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 行ちぶさむん見いぶさむんのカテゴリーに入れてしまいますが、これは噛みぶさむんの話。

 なんだか急に沖縄のちゃんぽんが食べたくなってしまったのダ。
 ご存知ですか、沖縄のちゃんぽん。わかりやすく言うと、ご飯の上に野菜炒めの卵とじをかけたもの、とでもいいましょうか。
 これを大ぶりのスプーンでもってわしわしと喰らいつくものなのです。

 ある程度本土に知れわたっている沖縄B級グルメですが、その中でもこれはレア。沖縄そばとかタコライスなどとちがって、自分が住んでいる地域ではまずお目にかかりません。

 じゃあ自分でつくればいいじゃないのと言う方もおられましょうが、これがなぜか、あの味を再現するのは簡単なように見えてなかなか難しいのですな。

 で、ウェブで沖縄のちゃんぽんの画像をあちこち眺めたところ、これがいちばん美味そう!ということで、沖縄コザは中央パークアヴェニューにある「大衆食堂ミッキー」のちゃんぽんの画像を引用させていただきました。

 どうですか、この圧倒的ボリューム。ご飯が見えません。
 たっぷりの野菜。定番のポーク缶が入って具だくさんですねぇ。惚れぼれします。
 これがなんと、500円! すごいよなぁ。

 あぁ、食べたいなぁ・・・。

 登川誠仁がうたう「軍歌たべたいなぁ」を思い出したりして。
 ♪ 勝って かまぶく 食べたいなぁ 
   誓って ちんぬく 食べたいなぁ 
   手柄  天ぷら  食べたいなぁ ・・・ 
 (「露営の歌」の節でうたってみてね。(笑))
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 糸満市の大度海岸といえば、19世紀、ジョン万次郎がハワイからの帰りに上陸した地として知られていますが、ここには先に紹介した佐賀県人・斎藤用之助が島尻郡長を担っていたときにつくったという「用之助港」というのがあるのだそうです。

 以下、2010年7月の佐賀新聞の記事からご紹介。

・佐賀県人が手がけた沖縄の港 選奨土木遺産に
 明治時代、佐賀から沖縄へ渡り社会基盤整備や地域振興に尽くした斎藤用之助(1859~1933)が建造を手掛けた沖縄県糸満市の「大度の用之助港」が、社団法人土木学会の選奨土木遺産に認定された。サンゴ礁の岩礁を切り開く難工事を果たした点が評価され、斎藤の子孫は「佐賀と沖縄の結び付きを再認識する足掛かりにしたい」と期待を込める。

 斎藤は佐賀市出身。肥前鹿島藩主だった鍋島直彬が初代沖縄県令に就任した1879年、警察官として赴任。島尻郡長などを歴任し、35年以上にわたり沖縄本島南部と周辺諸島の公共事業や人材育成などに尽力した。

 数多くの業績の一つが、1904年に島尻郡を襲った大干ばつを受けた港の建設計画。政府の救助金で農業者を雇用しつつ、漁業との両立を図る一石二鳥の振興策を手掛けた。工事も干潮時だけの制約のなかで3年半以上の歳月と苦労をかけてサンゴ礁を切り開き完成させた。住民はその功績をたたえ港に「用之助」と名付けた。

 港の完成で船が出入りできるようになり、砂糖の積み出しなどに利用された。現在は活用されていないが、開削部分は残る。サンゴ礁に囲まれた港口が沖縄ならではの土木遺産であり、災害を機に公共事業で雇用を生み出した点も評価された。

 最近では斎藤家に残る資料の展示会や講演会が佐賀県内で初めて開かれ、斎藤を見直す動きが出ている。ひ孫の斎藤用之助さん(63)=佐賀市=は「用之助に限らず佐賀の多くの人が沖縄で活躍し、現地では今なお語り継がれている。歴史に眠る佐賀と沖縄のきずなを掘り起こし、次世代へと受け継ぎたい」と話す。

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 写真左 「大度の用之助港」の遺構の開削部分(奥)。3年7カ月の工事で沖のサンゴ礁を切り開いた=沖縄県糸満市の大度海岸
 写真右 斎藤用之助

