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 チリ・ワインの次はスペイン・ワイン。
 イオンに買い物に行ったら、総菜売り場の前にディスプレイされていたので、思わずゲット。だって税込み429円なんだぜ。

 「CAREO TINTO」。舌触り滑らかでフルーティなワイン。トマトベースのパスタや普段使いの家庭料理によく合います――とのこと。
 ラベルには闘牛と思われる牛のシルエットが描かれています。

 さっそくクラッカーとチーズで部屋飲みしました。
 ワインはうまいな。ちょっと贅沢な気分に浸れるし。
 単身赴任のアパート暮らしということもあって、ワイングラスがないのが残念なのね。

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 銀天街を抜けた先は、アーケードこそなくなるものの、街路樹が植えられた商店街風の道が蛇行しながらなだらかな上りになって続いています。どうやらここが、かつて「照屋黒人街」といわれたところのよう。

 ベトナム戦争時、米軍の白人たちは胡屋のBCストリートやそこから近い(「コリンザ」から北へ数分)八重島などを根城にしていたのに対し、黒人たちはこの照屋地区で毎夜出征の憂さを晴らしていたのだそうです。
 持参した地図を付しておきますが、太線部分が銀天街で、その先、線で囲った部分あたりが旧黒人街です。そのような地名があるわけでもないので、なかなか場所が特定できなかったものですから、ご参考にどうぞ。



 「沖縄 オトナの社会見学 R18」(前出)によれば、照屋黒人街は、
 「付近の路地を分け入っていくと、以前バーだった建物や、米兵向けに性風俗業をやっていた建物が残っています。当時の照屋について書かれた本を読むと、照屋にまぎれこんできた白人が黒人兵士にリンチされているシーンが必ず出てきます。馳星周氏の小説「弥勒世」(註:角川文庫。これも読んだな)も、照屋の乱闘シーンからはじまります。
 もともとは白人もいたのですが、当時の人種差別が原因で対立が激化して、白人が城前や八重島のほうへ移動していくかっこうになります。これが自然発生的にそうなったのか、問題発生を避けたい軍の「政策」によってのものなのかについてはUSCAR(琉球列島米国政府)の文書資料を調べている研究者の間でも議論があるようです。」――とのこと。

 なお、「城前」とは、R330を挟んで反対側、車を停めた銀行のあるあたりをいうようです。

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 街並みは、一言で言って「古色蒼然」。くたびれたコンクリートが、皺を幾重にもたたえた古老の皮膚のように思えます。それらの一部はご覧のとおり。
 中には「OREGON」などと書かれていた跡も。かつてはこの建物の中でドル札が舞い、黒人の大声とハーニーたちの嬌声が夜な夜な聞こえていたのでしょうか。

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 次に向かったのは、沖縄市のコザ十字路近くにある「銀天街」。
 かつて栄えたアーケードの付いた商店街で、沖縄訪問時には頻繁に利用するサンサン通り(国道330号)を走っていていつもアーケードの入口が目にとまるのですが、まだ歩いたことはなかったので、今回寄ってみたところ。

 R330を挟んで向かいにある沖縄海邦銀行の開放駐車場に停めさせてもらい、コザ十字路の信号を渡ります。
 コザ十字路はすっかり開発が進んで、かつての猥雑感はほぼ失われています。初めてここを訪れてから17~8年ぐらいしか経っていないのに、こんなに変わってしまうものなのかな。
 神谷幸市が主宰し、玉城一美もホームグラウンドとしている「民謡スナック花ぬ島」がまだ存在し、営業を続けていることが一筋の光明といえるでしょうか。

 で、銀天街。
 先に読んだ「沖縄 オトナの社会見学 R18」(仲村清司・藤井誠二・普久原朝充、亜紀書房、2016)によれば、
 「コザは、米軍基地によって人工的につくられた街で、この十字路に市が建ち並び、それが銀天街に統合されていったという経緯があり、それはそれは賑わっていた。1960年代には映画館も何軒もあり、華やかな街だったそうです。
 ・・・銀天街は、1951年4月、軍道24号線(現:国道330号線)と軍道13号線(現:国道329号線)の交差点にバラック小屋を建てて商売をはじめたことから市場に発展したそうです。その後、コザ十字路市場組合と隣にできた本町通り会が1976年に合併して銀天街と名付けていますね。しかし、例によっていまは寂れきっています。県道の拡幅工事もあり、銀天街自体も縮小されてしまった。」――とのこと。

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 コザ十字路から銀天街の入口までの数十メートルほどは、通りに面した古い建物が今風のアートなイラストでデコレートされており、巨大壁画のよう。これも活性化のための取り組みでしょう。
 テーマは琉球絵巻だそうで、琉球王朝時代から沖縄戦、アメリカ統治時代から復帰後の暮らしまで、時代を象徴するモチーフが明るいタッチで描かれています。

