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 近頃は沖縄に関する活動が減退気味で、あまり沖縄民謡を聴いていないし、沖縄への旅も今年の1月以来行っていない。
 やっていることといえば関連本を読むことで、8月には8冊ほど沖縄本を読んだ。これはふだんよりも多いほう。
 それから、このところ買い集めている沖縄映画のDVDを何本か観ているな。でもまあ、その程度。

 今後については、地中のマグマが少しだけ活発化したかのように、欲求の片鱗が地表に現れてきています。
 そのひとつは、10月1日に東京で開催される「琉球フェスティバル2017」。東京の居酒屋めぐりを兼ねて行くことにし、9月30日から10月2日にかけての日程を確保し、宿を押さえました。チケットは、毎度のことながら当日券でと考えています。
 今回の出演者は、古謝美佐子、我如古より子、パーシャクラブ、よなは徹バンド、桑江知子、THE SAKISHIMA meeting(新良幸人×下地イサム)、琉球オールスターズ(徳原清文・よなは徹・仲宗根創・大湾三瑠・浜川恵子)。
 あまり変わりばえのしないメンバーだけど、大阪開催がなくなった今となっては年に一度のお祭りでもあるし、見ておかないとね。古典の側から参加する徳原清文をどこまでフィーチャーしてくれるかといったあたりが個人的には見どころでしょうか。

 もうひとつは、沖縄旅。
 ANAの旅割の来年3月までの分が発売になったので少し調べてみると、祭日を含む3連休時の超格安分はあらかた売り切れていましたが、来年2月の建国記念日を含む3連休のチケットが取れるようでした。しかも片道9,800円!
 沖縄が、自分を呼んでいる! これは行くべきでしょう。
 ということで、2月9~12日のフライトチケットを確保しました。
 沖縄は1年1ヶ月ぶりとなります。ずいぶん先のことなので、宿、レンタカー、スケジュール設定などはこれから楽しみながら進めていきたいと思っています。

 こういうことが、自分にとっては日々を生きるうえでの張りになっています。


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 沖縄ブームを巻き起こした一因ともなった映画「ナビィの恋」が上映されたのは1999年。
 振り返ってみると、この映画、そしてNHKの朝ドラ「ちゅらさん」が放映された2000年あたりが、沖縄ブームのピークだったのですね。

 当時何回か見た「ナビィの恋」ですが、その中でアブジャーマー男に扮する八重山民謡の雄・山里勇吉が歌った「ロンドンデリーの歌」がぜひとも聴きたくなって、アマゾンでDVDとCDを物色。だいたい沖縄マニアの自分が「ナピィの恋」のソフトを持っていないのはまずいでしょ。
 おお、あるじゃないか、格安のものが。
 というわけで、DVDを1,600円、CDを750円で、それぞれ中古のものをゲットしました。(いずれも送料込み)
 画像左がDVD、右がCDです。

 さっそくDVDを見れば、いやぁ、懐かしいなあ。
 嘉手苅林昌や登川誠仁、平良とみらが大活躍。撮影時から18年しか経っていないのに、彼らはもうこの世にいないのだ。
 すでに病に侵されていたであろうと思わせる痩せ細った嘉手苅林昌。(直後の1999年10月に逝去)
 渋い演技で三線のちゅら弾きも披露していた登川誠仁は2013年3月の逝去でした。
 平良とみはついこの前、2015年12月に死去。

 山里のロンドンデリー(というよりも「ダニーボーイ」)も聴けたし、何よりもここに来てようやくこの映画の神髄がわかったような気になれたのがよかった。そういう意味ではブームのピークを過ぎてからの10数年の年月もまあ、無駄ではなかったのかもしれない。そう思いたい。

 CDは未聴ですが、おいおい聴きこむことにしましょう。

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 沖縄県知事、参院議員など歴任した大田昌秀氏が死去したとの報道。
 琉球新報によれば、次のとおり。

 鉄血勤皇隊として苛烈な沖縄戦を体験し、沖縄県知事や参院議員などを歴任し、基地問題の解決や平和行政の推進、県経済の発展などに取り組んだ大田昌秀氏が(6月)12日午前11時50分、呼吸不全・肺炎のため那覇市内の病院で死去した。92歳。久米島町出身。

 大田氏は1925年生まれ。45年、県師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員され、九死に一生を得た。早稲田大学を卒業後、米国に留学し、後に金門クラブの会員にもなった。68年に琉球大教授に就任し、メディア社会学を専攻し、新聞研究・報道研究などに従事した。
 1990年に革新統一候補として県知事選に出馬し、現職だった故・西銘順治氏を破り、12年ぶりに県政を革新に奪還した。歴代知事が問われる沖縄の心について「平和を愛する共生の心」と表現したことで知られる。

 任期中の95年には平和の礎や県公文書館を建設し、平和祈念資料館の移転、改築にも着手した。96年には、基地のない沖縄の将来像を描き、沖縄の自立的発展を目指した「国際都市形成構想」を策定した。
 さらに、段階的に米軍基地を全面返還させるとした「基地返還アクションプログラム」をまとめ、国に提案した。国際都市形成構想の理念は現在の沖縄振興計画「沖縄21世紀ビジョン計画」に引き継がれている。

