「怪」が日常と隣り合わせに潜む沖縄。この地を包み込む、知られざる恐怖と怪異が今、語られる……。邪悪なものはヤナカジと共にやって来る――。
 TOブックスの「怖い話」の3冊目。ワンパターンなんだよなぁと思いつつ、読んだ小原猛の本はこれで6冊目になります。

 38本の怖い話。各ページは黒い縁取りがしてあり、ページの余白部分が書かれている以上の何かを訴えたそうな雰囲気がいいです。
 カニハンダーとは、神様に取り付かれている、タガが外れているという意味。ほかにもシタナカジ(汚い風)、ヤナカジ(嫌な風)、マブヤーウー(魂の緒)、マブヤーメー(魂の飯)、ターリ(憑依していること)、ジチチケー(術使い)、イチジャマ(生霊)、サーダカー(精が高い)などの沖縄特有のスピリチュアル用語も登場します。

 文章はことさらに怖いところを強調するようなものでなく、むしろ沖縄の死後の世界は現世のすぐ近くにあるのだなと思わせるようなもの。真夏の怪談のように子どもたちを怖がらせる迫力はなく、異界への扉はいつでも目の前に開かれているような錯覚を覚えます。

 著者は「前口上」で次のように記しています。
 私にはすべての話が現実に起きたことだと断言することはできない。ただ、これだけは言えるのである。それが現実に起こったかどうかはともかく、それが起こったと信じている人々は確かにいて、彼らはその体験から大なり小なり、影響を受けているのであると。
 ただ沖縄には怖い半面、優しい神々もいる。神々とは祟りを引き起こすだけの存在ではなく、人々を助ける存在なのである。人と神が協力して調和して初めて、沖縄という存在は実際の価値を見出すのだ。そんな風にも思う。
 とにもかくにも、怖いだけではない、沖縄の不思議な話を聞いてもらいたい。そして沖縄に来たことがない方は、いつか沖縄まで足を運んで、自分の目で確かめていただきたいものである。

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 いじめを受けて不登校だった航は、小学6年生の春から「神が宿る」という沖縄の離島・神高島にある施設で新たな生活を始めた。そこで、ミウという赤い髪の少女に出会い、次々に不思議な体験をする。――というストーリー。
 2011年の産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞作です。

 神高島のモデルは明らかに久高島。徳仁港やその近くの売店、久高島宿泊交流館、五穀が流れ着いたとされる伊敷浜などの描写が出てくるほか、北のカベール岬も「クベール岬」として登場します。
 モチーフは、里子を受け入れた海浜留学を題材とした鳩間島の「子乞い」(森口豁著、1985年初出)にも似ています。そして、久高島のノロ、キジムナー、海ぶどう、イラブーなども取り上げられているので、沖縄マニア、特に久高島経験者は楽しく読めるはずです。

 著者の末吉暁子は、1942年生まれの児童文学作家。児童文学の延長にあるので、文章は平易でわかりやすく、文字も大きいので、どんどんページが進みます。
 当作は68歳(2010年)での発表ですが、子供同士の会話や使われる用語に古臭さはなくむしろ現代風で若者言葉なのがユニーク。
 2016年に73歳で病没しています。



 沖縄屈指の作家である著者が生まれ育ったのは、大宜味村大兼久。戦前は漁業の町で、南洋諸島のパラオやペリリューで戦死した人々が多くいる土地柄なのだそうです。
 団塊の世代に生まれた著者は、戦後70年を過ぎて、やっと戦争と向き合える時間を手にすることができたといいます。定年退職を迎え、父や兄が死亡した年齢を過ぎると、父が召集されたパラオのことが気になり、生まれ育った大兼久の戦死者のことが気になり始めたと、プロローグに書いています。

 「戦死者たちにとって、織り成されるはずであった人生の物語はどのようなものであったのだろうか。個々人にとってかけがえのない一つきりのその物語が奪われたのだ。(略) 戦後70年間、郷里のこの土地は、無念の思いで斃れていった人々の血と物語を吸い込んで、空を見上げ、雨に打たれ、風に曝されてきたのだ。運命と呼ぶにはあまりにも悲しいこの想定内の愕然とした事実が、私にこの本を書かせる動機になったと言っていい。」
 大兼久の戦死者一人ひとりに関することについて、著者は上記のような思いで丹念に聞き書きをしています。

