沖縄が本土に復帰して、今日で丸40年が経過しました。

 「核抜き・本土並み」での復帰でしたが、当時はいずれ基地もなくなるだろうという楽観論もあったことでしょう。
 そして1995年。少女暴行事件に端を発して、当時の橋本龍太郎首相は「今後5年から7年の間に基地は普天間から撤退する」旨の発言をしましたが、現実は、沖縄の基地面積のうち復帰当時の20%しか返還されていません。
 この遅々とした変化に唖然とするほかありません。

 自分は今から20年ほど前に沖縄に目覚めましたが、当時と比較しても、基地のありようや、日米地位協定に基づく沖縄県民の位置づけなどは、ほとんど改善されていないなというのが率直な印象です。

 それと好対照をなすのが沖縄の文化。これは、少しずつではあるけれど、確実に変わった。
 民俗祭祀の衰退、そして沖縄芝居、沖縄民謡、沖縄地域語などの独特の文化の衰退は、目を覆わんばかりです。それはもう、崩壊と言ってもいいのではないか。
 街並みも、住居の形態も大きく変わったなぁ。

 でもおれは、まだまだ沖縄を追いかけたい。
 どう変わっていくのかを見届けたい。
 変わりようが、いいとか悪いとかのレベルを超越して、第三者の目でじっくりと見つめていく。
 それが、体よく言えば、沖縄からいろいろなものを得た者のひとつの責任の取り方であり、自虐的に言えば、いまさら態度を変えることすらできなくなってしまった沖縄病患者のたどる末路なのである。

 1972年5月15日。
 1944年10月10日、1945年3月27日、同年6月23日、1970年12月20日などとともに心に刻まれた、自分にとって節目の記念日である。

 ああ、そうだ。2000年ごろにブレイクしたNHK朝ドラ「ちゅらさん」の主人公古波蔵恵里の誕生日は1972年5月15日なのだった。
 小学生の頃の約束どおり文也君と結婚したえりぃも、40歳になったのだね。
 国仲涼子ががわいかったねぇ。

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 沖縄に行くたびに感じていた、沖縄大衆食堂の危機。
 沖縄の若者たちの食に対する嗜好の変化や、全国チェーンの飲食店の沖縄進出などにより、インディペンデント系の老舗大衆食堂がどんどん閉店、廃業していくのを目の当たりにして自分なりに危惧していたことを、この本はズバリとついてやってくれましたですな。

 沖縄らしいコンクリート食堂にふらりと入ると、そこにはいかにも昔からここで働いているサーと言わんばかりのオバァがいて、独特のリズムと雰囲気で客さばきをしていたりするのが、沖縄の大衆食堂。
 目に入るのは壁にズラリと貼り出された手書きのメニュー。てびち、煮付け、トーフチャンプルー、ナーベラーンブシー、沖縄そばに中身汁、Aランチ、Cランチ・・・。よくぞこれだけのメニューをこの少人数のオバァたちでさばききるものだと感心したりして。

 ところがそのオバァたち、今やすっかり高齢化して、オバァ食堂は絶滅危惧種化している!という由々しき事態に陥っているというのです。
 そんな、いまや貴重になってしまった沖縄オバー食堂の数々を、たっぷりの写真とともに1軒1軒紹介しようというのが、この本。

 いやぁ、スゴイ!! よくぞこれまで頑張ってこられましたねというオバァたちが、つくったばかりのごちそうを手ににっこり笑顔で迎えてくださいまする。
 77歳、72歳、69歳、65歳、82歳、82歳、77歳、74歳、68歳、88歳。
 登場するオバァの年齢を列挙してみました。どうですか、くらくらっときませんか・・・。

