やっぱりなかなか決まらない。知名さんから「一人一曲ずつを短く歌う」という事の流れから最後となった林賢さん曰く「今回は三線SAMURIというタイトルですが、本来は歌・三線なんですね。歌があっての三線なので、最後は上原知子の歌で締めてもらいましょう」と言って迎え入れたものの、「結局貴方は自分の事なのに私ばかり働かせてない!?」という奥様からのツッコミに直立不動となり、最後の最後は歌姫の美しく響き渡る歌声で幕を閉じるという「奇跡の共演」でありました。
 そして、何と言っても南こうせつさんあっての「奇跡のコラボ&バトル」であり、大成功の初ライブとなった事は間違いありません!!(拍手)
 少し前のことになりますが、2011年12月1日、照屋林賢、知名定男、喜納昌吉がそろって出演した「三線SAMURAI」というイベントがありました。
 これ、歴史的エポックとして語られることが今後何度かあろうかと思いますので、いったん整理しておきます。

 まずは、2011年11月29日の沖縄タイムスから。

○知名定男・喜納昌吉・照屋林賢 歴史的共演
 島唄や沖縄ポップスブームをリードした知名定男、喜納昌吉、照屋林賢の3人が、12月1日午後7時半から、沖縄市民小劇場あしびなーでライブ「三線SAMURAI~島うた40年史」に出演する。
 司会にフォークシンガーの南こうせつ。知名は「3人の共演を一番見たがっているのがこうせつ。演目は何も決まっていないが、中途半端なライブにならないようにしなければ」と語った。
 それぞれ独自の音楽スタイルを構築し、「絶対に交わらない3星(ミーチブシ)」といわれた3人の共演が、南の熱烈な依頼で実現。
 林賢は「お客さんは沖縄近代音楽の歴史的なステージの目撃者になると思う。音楽性はどうなるかまだ分からないが、楽しめるはず」と話した。
 問い合わせはPMエージェンシー、電話098(898)1331。

samurai times 201111
写真:「三線SAMURAI」に出演する(左から)照屋林賢、知名定男、喜納昌吉、南こうせつ


 次に、開催後にその情況を報じる、2011年12月6日の琉球新報から。

○交わった三つ星 三線SAMURAI
 復帰直後から沖縄の民謡界を引っ張ってきた喜納昌吉、知名定男、照屋林賢の3人が初めて同じ舞台に立つライブ「三線SAMURAI 島うた40年史」が1日、沖縄市民小劇場あしびなーであった。
 「絶対に交わらない三つ星(ミーチブシ)」などと言われた3人が、彼らを育んだ街・コザを舞台に歌三線で共演した。間を取り持った南こうせつは司会を務めた。
 幕開けで南に「なぜ仲が悪いのか」と問われた3人は「悪くない」と口をそろえながら、「性格が一致しない」(喜納)、「ウマが合わないだけ」(知名)と述べ、会場を笑いに包む。
 最初にりんけんバンドが登場し、林賢の三線に乗って上原知子の伸びやかな歌が響く。「黄金三星」は知名と共演した。喜納は「ハイサイおじさん」などをパワフルに奏で、知名は「うんじゅが情どぅ頼まりる」などをしっとり歌った。
 知名の求めで司会の南も「神田川」を歌い、客席に駆け付けていた宮沢和史やBEGINらもコーラスで参加した。
 終盤には3人がそろい踏み、知名定繁作詞、照屋林助作曲の「ジントーヨーワルツ」、林助と喜納昌永による「裏座小」など戦後の民謡を切り開いた父親たちの曲を聞かせた。
 演奏後、喜納が「皆男だから問題があるのかも知らん。次生まれる時は誰かが女性になればいい」と口を開くと、すかさず知名が「君が女になれ」と返し、会場は再び笑いに包まれた。
 アンコールに応え会場に戻った3人だが、演目がなかなか一致しない。知名が「コラボというよりバトルだ」と言いながら「時代の流れ」を演奏すると、喜納も同じ曲を激しく歌った。
samurai 201112
 写真:沖縄の民謡を切り開いた父親たちの曲で共演を果たした(前列左から)照屋林賢、喜納昌吉、知名定男=1日、沖縄市民小劇場あしびなー


