2013.01.12 18歳の父


 一昨年の10月に亡くなった父は、若かりし頃、舞鶴の旧海軍機関学校で学んだ。
 海軍兵学校の74期生で、昭和17年12月1日入校(325名)、昭和20年3月31日卒業(317名)した者の一人。

 彼ら同窓生は「たんご55」というホームページを持っており、そのページには父の逝去の報も掲載されていた。
 また、「卒業写真集」には、第5分隊の一員としての、18歳の父が写っていた。
 軍隊時代の父の写真を見るのは初めてだったが、思わず苦笑。大勢いる中でどれが自分の父かが一目瞭然。なぜならば、自分の当時の写真を見ているのではないかと思えるほどにそっくりだから。

 老いて死んでいった父にも、青雲の志を抱いていた青年時代があったのだ。
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2008.11.24 祖父の絵


 ウェブを歩いていて(こういうのも沖縄的な表現だなぁ)、画家だった祖父の画像に行き着いた。

 それはとあるブログのことで、出張先で架けてあった絵を携帯で撮影し、祖父の名が紹介され、いい絵だったという感想が添えてあったのだった。


 祖父は山形の「雪」を描くのを得意分野としていて、小さかったおれを自分を脇に従え、時々カンバスに筆を乗せながら、少し離れては絵を眺め・・・というふうにして描いていたのでした。

 その祖父は、1983年に他界しましたが、描いてから何年もたってからこうして紹介してもらえるというのも、画家冥利に尽きることでしょう。

 孫の一人としても誇らしく、本当に感謝の念でいっぱいになりました。
2008.09.17


 この写真は、母とその弟のそれである。

 母の生年から察すれば、これは昭和10年前後に撮影したものと思われます。

 すっかりセピア色になってしまった古い写真を高解像度でパソコンに取り込み、モノクロ風に画像処理したものを拡大してプリントしてあげたら、こんなことが簡単にできるんだねぇとえらく喜んでいました。

 すっかりおばあちゃんになってしまったけど、彼女にもこんな時代があって、その後戦争の時代をくぐり抜け、結婚し、我々兄弟を産み育て、歳月をひとつひとつ積み重ねてきたというわけだ。

 一人ひとりの人生はささやかではあるけれど、きっとどれも大切で、貴重なものなのだろうなぁと、一人しみじみ思うのである。