経営者が高齢化し、その後継者がいないなどの理由で、沖縄の大衆食堂が着実に減少していることに憂いを感じています。
 ドカ盛で名を馳せた与那原の「かっちゃん」、テビチ料理のナンバーワンとして著名だった那覇市西町の「嶺吉食堂」、黒いハンバーグの浦添市勢理客の「大衆食堂泉」、占領時代を彷彿とさせたコザの「ニューヨークレストラン」などはすでになく、南部ではピカ一と思っていた喜屋武の「家庭料理の店三姉妹」もカラオケスナックに衣替えしてしまいました。

 そんなノスタルジーに駆られて、2012年発行のこの本を古書市場から手に入れて読んでみたところ。
 2011年3月で休刊となった地元情報誌「おきなわJOHO」で連載していた「古食堂味巡り」を加筆訂正し、11軒の追加取材を経て完成したもの。20年以上取材し食べ歩いた中で、食べてユンタクして笑った味わい深い満腹の食堂60軒を紹介しています。
 この本を手に沖縄の食堂に足を運び、美味しい食事しながら楽しいひとときを味わって下さい――とのことです。

 書き手の嘉手川学は那覇生まれで、「オキナワふうどライター」を自称。沖縄のタウン誌の草分け「月刊おきなわJOHO」の創刊メンバーで、歴史、文化、音楽などの沖縄ネタは何でも書くが食べ物関係には特に強いライターとして印象に残っています。

 さてその60軒。全部店名を列挙したほうがわかりやすいでしょ!
 ひまわり食堂(国頭村)、レストランふりっぱー(名護市)、嶺吉食堂(那覇市、閉店)、大衆食堂ミルク(同)、南国食堂(八重瀬町)、みつ食堂(那覇市、閉店)、でいご食堂(同)、普天間コーヒーシャープ(宜野湾市)、お食事処三笠(那覇市)、高良食堂(同)、元祖ステーキハウスビッグハート泡瀬店(沖縄市)、波止場食堂(国頭村)、家庭料理の店まんじゅまい(那覇市)、大衆食堂むつみ(同、移転)、はつみ食堂(浦添市)、ゲンキ食堂(那覇市)、春風堂(同、閉店)、海洋食堂(豊見城市)、お食事処かねふく(同)、大衆食堂泉(浦添市、閉店)、やまさち食堂(那覇市、閉店)、お食事の店まあぼう(同)、御食事の店純(同)、イタリアンハウス(同)、お食事の店でいご(同)、お食事の店ブルボン食堂(同)、やんばる食堂(同)、がじまる食堂(北谷町)、丸宮食堂(宜野湾市)、みどり屋食堂(宜野湾市)、大衆食堂ミッキー(沖縄市)、お食事の店かおる(うるま市)、栄食堂(沖縄市)、うえはら商店(同)、オークレストラン(同)、南食堂(糸満市)、にしき屋食堂(本部町、閉店)、とんかつの店かつ亭(南風原町)、かめ食堂(那覇市、閉店)、みなと食堂(本部町)、お食事処紀乃川(同)、前田食堂(大宜味村)、読谷山そば(読谷村)、ちえ食堂(本部町)、ステーツサイズ(那覇市、閉店)、チャーリーレストラン(南城市)、ハイウェイドライブイン(沖縄市)、お食事処つるや(那覇市)、定食丸仲(沖縄市)、よね屋(那覇市)、お食事処メモリー(同、閉店)、割烹居酒屋江戸前(うるま市)、あやぐ食堂(那覇市)、波布食堂(同)、FOOD食堂MyHouse(宜野湾市)、グランド食堂(沖縄市)、きょんたろう食堂(那覇市、閉店)、お食事のでいご(同)、お食事処みかど(同)、軽食の店ルビー(同)(登場順)

 ――とまあ、すさまじいラインナップ。このうち閉店してしまった店は10店。ここに載っている店は老舗で頑張っているほうなのかな。
 この本で初めて知ることになった店は多し。まだまだ未踏の店は多いです。一方で、過去に訪問したことのある店は少なくとも18店はあり、長い間沖縄を歩いてきたことも実感したところです。

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 「太平洋戦争中、地上戦で20万人以上の犠牲者を出した沖縄。本土復帰しても広大な基地は残され、米軍の起こす事故は後を絶たない。この連綿と続く構造的沖縄差別のルーツを解き明かし、本土の視線にひそむ欺瞞を仮借なく暴くことで、この国の歴史と現在を照らし出す。」
 「基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、闘う二人の作家が告発する!
  だれも傍観者、忘却者であってはならぬ――。
  沖縄問題は、ヤマトゥが糊塗した欺瞞そのものである。
  本質を射貫く眼差しと仮借ない言葉でこの国の歴史と現在を照らし出す徹底討論!」