 ネーネーズの保良光美が12月8日付けで「ネーネーズ便り」に感想を載せていたので、引用しておきます。

○ネーネーズ便り 2011年12月08日
 12月1日に「三線SAMURAI」というイベントがありました。
 知名定男先生、喜納昌吉さん、照屋林賢さん。沖縄民謡界を代表する、また、島唄ブームを創り上げた偉大なメンバーによる初の共演の舞台。
 今までこの3人が共演するということが無かったらしく、注目されていたライブでした。
 私たちはライブのため、見に行く事が出来なかったのですが、後日社長から話を聞くと、「それぞれの親の曲を歌おう!」となったとのこと。
 この3人も凄い才能を持った先生方であるが、その親となる方も沖縄民謡界のTOPで活躍してきた方々。
 知名定繁さん、照屋林助さん、喜納昌永さん。
 私は当時をよく知りませんが、3人それぞれ親も芸能が優れていて、ちゃんと次世代に受け継がれて今に至る。という奇跡のような現実がすごい! かっこいいなぁ~。
 生まれながらにして与えられた沖縄音楽界、サラブレットの御三家の存在。
 使命的ものがあるんだろうな、と考えさせられます。
 そんな師匠の元、歌を学べる環境に幸せ感じつつ、日々進歩を目指して頑張っていこう!!
 心の底から湧いてくる歌があるものだ。
 嬉しいとき、やけになったとき、打ちひしがれたとき・・・とシチュエーションはさまざまですが、父を彼岸へと送ったばかりの今、心からしみじみと湧いてくるのは、知名定男の「山河、今は遠く」でした。

 ☆山河、今は遠く     作詞:岡本おさみ  作曲:知名定男

  乾いた街を潤した雨も どうやらあがったようだね
  花屋の角を曲がった店で 友よ今夜も飲もうか
     尽きぬ喜びやりきれぬ思い 切ない別れもあったな
     花束を抱いて照れていた 友の笑顔を思い出す
  澄み切った川の街 退屈だよと出てきたが
  帰るのも悪くはないと なんど思ったことだろう
     故郷が遠ざかる 想い出は近くなる
     口になど出さないが がんばれよ がんばれよ

  妻がひとり娘がひとり さざなみのように平凡で
  10人並の娘にはどうも 好きな男がいるらしい
     祭ばやしが聞こえてくると おやじのことなど思い出す
     浴衣姿にねじり鉢巻で 幼い俺を肩にのせ
  山脈の見える街 老いた母がひとりで
  陽のあたる縁側で 眠りこけてはいないか
     故郷が遠ざかる 想い出は近くなる
     口になど出さないが がんばれよ がんばれよ

 はじめにネーネーズの「愁」(2004年)に収録され、これはアップテンポのものでしたが、同じくネーネーズの「贈りもの」(2010年)収録のものはしっとりとした歌い口で、いい感じで仕上がっています。
 しかしこの歌曲の白眉は作曲者である知名定男によるもので、2007年の琉フェス大阪で聴いたそれには心底泣けました。



 そのときのインプレッションを書き留めていましたので、ご紹介します。

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 his favorite の2曲目(1曲目は「ウムカジ(面影)」)は、特に団塊の世代の人々に捧げたいと語って、今のネーネーズもよくうたっている「山河、今は遠く」を。
 スローテンポでしっかりと、表情から察するに万感の想いを込めてうたっているようです。
 岡本おさみの詞に知名が曲をつけたもの。
 人間ある程度齢を重ねてくると、小さい頃には何においても踏み台にしてきた父や母がいとおしく感じられてたまらなくなったりする――ということは、我が身にも覚えがないではない。
 ♪ 故郷が遠ざかる 想い出は近くなる
       口になど出さないが がんばれよ、がんばれよ ・・・
 「がんばれよ――」は、同世代へのエールなのか、それとも自分自身に言い聞かせるものか。
 このフレーズをうたいながら知名は、右手で握りこぶしをつくり、それを振り上げてみせました。
 内なる感動をこぶしで表現してみせた知名に、聴いているオジサンとしても静かに感動。
 そして思うのは、かつて嘉手苅林昌、照屋林助、登川誠仁といった戦後の沖縄民謡界を長く牽引してきた大物たちが担ってきた琉フェスにおける特別な立ち位置が、とうとう戦後世代の知名や大工哲弘へと回ってきたしまったという時間の流れ。
 1974年に産声を上げた琉フェスも、また沖縄音楽そのものも、遥か遠くへと来てしまった――ということなのでしょう。
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 本人も気に入っているようで、ライブでは盛り下がることを承知で(笑)愛唱しているようです。
 ごとうゆうぞうが「がんばれよ」という曲名でカバーしている、ということを知りました。