 HP「佐賀と沖縄との関係 -明治期・沖縄で活躍した佐賀県人-」には、島尻郡長時代の用之助の功績として、上記のほか次のようなことが掲載されています。

1、道路の整備、軽便鉄道の施設、農業用水源の開発など、産業の発展に寄与。
2、人材の育成を重視し、貸費留学制度を設け、本土の職業専門学校へ送り出し、技術を習得させ、卒業後は郡役所に指導者として迎え入れた。特に機織、染色には力を入れ、これらの産業は島尻各地で盛んになった。
3、夜間学校を開き、社会人教育を行った。また、退職時には、奨学資金の寄贈を申し入れ、郡民の要望で体育奨励基金として当時の金で2,000円余りの多額を寄付した。
4、製糖工場を創設。サトウキビの圧搾を牛馬に頼る小規模なものであったのを、台湾から工場設備の機械を導入した。
5、その他、農業試験場の設置や、農業の近代化にも尽力した。

 気骨のある立派な人が、その時代にもいたのですね。
 行ち欲さやぁ・・・。
 「佐賀と沖縄との関係 -明治期・沖縄で活躍した佐賀県人-」というHPを読んで、今は無人島となっている硫黄鳥島から久米島へと移住してきた人々がいたことを知りました。
 そして、現在「鳥島」という地名になっている久米島の集落は、それまでの久米島にはなかった近代的なもので、集落内の道路は殆どが3間(約5.4メートル)と、現在でも決して狭くない道路幅。また、区画はほぼ当時のまま現存しているのだそうです。

 ちょっと興味が湧いたので調べてみると、その集落の西端には硫黄鳥島から移した7つの御嶽を祀る七嶽(ななうたき)神社があり、境内には弁慶石、海の神がおかれている、とのこと。
 久米島町のHPによれば、次のとおり。



 七嶽神社(町指定史跡) 久米島町字鳥島354
 昭和49年4月26日、旧具志川町指定
 明治36年(1903)4月、徳之島に近い硫黄鳥島の硫黄坑ば爆発し、政府は軍艦を派遣して多方面から調査、協議を行った。その後、沖縄県からの勧めにより久米島移住について話し合いを持たれ、住民の多くの賛成が得られたため、硫黄採掘要員を除き、久米島具志川間切大田村字仲泊(旧具志川村字仲泊、現久米島町)に明治36年12月、37年2月の2回に分けて移住を行った。
 硫黄鳥島には、七つの御嶽があって遠く祖先の代から作物の豊作、住民の無病息災、作業の安全を祈願していたので、移住に際し、この七つの御嶽の砂を取って壺に納め、それをご神体として移住地に移し、まとめて祈願所としたのが七嶽神社である。
 なお、境内には「鳥島移住記念之碑」が建てられ、移住に至るまでの経緯が記されている。

 鳥島の硫黄採掘が佐賀県人・斎藤用之助らによって始められたという歴史やその過酷な日々をイメージしながら彼の地を歩いてみたら、おもしろかろうなぁと考えながら読ませていただきました。

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 八重瀬町大頓にある沖縄そば屋さん。
 先の大戦で幸いにも焼け残ったという大きな古民家が文化財になっていて、それを改修したというそば屋さんなのだ。なんだかそれだけでも行ってみる価値アリだろ。

 写真のアーサーそばセットは980円。もちろんそばの単品も、ラフテーなどの料理やジューシーなどもあるようです。
 営業時間は11:30~16:00。毎週火曜が定休日です。

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 前回、沖縄に赴いたのは、1年近く前の2011年1月。国際通りを歩いていて、モノレール牧志駅周辺の大規模再開発が行われていました。
 現場は高いフェンスで囲まれていてよく見えませんでしたが、新しくできるマンションの分譲やホテルの宣伝などが盛んに行われていたようでした。

 その再開発が完了し、「さいおんスクエア」のまちびらき式典が7月8日に催されたとのこと。
 あの安里川の周辺がどう変貌したのかを、良きにつけ悪しきにつけ見ておく必要があると考えてオリマス。