 そしてまた、各店のたたずまいも立派すぎ! 年季入っていますからね。フツーの人ならなかなか入る勇気すら湧かないような、ディープ感ただよう店もあったりして。

 この本で紹介されている店は41店。うち2軒は取材後半年の間に廃業。
 残る39店のうち、おれが入って食べたことがあるのは、高良食堂、丸安そば、嶺吉食堂(以上、那覇)、お食事処チューリップ(金武)、きしもと食堂(本部)、中山そば(名護)の6店。う〜む、まだまだデアルな。
 この本を見て、特に行ってみたいなぁと思ったのは、味のある店構えが前から気になっていた宜野湾の三角食堂、那覇から移転して営業している本部の紀乃川、カベルナリア吉田をあっと言わせた名物オバァがいる本部のみなと食堂、薬缶スープで有名な名護の八重食堂、てんこ盛り肉そばの大宜味の前田食堂、あたりでしょうか。


 この3月に公演活動からの引退を表明した知名定男のDVD「唄魂LIVE」を鑑賞しました。
 もったいないことに、昨年(2011年)の3月に購入して以来、初めて鑑賞。こういうことって実はけっこうあって、大切だったり貴重なものなどは特に、読んだり見たり聴いたりするのが惜しいというので、買ったまま封を切らずに大事にとっておいたりするのだな。
 こういうものはなんつったって、ファーストインプレッションが重要だからね。

 2009年末に、民謡101曲を録音した「島唄百景」で、第51回日本レコード大賞企画賞を受賞。これに先立ちそのいいトコ取りをしたようなCD「唄魂」が発売されますが、さらにそのちょっと前の7月12日、日暮里サニーホールで行ったライブを収録したものです。

 知名の引退を報じる新聞記事には、2006年ごろから喉に不調を感じていたことが記されていましたが、このときはそのようなこともなく、いつものとおりいい声でうたっています。
 ただ、ずっと椅子に座ったままでの唄三線で、周りにいる吉田康子や鳩間可奈子、ひがけいこなどがスタンディングなので、なんだか一人だけ老けこんでしまったような印象がありました。
 たしか昭和20年生まれ。なので、若いと思っていた知名も今年67歳になるのだな。
 知名定照の奏でる琉琴が入ると、知名定男の唄はぐっと引き締まり、映えますね。

 ところで、2006年の喉の不調については、彼が著した「うたまーい」(2006年2月、岩波書店刊)のあとがきで、次のように記しています。

『 昨年(註 2005年)の琉球フェスティバル(11回目)の福岡会場で、僕は初めて声が出ないという事態に直面しました。唄えなかったのです。変声期の時でも唄うことは出来ました。それがほとんど声が出なかったのです。半世紀にわたる音楽生活で、これは初めての経験でした。とてもくやしかったし、反省もしてます。
 僕は体力には自信を持ってます。現在でも週に1、2回はあの新芸会の仲間たちとゴルフに行ってます。さすがにお酒の量は減りましたが、まだまだ健全です。作曲活動も頑張ってますし、プロデュース業も忙しくこなしています。
 声の調子はほぼ戻りましたが、「まえがき」でも触れましたように、あの天才少年も今年で還暦を迎えました。60歳です。もうオジイの年齢に到達してしまいました。事実、僕には四人の孫がいます。でも、気持ちは昔と同じく、青年の積もりでいるのです。しかし、声が出なかったというあの初めての経験によって、やはり自分も確実に年老いていってるなあ、ということを認識せざるを得ませんでした。 』

 知名はいつも、「琉球フェスティバル」を「琉球ヘスチバル」と発音していたよね。(笑)

 さて、上記とは全く関係ありませんが、おれ、このDVDのジャケットに写る知名の着ているかりゆしウェアがサイコーにカッコイイと思う。
 こりゃぁええねぇ・・・。おんなじもんがほしいんだがや。
 ブランド名や、売っているトコなどの情報、知っとったら、ぜひ教せーてやってちょーでぇ。

 ・・・さらにはずれるが、名古屋のうみゃあもんをい〜ろいろ食べ歩いてみたゃあもんだがや。


 民俗学者・宮本常一のフィールドワークに徹した追及手法に興味を抱いていたところ、2011年、氏の没後30周年記念出版として「あるくみるきく双書」全25巻の配本がスタートしました。
 その第1巻が「奄美沖縄」だったので、2,940円と自分にとっては値の張る本でしたが、さっそく購入。