 しかしつくづく、知名のうたはいいよなぁ。
 中村瑞希が好きだ。
 奄美の唄者。シマウタを歌わせたら天下一品! 他の大物唄者のセカンダリーまたは前座で登場したにもかかわらず、その大物を喰って主役になってしまう場面を何度か目にしてきました。

 すごい美人というわけではないと思うのですが、うたう姿や表情には華があり、不思議な色気があり、奄美の情念のようなものが漂います。

 その中村瑞希がうたう「TSUMUGI」は、シマウタではありませんが、これもまたすごくステキ。
 浜辺に打ち寄せるたおやかな波のたゆたいのようなメロディが彼女の持ち味を引き立てています。

 2009年の曲ですが、東日本大震災で平常の生活を失い、こてんぱんに打ち砕かれた心にじ~~~~~んときます。

 改めて聴いてみてください。感動します。



「TSUMUGI」
  古いアルバムの中の写真を 眺めては
  小さい頃からの思い出が あふれ出す
  ありがとう いつも私を見守って
  包んでくれてた家族
 
  うららかな日が 揺らす波の唄 聴きながら 空は青く
  やりきれぬ日も 満ちる月を思い 母の手の やさしいぬくもりを
  こころにともして

  生まれてから今日までの間 この家で
  ずっと長く暮らしてきたけど この街を
  明日には離れて あなたと二人で帰れる
  大事な家をつくってゆく

  ありがとう いつも私を見守って
  包んでくれてる大切な人

  やわらかな陽が 照らす木々のうた 聴きながら 花は開く
  やるせない日も 凪の海を想い 父の眼の やさしいまなざしを
  こころにともして

  名もない星が つなぐ愛のうた 聴きながら 雲は高く
  見えない糸が けして切れないように ひとつひとつ あなたとつむいでゆく
  織り重ねてゆく

  この手を放さないで
 箆柄日記(2010年11月24日)によると、沖縄の名物長寿テレビ番組「新春民謡紅白歌合戦」(RBC琉球放送)が、とうとうその歴史に幕を下ろしたそうだ。

 毎年年末に公開収録を行い、お正月に放送され、録画されたビデオは地球の裏側の南米に住むウチナーンチュにまで届くというこの番組。
 自分も毎年楽しみにしていて、何度か公開録画の日に合わせて沖縄に赴いたりしたものです。

 しかし、時代の流れと共に徐々に規模が縮小され、昨年はついに公開収録は行われなくなり、歴代民謡紅白の映像とスタジオ収録の演奏で構成されたものが放送されたようです。

 そしてとうとう今年は番組終了。
 箆柄日記に曰く、「みんなあまり気にしていないようだけど、これは沖縄にとっては後々振り返って大きな事件なのだろうと思う。沖縄ローカル的には、NHKの『紅白歌合戦』が終了したに等しい」。
 自分もそう思う。昨年までの開催は48回を数えるこの番組、ということは、1963年ぐらいからやっていたということであり、それって沖縄返還前の米軍統治時代だゾ!

 思えば、近年の沖縄民謡界の凋落は目を覆いたくなるほどだ。
 1999年に嘉手苅林昌が逝ったあたりからその傾向は着実に進んでいて、その後てるりんが逝き、喜納昌永が逝った。誠グヮーや山里勇吉、国吉源次らが老い、女性では大城美佐子ももう危うい。
 かつてのモーアシビ唄の時代のうたをかろうじてうたえるのは知名定男や大工哲弘、松田弘一、徳原清文ぐらいなのではないか。

 まあ、RBCでは別の形での番組を企画中らしいので、それに期待するしかない。
 まさに「こういう番組が、惜しまれもせず消えてゆくことに、危機感を感じないではいられない。・・・後継番組が充実した物になるように、RBCのみなさんのプライドに期待したいです」。(箆柄日記)