 基地問題を巡っては、歴代知事では最多の計7回訪米し、基地の整理縮小などを直接訴えた。95年には、米兵による少女乱暴事件が発生。地主が契約を拒んだ軍用地について、地主に変わって土地調書に署名押印する代理署名を拒否し、国に提訴された。

 98年の知事選で稲嶺恵一氏に敗れたが、2001年の参院選に社民党から出馬し、当選した。07年の参院選には出馬せず政界を引退した。

 研究者としての顔も知られ、とりわけ沖縄戦や高等弁務官の調査研究に力を注ぎ、住民視点から沖縄戦とその後の米軍統治下時代の実相を広く世に伝えた。
 著書は「沖縄―戦争と平和」「醜い日本人」「沖縄のこころ―沖縄戦と私」「沖縄 平和の礎」「これが沖縄戦だ」「総史沖縄戦」「沖縄の民衆意識」など70冊を超える。
 1998年には、沖縄研究で顕著な業績を挙げたとして東恩納寛惇賞を受けたほか、2009年には琉球新報賞を受賞した。2017年には、ノーベル平和賞候補にノミネートされた。


 ―― 沖縄の巨匠がまた一人、世を去ってしまいました。
 98年の10月、沖縄知事選真っ最中の騒然とした那覇を見ていますが、あの選挙は沖縄にとって極めて大きなターニングポイントだったのだなと、今になってよくわかります。


 2003年の映画「八月のかりゆし」をDVDで鑑賞しました。

 主人公のテル(松田龍平)は、普通の男子高校生。他の人と違うのは、ユタを母親に持ち、民俗学者で遊び人の父親が幼い頃に行方不明になったこと。
 ある日、母が他界。親戚の謝花家を頼って足を踏み入れた沖縄で、テルは従妹のマレニ(末永遥)に出会う。マレニは14歳。チルおばあの指導のもと、ユタになるために修行中だが、この世のものでないものが見えてしまうため、本当はユタになりたくない。
 家の側にはガジュマルの樹があり、そこにキジムナーがいる。ある日マレニはテルとともに、御獄でひどく悲しそうな少女の霊と遭遇する。マレニはなぜかその少女のことが頭から離れない。少女はマレビトに違いない。
 そう思い始めた矢先、マレニから贈られたカンカラ三線で不思議な曲を弾き始めるテル。「それって「マレビトの唄」?」。そう問い掛けるマレニに、「子どもの頃に聞いたことがあるんだ」と答えるテル。
 次の瞬間、どこからともなくキジムナーが現れ、マレニに向かって手招きをする。ふらふらと後をついて行くマレニ。それを見たおばあのチルは止めるどころか、そのことを知っていたかのように、「あんたも一緒に行きなさい」と着替えの入ったバッグをテルに渡す。
 訳がわからないまま、マレニを追いかけるテル。二人は途中で立ち寄ったライブハウスで、ビデオカメラで執拗に撮影を続ける不思議な女アキに出会い、3人の旅が始まる。聞くとアキも、マレビトに興味を持っているという。
 不思議なことが次から次へと巻き起こり、そして立ち寄った海岸で、何者かがテルに舞い降りる。乗り移られたテルは、もがき苦しみ、泣きながら誰かに向かって叫びつづける。
 テルに乗り移ったのは終戦直後のある日本兵の霊だった。当時、マレビトの里で助けてくれた娘を猜疑心から殺してしまい、成仏できずにいたのだった。そして3人の前に、娘の霊がゆっくりと現れる……。

 ファーストシーンで、主人公テルの母親役として仲田正江が登場。彼女が出るのはそのシーンだけなので、見逃さないようにしなければなりません。
 撮影個所は、本部町が中心で、国頭村「奥」行きのバスやコザのライブハウスなども登場します。

 チルおばあ役は、沖縄芝居役者で、県指定無形文化財(琉球歌劇)保持者の兼城道子(かねしろ・みちこ)。これは2003年の映画なので元気で演じていますが、その後2009年に79歳で他界しています。
 戦後の沖縄芸能界で女性だけで構成された沖縄芝居の劇団「乙姫劇団」で活躍し、2002年の閉団まで副団長。04年10月に乙姫劇団の中心メンバーらと「劇団うない」を旗揚げし、その代表として自ら舞台に立ちながら、後進の指導にも力を注いだ方です。

 マレニの母親役は、きゃんひとみという、沖縄出身で千葉県のベイエフエムで活動しているラジオパーソナリティー・フリーアナウンサーで、彼女の話すウチナーヤマトグチが素敵です。
 コザのライブハウスのシーンでパーシャクラブも登場。新良幸人は例によって赤シャツ、黒パン姿で「Katsuren Catsle」や「海の彼方」を披露。
 元首相の村山富市まで元兵士役として登場。嘉手苅林昌が存命ならこの老爺役は、「ナピィの恋」で東金城本家の当主役を演じた彼が適任だったかもしれません。