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 しかし、国際通りを初めて歩いたのは1993年のことだったけれど、その後の期間だけでもかなりの変化があるぞ。あのときは軍用品払い下げの店でレーション(戦時食)を買ってみたものだったが、そんな店はとうの昔になくなってしまった。
 OPAはなくなったし、桜坂界隈は激変したし、第二公設市場もなくなった。
 平和通りや沖映通りが、ガーブ川にふたをしてできている道だということを知っている観光客は、いったいどのくらいいるのだろうか・・・。
 首里寒川町にあるカレーショップです。
 首里の、かつて綾門大道(あやじょううふみち)と呼ばれていた道を歩いていて、その昔中山門が建っていたあたりにあったこの店を発見し、首里高校の学生なんかがよく利用するのであろうココでカレーを食べるというのも悪くないなと思ったことがあります。

 メニューは豊富で比較的安価。たとえば、ですが・・・



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 上は、コロッケカレー。
 下は、さんまフライカレーだって。

 カレーの味などについては沖縄本島に広く膾炙しているわけですから期待は持てます。
 課題となるのはライスでしょう。東北の人間はいつもおいしいごはんをいただいているので、けっこう米にはシビアなものなのです。さて、どうでしょうか?

 400円からカレーライスが食べられて、ドリンクサラダセットがプラス150円。
 11:00~21:00(土曜日は17:00まで)、日曜・第4月曜定休。

 こんどの旅では、わざわざこの店に行くために首里へと赴いてみようかな。
 現代版組踊「肝高の阿麻和利」でかっちん(勝連)の青年たちを燃え上がらせたタオファクトリーが、新たな目標に向かってReStart!
 新たな観光のモデルケースとして、現代版組踊を通して琉球の歴史・芸能・文化を知ってもらおうと、年12回、現代版組踊公演をシリーズとして行う、というのがこの「琉球浪漫シアター」。
 そのシリーズⅡが11月からスタートしています。

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 この年末に沖縄を訪れる予定ですが、その際には那覇市民会館で開催される「玉城朝薫伝~組踊誕生」はゼッタイに観たいと思っています。
 12月25日、18時30分開演。料金はたったの千円だそう。

 以前一度、「肝高の阿麻和利」を生で観たことがあります。ステージのみならず観客席全部を使って躍動する若者たちを見ながら、文化ってスバラシイ!などとしみじみ感動しましたが、あの感激をもう一度味わってみたい。
 そして、彼らのその後の進む道が観光客におもねることなく正常に進化しているかについても、考察しながら確認してみたいと思っています。

 しかし、この集団の指導者だった平田大一は今や県の文化振興部長だものなぁ。沖縄県も思い切ったことをやるものだ。


上:これこれ。このシーン、生で観たんですよね~♪


 先に読んだ「沖縄陸軍病院南風原壕」(吉浜忍ほか著)は、なかなか参考になる図書でした。
 戦争遺跡として沖縄陸軍病院南風原壕を保存、公開、活用していくための、南風原町の関係者の平坦ではなかった取り組みについての報告書で、著者たちは南風原壕の文化財指定や調査に実質的に関わってきた人たちですので、壕に対する熱い思いが伝わってきます。

 その豪を管理している南風原文化センターでは沖縄戦、移民、むかしの暮らしなどについての展示があるそうで、それらもなかなか興味深そう。
 2009年11月、新しくなってオープン。

 ということで、まずはそれらを見て、それから、予約制のようなのでチャンスがあればということですが、豪にも入ってみたいと考えています。

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 沖縄でアップルパイといえばジミーだと思っていました。
 そのジミーのアップルパイとは、「アメリカのパイを買って帰ろう」を著した駒沢敏器氏のインプレッションから引用すると――。