 その下の歩道が広くなったところに、イラストとともに次のような記載を含む説明板があったので、以下に引用しておきましょう。

1960年~70年代 コザの庶民文化の発展~そして未来へ~
地元に愛されるコザの台所
 黒人街だった照屋の地域は、同時にこの地域に住む庶民の台所としても、大きく発展していきます。銀天街商店街の前身である、十字路市場(1977年創立)と本町通り(1980年創立)が合併し、1978年にアーケードが整備されると、銀天街は最盛期を迎え、当時125軒の商店が軒を連ねていました。
 黒人街を近隣に据える銀天街は、外国人向けの飲食店や衣料品店が多く立ち並び、ペイデイ(給料日)ともなると、外国人の買い物客で夜中まで賑わっていたそうです。
 また、地元の台所としても発展していったこの街は、食材や日用品を買いに地元住民も多く往来し、特に旧暦のシチビ(節目・旧暦行事の日)にもなると、松風~まちかじ~、カタハランブーなどのご馳走を買い求めて全島から人が集まり、今でもその名残りがあります。

 昭和55年前後が最盛期だったのですね。
 今も「コザ十字路通り会」が機能しているようで、秋には「コザ十字路まつり」が開かれているということです。

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 で、そのアーケードの下を歩いてみると、ご覧のとおり。自分はこれを見て、ネーネーズのCD「明けもどろ~うない」(1997)のジャケットを思い出してしまう。(そちらのアーケードはここのものではありませんが)
  アーケードはあれども、商店がないのだな。空き店舗はNPOの事務所になっていたりしています。これってある意味、見事というしかありません。
 むしろ人が寄ってきそうなのは、この通りからさらに路地を入っていった迷路のようなところ。そこにある飲食店に何人かの人がいて、飲んだり話したりしている様子が伺えました。

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 銀天街の南側のアーケードが切れるところはこんな感じでした。

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 これまでアルコールといえばビール、焼酎、日本酒、バーボン、ジンなどを愛飲してきたのですが、「今どきワインが安くておいしいのです」と、人が言う。たしかに、飲んでみるとこれで数百円!? と瞠目せざるを得ないシロモノが出回っているようなのですね。

 で、いろいろとワインに目を向けてみると、スーパーなどではもちろん、コンビニなどでも安いワインが売られていることに気がつきました。ワインなんて、これまでノーマークだったもので。(笑)
 そして今回、某ドラッグストアに赴いたところ、そーゆーところでもワインは売られているのですな。

 ワインねぇ。ま、ようやく春もやって来たことだし、アパートでは酒類が尽きてきているし、それでは1本買って飲んでみっか。
 ということで買ってきたのが、チリ・ワイン。サンタ・ヘレナ社の「アルパカ・カベルネ・メルロー」というもの。「一個人」という雑誌(?)の「1,500円以下の赤・白 極旨ワイングランプリ」という企画で第3位に入ったものなのだそう。
 いろいろあっての入賞なのでしょうが、自分にとってはアルパカのシルエットが入ったシンプルなボトルデザインが気に入ったというか、アイキャッチがわかりやすいというか。
 750mlのこれが税込みで516円。ビールなんかより安く酔えるんじゃないか?

 よしよしそれではと、日頃買い慣れないスモークチーズやクラッカーなんかも買い込んで、休日の風呂上がりに飲んでみました。
 うまいんだな、これが。どううまいなんて、門外漢の自分には語れないけれども、飲み続けてきたものたちとはまた違った味と雰囲気と酔い。
 これはなかなか極上ですよ。
 金をたくさん出せば幸せになれるかもしれないけど、ちょっぴり出しただけでも幸せになれることもある。そういう幸せこそが、求めるべき幸せであろうと思うのですよ。


 福祉施設にある碑をもうひとつ。それは、沖縄市胡屋の沖縄長寿センター「緑樹苑」の敷地内にあるという「山内盛彬生誕120年記念「ひやみかち節」歌碑」です。
 先に今帰仁村謝名で「平良新助翁の像」と「ヒヤミカチ節歌碑」を見てきましたが、沖縄県民にとってこの歌は大切なものなのだろうなと、改めて思ったところ。
 事前情報によれば、「緑樹苑」は山内盛彬が1979年に入所した老人ホームで、碑は山内氏の生誕120年を記念して、2011年3月27日に除幕されたものだとのこと。

 沖縄市胡屋7丁目にあるという「緑樹苑」にたどり着くまではちょっぴり苦労。ナビがなければおそらく到達できなかったと思います。狭い道を行きつ戻りつして、ああここかと。苑の手前にあった来客駐車場にクルマを停めて歩いて行きます。
 苑内は広く、様々な福祉施設が並んでいます。おそらくこれらすべては緑樹苑の経営でしょう。
 緑樹苑? あれ、ここ、さっきの比屋根のケアハウスと同系列ってことか。ナルホドなあ。