 映像はけっして上出来とは言えないし、役者のセリフは台本をただ読んでいるようなところがあったりしたものの、筋書きには沖縄なりの深いものがあったと感じたところ。
 いずれにしても、スピリチュアルなものに下駄を預けるようなところがあり、それが偶然過ぎる出会いの緩衝材となっているなどいい面もあるものの、やはりこれでごまかしが効いている部分が随所にあるなあと思ったところです。
 去る2月末に、沖縄関係映画の中古DVDを、Amazonでまとめ買いしました。
 それらは発売順に次の6本です。

1 白百合クラブ 東京へ行く  200401 古650
2 八月のかりゆし  200402 古351
3 深呼吸の必要  200501 古795
4 サウスバウンド  200803 古850
5 南の島のフリムン  201002 古1100
6 ぱいかじ南海作戦  201301 古1250

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 ジャケットが全体として青い。それが沖縄のイメージなのだろうな。
 これだけ買って5千円ほど。借りるのもいいけれど、あれは返却期限があるので気ばかり焦っていけない。買ってしまえばいつでも見られるし、また何度だって見られる。
 事実、買ってからすでに1か月以上経っているというのに、このうち視聴したのは「白百合クラブ 東京へ行く」のみ。
 年度末、人事異動で居住地が変わるなどして何かと慌ただしかったからなのだけど、いつでも見られると思うとすぐには見ないものだとも言える。

 書棚には、買ってから聴いていないCDや読んでいない本もたくさんある。
 本は着実に読み進めていくしかないが、CDについては聴く環境が整っていない。自宅の自室にあったミニコンポは母に譲ってしまったし、アパートで使っていたミニコンポはまだ梱包を解いていない。
 音楽はパソコンのたいしたことのないオーディオ機能やヘッドフォンの空気を伝わってこないシャカ音で聴くものではないと考えているので、「音」のほうはまずコンポを梱包から(シャレではない)出すことから始めなければならないな。
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 平良とみが亡くなったという。以下、12月6日の沖縄タイムスを引用。

 沖縄芝居役者の平良とみさん(87)が6日午前4時27分、那覇市内の病院で死去した。
 平良さんは1928年那覇市生まれ。「ときわ座」などを経て、82年に夫の平良進さんと劇団綾船を結成した。沖縄芝居の舞台などで幅広く活躍する一方、2001年に出演したNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」で演じた「おばぁ」役などで全国的な人気を得た。

 また、デイリースポーツは次のように報じています。

 NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」のおばぁ役として知られる俳優の平良とみ(本名トミ子)さんが6日午前4時27分、敗血症による呼吸不全のため那覇市の病院で死去した。87歳だった。
 那覇市出身。葬儀・告別式は8日午後2時から那覇市銘苅3の22、サンレー那覇北紫雲閣で。喪主は夫進氏。
 13歳で沖縄芝居の世界に入り、ゆっくりと話す様子や小柄な容姿、親しみやすい笑顔で人気を博した。「ちゅらさん」ではヒロイン古波蔵恵里の祖母で、「おばぁ」と呼ばれる沖縄のおばあさんを演じ、全国的な知名度となった。そのほか、映画「マリリンに逢いたい」、「ナビィの恋」など多数出演した。2014年に旭日双光章を受章した。


 また一人、沖縄ブームを牽引した大御所が逝ってしまった。沖縄のおばぁは元気なので、100歳ぐらいまでは平気で生きるのだろうと思っていたので、87歳とはいえまだまだ早い逝去だ。
 琉球新報に載った2014年4月に撮影された写真を見ると、活躍していた頃のふくよかさは影を潜めて、ただでさえ小柄な身体が横幅まで小さくなってしまっていたようだ。

 「ちゅらさん」のヒロイン古波蔵恵里を演じた国仲涼子もショックに思っている事だろう。母役の田中好子に続いて祖母役の平良が逝ってしまったのだから。
 夫の平良進は元気でいるのだろうか。元気ならばもっとショックは大きいだろう。

 「命どぅ宝」を身をもって表現していた役者だっただけに、その命が失われたことは、残された我々には極めて重い事実だと思う。
 おばぁ、お疲れさまでした。そして、ありがとう。「ナビィの恋」、名演でしたよ。御冥福をお祈りします。

tairatomi 201512
izumi 201312   (泉芳朗頌徳記念像)

 今日は、1953年12月25日に奄美群島が本土復帰して60年目の節目の日。
 今日の琉球新報には、「奄美復帰60年 記念の集いなど開催へ」との見出しで次のような記事が載っている。