 ほとんどケンカ腰の目取真俊がすごい。すご過ぎて、対談とは言いながら目取真が一方的にしゃべって空回りしているところがあります。沖縄の現実に理解を示そうとしながら話しかける辺見庸に対して、「現場に来てやってみろ」と目を合わせずに語る目取真――という構図です。

 共同通信社の企画により、2017年3月13日、共同通信社が本社にて行われた対談をまとめたもの。
 「はじめに」を目取真が、「おわりに」を辺見がそれぞれ記し、その間に「沖縄から照射されるヤマトゥ」「沖縄における基地問題」「沖縄戦と天皇制」「国家という暴力装置への対抗」の4つの章が挟み込まれています。

 この書のひとつの捉え方として、2018年1月7日の沖縄タイムスに掲載された白井聡・京都精華大専任講師の書評を以下に引用しておきます。

 先日、ある論壇誌の編集者と会話した際に、こんな嘆きを聞いた。「もっと沖縄の特集をやりたいのだが、沖縄特集と銘打つと売り上げ部数が如実に伸び悩む」。
 私もこの現状は皮膚感覚でわかる。沖縄の基地問題は、日本全体の問題であり、日米関係の矛盾の濃縮したかたちでの表れなのだ、という認識が本土ではいまだに広まっていない。
 だから政府は、「反抗的な」翁長県政を懲らしめるために、来年度の沖縄振興予算の削減を平気で行える。
 しかし、東京の政府が認識の広まりまで禁圧できるわけではない。茫漠たる無関心が、メディア関係者や知識人といった世論形成者をも「自然に」覆っているのである。辺野古や高江で基地建設反対運動の先頭に立ってきた山城博治氏が、不当な長期拘束からようやく解放されたとき、山城氏の主張をどの在京メディアよりもしっかりと取り上げたのは、あろうことか「星条旗新聞」であったことを知ったとき、本土の政府だけでなく市民社会も、現状では沖縄基地問題に対処する能力を持っていないことを私は確信した。
 辺見庸氏はこのような本土を、「思考力と記憶力と反抗心」を失った「愚民」の住む「クソみたいなところ」と容赦なく形容し、目取真俊氏の批判は日本政府はもちろんのこと、本土の沖縄問題への共感者にも向かう。自己満足を目的とした共感など有害無益だと。
 私が両氏と認識を共有するのは、本土の現状には何の希望も見いだせない、という点においてである。北朝鮮からの核ミサイルに備えると称して、頭を抱える訓練をしている人々の姿を見るがよい。社会的無関心と無知から生じた政治的幼児性は救いがたい水準に達しており、その姿に映し出されているのは社会の崩壊である。
 そして、沖縄問題への対応(正確には、対応能力の欠如)にこそ、この劣化が最も明瞭に表れている。本土の読者たる私は、このような腐敗物と沖縄はやがて手を切るだろうことを予測させる「警告」として、本書を受け取った。
 沖縄の読者に、本書は何を与えるだろうか。それは、ある種の覚悟や決意であるかもしれない。

 もうひとつ、日本経済新聞の簡潔な書評。

 ともに組織や集団を背負わない「単独者」として書き、発言してきた作家2人による対談だ。
 辺野古の海でカヌーをこぎ、基地建設への抗議を続ける目取真の現実に肉薄する言葉。目取真の小説が提起する「暴力」を高く評価し、身に引き受けようとする辺見の思考。国の名の下に行われる差別と暴力の構造、歴史を可視化する。

 辺見庸のプロフィールを記しておく。
 1944年宮城県生まれ。早大卒。70~96年共同通信社でハノイ支局長や編集委員。91年「自動起床装置」で芥川賞。94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞、2011年「生首」で中原中也賞、12年「眼の海」で高見順賞、16年「増補版1★9★3★7」で城山三郎賞を受賞。



 私は「私」のことを書きたいといつも思う。けれど書かれた「私」はナマ身のこの私とは別モノにならざるを得ない。また、「沖縄」と「私」というようなことを書いていっても「沖縄」と「私」の間には深いミゾが横たわっている。俗にいう男と女の間のように。――という、崎山多美の第二エッセイ集。

 砂子屋書房からの発行。砂子屋書房は歌集・詩集を中心に出版・販売している東京都千代田区内神田の出版社。かつてとある短歌文学賞の事務局をしていたときに、多くの歌集の発売元としてよく耳にしたものです。

 読んでいて、著者の本業が予備校教師であること、中学の頃はコザでやんちゃしていたこと、一度コザを離れたものの著作当時にはコザ界隈に住んでいること、沖縄の芸能に造詣が深いこと、などがわかります。
 組踊に関して、著名な立方である瀬底正憲や宮城能鳳に対する批判は強烈で、慣れから驕りがきていると一刀両断にしています。