 歌碑は、広い敷地の真ん中、樹木や植栽、いくつかの鉢植え、果ては石敢當まで配備されて、手入れが行き届いた形で建っていました。
 表面には「ひやみかち節」の歌詞のほか、その五線譜、山内盛彬の詠んだ琉歌で構成。
 五線譜の楽譜付きというのがユニークで、テンポ60のAnimato(元気よく、生き生きと)でうたうことまで付記されています。
 そして歌詞。

ひやみかち節
   作詞  1番 平良新助  2番3番 山内盛彬
   作曲  山内盛彬
 1 七轉び轉で ひやみかち起きて わしたこの沖縄 世界に知らさ
 2 花や咲き美さ 音楽や鳴り美さ 聴かさなや世界に 音楽の手並
 3 我身や虎だいもの 羽つけて給ぶれ 波路パシフィック 渡て見やべら

 さらに氏の琉歌。
  「滅びいく文化 忍で忍ばれめ もちと命かきて 譜文に遺くさ」
   (山内盛彬翁80才詠・自筆)
 歌意は、「滅んで無くなる文化は忍ぶだけでは忍ぎきれない。自分の持てるものすべてと命を賭けて譜面として残したい」というところでしょうか。

 碑の裏面には、次のような説明が記されており、建立に至った経緯や山内盛彬の人となりについて理解をしたところです。

 コザ市名誉市民の山内盛彬翁は齢90にして妻ツルとともに昭和54年に開設した緑樹苑に1番目に入居された。1年8カ月間の苑生活を過ごされるなかで、行事の折々には王府おもろ等の古謡を謡い、利用者和睦につとめられた。
 また、過酷な歴史に翻弄された郷土を琉球禮楽によって復興するという崇高な使命感に駆られ、その旺盛な琉球音楽研究伝承活動は多くの人々に希望と勇気を与えた。
 時あたかも本年は、翁の生誕120年の寅年にあたり、奇しくも翁の作りし「ひやみかち節」響む甲子園で春夏連覇が成し遂げられた。まさに紫紺と深紅の優勝旗が波路パシフィックを渡ったのである。
 よって翁の遺徳を偲ぶ歌碑を建立する。
  山内盛彬歌碑建立実行委員会  委員長 安仁屋眞昭
  社会福祉法人緑樹会  理事長 金城和昌


 甲子園の春夏連覇とひやみかち節を関係づけたあたりがこの碑の真骨頂でしょう。

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 沖縄市比屋根(ひやごん)にある社会福祉法人緑樹会の「ケアハウスてぃんさぐぬ花」の敷地内に「てぃんさぐぬ花歌碑」があるというので見に行きました。
 事前情報では、施設敷地の角地に碑があり、2014年3月に除幕式が行われたとのこと。

 住所をナビに設定して行ってみるとその場所は、R329の比屋根交差点から県道85号を泡瀬方面へ進み、道路の右手、「居酒屋味自慢」の黄色い看板(これは目立つ!)があるあたり。
 その施設は3階建ての大きなもので、敷地の北西角地に碑がありました。

  てんしやごの花や 爪先に染めて 親の寄せ言や 肝に染めれ

 ――と、見事な草書体で刻されています。
 しかし、町の中にあるケアハウスの前で碑の写真を撮っている人間というのは、全体の風景の中でかなり異質な印象。おれは介護施設と居酒屋との狭間で何をやっているのだろうという自己嫌悪を感じます。まあ、でも続行するからこそ自分なワケで。

 碑の左脇にあった説明書きには、次のとおり。

 この歌碑の琉歌は、読人知らずで琉歌特有の表記を施されている。詠み、謡うなど音声を施す場合は、「てぃんさぐぬはなや ちみさちにすみてぃ うやぬゆしぐとぅや ちむにすみり」となる。
 てんしやごとは、鳳仙花のことで、本来の花の色は赤だが、現在は白、ピンク、紫のものがあり、また、赤や紫と白の絞り咲きもある。爪に染めるので爪くれないという名もある。
 果実は、熟すと果皮の内外の細胞の膨圧の差によって弾性の力を蓄積し、弾けて種を遠くに飛ばす性質がある。
 歌の意味は「鳳仙花の花は爪先に染めて、親の教えは心に染めれ」である。
 沖縄の民でこの歌を知らない人はいない。
 親の教えとは、人の道である。
 人の道とは、弱い人を助けて、自立して歩む道である。
 民は「孝順父母」のこころを「てぃんさぐぬ花」として結実させ、礼楽の極みとした。
 そのたおたおとした旋律は、すべての人の唇に乗り、歌い継がれ、血肉化し、はたして国土の悠久の魂に昇華したのである。
 社会福祉法人緑樹会は、「ケアハウスてぃんさぐぬ花」の落成を記念し、この琉歌を茲に刻する。


 「人の道とは、弱い人を助けて、自立して歩む道」あたりが福祉的でいいですね。
 この碑はケアハウスの落成記念につくられたものでした。
 見事な草書体は、川上秀苑という書家によるものです。

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