 蓋を開けると予想どおりの濃厚な香りが放たれ、ナイフを入れた表面はしっとりとしていた。崩れあふれそうになるアップルをナイフで支えつつ、2枚の皿に、切り分けたパイを1片ずつ置いた。僕たちは黙ってパイを食べた。
 最初のひと口から美味しかった。洗練の度合いを上げた日本のアップルパイにはないような、アメリカの家庭の甘さだった。しっとりとした皮はフォークを入れてもぼろぼろと崩れはせず、リキュールを含んだアップルを口のなかで力強く包みこんだ。甘いのに飽きることはなく、さらにもうひと口を食べたくなり、やがてその甘さに慣れてくると、なぜだか懐かしく心が平和になってきた。これなら定番になってしまうはずだ。毎日のように食べようとまでは思わないけれど、ふと目にしたらついつい買ってしまうだろう。
 いい意味での凡庸さを残した甘みと香りに、初めてこれを口にした沖縄の人は何を感じただろう。やはりそれは羨望だろうか、それとも憎悪と紙一重の共感なのか。フェンスで隔てられた向こう側とこちら側が、たとえばこのようなパイを通して接点をじかに持つとき、そこにはどんな交流があったのか。僕はこのアップルパイの生誕を知りたくなった。それくらいに、ジミーのパイは日本のパイとは決定的にどこかが違っていた。

 ジミーのアップルパイ

 Ummm・・・涎が出そうだ。自分が食べたときにも、上記のような感慨を持ったものです。
 しかしなのだ。
 コザ出身の人は「ジミーなんかよりも、コザにある“なつのや”のパイの方が上だ」と言うのだそうですよ。
 まぁ、食べ慣れたものが美味しいということなのだろうけど、そのなつのやのアップルパイにも興味が湧いた。

 なつのやは、昔はゴヤのピラミッドの隣にあったそうですが、今は移転して、高原交差点からライカム交差点に抜ける道沿いにあり、職人も代替わりしているとの情報があります。

 食べログに寄せられた利用者の声によれば、1ホール630円と格安で、しかもおいしい、味が値段以上にしっかりしていてパイ生地はサクサクふわふわ、りんごの味も甘すぎずしつこくなく、フワッと口に広がり、ほっこりする味、とのこと。

 これは食してみなければなるまい。一人旅だと1ホールというのはなかなか辛いのだけれどもな。
 お土産にするにも、あまり日持ちしない代物であるだけに、おれとしては悩むところだ。

 沖縄市高原4-12-23 営業時間:10:00~20:00 定休日:日曜 だそうです。

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上:なつのやのアップルパイ

 ふと思い出したのだけれど、1970年代初頭に、ドン・マクリーンという人が歌って大ヒットした「アメリカン・パイ」という歌があった。
 フルバージョンだと9分くらいあって、はじめは静かに、そして途中からアップテンポになる独白のような歌で大好きだったのだが、この歌詞って、なにをどう歌っているのだろうか?
 含蓄が深すぎていまだに謎なのだが、この場合のアメリカン・パイは、ミス・アメリカン・パイであって、実在の誰かをパイか何かに投影しているのかもしれません。

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 かつて富盛の大獅子(シーサー)を見に行ったことがある。米軍による弾痕が刻まれた、戦跡としても貴重なシーサーだなと思って見た記憶があります。
 ところがそういう古い石造獅子が首里崎山の御茶屋御殿跡にもあると知って、見に行ってみたくなりました。

 まずは御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)。
 ウィキペディアによると、次のとおり。

 沖縄県那覇市首里崎山町にかつてあった琉球王府の迎賓館でかつ文化の殿堂。
 識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも呼ばれた識名園が、首里城の風水上の南(方位の西)に位置していることから南苑(なんえん)とも呼ばれたのに対し、御茶屋御殿は首里城の風水上の東(方位の南)に位置していたことから東苑(とうえん)とも呼ばれた。
 建設・造園は尚貞王代の1677(康熙16)年~1682(康熙21)年の間とされる。
 1683(康煕22)年に琉球を訪れた冊封使一行の接待の一部が御殿で執り行われた。正使の汪楫(おうしゅう)は著書『使琉球雑録』の中で、この付近を景勝の地と讃え、御殿を東苑(とうえん)と名付けている。
 第二次世界大戦で園内の建造物は全て破壊された。現在、跡地には、カトリック教会及び付属幼稚園が建っている。

