この週末は、山形県の南西部、小国町でわらび採りをしてきました。
 かつて、といってももう18年前になるのですが、同じ課で同じ仕事をしていた面々が久々に集って、当時のチーフのもとでの「春の大演習」ということで。

 昨日は延々6時間、23時半頃まで呑みまくったので、本日早朝からの演習はたいへんにきつい。(笑)
 面々は、年齢こそ18上がってそれぞれのセクションで重要ポストについているが、呑んで語り、うたえば当時のまんま。みんな元気で何よりだ。



 写真は、「演習」を終えて、それまで一心不乱にわらびを採り続けたわらび園を振り返る面々。
 それぞれがどこをどう攻略し、どのような成果を挙げたか、そして今後の作戦にそれらをどう活かすかについて、真剣に語り合っている。
 ――のではなく、終了時間になっても戻ってこない人間が一人いて、迎えに行ったらいいものかどうかを皆で思案しているところなのですな。(笑)


 帰りには、山形市西部の長谷堂城址に寄ってみる。
 1600年、「出羽の関ヶ原合戦」といわれた攻防戦がこの地で繰り広げられ、会津の上杉景勝の家老直江兼続が山形の最上義光(よしあき)を攻めた折、最上方がこの城に拠って、直江方2万数千の大軍の猛攻撃からこの城を守りきったという歴史がある。

 軽い気持ちで寄ったのだが、けっこう大きい山城で、いちばん上に着いた頃にはヒーハー状態。現在にあっても難攻不落だな。

 折しも山形はNHKの大河ドラマ「天地人」で盛り上がっているので、意外に多くの人たちが訪れていました。

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 今日、米沢市で上杉まつりが開幕しました。
 5月2日には武てい式、3日には上杉武者行列と川中島の合戦が行われます。
 今日は開幕祭ということで、伝国の杜周辺で民踊流しや米沢時代行列が行われました。
 開幕祭にはなんと!園田エイサーが参加!!
 ということなので、観に行きましたよ、山形から。仕事の日でもないのに。(笑)



 ご覧のとおり、勇壮な演舞。地元米沢の上郷エイサーと合同演舞です。
 上郷地区は沖縄市と交流があるようで、上郷エイサーを見るのは何年か前、沖縄市で開かれた全島エイサー大会にゲスト出演したのを見て以来。

 観る前に思っていた園田エイサー鑑賞のポイントは、
1 旗頭は沖縄から持ってくるのかどうか
2 多数いる園田青年会のメンバーから何人ぐらい来るものなのか、またその構成は?
3 本場のエイサーの真髄は米沢市民にきっちりと伝わるかどうか
という点でした。

 その結果を報告しますと・・・
1 旗頭は、なし。あの太くて長尺の竿は、やはり空輸は無理なのでしょう。
2 上郷エイサーと混じっていたので判然としませんが、10人はいなかったでしょう。大太鼓、締太鼓、女性の手踊りがそれぞれ2~3名程度。それから、地謡は1人だけ(でも、生演奏)。チョンダラーはいませんでした。
3 民謡団体のしんがりを務めていました。集客力は抜群です。上郷の子供たちと一緒なので、本来の迫力とまではいきませんが、まぁそれなりに伝わったかな、という感じでしょうか。

 しかしなんだな、おれは上杉まつりに、エイサーを観るために行ったというわけだな、「天地人」で盛り上がっているはずのこの米沢に。
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 伊佐沢の念仏踊りを見に行きました。
 昨日、土砂降りの中、車を駆って山形から長井まで。

 「伊佐沢念仏踊り」は県の無形民俗文化財で、樹齢1,200年といわれる地元の久保桜が満開となるこの時期、すぐそばの伊佐沢小学校の校庭で行われるのが常ですが、今年は大雨。そのため小学校体育館での披露となりました。
 本来の外での風情は味わえないのは残念ですが、明るいので写真は撮れるという利点もあって、まぁよしとしましょう。

 太鼓・横笛・まとい・相撲・奴振り・枕打ち・花笠・四ツ竹などで構成されていて、うたはなく、笛と太鼓にあわせて体育館内をぐるぐると道行風に踊ります。
 なんの唱えものもないので「念仏」踊りらしくないような気もしますが、多くの踊り手は浴衣風の着流し姿で顔をすっかり覆ってしまう傘をかぶっています。そして手には花笠や四ツ竹。これはまぎれもなく念仏踊りです。