 「沖縄タイムス」のページから、2016年8月に書かれた南風原文化センター学芸員の平良次子氏の書評を以下に引用しておきます。

 最近、戦災調査についていろいろ考えることがあった。体験者が話さずにはいられない、あるいは話したくない心境は、聞いている私の人生に大きな影響を及ぼすような気がしてきた。非体験者の私たちがその体験を知るか知らないかで、記憶や記録に残るか否かということだからである。本書を手にして、なんだか胸騒ぎがした。

 この本は沖縄に生きる私たちにとっての沖縄戦という歴史が、「あってほしい未来」に託す大切な人とのつながりや人と地域の歴史物語から教わることの重要さを刻んでいる。
 これまで私がとらえていた沖縄戦の記録や記憶の継承などというカテゴリーを超えていた。戦死者や戦死者とともに生きてきた人たちの記録であるとともに、その「戦争体験者」と現在を生きてきた戦後生まれの人たちを重ね合わせた「物語」であるのだ。
 また著者が地元の戦争体験記録を「私をも変革してくれた」と記されたように、あらためて親しい人たちの戦争の記憶に向き合った日記のようでもあった。

 私がこれまで読んだ戦争体験証言や記録と明らかに違うのは、語り手の言葉がカギかっこで書かれていること。それに聞き書きをする自分自身の感情、同行した人たちの様子をも含めて文章化されている点だ。それは戦争体験者の話をどのように受け入れているか、という記録でもある。
 戦争犠牲者(あえて本書はそう書かれている)の話を非体験者がどんな気持ちで受け入れたのかは、これまで読んできた戦争体験記録からはなかなか見えない事であった。主人公が体験者そのものだからだ。なるほど、聞き手、書き手の様子も同時に記録表現する、そういうやり方もあるのかと新鮮であった。体験者の声を常に聞き取る自分の生き方に反映させることを意識している、と思った。
 また沖縄国際大の田場裕規先生の解説は今後の沖縄戦の記録や伝える作業で意識したい重要なことを示唆してくれた。



 1995年発刊の、ラジオ番組派生本。
 琉球放送ラジオで、平昼の時間から放送された人気番組「ふれ愛パレット」に寄せられたFAXや手紙をなどで構成されている本。ホントにいろんなものがごちゃまぜになって掲載されており、それぞれに脈絡がないので、めまぐるしいぐらいの内容になっています。

 20数年前の本をなぜ買ったかというと、いまや代議士としてよくテレビに出てくる玉城デニーのタレント時代を知りたかったから。
 与那城村(現うるま市)生まれで、父は沖縄の米軍基地の駐留兵士。ケースワーカー、ミュージシャン、営業マン、内装職人、PA会社社員、バンドマネージャーなどを経験して、1990年頃から放送業界へ。その後「ふれ愛パレット」のパーソナリティでブレークし、2002年9月、沖縄市議会議員選挙に無所属で出馬してトップ当選。05年9月の衆院選に沖縄3区から民主党公認で出馬して落選。09年8月の衆院選に再出馬して初当選。

 あるウェブページの対談で、ラジオDJをしていた頃から政治を考えていたのか?との問いに、「考えるわけないよ!毎日ロックンロール(笑) タレントとしてデビューしたのは30代くらいです。30代後半になって、将来自分が何をやりたいかと考えたときに、いろんな人たちに会って勉強をしたかった。そこでいろんなことを学んだ。本当はNPOを立ち上げて下支えをしたかったが、一度はタレントとして表に立ったのだから、最終的に表に立って政治家をやろうと思った。「二足のわらじだ」とボロクソ言われたり、「議員になって苦労しなくてもいいさ~」とも言われた。議員になってほしくないという人もいっぱいいたが、なにか世のため人のためにできるならと思って議員になった。」と答えています。
 沖縄県内に駐留するアメリカ軍基地の県外移設・撤去を求める一方で、アメリカ軍に代わる自衛隊による沖縄の防衛の必要性を主張している政治家です。