uchaya-shiisaa.jpg 石造獅子

 獅子は、その「御茶屋御殿」にあった石造りの獅子で、火難をもたらすと考えられていた東風平町富盛の八重瀬岳に向けられていたと言うから、その役割は富盛の石獅子と同じだったようです。大きさも全長1.6mと、富盛の石獅子ほどではないにしろかなりの大きさなのだ。
 18世紀の文人として名高い程順則(ていじゅんそく)が御茶屋御殿を詠んだ漢詩「東苑八景」に「石洞獅蹲(せきどうしそん)」と記され、御殿を火災やその他の災厄から守る獅子が称えられています。
 もとは、現在の首里カトリック教会の敷地にあったが、崖崩れの恐れが生じたので、現在地の移されているとのこと。

amagoiutaki.jpg 雨乞嶽

 この地ではもうひとつの見いぶさむんは、雨乞嶽(あまごいたき)。
 御茶屋御殿石造獅子の場所から、西側に5mほどのところにあり、コンクリートで作られた小さな拝所の回りにブロックが置かれ、可愛いシーサーが並べられているとのこと。
 那覇市教育委員会の説明文によると――。

 雨乞いの行われた御嶽は沖縄各地にありますが、ここは俗にアマグイヌウラキと呼ばれ、干ばつの打ち続く時に王様が親(みずか)ら家臣たちを率いて、この御嶽で雨乞いの祈願をされました。マーニ(クロツグ)の生えた小さな丘を、低い石垣で丸く囲んで聖域とし、石敷きの壇に香炉が設けられていました。
 また、ここから南西方向への眺望の広がりがみごとで、首里八景の一つとして「雲壇春晴(うだんしゅうせい)」(春雨の合間に雨乞いの丘からの眺望が素晴らしい)うたわれています。

 ――とのことです。

2011.11.17 崎山御嶽
 首里城の南、アカマルソウ通り沿いにある崎山公園にはまだ行ったことがなかった。
 瑞泉酒造の西側に位置し、公園内にはさまざまな遺構があるようです。

 崎山御嶽。巨木に囲まれた崎山御嶽は、察度王の子・崎山子の屋敷跡だといわれているとのこと。御嶽の門(拝殿)は、1865年に木造瓦葺きから石造のアーチ門に改造されたが、沖縄戦で破壊され、現在のコンクリート造りになったのだそうです。

 崎山御嶽

 崎山樋川。崎山御嶽の横にあり、首里大阿母志良礼(高級女神官)が、年中行事の際に崎山御嶽と崎山樋川を参詣したとのこと。元旦には、王様へ献上する若水がここで汲まれたのだそうです。

 「東姓拝所」という、岩の上に石碑が立てられて拝所。崎山公園の首里城側入口近くにあるよう。

 崎山遺跡。崎山公園の首里城側入口、右奥の岩のあたり。旧石器時代の遺跡で、ここで鹿の角や骨などが発見されたのだそうです。

 地図上の楕円は瑞泉酒造。
 ついでに瑞泉酒造も見てこようっと♪

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 “がじゃんびら”という地名を初めて目にしたのは、たしか田村洋三が著した「特攻に殉ず 地方気象台の沖縄戦」という本の中でのことだったと記憶しています。
 それは、那覇市小禄鏡水(おろくかがんじ。現在の那覇空港付近)の蚊坂(がじゃんびら)にあったという沖縄地方気象台を舞台としていました。
 インパクトのある地名なのでそれ以来ずっと気になっていて、その跡地になっているがじゃんびら公園を一度車で目指したことがありましたが、どこから入ればいいのかわからず到達できないでいました。
 なので、この次は入念な下調べをして・・・。