 鹿児島県奄美群島は25日、1953年の日本復帰から60年を迎える。この日、奄美市では復帰運動発祥の地・名瀬小学校で復帰記念の集いが行われる。奄美群島の他の自治体も関連事業を展開し、群島民一丸となって復帰の歴史を振り返る。
 徳之島の伊仙町は復帰運動をけん引した泉芳朗(いずみほうろう)の出身地で、記念式典やしまくとぅばによる劇を催す。沖永良部島の和泊町は日本復帰記念碑を建立し、除幕式を行う。
 1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効により、日本は主権を回復し国際社会に復帰したが、一方で奄美群島や沖縄、小笠原諸島は日本から切り離された。奄美では同条約の発効日を「痛恨の日」と捉え、復帰運動の原動力にした。


 奄美復帰運動の父といわれる泉芳朗の像を、わざわざ徳之島の伊仙町まで見に行ったことがあった。
 伊仙町義名山公園に建っているもので、その碑文には次のように記されている。

 昭和20年、日本の敗戦で奄美の島々はアメリカの軍政下におかれたが、郡民上げての祖国復帰運動で、8年ぶりに日本復帰が実現した。泉芳朗はその復帰運動の指導者。奄美大島日本復帰協議会議長である。
 泉は、軍政下の厳しい弾圧にもひるまず、掲揚を禁じられていた日の丸を郡民大会の壇上で打ちふり、これがわれらの祖国日本の旗ですと郡民の決起を呼びかけ、5日間に及ぶ断食祈願で祖国復帰の大悲願を世界に向かって訴えた。
 奄美を愛し、平和と自由を愛した泉は、至情あふれる多くの詩を作って郡民をふるい立たせ、外に向かってはアメリカや日本政府への陳情などに奔走した。
 泉はこの島に生まれ、教師となり、島内外の学校で教えるかたわら、詩集の刊行など中央詩壇でも活躍し、後に学校長、郡視学、名瀬市長などの要職に就いたが、戦後の激動期の中で郷土奄美大島の祖国復帰運動に身を投じた。
 復帰が実現した昭和28年12月25日、泉はその感動を詩に歌った。

  流離の日日は終わった 苦難のうず潮は去った ながい 空白の暦を閉じて
  この目にあおぐ 日の丸の空
  見よ 高らかに花火を打ち放って ぞんぶんに湧きかえる 奄美の山川草木
  うからやから われらもろもろ いまぞ 祖国に帰る

 昭和34年4月9日、泉は復帰の父と慕われながら54年の生涯を閉じた。
 この歴史に残る、奄美の郡民による祖国復帰運動の偉大な足跡と、泉芳朗の功労を顕彰し、ここに広く同胞の志を寄せて 泉芳朗の像を建立する。
  平成9年(1997年)7月吉日


 その「時」から60年が経過して時代は移ろったが、当時の奄美の人たちの心に宿った熱意や喜びは想像に難くない。我々はそのことを忘れないようにしたい。

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 「琉球泡盛 久米仙 秘蔵七年古酒」というのが手に入った。
 限定品。泡盛の古酒とは3年以上寝かせたものを言うが、七年だかんな。美味いわけだよ。

 7年間の歳月をかけじっくりと醸成された100%古酒は、芳醇な香り、奥深いコク、気品高い味わいと三拍子そろった通好みの銘柄です。
 原料のうま味を限りなく凝縮したキレのある舌ざわりは長期熟成の泡盛ならでは。2009年には度数が43度から40度へ変更され、ラベルも一新。古酒の魅力をじっくり堪能できる限定出荷商品です。――とのこと。

 3,150円。こういうものを本土の片田舎にいながらにして飲めるのは幸せなことだ。
 ふだんはロックで飲むが、今夜はソーダで濃いめに割って飲む。馥郁とした泡盛独特の香りは、気持ちのほうから先に酔わせてくれる。

 たまりませんな・・・。
 現代の沖縄学の権威だった外間守善氏が逝去したそうです。
 法政大学沖縄文化研究所の所長であるほかに、沖縄戦での前田高地での壮絶な白兵戦に参加した経験をもとにした著書などもあって、氏の著書を多く読ませてもらっていたので、なんだか他人事とは思えません。

 読んだ本は、今思い当たるものとしては次のとおり。
 ・「死と再生の原郷信仰~海を渡る神々」  角川選書 1999年
 ・「沖縄学への道」  岩波現代文庫 2002年
 ・「私の沖縄戦記 前田高地・六十年目の証言」  角川書店 2006年
 ・「回想80年 沖縄学への道」  沖縄タイムス社 2007年

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hokama 2008 外間守善氏(2008年時)

 以下に、沖縄タイムスと琉球新報のウェブ記事を掲載しておきます。

◆沖縄タイムス 外間守善氏が死去 「おもろさうし」研究  2012年11月21日
 「おもろさうし」研究の第一人者で法政大学名誉教授の外間守善(ほかま・しゅぜん)氏が20日午前7時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳。那覇市出身。自宅は東京都杉並区。告別式は25日正午から午後1時、東京都杉並区南荻窪3の31の23、願泉寺で。喪主は妻菊枝(きくえ)さん。
 外間氏は1924年那覇市生まれ。「おもろさうし」をはじめ、沖縄の言語や文学、文化を研究。琉球大学助教授などを経て法政大学教授、同大沖縄文化研究所所長などを務め、後進を育てた。2003年福岡アジア文化賞大賞受賞。著書に「校本おもろさうし」(角川書店)、「伊波普猷論」(沖縄タイムス社)、「沖縄の歴史と文化」(中央公論社)、「沖縄学への道」(岩波書店)など。