 なお、沖縄都市モノレール「ゆいレール」で流れる車内アナウンスは、日本語・英語共に富原志乃によるものなのだそうです。



 「NPO現代の理論・社会フォーラム」の古川純という人物の編集によるもの。このNPOは、「一般市民を対象に、現代の理論状況の打開に向けて、機関誌の編集・発刊やウェッブ上でのマガジン発行などを行い、新たな理論構築と社会への提言、その普及に関する事業を行い、人々が文化的な生活をすることが出来る社会の実現に寄与することを目的と」しているのだそう。大仰な感じがしないでもありません。
 八重山出版界の雄「南山舎」のやいま文庫のNo.16です。やいま文庫シリーズはこれまでに何冊読んでいるのだろう。
 「「八重山の今」を考えるヒントがこの一冊には凝縮されている。尖閣問題、教科書問題、与那国と自衛隊、新空港の未来など、岐路に立つ八重山の現が、島の歴史や暮らし、祭祀芸能、台湾との関係などを背景に浮かびあがる。「沖縄」とひとくくりにできない「八重山」の特性が見えてくる。」――というもの。

 具体的には、島の歴史、台湾と八重山、島に生きる、祭祀行事と芸能、八重山の現在に分けられ、現在における「八重山の社会と文化」を考える内容になっています。
 「「オヤケアカハチ」の乱とはなにか」、「八重山の人頭税時代」、「明和大津波の痕跡を探る」、「竹富島の「うつぐみ」と祭り」、「波照間島の苦悩と誇り」、「尖閣列島をめぐること」、「八重山教科書問題の問題点」、「「夕凪の島」の著者大田静男の予言」、「新空港と八重山の未来」など、全25編。
 執筆者は、古川純のほか、島袋綾野、松田良孝、飯田泰彦、森永用朗、山根頼子、はいの晄、砂川哲雄、大田静男。
 現代の八重山を考える上でのひとつの基本の書と言っていいでしょう。



 沖縄県の最高学府である琉球大学の独創的な知の蓄積を本に――。
 太平洋域、東南アジア、中国、そして日本も含めた経路に位置し、大きな流れを形成してきた沖縄の学と思想や、沖縄からの視点である「南からのやわらかいしなやかな智」を、現代社会に示したいとの観点から、平易にわかりやすく示したものとなっています。

 第1部は、南から読む歴史・文化・思想。「沖縄の「法」の見方」、「世界につながる沖縄の自治と未来」、「沖縄近代史を考える」、「移動する沖縄の人々」、「アジアにおける国際物流と那覇空港」、「沖縄の多言語社会を考える」、「漕ぎだそう、うちなあじあの海原へ」、「東アジア漢字文化圏と琉球」、「越境する沖縄の大衆音楽」、「宮古上布物語」。
 第2部は、南から見る地球・自然・人間をテーマとして、「ウルトラマンがいっぱい」、「亜熱帯沖縄の冬の寒さと動物たち」、「GPSで見た琉球弧のプレート運動」、「沖縄の空気」、「科学の力は若者に夢と希望を与える」、「地域の素材を加工する」、「南の島のインターネット」、「ニワトリいろいろ」、「沖縄の肉用牛」、「沖縄のヤギ」、「豆腐ようの歴史とサイエンス」、「遺伝子側からヒトと病気をみる」、「宿主と寄生虫の相互関係にみる共存の妙」、「南の腫瘍放射線医学」、「やわらかい国際島嶼保健」。

 自分の興味の赴くところに任せて本を選んでいるので、日頃ほとんど触れることのない自然科学系の読み物がむしろ新鮮。執筆者たちはものすごく気を遣って書いているようで、中学生でもわかるぐらいの言葉遣いですから、自分もそれなりに理解できます。
 このうち「豆腐ようの歴史とサイエンス」には触発されてしまい、訪沖時に豆腐ようを買ってきて、酒の友にしているところです。

 「やわらかい南の学と思想」シリーズはその後も続刊が発売され、現段階で「4」までいっているようです。