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 公園の位置取りはこんな感じ。公園の西沿いの小道に何箇所か入り口があるということのようなので、車で行くなら国道331号から那覇そばのある金城交差点から東に入って行くのがよさそうです。

omonogusuku.jpg 御物城

 ビューポイントは、まずは公園の西端にある眺望広場。広場からは那覇港一帯が一望でき、三重城(みーぐしく)を海側から見たり、米軍用地となって立ち入ることができない御物城(おものぐすく)が那覇港内に浮かんでいるのを見たりすることができるのだそう。
 また、眺望広場の一画には美空ひばり「花風の港」の歌碑があり、歌碑の前に立つとスピーカーから美空ひばりの曲が流れるのだそう。

 歌碑

 ついでに近くにある那覇西高校、那覇軍用地等地主会館なんかのたたずまいも見てみようか。
2011.11.13 真昼御麺
 先に沖縄に赴いた際、ウッドベーシスト・真境名陽一氏が経営する「Music Cafe Kumoji」(at 那覇市久茂地)に、西平和代(vo)、松本靖(key)、真境名陽一によるジャズライブを聴きに行った。
 その際、ステージの合間にカウンターで彼らといろいろ話しているうちに、松本氏の師匠が沖縄ジャズ界きってのピアニスト、仲本正國であることを知った。
 ちなみにネーネーズのひとり仲本真紀は、正國の愛娘なのだ。
 
 興味津々で聞いていると、その隣から西平サンが面白いことを言い始めた。
 なんでも、仲本正國は大道バス停近くで沖縄そばの店をやっており、その名も真昼御麺(まっぴらごめん)というのだそうだ。
 これは行ってみたくなるではないか。

 そば定食

mappira-yasai.jpg 野菜そば

 帰ってからネットで調べてみると、激安メニューやユニークメニューが豊富らしく、B級グルメにとってはたまらないような店のようなのだな。
 メニュー一覧がウェブに載っていたので掲載すると・・・素そば150円、学生そば200円、沖縄そば350円、豆腐そば350円、三枚肉そば420円、四枚肉そば440円、五枚肉そば460円、ポーク卵そば450円、ベーコン卵そば450円、ジャンボそば500円、野菜そば500円、真昼御麺(超極太)500円、竜宮そば(超極細)500円、JAZZ麺500円、那由多そば800円(600gそば/普通のそばの3倍、目玉焼き丼200円、ポーク目玉焼き丼250円、三枚肉丼500円、豆腐チャンプルー420円 ――とのこと。
 うぅ、ジャンク! メニューを見ているだけでも楽しそう。

 なかでもJAZZ麺というのはユニーク。細めん・太麺・豆腐を練りこんだ自家製麺の3種類のジャムセッション!とのことで、それぞれの食感の違いが面白そう。(今もあるのか?)
 また、超極太麺の真昼御麺は、限定で数食分しかないというこの店の目玉(?)。

 食事は安い、はやい、旨いだけではなく、それらに楽しさが加わらなければウソなのだ。

mappira-jazzmen.jpg JAZZ麺

 営業時間は11:30~18:00、21:00~25:00。日曜が定休日だそう。
 仲本正國を拝顔しがてら、これは行ってみるしかありませんね。

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 このごろどうも、物忘れが激しい。齢はとりたくないものデアル。
 それでデスネ、ああそうだ、こんどヒマができたらあすこに行きたいなぁ、アレを見てみたいなぁ、コレをやってみたいなぁと思うときがあるのだが、実際ヒマになってみるとその、やりたかった、見たかったことども自体を忘れてしまって、あれれ、何をしようと思っていたんだっけ??ということになるのですな。
 そーゆーことってないですか? ・・・ないデスカ。そうですか。まぁね、チミはまだ若いのだろうからねぇ・・・。人間、齢を重ねていくうちに、いずれそーゆーことでコマッタということになるかもしれないから、ココロしておくといいと思いますですよ。

 ということで、このブログを雑記帳代わりにして、アレを見たい、そこに行きたい、というものを思いついたときにすぐさまメモっておこうというのがこの新カテゴリー。
 それでいつか、それらを束ねて、実際に体験しちゃろーじゃねーのという魂胆なのです。

 「いちぶさむんみいぶさむん」は、沖縄地域語。行き欲さむん、見い欲さむん――行きたいところ、見たいもの、ですな。