◆琉球新報 外間守善氏が死去 沖縄学の第一人者  2012年11月21日
 「おもろさうし」の研究など沖縄学の第一人者、外間守善(ほかま・しゅぜん)氏が20日午前7時40分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。87歳。那覇市出身。告別式は25日午後0時から1時、東京都杉並区南荻窪3の31の23、願泉寺で。喪主は妻菊枝(きくえ)さん。
 外間氏は1924年那覇市生まれ。戦後、金田一京助、服部四郎らに師事。「おもろさうし」研究などをはじめ、沖縄の言語や文学、文化を研究。著書に『おもろさうし』『南島文学論』『沖縄の歴史と文化』や、自らの沖縄戦の体験をつづった『私の沖縄戦記―前田高地・60年目の証言』など多数。法政大学名誉教授、沖縄学研究所元所長。88年、第6回東恩納寛惇賞を受賞。2003年福岡アジア文化賞大賞受賞。


 沖縄が本土に復帰して、今日で丸40年が経過しました。

 「核抜き・本土並み」での復帰でしたが、当時はいずれ基地もなくなるだろうという楽観論もあったことでしょう。
 そして1995年。少女暴行事件に端を発して、当時の橋本龍太郎首相は「今後5年から7年の間に基地は普天間から撤退する」旨の発言をしましたが、現実は、沖縄の基地面積のうち復帰当時の20%しか返還されていません。
 この遅々とした変化に唖然とするほかありません。

 自分は今から20年ほど前に沖縄に目覚めましたが、当時と比較しても、基地のありようや、日米地位協定に基づく沖縄県民の位置づけなどは、ほとんど改善されていないなというのが率直な印象です。

 それと好対照をなすのが沖縄の文化。これは、少しずつではあるけれど、確実に変わった。
 民俗祭祀の衰退、そして沖縄芝居、沖縄民謡、沖縄地域語などの独特の文化の衰退は、目を覆わんばかりです。それはもう、崩壊と言ってもいいのではないか。
 街並みも、住居の形態も大きく変わったなぁ。

 でもおれは、まだまだ沖縄を追いかけたい。
 どう変わっていくのかを見届けたい。
 変わりようが、いいとか悪いとかのレベルを超越して、第三者の目でじっくりと見つめていく。
 それが、体よく言えば、沖縄からいろいろなものを得た者のひとつの責任の取り方であり、自虐的に言えば、いまさら態度を変えることすらできなくなってしまった沖縄病患者のたどる末路なのである。

 1972年5月15日。
 1944年10月10日、1945年3月26日、同年6月23日、1970年12月20日などとともに心に刻まれた、自分にとって節目の記念日である。

 ああ、そうだ。2000年ごろにブレイクしたNHK朝ドラ「ちゅらさん」の主人公古波蔵恵里の誕生日は1972年5月15日なのだった。
 小学生の頃の約束どおり文也君と結婚したえりぃも、40歳になったのだね。
 国仲涼子ががわいかったねぇ。

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 「新・メンソール」と大書きれたタバコの新聞一面広告を眺めていて、タバコが「メンソーレ!」とはどういう発想から出てくるのだろうと思った。・・・いや、見間違えたおれが悪かった。

 ニューイヤー駅伝をテレビで観ていて、沖電気宮崎のランニングの「OKI」というロゴに、青い海、青い空を夢想している自分に気づいた。

 トイレでしゃがみながら、ウォシュレットの「ワイド洗浄」と書かれたボタンを見たためか、「ワイド節」を口ずさんでいる自分にふと気づいてしまった。

 職場でのこと。部下の仕事があまりに完璧だったので「ジョートー!」とほめたら、当人からおもいっきり後ずさりされた。おれはべつに、金をゆすろうとしたわけでもないのに。・・・そうか、この言葉、ヤマトではそう受け取られてしまうのか。

 夕食にA、B、Cランチが食べたくなるおれは異常だろうか。

 二千円札が手に入るとちょっとウレシく、長い間財布に大事にしまっておく。


 こんなおれはそうとうに沖縄に冒されているのではないか。
 冬の季節はまだ続く。


 ゆいレール延長事業が認可される模様です。
 延長区間は、現在の終点、首里の鳥堀から石嶺本通りを突っ切り、雷のときに唱える「チョーチカ、チョーチカ」の発祥地の経塚を通って、安波茶交差点付近から東方向、浦添警察署付近を通過、あの為朝岩が聳え立つ前田付近までの4.1kmで、早ければ平成25年度にも着手とのことです。
 うれしいことですが、経営、大丈夫ですかね。