 そのCDは「贈りもの」。2010年11月7日発売で、前作が20008年8月発売ですから、約2年ぶり。このごろはCDづくりも容易になったとみえて、間隔が短くなってきていますね。
 上原渚以外の比嘉真優子、仲本真紀、保良光美の3人にとってはネーネーズとしては初のレコーディングです。

 これまでのイメージとは少し違うつくりになっていることについては事前情報として聞いていましたが、予想を上回る意欲作のようで、いきなりジャジーな曲から入って、オキナワンロック調のシャウトがあったり、民謡であってもほどよいアレンジが入っていたりと、けっこう楽しめる内容になっています。
 まぁ、それがネーネーズらしいものになっているかというと、もう少し聴きこんでみなければ軽率には判断できませんが、斬新、ということについては間違いありません。
 これらのうたを「島唄」のステージで、琉装でうたっている姿がまだ明確にイメージできないなぁということです。
 1990年代、初代のネーネーズが発進したときは、知名定男のアレンジによってレゲエが取り込まれていて、そのことには驚きと衝撃を受けたものですが、今回もそんな感覚に近いものがある、と言っておきましょう。

 「風の道」では新良幸人のものとすぐにわかる三線が聴けたり、吉田康子の透明感あふれる琉歌のツラネが聴けたりと、参加ミュージシャンも豊富。
 ほかにも下地勇、鳩間可奈子、玉栄正昭、よなは徹、サンデーなどもところどころで顔を覗かせます。
 こういうところがメイドインオキナワの楽しさでしょう。

 ジャジーな雰囲気を醸成しているのは、沖縄のジャズシーンでは有名な仲本政國ジャズオーケストラの面々。仲本政國は仲本真紀のお父さんなのだそう。
 ロック系のアレンジはSKPという、私の知らない4人組。8曲目の「コザ!」なんて、もろにロック。ネーネーズがシャウト!(笑)

 スペシャルサンクスには吉田康子のダンナさんの吉田安男、元りんけんバンドのみーちゅう、知名定人と結ばれた元ネーネーズの比嘉綾乃、改め知名綾乃などの名前もクレジットされています。

 「アイラブ・ソング・キング」は、ジャズオーケストラのブラスセッションが入って、
 ♪ 悲しい涙も 楽しい笑いもくれた ソングキング
    人々を愛してた お酒も好きだった 御万人の知る アイラブ ソングキング
とうたいつづる、嘉手苅林昌に捧げられたうた。
 「SAKISHIMAのテーマ」は、SAKISHIMAミーティングで共演した新良幸人作詩、下地勇作曲の島唄チックなスローバラード。 ♪ Ah- 先島 幾世までぃん ・・・
 「白雲ぬ如に」は、嘉手苅林昌の十八番「白雲節」の歌詞をそのまま使って、別の曲にアレンジされています。
 知名定男が好んでやまない自作の「山河、今は遠く」。今回はネーネーズがしみじみと、スローにやさしくうたいます。間奏ではギターが泣き、いちばん心を動かされた曲でした。
 3日前から今日までの4日間、ずっとやっていたのは、もっている沖縄音楽のCDをすべてパソコンに取り込むことでした。
 ぜ~んぶ取り込んで毎日ランダムに音楽を聴いて楽しもうという考えなのだな。

 これがたいへんだった。1枚につきなんだかんだで5分ぐらいかかる。それが、何回やったんだ? およそ170~180枚??

 取り込みを終えた段階で曲数を数えてみたら、1986曲だった。容量にして14.8GB!!
 これをすべて聴くとなると、1曲あたりだいたい4分として、7,944分。ってことは、およそ130時間。一睡もせずにぶっ続けで聴き続けても丸5日以上かかるということなのか。
 よくぞこれだけ買ったものだよな、沖縄音楽のCD。

 でも、ランダムで聴いてみると、なんだかとても新鮮。あれ、この曲、なんのアルバムに入っていたんだっけ?みたいなものがあったり、あぁ、これを聴くのは何年ぶりだろうというのがあったり。
 やはり嘉手苅林昌や知名定男の唄声が多いな。彼らはいろんなアルバムに参加しているので、おもわぬところでその唄声に出会えたりするんです。