 ちょっと深呼吸、コトバの小箱、コトバ・言葉・ことば、シマ・生活・老人・子供、ブック・レビューの5章立て。
 ブック・レビューでは、既読の大城立裕「水の盛装」、目取真俊「魂込め」のほか、目取真俊の「盆帰り」その他の短編、岩森道子「石の里」、小浜清志作「後生橋」なども。

 ここで、先に読んだ「沖縄への短い帰還」(池澤夏樹著、ボーダーインク、2016)に崎山著「ゆらてぃく ゆりてぃく」の書評が載っていたので、その一部を以下に抜粋しておきます。

 小説は書かれるものと語られるものから成る。書かれるものは史ないし誌である。語られるのは話。書かれる方はどこか公式で、作者がことのすべてを知っているという前提の上に立っている。語られる方は一人の語り手を想定する。
 沖縄の作家崎山多美の「ゆらてぃく ゆりてぃく」を読むとこの二つの関係がよくわかる。一方ではこれは保多良島という架空の、しかし沖縄のどの離島でもありうる島の、島史ないし島誌となっている。作者は相当にファンタスティックな島の歴史や民俗誌をしたり顔で書き連ねる。他方には、島に住む者たちの独り語りによって主観的に提示される話がある。独り語りではあるが、合いの手を入れる聞き手はいる。
 どちらの記述も現在については薄く、過去が圧倒的に濃い。現在にはただ過去を整理し展示する場としての意味しかない。すべてはすでに終わっている。
 沖縄という土地の精神性を最も正確に小説の形で表現しようという意図が、こういう作品を生む。ヤマト(日本本土)の読者にわかりやすいようにという配慮を捨てて、沖縄の本性を歪めることなく書く。わかりやすいストーリーを望むことはできない。なぜならば、それよりもずっと大事なものがあるから。
 この小説で沖縄の言葉が多用されるのは当然で、それが読者を限定するのはしかたのないことだ。
 話は「ありんかん、くりんかい」(あちらへこちらへ)ふらふらと揺れながら進み、やがて物語ぜんたいが見えてくる。・・・
 濃厚な過去がかつてあった。今はない。この島ではしばらく前から子供が生まれず、島社会の消滅は目に見えている。この話ぜんたいが強い喪失感に包まれ、哀切の情が漂っている。そういう沖縄が小説として表現される。
 「後(ヌチ)ぬ事や、ヌーん心配(シワ)しみそーらんぐと、彼方(アマ)かいや、心安(ククルやし)やしーと行ちみそーリヨー」(後のことは何も心配しないで、あちらに心安らかに行ってくだされよ)という葬式の挨拶は、沖縄の精神性そのものに捧げられた弔辞のように思われる。



 1994年から2004年まで沖縄で暮らした作家・池澤夏樹が記した、沖縄をめぐるエッセイ、書評、インタビュー、講演、掌編小説を、新城和博らボーダーインクの編集者が厳選をして1冊にまとめたもの。
 「沖縄式風力発言」(1997年)以来19年ぶりとなる池澤夏樹の沖縄県産本。沖縄で暮らした10年と、そこで得た様々な思いが書き記されています。
 単行本初収録されるものも多いようです。「コラムマガジンWander」でのインタビューや、「島立まぶい図書館から眺め」に収録していた書評など、ボーダーインクならでのものも多数。
 解説が宮里千里だというのもファンを喜ばせます。

 この本の刊行にあたり新城和博は、「版元ドットコム」というウェブページで次のように書いています。
 「・・・池澤さんと那覇で飲む機会があったので、沖縄に住んでいたころの文章をいろいろ集めて、あらためて本にできないかと話した。文章のセレクトは僕がおおよそ行い、単行本未収録の文章もできるだけ載せる。池澤さんも、沖縄の10年、そしてこの先を考えるにあたって、あらためてまとめることに興味をしめした。
 結局、沖縄に来る前から去った後まで、およそ25年にわたる期間の中から、エッセイ、書評、インタビュー、講演、掌編小説など、さまざまな沖縄に関する文章を収録した「沖縄への短い帰還」は、話を持ちかけてから2年ほどたち、ようやく刊行することになった。
 ・・・沖縄に来た人も、去って行った人も、沖縄に住んでいる人も、それぞれ時間が過ぎ去った。この本を製作しながら、沖縄で生まれ育ち、ずっとこの島にいる僕も、あの“沖縄”としか名づけようのない季節にいたのだと、なんだかずいぶん感慨深い一冊になった。」

 こうしてみると、本というものもまた、人と人とのつながりの中で生まれ、育っていくものなのだなと思う。そして、そういうストーリーこそが、書き綴られた中身をぐっと味わい深いものにするのでしょう。
 内容の一部を紹介すると、次のとおり。