 以下、沖縄タイムスのホームページから引用します。


○モノレール延長17日認可 来年度にも着工 2012年1月12日
yui-rail 20120112  画像:沖縄都市モノレール延長ルート

 沖縄都市モノレール社(仲吉良次社長)が2019年の開業を目指す浦添延長事業(延長区間4・1キロ、4駅)で工事着手に向け、国土交通相が特許申請(事業認可手続き)を17日にも認可する見通しであることが11日、分かった。延長事業計画は大きく前進する。
 モノ社は特許を取得後、施工認可の取得と都市計画事業の認可を経て、早ければ13年度にも支柱などインフラ建設工事に着手する予定だ。
 特許申請は昨年8月、軌道法に基づき、提出していた。延長区間(那覇市首里汀良―浦添市前田)の建設費は約350億円(インフラ部約231億円、インフラ外部約119億円)。
 認可の交付式が17日に東京で行われる予定。モノ社は特許取得後、申請時に提示できなかった中長期計画を発表する予定だ。
 特許申請をめぐっては、浦添市が当初、将来のリスク負担の明示を求め、慎重姿勢を示したが、11年8月に県、那覇市、モノ社と負担割合で基本合意。国土交通省運輸審議会が同12月、軌道法上や利害関係面で問題点がなく諮問の必要はないと認定し、延長事業を妥当とする判断を下した。
 モノ社は開業以来8年連続で赤字決算が続いている。10年度決算では累積赤字約115億円、債務超過は約42億円だった。一方、11年11月、沖縄金融公庫、県、那覇市の3者と、今後5年間の年間返済額を、約13億円から約3分の1の4億5千万円に減額するリスケジューリング(返済方法・条件の変更)の4者協定を結ぶなど経営改善の努力を続けている。


 NHKのBS時代劇「テンペスト」が、去る7月17日(日)から放送されています。
 池上永一作の長編小説がテレビ化されたもので、自分としては久々の、待望のテレビドラマです。

 NHKのホームページによれば――。
 幕末期の琉球。時代の変化の荒波が押し寄せる海洋王国に、男として生きる運命を背負わされた少女がいた・・・。
 『テンペスト』は、琉球王国末期の王宮を舞台に、美ぼうと才能を併せ持つ女性が性を偽って政府の役人になり、人を愛し琉球を愛し懸命に生きる姿を描く、波乱万丈でけんらん豪華なエンターテインメント時代劇です。
 ――とのこと。

 主人公は、美しい沖縄の娘・真鶴が宦官になりすました孫寧温(そん ねいおん)。もしドラマ化するとすれば、この役は仲間由紀恵しかやれないだろうなぁと思っていたら、そのとおりになった。(!)

 第一話を見る限り、比較的原作に忠実に製作されている模様で、国王の母、妻の王妃、姉の聞得王君(きこえのおおきみ)、御内原(ううちばる)と呼ばれる大奥を統括する大勢頭部(おおせどべ)の4人の女たちのバトルの様子などは、本で読んだときのことを思い出して思わず苦笑。

 真鶴が惚れる薩摩藩の武士・浅倉雅博役が谷原章介というのは、やや軽薄か。
 孫寧温の心強い同僚役の塚本高史は、逆にややゴツすぎたよう。(笑)
 沖縄芸人界からは、平良とみや藤木勇人などが参加しています。

 ともあれ、琉装は豪華絢爛だし、首里城でのロケシーンなども時代考証をもとに琉球王国時代の様子をうまく再現しています。
 ま、御冠船芸能の踊りを女性が踊っていたのには、ちょっとがっかり。男性の舞踊家が少なくなった今となってはしょうがないですかね。

 次回、第二話「王妃処分」の放送は、BSプレミアムで、7月24日(日)の午後6時45分から。
 寧温を女と見抜いた聞得大君(高岡早紀)が、踊り奉行の配下にある真鶴の義兄・嗣勇(金子昇)を人質に取り、寧温に宿敵・王妃(若村麻由美)の追放処分を迫ります。
 寧温の下した処分が王府の役人の間で問題となるものの、同僚の朝薫(塚本高史)は寧温を信じて支援する側に。ですが、薩摩に取り入ろうする聞得大君は寧温にさらなる難題を要求する。――という内容だそうです。

 全10回の放送ですから、これから当分の間は楽しめそうですよ~♪


 「沖縄のおさんぽ」というフォトエッセーをめくっていて、その背表紙にあった写真を見て「あっ、こういうところで暮らしたい!」と思ったので、その画像をスキャンしてみました。

 なんにもない、フツーの沖縄の集落です。
 電気が通っていて、道があって、まばらに集落が形成されていて、街まではクルマで20分、という感じでしょうか。
 陽がさんさんと降り注いで、日中はブチクンして部屋で午睡。いつでも行けるイノーには夕刻から缶ビールを手に散歩に出て、海を見ながらゴクリと・・・。