 カバーの返しにある記載を引用。
「高度経済成長に沸く昭和40〜50年代の日本、急速に姿を変えてゆく農山漁村の風景や暮らしの中に秘められた豊かさや知恵を探し求めて、ひたすらに歩きつづけていた若者たちがいた。民俗学者宮本常一と彼が率いた近畿日本ツーリスト株式会社・日本観光文化研究所に参じた若者たちである。この双書は同研究所が発行した幻の月刊誌『あるくみるきく』を地域別、テーマ別に編んだ昭和日本の風土記集である」

 掲載されている文章もさることながら、なんと言っても秀逸なのは、当時撮影された写真の数々。
 白黒、カラーのそれぞれは、今から45〜35年ほど前に撮られたものであり、当時の人々やその生活、習俗、文化などをなによりも雄弁に語っています。
 昭和というのはああいう時代だったのだなあと懐かしく思うと同時に、当時の沖縄・奄美の置かれていた状況がもののみごとに垣間見ることができ、今となっては失ったものの大きさに衝撃を覚え、ちょっとウルウルときたりして。

 それらはたとえば、古くからの祭りを多く伝え残す国頭村安波集落のたたずまいであったり、十分な整備が進んでいない頃の今帰仁城の平郎門であったり、蓑をまとって野良仕事へと向かう与論島の男性だったり、西表島・星立の節祭に登場した踊るオホホだったり、加計呂麻島のカミンチュたちの祈りであったり・・・。

 きっと当時は今よりもずっと離島苦(しまちゃび)がきつかったはずですが、人々の表情はとても明るく、また、若い人々がたくさんいて今よりもにぎやかさがあったようです。
 過疎化が進み、地域文化の担い手の減少が危機的状態となり、街並みがどこも似たような表情になってしまった日本。これから日本の人々や風景はますますのっぺりとしたものになっていってしまうのでしょうか。
 人間にとって「豊穣」とは、いったい何なのだろうかと考えさせられた1冊でした。


 沖縄のあれこれをおもしろおかしく紹介してきた仲村清司が、こんどは大真面目で沖縄の歴史に挑戦です。いつのまにか、沖縄大学で非常勤講師なんかもやっちゃってるんですね〜。

 かなり関連する書物を読み漁ったとみえて、スグレモノと言うべき力作になっています。
 沖縄の先史時代から始まって、三山対立時代、第一尚氏の三山統一、尚円金丸や尚真王にまつわる話から、アカハチやサンアイ・イソバなどの活躍の舞台となった八重山の状況、島津の琉球入り、ペリー来琉から琉球処分、そして沖縄戦までを対象としており、全23章。

 通史ではなく、テーマごとに史実や過去の歴史家等の記述などをもとに、現代の沖縄を生きる視点から、自分なりに興味を持って物語調にまとめていった、というような仕上がりです。
 自分の推測などを加えつつ、時には大胆に歴史的事象を一刀両断にするあたり、こういう書き方は学者センセイにはできないだろうなと思わせる部分もないわけではありません。
 しかし、全体としてみれば、沖縄史の核心的な部分や各時代のクライマックスを詳細かつ的確に論じていると言ってよく、あちこちの歴史書を苦労して読むよりも、この1冊をじっくり読んだほうが沖縄史のダイナミズムを端的に理解できるのではないかなぁと思いながら読みました。

 ペリー来琉時に琉球側の通事として活躍した板良敷親雲上(いたらしきぺーちん)に関する記述は特に圧巻。
 板良敷が通事の手腕を買われて薩摩藩主の島津斉彬に取り立てられ、平士の家柄でありながら上級職である「表十五人衆」にまで登りつめ、牧志朝忠(まきしちょうちゅう)を名乗る出世話。そしてその後の琉球王国側保守派の反動勢力による拷問、投獄、果ては薩摩へと向かう船上からの投身自殺という悲話もしくは秘話には感動を覚えました。

 よくぞこれほどの書をものしたり、仲村清司。あっぱれ!!としか言いようがありません。
 そしてこれが1,400円という格安で、これを発行した新潮社もあっぱれ!(張本氏風)でしょう。