 エッセイなどは、「今なら間に合うヤンバル探検隊」「沖縄人のための越境のすすめ」「おろかな魔物は直進する」「泡盛にあって他にないもの」「四軍調整官による講演の計画に抗議する」など。
 沖縄に関する本の書評・解説で取り上げているのは、「南島文学発生論」(谷川健一)、「八重山生活誌」(宮城文)、「山原バンバン」(大城ゆか)、「高等学校 琉球・沖縄史」(沖縄県歴史教育研究会)、「アコークロー」(宮里千里)、「琉球王国」(高良倉吉)、「料理沖縄物語」(古波蔵保好)、「水滴」(目取真俊)、「恋を売る家」(大城立裕)、「てるりん自伝」(照屋林助)、「ゆらてぃく ゆりてぃく」(崎山多美)、「沖縄おじぃおばぁの極楽音楽人生」(中江裕司)、「街道をゆく 沖縄・先島への道」(司馬遼太郎)、「新南島風土記」(新川明)、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(佐野眞一)など。
 講演は「太平洋に属する自分」。

 ボーダーインクにしては少し値の張る本ですが、いい読み応えがありました。



 著者は、震洋特攻隊の隊長として奄美群島加計呂麻島に赴任した経験を持つ作家。1945年8月13日に特攻戦が発動され出撃命令を受けたものの、発進の号令を受けぬまま待機するうちに終戦を迎えました。
 その当時のことを書いたのがこの作品集。代表的な短編作品と言っていい「島の果て」(1948)、「徳之島航海記」(1948)、「夜の匂い」(1952)、「アスファルトと蜘蛛の子ら」(1949)、「廃址」(1960)、「出孤島記」(1949)、「出発は遂に訪れず」(1962)、「その夏の今は」(1967)の8編が収録されています。(括弧内は初出年)

 1978年の集英社文庫の復刊版として、2017年に発行されたもの。
 南海のカゲロウ島に配属された朔中尉。特攻隊長として、常に死を目の前にして過ごす彼は、島の少女トエに出会う。おとぎ話のような二人の恋。戦局が緊迫する中、遂に出撃命令が下る――。(「島の果て」)
 趣の異なる8編を、寄せては返す波のように体感できる短編集。生々しく描かれる感情表現と、やわらかな筆致で綴られる情景描写とが両立することで、島尾戦争文学の存在は決定的なものとなります。

 全体として表現手法が古典的で、センテンスが長く、句読点が少ない文体。少し読みにくいですが、戦争文学の記念碑的な作品でもあるので、一文一文をよく噛みしめながら読みました。そうでもしないと自分のバカ頭にはなかなか入ってこないものですから。
 復刊にあたり、新たに著者近影などの口絵と巻末の年譜が追加されています。



 満84歳になった著者が、それまでに書き溜めてきたものをまとめたエッセイ集を出しました。家族たちがこっそり話し合って、新聞や雑誌、機関誌、広報誌などに書いてきた文章をまとめて出来上がったものであるとのことです。いい話じゃないですか。
 統一性や方向性はないけれども、そのほうが面白かろう、それがエッセイ集だろうと思い直して出版に至ったというのもいい話です。
 古いものでは1958年のものから所収され、直近のものは2011年。半世紀以上にまたがるエッセイ集になっているというのがすごいです。

 儀間進の本はこれまで「語てぃ遊ばなシマクトゥバ」(沖縄タイムス社、2000)、「楽しいウチナーグチ」(沖縄文化社、2009)を読んできていて、自分にとっては3冊目でしょうか。

 儀間進という人は、1931年首里生まれ。琉球大学文理学部国文学科卒で、「琉大文学」にも参加していました。高校教師となり、そのかたわら1970年には個人誌「琉球弧」を創刊。
 82年に沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。87年、「うちなーぐちフィーリング」(沖縄タイムス社)で沖縄タイムス出版文化賞受賞。沖縄エッセイストクラブ会員。

 目次から項目をいくつか拾い上げると、「標準語との出会い」「祖父の教え・父の教え」「熊本方言との出会い」「方言論争から40年」「沖縄方言が生き残るとすれば」「ウチナーグチ、自信を持って語りたい」「ユンタクは断髪屋で」「コザ文化論」「ベトナム戦とふんどし」「故郷を失うことでものが見えた」など。

 ウチナーグチとヤマトグチのはざまで引き裂かれ、悩み、苦しみ、ときには落ち込み、しかし自信と誇りを持って、自分のことばとそのことばが生み出す沖縄文化のやさしさを語り続けた著者。
 ユーモアとペーソスにあふれたエッセイたちは、著者の自分史であり、同時代の沖縄の文化・社会史でもあるのでしょう。