 女性を装う着流しも、男性。実は踊りの全てのパートを男性が担っており、なおかつ高齢化も進んでいるようで・・・。
 また、踊りの所作も熟練の度合いは高くなく、奴振りなどは徒手体操をしているような感じ。
 若々しくて華やかな沖縄のエイサーと比べると、残念ながらちょっとなぁという感じもしないではありません。
 午後7時半から始まって、8時半前には終了。短いぞ。踊りのバリエーションが多くないのだろうな。

 調べてみると、置賜地方には念仏踊りが6つ伝承されているようで、それらは東置賜郡高畠町の亀岡念仏踊り、南陽市の鍋田念仏踊り、長井市の伊佐沢念仏踊り、西置賜郡飯豊町の高峰念仏踊り、椿念仏踊り、小白川念仏踊り――だそうです。
 素朴であまり風流化していない東置賜に対し、西置賜では配役も形態も豪華・風流化しているとのことで、「どうしん坊」なる鉦打ちの坊さんがいたりして、この地方の念仏踊りは「新発意型」なのではないか、とのことです。
 ナルホド、伊佐沢のものもすっとぼけたような鉦打ちが3人いたな。

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 早朝から暗くなるまで米沢にいるため、山形市の桜を見ていない。今日は山形で会議が(3つも!)あるので、米沢には行かない。で、今が見ごろかなということで、昼の時間に山形市内の桜の名所、馬見ヶ崎川に行ってみた。ここは実家のすぐそばなのですな。

 川の土手沿いの道はこのように桜がこんもり。

 この道を行った先には、すずきともこちゃんの家があったっけ。いっしょに鼓笛隊の練習をしていたものだ。笑うとほっぺにえくぼができるかわいい子だったが、今はどうしているのだろうか。

 桜を見ながら思う。いいところなのだなぁ、おれが生まれ育った山形というところは。
 人と自然とがうまい具合にミックスされていて、人が多いために胸が悪くなるようなことはないし、自然の力の侵食に手を焼くほどでもない。荒稼ぎはできないが、生活に困るほど苦しくはない。
 長い冬に耐えたあとにこうして春を迎えると、気持ちがほんわかとしてくる。

 小さい頃から見慣れていた埋立通りのほうの桜はすでに葉桜。木々は道路交通の支障になるためにあちこち枝を切り刻まれて、すっかり樹勢がない。
 反面、こちらの河川沿いの木々は健康そのもので、逞しささえ感じる。こちらの木々は、おれがまだ小さかった頃にようやく植樹されたもの。
 何十年前と同じような風景なのだが、実は少しずつ変貌を遂げているというわけだ。

 自分にとって、「いい人生」とは何か。春の風景を愛でながら、ふと、そんなことを考えてしまったおれなのでアッタ。
 米沢市金池にある北山原(ほくさんばら)殉教遺跡を見てきました。「にしやんばる」とは読みませんので、念のため。(笑)

 ここはもともと米沢藩の処刑場があったところで、NHK大河ドラマ「天地人」に登場する武将たちが活躍した頃とほぼ同じ時代の1629年、上級武士甘糟右衛門一族など57名のキリシタンが処刑されたところなのだそうです。

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 《画像》 キリスト・マリア・ヨハネの像。昭和4年に殉教300年を記念してドイツで造られたものなんだって。

 江戸時代初期に全国で殉教したキリシタンは188人。うち米沢市での殉教者は全国で最も多い人数です。なぜ米沢でこのように大規模なキリシタン殉教があったのか。

 米沢藩内には、一説では1万人ものキリシタンがいたと言われています。なぜ米沢にこれほど多くの信者がいたかというと、初代藩主上杉景勝が、キリスト信仰に対して寛容だったから。そのため、厳しい弾圧を逃れて流れ込む信徒が激増したのだそうです。
 景勝は、禁教令を迫る幕府に対して「当領内には切支丹(きりしたん)は一人もござなく候」と答えたと伝えられています。

 しかし、二代藩主定勝の頃になると、幕府の弾圧はいっそう厳しく、上杉家を安泰にしていくためには幕府に従わざるをえない状況となり、藩はついに、キリシタンの弾圧に踏み切ったのだと。

 殉教を伝える記事は、米沢藩の正史「上杉家御年譜」に書かれたわずか数行の記載のみ。
 ところが、北山原での殉教の様子を詳細に記載された報告書がみつかります。当時会津若松に身を隠していたポーロ神父がバチカンに送った報告書です。
 32枚にわたる報告書には、殉教者の布教活動や信仰生活、米沢藩の政情までもが詳細に記されていました。

 そんなエピソードをもつ北山原殉教遺跡は、米沢市役所にほど近い住宅地の中にあります。
 マリアの像の後ろには、いくつかのキリスト教墓がひっそりと存在していました。

  

 所在地は、山形県米沢市金池6-3です。