 太陽の向きから察して、向こう側の海は東海岸。石垣島の白保あたりなのかなぁと想像します。
candies 19770718

 スーちゃんこと田中好子が、4月21日、乳がんのため55歳の若さで彼岸へと旅立ってしまいました。
 キャンディーズ時代、「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言した翌日の記者会見の模様。
 当時の3人の表情や雰囲気が放つオーラのようなものを見たり感じたりして再認識するのは、彼女たちはそもそも普通の女の子ではなかったのだなぁということ。

 田中好子といえば、彼女はNHK朝ドラ「ちゅらさん」で国仲涼子扮する“えりぃ”の母親役でした。
 国仲涼子は、番組終了後も田中と親子のような親密な付き合いを続けていたと聞いていますが、「悲報を伝えられ大きなショックを受けており、コメントを出せない状態」とのこと。いつの間にか彼女も31歳になってしまったことをあわせて知りました。

 一方、ある意味でもっと驚いたのが、22日、沖縄芝居役者の當間武三が病気のため亡くなったこと。
 『人懐っこい笑顔と軽妙な語り口、丁寧な演技で沖縄芝居の若手役者として注目され、テレビやラジオでも活躍。現代劇などにも積極的に挑戦し、ミュージカル「大航海」「さらば福州琉球館」「椎の川」「洞窟(ガマ)」などでもユニークな脇役として存在感を発揮した。
 3歳に琉球舞踊の発表会で初舞台。22歳の時、乙姫劇団人気役者の故兼城道子さんの付き人となり修行を積んだ。他の劇団の客演などを経て、1997年から座長公演を主催し、子供から高齢者まで、幅広い年代層から人気を集めた。』 (沖縄タイムスから)

 当初の報道では「病気のため」ということでしたが、脳皮質下出血だったそう。
 まだまだこれからという46歳。
 かつて當間武三劇団による喜劇「亀さんよ」というのを観たことがあったけど、すごい人気で當間が登場すると大喝采!、そして劇の間中観客は大笑いの連続だったことを覚えています。

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 お二人のご冥福をお祈りします。
2011.01.01 今年の年賀状
 明けましておめでとうございます。
 ブログも足かけ6年目に入ります。
 これからも沖縄関係のあれこれや日々の生活で思ったことなどを綴っていきたいと思っています。



 さて、今年の年賀状は、石垣島登野城で12年ぶりに開かれたという結願祭です。
 そのときに登場したミルク行列の画像に弥勒節の歌詞を添えて印刷してみました。

 ということで、今年もどうぞ引き続きお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。
 このところ、オキナワで悩んでいる。

 10月7日、8日の竹富島の種子取祭を見たいと思い、7日から11日の4泊5日で八重山行きの旅割チケットを確保してはみたのですが、なんやかやと仕事の日程が入ってしまい、断念! くそ~~!
 長年の宿願だった種子取祭、その2日目をじっくりと見て、西表島の舟浮を初踏破し、石垣島をバイクでスイスイと・・・という計画でしたが、その夢は果たせず。あ~あ、逃した魚は大きいのだ。

 では、とばかりに10月10日は、東京日比谷で開催される琉球フェスティバルを観に行こうと思う。
 琉フェスは、当初発表される参加者にあとで数グループが加わるのが常なので、これに大いに期待していたのですが、しかし。
 古謝美佐子、大工哲弘、ローリー・クック、パーシャクラブ、よなは徹、池田卓という当初発表の面々に加わるのは、宮沢和史、上々颱風、大城クラウディアだというではないか。
 大城クラウディアは比較的許せるにしても、宮沢和史と上々颱風はいただけないと思うのだがなぁ・・・。彼らは「琉球」ではなく、「似非琉球」だものなぁ・・・。

 そして極めつけは、11月7日の琉フェス大阪。
 いろいろ事情があってもしかしたら最後の開催になるかもしれないので、万難を排して参加するつもりであった。
 メンバーも、わかる範囲では、知名定男、大工哲弘、りんけんバンド、新良幸人withサンデーのほか、吉田康子、BEGIN、東風平高根、知名定人、カラビサ、里朋樹&歩寿(奄美島うたの兄妹ユニット)。エイサーは琉響伝、司会は津波信一という布陣。
 いわば、老舗と新進、知名ファミリー全快といった印象があるが、BEGINなども加わって、悪くない。しめしめ。
 がっ!
 この日は日曜日にもかかわらず、仕事が入ってしまったのです。ああっ、くそ~~!!!