 これらを聴くことでしばらくは楽しめそうです。

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 りんけんバンドのDVD「ンジファ」「ティンク・ティンク」「なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子―天上の歌声」を立て続けに観ました。
 いやぁ、いいですなあ、りんけんバンド。
 いいですなあ、上原知子。

 これらは順に、1992、1994、2002年の発売。

 「ンジファ」では、若々しい上原知子のギラギラしたような色気が感じられます。当時はまだ34歳だったわけですからねぇ・・・。
 フロント3人衆は、我喜屋良光、藤木勇人、桑江良美。なんと、みーちゅうがいちばん若かったんだぞ!(笑)
 当時はうたの合い間にコントも取り入れていたようで、我喜屋と藤木のバナナの叩き売りコントが楽しめます。
 バックに関してもスゴイ! 今はパーシャのリーダー上地正昭がベース、しゃかりのかんなりがドラムなどの鳴り物を担当し、キーボードは米盛つぐみ。NEWS23で活躍していた池田キャスターの奥様なんですか? その後TINGARAのメンバーになり今も活躍しているようですね。

 林賢が映画監督として初めて撮った「ティンク・ティンク」は不思議な映画。僥倖は、てるりんのウチナーグチによるナレーションが随所で聴けること。今聴くと、これは貴重だと思う。
 フロントでは、藤木が抜けた後を初々しいかーつーこと稲福克典がカバーしていますねぇ。
 知子による、迫力満点の鎖鎌の演武もありますよ。これは勝連城で撮ったのかな?

 「なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子―天上の歌声」では、ここまでさらけ出していいの?と思えるくらいに目いっぱい上原知子をフィーチャーしています。
 化粧をせず普段着でレコーディングに臨んでいる様子や、神々しいイメージが崩れてしまうほどにしゃべりまくっているシーンなどは、ファン垂涎。(笑々)
 素顔からステージ上の知子に変身する一部始終や、仲島節をレコーディング中、最後にトチって「うひゃっ!」とした表情などは、しみじみ可愛いくて印象深いものがあります。

 すっかり時のたつのを忘れて深夜まで見入ってしまいました。結果、翌日はチョー寝不足でコマッタ・・・。


 先に、知名定男やネーネーズが所属するディグ音楽プロモーションの社長さんからメールを頂戴し、その方のブログ「翼を休めに来ませんか」と相互リンクさせていただきました。
 そのブログには、ネーネーズや知名定男のこと、ライブハウス島唄のことなどいろいろ載っているので、読むのが楽しみです。

 で、そのブログからの情報(の横流し)ですが、ついにネーネーズの新作が発売されるようです!
 待っていたのですよねぇ・・・。(嬉)
 二代目以降のネーネーズのCDは、過去2002年、2004年、2008年ときていて、次はもう少し先のことだろうと思っていたのですが、今年出るとはうれしい誤算。

 ネーネーター、ライブハウス島唄では、「近々新作をつくる」という話を少なくとも今年のGWごろからやっていたのですが、その頃は半信半疑でした。きっとミニアルバムかなんかなのかもなぁと思っていました。
 しかし、この夏には「ジャズあり、ロックあり、島唄ありで、けっこう自信があるんですよ~」とか「もう収録はだいたい終わっているんです」とか「発売は10月ぐらいになるのかなぁ」とか言っていたので、フルCDであることの信憑性がかなり増しました。(笑)

 そのニューCDは、「贈りもの」。
 11月7日(日)発売!だそうです。
 おぉ、この日はといえば、竹富島の種子取祭の日であり、大阪琉フェスの開催日だよな。関係ないけど。

 肝心のジャケット写真がまだ完成していないのだとか。
 いずれブログ「翼を休めに来ませんか」でいちはやく発表されるでしょうから、チェックしてみてはいかがでしょうか。

 ラインナップは次のとおり。みなさん、期待して待っていましょ~ね~。

  1 贈りもの
  2 アイラブ・ソングキング
  3 春のワルツ
  4 初恋
  5 SAKISHIMAのテーマ
  6 白雲ぬ如に
  7 風の道
  8 コザ!
  9 山河、今は遠く
 10 山ばれーゆんた
 11 赤田首里殿内
 12 待ちくたびれて
 13 願い

 個人的には、おそらく嘉手苅林昌のことをうたったものであろう6と、セルフカバーの9のデキはどうだろうか、というあたりに特に期待しています。