 行きたい、見たいがすべて不調。
 まあね。仕事をやらせてもらっているからこそ、いろいろと楽しめることもあるワケで。
 ここはぐっとこらえるしかないのであろうな。

 というわけで、気分はヒジョーにブルーな今日この頃なのだ。


 GWの沖縄行きについて、引き続き画策中。
 その外枠が固まってきた。

 4月29日出発の5月6日戻り。航空券確保済み。
 で、4月30日には北大東島に飛び、翌5月1日に那覇に戻る。
 これについても、昨日RACの航空券を確保。往きは那覇から直行の先特、帰りは南大東島経由となるが北大東島~那覇間の正規料金で、計43,600円也。
 うへぇ、高っ! 今回の仙台~那覇往復よりも遥かに高い。大東島というところはそういうところなのだから、まぁしょうがないと思うしかない。

 5月2日から4日までは、フネで徳之島へ。予定どおり闘牛の全島一大会の観戦をメインに。
 4日の夕刻に那覇へと戻って、6日午後の帰りのフライトまではいつものとおり、誰にも邪魔をされることなく自分の興味の赴くままに本島内をあちこちほっつき歩きまわる、という算段です。

 今回の沖縄行きは都合40回目。未踏の島2つを解消することになります。
 本島周辺の島で未踏なのは、阿嘉島、慶留間島、伊平屋島+野甫島など。
 宮古島周辺では大神島、多良間島+水納島、八重山ではパナリ。
 奄美の島々では喜界島、請島、与路島。
 その北のトカラ列島はまったくの未踏です。

 そして沖縄本島。本島だって、まだまだ知らない、興味深いところがたくさんある。
 掘れば掘るほどおもしろい、探れば探るほど奥行きがある、というのが地域学のいいところなんだよなぁ。

 今年2度目の沖縄行きが現実味を帯びてきました!
 来るゴールデンウィーク、4月29日から5月6日の7泊8日と、おれにとっては超ゴージャスな久々のロングトラベルで、すでに仙台発のスーパー旅割を往復でゲット♪

 今回の主要行事は、徳之島で闘牛の全島一大会を観ること。
 うれしさのあまり、♪ワイッドワイドォ、ワイドォ、ワキャ牛ワイドォ・・・と、思わず坪山豊の「ワイド節」が口をついて出てしまうのだな。(笑)
 トイレでしゃがんでいても、シャワートイレの「ワイド洗浄」ボタンを見ただけで、♪ワイッドワイドォ・・・。(笑々)

 徳之島で2~3泊するとして、それ以外はどうしようか。
 当初の考えでは、喜界島と、できれば加計呂麻島のその先の請島と与路島にも行けないかな~などと考えていたのですが、請・与路は1日1便のフネしかなくちょっと無理。喜界島は、かなり真剣に検討したものの、週5便しかないフネの喜界島への到着・出発が深夜と早朝になるうえ、運休日が邪魔をしてどうしてもうまくいかない。
 で、現在は北大東島に1泊で行けないか、それがダメなら伊平屋島あたりかな、ということで検討中です。

 そうなると、沖縄本島については、今回は縦横無尽というわけにはいかないので、せめて夜にはどこかで民謡を聴いたり泡盛を飲んだりして楽しむこととしようかと考えています。

 気分はワクワクで期待度は高まる一方ですが、一抹の不安もないではありません。それは6日。
 5月6日には連休が明けるわけですが、職務上どうしても欠席できない行事が6日または7日に開催される公算が高いのです。
 そのために全部がパーになっては大変。そこで、その行事の担当者に、なんとか6日ははずすよう必死に懇願。
 しかしそれも、会合に集う地位の高い多く人の都合があってのこと。懇願された彼とて自分の一存でワカッタとは言えないわけで。

 さて、どうなることやら。
 これは賭けですな。
 日頃の行いの真価が問われるなぁ。


(画像:与路島)


 昨日、今日と、人間ドック1泊2日。胃の内視鏡検査のため喉が痛いし、大腸X線のため肛門が痛い、ううぅ・・・。

 ドックは昼過ぎに終わったため、午後は少し家で休んで、夜に「群青 愛が沈んだ海の色」のナイトショーを観に行く。
 山形でも全国と同時に6月27日からロードショーをやっていたのだが、なかなか行くチャンスに恵まれないでいたところ、ナント、7月10日(金)で終了というではないか。
 ということは、9、10日はおそらく無理だろうから、よぅし、ならばドック明けの今日観るしかあるめい、ということで。

 この映画、八重山諸島のある離島という設定ですが、島の風景はほとんど渡名喜島で撮影されています。
 渡名喜島にはついこの前のGWに訪れたばかりなので、出てくる風景や島の集落などの佇まいがよ~くわかる。
 何度も登場する浜辺の居酒屋。そのロケ地はちょっとした観光スポットになっています。

 監督:中川陽介、出演:長澤まさみ/佐々木蔵之介/福士誠治/良知真次。沖縄関係では玉城満、桑江良美など。

 沖縄の離島で育った凉子は、幼なじみの一也と結婚を約束するが、父・龍二に反対されてしまう。結婚を認めてもらうため、凉子に贈る宝石サンゴをとりにひとり海へ向かう一也。しかし、彼は海で命を落とします。
 もう一人の幼馴染みの大介もまた、一也を失い笑わなくなってしまった涼子のために海へと向かい、命を落としそうになります。そのとき、涼子の前には死んだ母が、そして大介の意識には一也が現れて・・・。
 おとぎ話の世界のような美しい島の風景は必見です。

 さて明日は、仕事の後、近年長井線の企画モノとして盛り上がっている「ビール列車」に乗ります。
 節制してきた分、明日は盛大に飲ませていただきますかね。(笑)